ystk on Twitter: "コロナ関係では色々無茶な主張があったが、無茶の横綱は「陽性でも陰性でも感染してるつもりで行動すべきなんだから検査してもしなくても一緒」ってやつだよな。「人は泥棒をすべきでないから泥棒はいない前提で考えてよい」というのと同じ論理構造だよこれ。まともな教育受けた人の議論とは思えない。"
何言ってるかわからないんだが、それ、逆の話しでしょ。誰が泥棒かわからないわけだから、常に泥棒がいる、来る前提で備えをすべきという話しに持って行くべきで、なぜそれが逆に。一番無茶な主張は貴方の発言では。
そういう話じゃなくて、規範レベルの話(陽性でも陰性でも感染してるつもりで行動す「べき」)と事実の予測(陽性でも陰性でも被検査者の行動は変わらない)を混同している点が「泥棒してはいけないから泥棒はいない」と同型ということです。 https://t.co/lSXCGfMIjf
— ystk (@lawkus) April 15, 2020
これに対して、この話しは論理構造の話しをしているだけなのだから、と意見している人をちらほら見かけるが、だとすると余計に悪質。
そもそもこの話しは「何が正しいのか」と色づけする事はできない問題。
少なくとも現時点で答えがでているわけではなく、国毎に試行錯誤しながら進めているわけで、極論言えば、ある国でも正解が別な国での正解であるかすらわからない。
で『「人は泥棒をすべきでないから泥棒はいない前提で考えてよい」というのと同じ論理構造』というのは、前提として「その考えた方はおかしい」という事が成立しなければならないわけで、これは論理構造の矛盾についての議論ではなく「どちらが正しいかわかるよね?」という是非を問う話になっている。
もしも論理構造の話しに過ぎないのであれば、何れが正しいという前提を設けるべきでは無く、単純に矛盾を指し示すべき話し。
今回のように一方の正しさを肯定するために、他方を意図的に曲解する例示というのは、論理構造の話しではもなんでもなくて、ただの自己肯定化の議論に過ぎない。
ただそれだけの事。