何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

北九州市の小学校でのクラスターについての報道姿勢を私は強く否定する

在宅業務とすると私はテレビを見ないものの、妻がテレビを見ながら仕事をするためにワイドショーなどの音声も聞こえてくるので、珍しくテレビのニュースについて知るチャンスがあるわけですが、今日聞こえてきたものの内容を見て、私は正直怒りと吐き気がした。

 

内容としえては北九州で発生している小学校でのクラスターの事例について、感性経路や状況の詳細を報道しているものであった。

あまり書きたくは無いのだが、具体的な点に触れるとその感染源と思われる児童の関係者に医療従事者がいたとの事を報道していた。

 

私はこれを効いたとき、2つの怒りを覚えた。

1つは、そもそも医療従事者が仮に起点となったとして、それが何か報道に値する情報であるのか、例えば一般企業に努めていたとしてそれの業種や役割を説明する必要があるのかという点。

少なくとも医療従事者は我々の為に本人が望むとも望まないとも関わらず体を張ってくれているわけであり、その家族や親族は、もしかすると様々な葛藤がある中でもそういった環境にいる事を支え、私たちの健康や生命について最大限の努力をして下さっているわけで、その点を考えれば、仮に感性経路であったとしてもその事実を殊更公にすべきではないし、公にした結果として「医療従事を辞めるべき」という話しでもない。単純にこの行為は医療従事者、医療関係者を追い詰めるだけのもので、報道する根拠も理由も何もない、非常に不適切で激しく嫌悪すべき行為であると思う。

2つめは、子供は大人よりも残酷である中で、経路を具体化する意味を考えていない点。そもそも私は感染率や死亡率、重篤化率に関わらず子供については最大限の配慮、つまり休校措置を最大限行うべきとの考えで、それは、子供は大人が考えないようなレベルで虐めや虐めに近い環境を作り出してしまうと言う事がある。例えば、ある学校でクラスターが発生した場合、当然経路や感染者の特定という行為が行われるわけだが、その結果、本来いるはずのない「加害者」と「被害者」という誤った考えが発生してしまう可能性が非常に高い。

私は自信の親族に教育関係者が多かった為、子供の残酷さはよくよく理解しているつもりで、大人が「ダメですよ」といった程度で解決できない事は判っている。

大人が望まずとも、子供の社会では「悪意」が無かったとしても「感染した人」と「感染していない人」という「区別」が行われ、その上で「結果どうなったか」という話しが広がっていく。そしてそれはたった一瞬の事でも子供の記憶や経験に大きな後を残し、その後の人生にも大きな影響を与えかねないものになる。

さらに問題なのはその親の社会的成熟度によって対応はより悪化するわけで、理解のある親であれば「誰にでも、何処でも起きうる事で一緒に頑張るしかない」という対応ができるわけだが、無知で愚かな親を持つと「その子の家とは関わるな」とか「親は何の仕事をしているのか」とか、特に今回の事例のように医療従事者であるとわかれば「医療従事者の過程とは関わるな」のような吐き気のするような意見を平然と垂れ流し始める。

 

こういったことは誰が考えてもわかる事で、我々は現時点でこういった行動、愚かな行動や言動を行う大人、子供に対して適切な対応策を持ち得ていない。

 

情報は必要なものを届ける事に意味がある。

情報を凶器にして社会を破壊する行為に私は加担したくはない。

 

今回の件について具体的な背景や関係者の事情の詳細を報道した局やキャスターなど、その報道に関わった全ての関係者は最低だと思うし、私は今後も強く否定し、彼らが「報道」という嘘で放つ言葉は一切信じないだろう。

 

キャスター自身も自分で考えるべきだ。

こんなことを公共の電波に乗せればどのような事が起きるのかと。

それがわからないのであれば、それを考えられないのであれば「報道関係者」等と二度と名乗るな。

 

こんな無責任で非常識な報道が許されている日本は最低な国だと私は思う。

 

報道関係者は自分達の行為について自分達で否定し恥をしるべき。