何気ない記録

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将棋においては女性もLGBTQも男性も分け隔て無く、全てが棋士。一方で、女流棋士の扱いは判らない

里見香奈女流四冠、棋士編入試験受験へ|将棋ニュース|日本将棋連盟

ご自身の決断なのでどちらの結果に到っても悔いなく頑張って欲しい。女性初という表現に振り回されることなく、自身が目指す棋士としてのあり方に忠実に、ただそれだけに目を向けて臨んで貰いたい。周りも騒ぎすぎず

このコメントで面白いものが有った。

里見香奈女流四冠、棋士編入試験受験へ|将棋ニュース|日本将棋連盟

がんばれー。ところでLGBT棋士はどちらに所属してるんだろう。

そもそも、棋士には性別の規定はない。

 

ややこしいが、独立組織を含めるならばLPSAは女性棋士(プロ棋士)として名乗っているので、そういった意味では女性棋士(プロ棋士)は既に存在するわけだが、里見香奈女流四冠ですら棋士との勝負で勝ち越すというのはなかなか難しい現実をみても、LPSAがプロ宣言をしている事がどの程度の意味を持つのかというのは謎で、現実としては、独立した組織ではあるものの、そのプロ宣言は実質無意味なものであるというのが恐らくは将棋ファン共通の認識なのではないかと思う。

ここでいう「プロ」は一つの解釈としては、将棋のみで生計を立てる事ができる、という話しに限定したものとして理解するのが妥当で、将棋連盟の棋士と同一視するのは難しい。

(もっとも、その場合、女流棋士ですら「プロ」ではあるので、プロ棋士としては勘定できるのだろうなとは思うが、一般的に言う、プロ棋士とは三段リーグを突破した棋士の事であり、その意味との整合性が・・・という話しになる)

 

なお、この認識は「女流棋士」の存在を否定するものではなく、棋士は女性・男性という性別に分け隔てをしておらず、万人が同一の条件を満たせば棋士/プロ棋士になれるという現実を前提として、独自にプロ制度を作る意味に対する解釈の問題であって、女性のより積極的な将棋への関与、女性競技人口の増加、男女問わず将棋の普及への貢献という点では「女流棋士」の存在は大きく、将来への貴重な投資であると私は思うし、多くの将棋ファンもその認識であると思う。

 

話しは戻って、(日本将棋連盟の規定において)女性棋士が現時点(2022年6月28日)でいないのは、単純に結果として三段リーグを突破できていないだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。

さらに言えば、それも女性が男性よりも棋力が低いという事ではなく、単純に女性の競技参加人口がまだまだ少ないので、結果として生まれていないという事であって、今後参加人口が増えれば、必然的に「女性棋士」は生まれる事になる。

 

コメントを読んでいても未だに誤解している人がいるが女性棋士がいないのは前述のとおり、単純に三段リーグを突破できた女性が存在しないだけであり、将棋の規定に男女の隔てはない。

あえて触れるのであれば、男性は三段リーグを突破できない時点で、棋士としての未来はアマチュアとして関わる以外にはないが、女性は女流棋士になるという選択肢があり、これをもってしても男性に優位な何かが存在するわけではない。

 

一方で「女流棋士」において、LGBTQの扱いをどうされるのかという事は実は判らない。

 

結構この問題は厄介で、元男性の三段リーグを突破できなかった人が女流棋士になると宣言した場合、結構な棋力を持つ人もいる(現実問題、突破の可否は勝敗の結果であって、必ずしも棋力がもっとも高い人が勝ち抜けているわけではない)事もあり、ひとたびそのような人が女流棋士になった場合、それこそ里見香奈女流四冠のような強さを発揮する事は否定できない。

 

繰り返すが、これは男性の方が将棋という競技において強いという事を表すものではなく、そもそも競技人口が多い中でより強い人間が選抜されて奨励会に参加しているわけで、その人間は明らかに一定の棋力を持っている事から生じる問題であって、男女の優劣の問題ではない。

 

ただ、だからといってフィジカルの差によるものでもないので、元男性というだけでそれを否定するというのは昨今スポーツでトランスジェンダーを拒絶するという動きとは似て非なるものなので、難しいのではないかとも感じる。

 

なお、現時点では規定上「女性である事」が条件に含まれ、これが身体的特徴を指すのか、それとも戸籍上の登録を指すのか、それとも自認した性を指すのかというのはわからないが、少なくとも「女性である事」は求められる。

 

この問題、つまり「将棋界におけるLGBTQ」が現実のものとなった時、以前より燻っている問題である「女流棋士とアマチュアの違いは何か?」という話しが再燃しかねないのでは、とは思っている。

 

私は女流棋士制度は、冒頭にも述べたように将棋界にとっても大切な制度で、それ自体は必要なものであると考えていますし、さらに言えば、今後女性棋士が生まれた場合、棋士の規則や運営も女性を意識した変革が求められるし、そうならなければならないと思うし、そうあるべきだと思う。

 

ただ、では三段リーグを突破できなかった男性と女流棋士の違いはなんですか、と問われた時、女性であるか、男性であるか、という答え以上のものがなく、それがトランスジェンダーが関わった場合、明確な違いを述べよと問われると、少なくとも私にはそれを明確にする言葉や知識を持たない。

 

普及の役割を担うのであれば、極論いえば、元男性であるかどうかは関係ないとも思うし、一方でそれが女性の将棋への関心、競技人口の増加に寄与するのかと問われるとよくわからない。

 

社会的関心の高さと、それが特定の効果を果たすかどうかは別問題であり、それが難しいところだと思う。

 

結局「女流棋士」が非常に難しい定義であるのがこの部分で、「棋士」という職業を表す何かとすると、将棋を指すという目的だけですから、性別に左右されないものであり、極論言えば男性が参加したところで問題は無さそうですが、趣旨としてそれが目的を果たしているのかと問われると難しいものとなる。

結果として現時点では「男性は参加できない(日本将棋連盟の規定において)棋士/プロ棋士ではない何か」という複雑な定義が必要になる上、仮に将来トランスジェンダーを受け入れた場合を仮定するとさらにややこしい事になるわけで。

 

結局のところ、冒頭にも書いたように、棋士という観点では実はLGBTQはそれほど問題にはならないのですが「女流棋士」という制度においてのみちょっと複雑な問題が生じる恐れがあり、これは将来議論が行われるのだろうな、という感じはしています。