何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

「美白とはそういう意味ではない」が通じる世界はおそらくない

 

BLM運動から1年がたった今も、アジアの美容業界にはまだ美白化粧品があふれている。白人の方が社会的地位が高いという信念に毒され続けている。

歴史的云々は基本的に無意味かと。そもそも昔は外国人が鬼と呼ばれても許される時もあったが、現代では外国人も当然国内に多数おられるだけでなくミックスの子供も普通にいる。白を求めるのが当然という価値観が古い

少なくとも現代では。

 

以前もこの話しは書いたが、日本人がどう思っているか、という話しではない。

基本的に差別という議論においては、そこに関わる被害、加害という視点でそういった原因を排除したり、または誤解を招かないようにする必要が生じる。

 

美白という表現も同様で、メーカーや消費者も当然の事ながら白人・黒人の論争に関わっているわけでもなければ、そういった意図も全くない事は当然の事だと思う。

 

が、問題なのは以前も書いたように、既に日本人の肌の色は?という問いに対して様々な正解が存在するという事であって、その何れも正解であるという事が問題の本質なんですよ。

 

黒人とのミックスの子供からすれば、美白という意味は全くわからないだろう。

そもそも白くするという発想がわからないし、下手をすれば透き通る肌という表現ですらわからないかもしれない。

それはごくごく自然な事で、自分が生まれた時からそうであるわけで、突然自分だけが「異なる価値観を持つ人間」として孤立する事はおそらくその他大勢にはわからないだろう。

 

虐めや差別と同じで、虐められている側や差別される側にしかこれは判らない。

それが理解できないのは貴方がおかしいからというのは、所謂虐める側、差別する側の言い分であって、冷静に考えてそれは普通ではない。

 

こういった意見がでると「日本人には当然の事」のように反論する人間がいるが、ミックスの子供だって「普通の日本人」であり、何も差はない。

 

そう、もう日本人の肌の色は様々な色があり、どれも正解で、肌色はこれ、というのはそれぞれの自分の中にしかない。

 

一部のスポーツで代表選出にミックスの方が選ばれていると「応援できない」という人がいたが、あれと基本は同じなのだと思う。

つまり「日本人とは」という勝手な固定概念があり、その結果「自分が理解する日本人以外は日本人ではない」としてしまうのだ。

 

もうそんな時代ではない。

どこかの団体が言うような純粋な日本人のような謎なものはないし、もともと日本人なんて歴史的にも様々な文化や人種が混ざっているものであって、結果的にその時、大多数がそういった「見栄え」であったから、それが普通だと思っているに過ぎない。

 

この歴史は白人対黒人の歴史と全く同じだ。

彼らにしても、そもそも白人しかいない土地にあるとき黒人がやってきた(連れてきた/場合によっては白人の側が黒人の土地に入植し)結果として、徐々に社会の中に白人と黒人というものが混ざり始めた。

最初は白人が多かっただろうが、労働力としての黒人という存在のあり方から、徐々に黒人の人口も増え、実際には混血も含め、白人という存在が優位ではなくなった。

結果として社会とは白人と黒人というものが存在している事が当然でどちらが正しいとかそういった話しではなく、その二つが存在するのが当然で普通の社会であるという事に過ぎない。

 

日本も同じだ。

今までは島国であった事や、国際化の遅れなどもあり、地域毎に一部特殊な事情(工場などの存在により外国人比率が高い等)を除けば、いわゆる外国人やミックスの存在というのは珍しいものだった。

 

が、それはどんどんかわるのが当然で確定している未来だ。

 

何れは肌の色をみても、日本人なのか外国人なのかなんて事はわからなくなる。

日本人の代表選手や著名人にミックスの人が半数ほど含まれるのも何れ訪れる確定している未来なわけで、その時「美白」という表現が社会として受け入れられるわけがない。

 

今、日本人は歴史的に云々といっている人は、ハッキリ言えば白人が抗弁しているそれと全く同じ事を言っている事に気づかないといけない。

 

正しさは歴史と共に代わる必要がある。

セクハラに対する社会の対応と同じで、一昔前に相手が泣き寝入りしてくれたからといって令和の今も泣き寝入りしてくれるわけではない。

肌の色による区別や、美白を理解できるのは日本人として当然の事、という一方的な正しさの定義はもう通じるものでもないし、今までもその表現に傷ついたミックスの人は多数いたわけで、少なくとも時代の移り変わりに合わせて私たちの常識もアップデートする必要がある。

 

私も美白や肌色の定義についてそういった意見を聞くまでは理解できていなかったが、一度その話しを聞けば、確かにそうだな、と言わざるを得ない。

 

正しい肌色なんてないし、白を求める事が正しいわけでもない。

 

当然個人として美白という行為を求める事自体が批難されるわけではない。

が、社会的に共通した当然の価値観としてそれを表明する事は、むしろ社会として否定しなければならないし、そういった事が許される時代では既に無い。

だからこそ、商品名や説明に於いて「美しさ=白」という定義を当然のように表明してはならないし、そういった事を当然のように受け入れる事に無頓着になってはいけない。

 

もしそれが嫌なのであれば、日本は世界中から避難されても、日本人の定義を作り、この定義に沿わないものは日本人ではないと宣言すべきだ。

 

その結果として、その日本人と呼ばれるものが世界中からどういった扱いをうけるかという事は言うまでも無いが。