何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

雰囲気としての謝罪はするとしても、逆に責任を問う側は何の責任を問うているのか謎

 

同業者のオリジン弁当従業員による嫌がらせ、営業妨害、器物損壊事件の発生と対応について|キッチンDIVE|note

オリジン弁当の責任を問う人は何の責任について言及してるの?従業員であるのは事実としても、業務で破壊工作をしたならまだしも、一般従業員が自分の仕事場を指しただけでその発言で会社が責任を負うとか狂ってるよ

いや、なんですかね、会社は従業員の私生活まで踏み込んで管理する事が許可されると?

勘弁してくださいよ。会社にそこまでの権限あたえるなんて。

 

結果的に同業者の店に対する不法行為であったことは事実として、社名が出ている以上、オリジン弁当として何らかのコメントは出すだろうし、その中で社員教育という話も出すだろうが、一方で、逆にそれ以上会社が業務外の領域において、従業員の行動に制限を課すことや、言動や行動に対して、例えば誓約書や懲罰を含む何らかの規制をかける事なんて、この現代において許されるわけもない。

 

例えば、業務時間中に不適切な行動(それこそライバルの店舗への嫌がらせ等)を行ったケースや、仮に時間外であっても、会社が従業員に対してそういった事を行うよう勧めたという事であれば、仮にそれが業務時間外であっても法人としての責任はあるだろうし、実際その責任は問われるべきだと思う。

 

一方で、そうでない場合、個人の行動の責任が法人の責任に及ぶという事を許容する事は前述のとおり恐ろしい社会であって、私個人は受け入れられない。

 

勘違いしてはいけない。

責任を負わせるという事は、その責任に伴う一定の監督権や強制的な権利を与えるという事であって、何の権限もなく責任だけ負わせることはできない。

業務上の監督権であっても、そういった関係性の中で成立しているわけであって、一方的に会社が責任を負っているわけではない。

 

会社が個人の私的行動についても、それこそ業務時間外の行動についても監督すべきとなれば、それは同時に、私的行動について、業務時間外であっても企業側の指示に従うべき制約を個人が負わなければならないという事で、そんな社会を果たして責任を問うている人は望んでいるのだろうか。

 

まさか、名前がでたから責任をとれと言っているわけではないだろうし。

 

当然、専門性の高い職業であったり、資格により業務に従事する事を許可されているようなものであれば、仮にそれが私的行動であっても、それは適格性という観点で法人の責任は問われる。

 

そういったケースにおいては、当然、法人がその適格性の判断について適切な管理を怠ったとして責任を問う事はあるだろうが、少なくとも今回の一件について、そのような適格性を問うという程の事象について言及されている事はない。

 

当然、ライバル店に対して酔った勢いとはいえ、このような行動をとる人間を雇うのか!という怒りや憤りはあるとしても、一方で企業は、採用において個人の思想や信条に踏みいるような質問や確認をすることは法律上ゆるされていない。

 

普段はそういった側面で企業が差別する事に反論しておきながら、いざこういった事案が起きると、企業側の管理や監督責任というのは流石にご都合主義ではないだろうか。

 

それであれば、企業は自らが信頼できると思える程度、個人の思想や信条、それこそあらゆるプライベートな価値観や行動まで全て把握する事を必要とした上で、その情報を基に、ごく限られた人間以外は採用しないという、恐ろしい選別を行う社会になるわけだが。

 

採用において日本では少なくとも一定以上の資質を問う事はできないし、業務上においても、直接業務に関わらない事について、企業は評価に使う事も許されてはいない。

 

それが労働者の権利や自由を守るための法律であるわけで、それを崩す事、つまり、個人と企業は一体であり、企業は個人を管理する事がいかなる状況下においても企業としての義務であるとするならば、もはや労働者はそれこそ24時間、思想や信条を含め、企業の方針に合わないのであれば労働する権利すら与えられない事になるが、そんな社会を希望するのだろうか。

 

僕はそんな社会は望まないし、個人の思想や信条が、それと関係のないところで、差別や不当な扱いの理由にされるべきではないと思うのだが。

 

オリジン弁当側が謝罪するのは、せいぜい現実的に何を咎めているのかわからないが、社会的に謝らないとなぜか発狂する謎な集団に対して、形式上謝罪する必要がある程度、つまり保険であって、実際には、特段企業側の責めのない状況で、謝罪を求める行動の方が、私は異常であるうえ、その行動の先には、労働者の権利や自由を奪う思想が存在するという事を理解すべきだと思うが。