何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

被害者を救う事や、被害者を減らす事を目的とするならばもう少し真面目に向き合うべき

 

勝部元気 Katsube Genki on Twitter: "小木さんを擁護する人たちから、「お前のやったことはセカンドレイプだー!」って批判が多々来る。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ え? ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 公共のラジオで娘のプライベートゾーンに触れる発言は加害行為だったって認めるんかい…"

被害者自身が語る事、責める事と、被害者の代弁者として語る事には次元の違いがある。少なくとも自身が当事者でない事は理解すべきで、それが出来ないと加害者すら無視したただの無責任な人間でしかないわけですが

 

なんというか、彼らの言う「小木さんを擁護する人」というのが何処まで広範囲なのかはわからないが、私が見る限り、小木さん自身の発言について全面的に擁護している人は本当に一握りしかいない。

 

で、その上で、なぜあの場の行為に否定的な人が多いのかといえば、単純に被害者の代弁者として勝手に語った上、その発言に一切の慎重さ、つまり代弁者として語るに足る資質が無かったことが大きいからだと私は思うが。

 

こういった問題は、当然被害者(もっとも、現時点で被害者自身の意見がでていないわけで、そこを一方的に被害者とする事/こうやって記録にのこる文章として書いてしまう事が被害者の意に反している可能性すらある)が自ら声を上げたり、具体的な行動にでるというのはなかなか難しい。

なので、そういった事や状況に気づいたとき周囲が手を差し伸べたり、また、個々の事案でなくともそういった環境や事が再発されないように配慮する、活動するといった事は非常に大切な事だと私は思う。

 

が、それは常に個々の事案や状況、そして被害者や関係者といった事に十分な配慮が必要で、特に代弁者として語るのであればそれは「自分は誰かの代わりであって当事者ではない」という事と「自分が無責任な行動や発言を行えば、被害者を自分が傷つけてしまう」という事に十分な配慮が必要となる。

 

しかし、あのやり取りを見る限りは私にはその配慮をした人間はほぼ皆無だった。

 

どのような言い逃れをしても、父と娘という関係自体を無視する事はできない。

そして小木氏に起きた事は、確実に当事者の娘だけでなくその周囲の家族にも知れ渡るわけで、そういった事にも確り配慮したのだろうか。

 

 

例えばDVであったり、セクハラといった事案を組織内で扱う時、一番配慮するのは被害者自身であって、組織でも加害者でもない。

極論言えば、加害者が反省するのかどうかなどという事は些末な問題(最悪そんなものは刑事罰を請求するケースであればその先でよい/加害者の救済は最優先ではないという事)で、まずは被害者にとって何が最善なのか、まずはそこが一番大事な部分で、その上で、加害者に対して被害者としてどう向き合いたいか、組織としてどう向き合うのかという事ととなる。

 

私はこのあり方はおそらく組織内だけでなく、大抵の現場ではそうだと思う。

この考え方から外れ「よし!そんな悪い奴がいるなら懲らしめてやる」等という事を目的として動けば、間違いなく被害者が救われる事はなく、場合によっては被害者をより追い込む事となる。

 

情報の扱い方、相手との交渉の仕方、結論の落とし所、その後の環境、全ての面において、まずは被害者と向き合い、そして一つ一つ慎重に決めなければならない。

 

そういった配慮ができない人間をこういったセンシティブな場にまず関わらせる事はない。

 

ではあの事案はどうだっただろうか。

あの議論をしたメンバーは相手が小木氏という公の人であったのでかまわないという立場でしか扱っておらず、その先の被害者と定義された人の事をちゃんと見て、本当に第1に考えただろうか。

 

私にはそうは見えなかった。

単純に小木氏の発言を糾弾する事が目的で、それ以外には何も見えなかった。

 

結果として、あの議論の先に、被害者の救済というものは本当にあったのだろうか。

 

おそらくあのようなやり取りをする人間を組織ではそういった事案に関わらせる事はないし、通常、そういった対策メンバー選定後にそういった思考というか行動をしてしまう人間がいるとわかると、大抵は被害者からの相談により、そういった人間はメンバーから外す事になるわけで、それ程、問題のある行動であったという事なのだが、それが理解できているのだろうか。

 

確かにあの話題は、直接の被害者だけでなく、その言葉の先にもっと多くの被害者(その言葉により傷ついた人、影響を受けた人、不愉快な気分となった人等全てを含み、当然あの場での議論に参加した人を含む)を生んでおり、そしてそれは番組やキャラクターとして求められているという事を加味しても許されるものではないと思う。

 

が、それであっても私はあのやり方は適切では無かったし、あのような追い込み方が適切だとするような社会をつくってはダメだし、そのような力で押さえつける事を良しとする社会にすれば、違う形でより多くの被害者を生みだしてしまうだけで、何も解決していない。

 

ある発言、行為を糾弾するとき、自分達が不適切な方法、あり方で相手を糾弾すれば、結局異なる問題をただ生じさせているだけで、相対的な社会の問題は解決していない。

 

そういった事に関係者は気づいて欲しい。

 

問題と向きあうというのは非常に難しい。

組織という閉じた世界で、ある程度コントロールする社会ですら非常に難しい。

それをもっと大きな社会の中で行おうとする事を私は否定しないし、そういった行動がより多く起きるべきだと思う。

 

が、それは少なくとも多くの人から支持され、仮にそれが公にされても確りとした論拠や立て付けで説明できるもので、否定されるようなものであってはならないし、それがむしろ活動の足枷や批判のネタとして使われるような事はあってはならないと思う。

 

関係者はもう一度自分達がしたこと、被害者との向き合い方、という基本的な部分について考えて欲しい。