最近の初詣がやたら行列になってるのは、二礼二拍手一礼みたいな時間がかかることをみんなでやり出したからで、昔はこんなのはなかった - Togetter
いや、神道以外の人がわざわざ神社に初詣にきていたのは田舎ぐらい(田舎では、神社とお寺が同じ運営で隣の敷地という形態が比較的多い)だったのに、テレビやネットの影響で猫も杓子も行くようになったからでしょ?
私は神道なので、仮にそれが新しいシキタリであったとしても、そうしましょうという事であれば当然従う。
別にそんなものはキリスト教であっても同じで、例えば同性愛に対する考え方や接し方を新しい解釈の元に時代にそったものとすることも行われており、一部では反発があるものの、彼らもそれを宗教の方針や教えとして当然従うわけで。
結局のところ、もともとは神道やそれに近しい人たち(田舎では、宗教というか神社やお寺自体に集会所のような意味合いもあるので、実際は宗教、宗派に限定されず、どちらかというと神様の種類というか、農家であれば豊穣みたいな、そういったものの影響の方が大きいのですよ)しか行っていなかったので、混むとか混まないというか、地元の神社にお伺いするというのが親の代からずっと続けていたものだと思うのですよ。
ところが、だんだんと「パワースポット」とかいう謎の言葉や、日本特有の「宗教ってなんだっけ?」という何でもいっとけ、みたいな扱いにより、ただ「神様なんでしょ?ご利益あるんでしょ?」みたいなことが広まった結果、ただの「年始の一行事」になってしまったのだと思いますが。
そもそも私が知る限り、神道ってのは結構すくないのですよ。
たいていが仏教であって、神道はおそらく地域的にある程度多いところもあるでしょうが、それでも圧倒的に仏教よりも少ない。
そりゃ、神道でない人は宗教としての扱いではないので前述したような、宗派としてのシキタリであったり、仮に新しいものであっても理解して受け入れるという事には無理解だろうとは思うが、その意見に何の意味があるのかと。
逆に、神道である人が、そういった新しいシキタリに対して否定的であれば、別に改宗すればいいだけであって、そこに制限などないわけで。
だれからも制限されていないと思うんですが、なんでそこで「新しい」とか「古くからの」という議論になるのかわからない。
なんですかね、宗教とは、古の時代から決められたことしかしてはならず、仮に新しい形や文化を広めてはいけないのですかね?
なんだろう、この、古臭い意見の塊は…。
なんでも「最近できたものに意味はない」と否定すればいいものではないよ。