何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

「倫理観を疑う」や「常識を疑う」といった声が一番の問題

 

女性にAED ためらわないで | 未来スイッチ!課題解決で暮らしやすい社会へ|NHKニュース

救護者を守る法律が制定されない限り改善はないし、下手すれば冤罪事案等が発生すればその後はより悪化する。法律を制定する以外に手段はないし仮にそれを社会が否定するなら人生を棒に振るリスクを強要するなとしか

 

こういった問題が発生した場合、冷静に背景を考え、恐怖や戸惑いを感じる人たちに対してどのように向き合うか、なぜ向き合わなければならないのかという思考は日本に一番欠けているのものの一つ。

 

一番たちが悪いのはそういった事に躊躇する人や戸惑いを覚える人に対して「倫理観を疑う」であったり「常識を疑う」といった、息を吐くように一方的な批判を投げつける人間の存在。

 

まず大前提として人はすべての人間が英雄ではない。

不安があれば戸惑いを覚えるのは至って普通で、その事を否定したり批判する事が一番人を追い込み、より社会を生きづらくする行為でしかない。

 

こういった事に対峙した時の感じかたは環境によって異なる。

例えば既婚者か未婚者でも違うかもしれないし、大人か子供かでも違うかもしれない。

また、姉妹がいた場合でも感じ方は違うかもしれないし、性格、その時のストレス具合であったり、様々な状況で人の感じ方は異なり、極論言えば、違う状況であれば行動に移れた人間が、ある状況下ではそういった行動に移れない事だって普通にあり得る。

 

そういった事に思考が至らない事も一概に批判する話でもないかもしれないが、ただの正義感だけで他人を追い込む事を少なくとも称賛も肯定もできない。

 

重要なのはそういった事に戸惑いを感じる人間がいる事で、救える事が救えなくなる可能性が高まるという事であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 

そういった時、社会として重要なのは批判や否定する事ではなく、どうすればそういった不安や戸惑いを払拭できるのかという事を社会的な仕組みや取り組みとして行う事でそれ以外に意味はない。

 

そもそも人命救助に於いて救助者の責任を問わない(例えば、単純な訴訟リスク以外にも、装置の誤使用による失敗等も可能性としては否定できないわけで、救われるケースだけを前提に議論するのは明らかに異常)等の法律の制定、つまり「善きサマリア人の法」の制定であって、それを行わない理由はない。

 

仮にこれを制定する事に問題があると判断されれば、逆にそれが人命救助時における救護者の抱えるリスクであって、そこが躊躇されるようであれば、そもそもこのリスクを誰かに強要すべき話ではない。

 

こういった問題が起きたとき、短絡的に「けしからん!」といったようなリアクションは控えめに言って状況を悪化させるだけなので、背景にある問題や心情と向き合う努力をしなければならないが、日本人の最も苦手な要素の一つで、そういった点も合わせて改善しなければならないよなぁと思う話。