何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

結局両方とも共同生活に向いていないのではないかと思うが

 

食卓で箸が度々準備されないことに旦那がキレて箸立てをゴミ箱に投げつけて嫁が家出する事態に - Togetter

旦那は化石的な思考であるとは思うし、実際箸なんて無ければとれば良いだけだとは思う。ただ、相手が気にかけるポイントについて、どうするかという事を何度も起きている事案なのに解決できないのは双方の問題かと。

 

実際起きている事はどうしようもない細かい話しではあるし、そんなの自分でとればいいだろ、と思う。

 

が、本質的にはそういう話しでもないのが、こういった問題。

 

人間は大抵だれしも、こだわるポイントはあるし、それは他人からみたら、本当にどうしようもない事で、理解もできない事も多い、というか、大抵は出来ない。

 

そして、夫婦というのは元々他人であって、どんなに長く連れ添ったとしても、まだまだ知らない事や、理解仕切れていない事などいくらでもあるし、それは永遠に続く問題でもある。

 

実際我が家でも最近起きた話しでいえば、妻がYouTubeにはまっているのだが、その中で大食い動画を見ている。

それは別にかまわないのだが、咀嚼音をそこそこの音量で流されて、私はそれが非常に気持ち悪い・・・、もっとも、私は自分の書斎(書斎ではあるが、実際はリビングと半分繋がっている)で多くの時間を過ごすので、距離をとるなり、音楽を流す成りである程度は回避できるが、寝室などはなかなかクレイジーなシチュエーションも起きる。

突然妻が寝れないときにYouTubeを見ていると自動的にお勧め動画で咀嚼音のする動画が流れたり、見ながら寝てしまい、寝室から延々と咀嚼音が流れ続けている等がそれだ。

 

こういった事も、妻からすれば楽しい出来事の延長線上にある事だが、私からすると他人の咀嚼音をわざわざ聞くという事を理解することはできない。

 

が、ここで「理解できない」という話しで終えたり、逆に「寝落ちは仕方ない」としてしまえば、どちらかが不満をため込むこととなるのは言うまでも無い。

 

結局のところ、こういったことが起きた場合、どのようなものであれちゃんと話し合って解決であったり、回避策を検討するしかない。

 

多くの夫対妻の言い争いの話題では「夫が無能すぎる」であったり、「妻が鬼嫁だから」であったり、そういった結論を出しがちなわけだが、それは単純に、自分の家族や家庭がそういった解決できない問題を抱えており、また、自分もそれの被害者であるから何れかの偏った問題であるとする事に共感を覚えるのではないかと感じる。

 

もっとも、実際に極端な例も多くあるが、それでも「離婚」という選択肢を選ぶつもりがないのであれば、結局は相手に対して「無能な夫」「鬼嫁」等と言っても解決しないことは言うまでも無い。

 

件の話しも同じだと思う。

 

妻からすれば「箸がない事がそれほど大きな事とは思わない」「人間なんだから忘れるのは仕方ない」という意見を全く疑わず相手にぶつけているようだが、それを善とするならば、逆に自分にとっては常識でも相手にとっては非常識と思われる事を受け入れなければならない。

なぜなら、相手にとって「食事についての順番にこだわる」という事や「箸が最初に準備されているべき」という事は拘りのポイントである事は疑いはないわけだから、それは非常識なので従ういわれはないとするならば、当然そうなる。

 

そもそも常識や正解などというのは、大抵の場合、多くの人が正しいと信じたものや、過去の歴史によりそうであると決められている程度の事で、極論言えば、そうでないとすること自体に何らおかしな事はない。

 

箸がない事が当然であるという常識もあるだろうし、逆に、箸がないという事が当然ではないという常識もあるだろう。

そして、それが受け入れられるレベルの問題であるという事もあるだろうし、そうでない場合もあるだろう。

 

その違いが人が個人として自己を表すものであって、その個性を全否定するような話しはこの多様化の時代にどうなのかなとは思う。

 

少なくとも夫のコミュニケーションに問題はあったと思う。

夫からすれば、何度もその点について自分はこだわっているという事を話していたのかもしれないし、もしかするとどうしてそこにこだわっているのかという事も話したのかもしれない。

それでも相手には気遣ってもらえなかったという、もしかすると絶望感があったのかもしれないし、単純に怒りが爆発したのかもしれない。

だが、箸立てをぶん投げて相手がその点を理解する程度の問題であれば、おそらくそこに至っていないし、それで解決しないという事を理解できていない点や、結局その時点で怒りをぶつけるという事自体は自己の感情を一方的にぶつけているだけである点も含め、夫の選択、行動について間違っていたことは言うまでも無い。

 

が、それと同様に、妻に何ら非がないとは私は思わない。

前述のように、箸の順番にこだわるというのは、私からしてもなかなか拘りがあるのだろうと感じるし、正直理解もしがたいものがある。

が、言い換えれば、それだけ特徴的な要望であって、私が妻からそういった相談をされれば、これは中々ちゃんと向き合わないといけないな、となるポイントであると理解するものであって、何となくという対応はしないだろう。

 

相手がこだわっている事、それについて理解し、その事を一緒に向き合って考え、できる事から改善するという手順を、単純にこの夫婦は共同作業として行えなかっただけだと私は思う。

 

ともすれば「家事に理解のない夫」のような意見が飛び交うだろうが、そういう話しはあまり価値がない。

 

なぜなら我々はその夫がどのような夫であるかほとんど知らないし、前述のように、なぜ箸にこだわっているのかも何もしらないのだから。

 

その時点で我々はどちらが正しいかもわからないし、どちらがモラハラであるのかも判定はできない。

 

ただ、少なくとも書かれている事実だけを読めば、何もその過程にについては触れておらず、結論在りきの文章である点や、逆になぜ相手の拘りについて親身になってあげられなかったのかという点が置き去りになっている事だけが私には目立っている。ただそれだけの話題だと思う。

 

食事の面で言えば、結構夫婦に異なる文化的違いが生じる事は多い。

先の咀嚼音の件以外にも、単純に我が家でも食の好みから食べ方まで様々な違いがあるし、それは面白がって話題にできるものもあれば、ちゃんと理解してあげなければならない問題もある。

 

都度、我が家ではそういった点は食事をしながらであったり、雑談の中であったり、いろいろな場で話し合いながら、その中で、これはもっと深く考える問題、これは覚えておけば良い問題、これはあまり気にしなくてもよい問題と割り振りながら、それぞれ向き合っていっているわけで、おそらくそれはどの家庭でも同じだと思う。

 

結局、それが機能不全になっていただけであって、結末だけで夫や妻を短絡的に批判するというのは、もしかするとそう考えた人自身も同様に、機能不全に陥った環境にいるのかもしれないと思う。

 

その点に考えが至れないという事であれば、恐らくは当事者の夫婦は双方共に、あまり共同生活というものに向かないのかな、と私は思います。