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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

『そうである人』を助けるには『そうでない人』も救わなければならない

 

子供がいないことはそんなに特別なことなのだろうか。 - Everything you've ever Dreamed

そもそも子供がいる親が休日出勤しない場合に子供のために尽くしているのかという疑問はあるよね。僕は休日出勤は子供のいるいないに関わらず出勤できる人がやるべきで、それが足りないなら公平にすべきと思う派です

2016/11/10 17:16

 

よんだ。

 

文末でしっかりと落とすところは流石ですね。

 

僕は、基本的には子供を中心として如何に社会を改善するか、という事に比較的積極的な人間です。

 

が、それであるからこそ『そうでない人』、つまり、子供のいない人についても同様に配慮する義務があると考えています。

 

例えば元記事の話でいえば、子供のいない人は土日子供のいる人よりも余裕があるのでしょうか?

私は独身時代、土日といえば平日にできないことをまとめてやる時間に当てており、正直それ程暇ではありませんでした。

 

そもそも平日からパートナー(未婚・既婚問わず)がいる人の予定に配慮してスケジュールを調整し、子供いる家庭にも当然配慮していたわけで、システム関連の大きな対応の夜勤やトラブル時の徹夜、お客様先の接待、海外出張など、いわゆる時間がかかる仕事や比較的面倒な仕事は独身である私が比較的多く引き受けていました。

 

まぁ、それは結婚した今もあまり変わりませんが。

 

冷静に考えれば、平日からそもそも『そうである人』に配慮を行っているわけで、そのしわ寄せを土日に行ったりするわけです。

それは役所への手続きであったり、確定申告の準備であったり、資格取得の勉強であったり、友人との交流であったり、そして当然趣味である映画鑑賞やゲームであったり。

 

どんな人であっても基本的に1日は24時間しかなく、残念ながら『そうでない人』だけが優遇され、時間をもてあましているわけではありません。

 

当然『そうである人』つまり子供がいる人やパートナーがいる人と比べれば、個人の時間と言われるのもは制限がなく、より個人の時間に多くの事ができるだけでなく、その時間も比較的調整しやすい事は事実ですが、それであっても万能ではありません。

 

『そうでない人』が土日をつぶして振替休日をとれば平和であるという事は幻想で、例えば友人との交流を考えても、私が火曜日に休んでも、相手が火曜日に休めるわけではありません。

同様に、国家資格の試験日は私の都合で変更されませんから、土日に集中する必要がある事情も動かせません。

『そうでない人』にとってもその1日が実は凄く大事な1日で、その影響はもしかするとその人の人生にも影響する可能性もあります。

 

こういった時に『貴方は独身だから』というだけの理由でそういった環境を押しつけてしまえば、『そうでない人』は『また押しつけか』という気持ちになる人は少なからずおられるわけで、それを『こころが狭い』と批判する事はそれこそ心が狭い人間のする事です。

 

元々、そういった仕事は公平にすべきで、事情がない人がいるならば、既婚・未婚・子供のいる・いないに関わらず、一番事情にあった人が対応すべき話です。

 

それをある『属性』であるという事を前提に決めつけや、押しつけをしてしまうというのは『貴方は女性なのだから』であったり『男のくせに』であったり『恋愛は異性とするもの』のようなある固定的な考え方を社会として押しつける事になり、私は社会としては良くないと考えます。

 

『住みやすい社会』を作るというのは、誰かにとって住みやすいではなく、誰にとっても住みやすい社会にすべきで、その為に誰かを一方的に犠牲にし続けてよいわけではありません。

 

社会維持費の負担でいえば、独身世帯の方が圧倒的に負担が大きく、状況的には弱者であることは否定できません。

 

現状の社会はどちらかというと独身であることや子供がいないことについての配慮が少なく『そうである人』にばかり目を向けがちです。

その結果、全ての人ではありませんが『そうでない人』ばかりが負債を押しつけられるという感覚に陥る人が出てくることは否定できません。

 

子育て支援の議論の中でよくでるフレーズとして『貴方も子供だったでしょ?』という言葉があります。

人は皆子供時代があり、その時社会が支援してくれているわけだから、今度は貴方が社会の一員として子育てを支援してあげるべき、といった趣旨の話です。

 

私はこのことは『そうでない人』への配慮でも同様だと思います。

人は最初からパートナーがいるわけではありません。

あるときパートナーが見つかった人や、あるとき子供を授かった人は『そうである人』になっただけであって、皆最初は『そうでない人』から始まっているわけです。

 

『そうでない人』が確かに自由かもしれませんが、パートナーがいる人が得ているようなものは当然得ておらず、子供がいる人が得ているものも持っていません。

どちらが多くの幸福を抱えているのか、と考えた時、ある部分では『そうである人』が『そうでない人』にもしっかりと目を向け、配慮していくことが大切で、そういった配慮が、『そうである人』と『そうでない人』の関係をより良い物にすると私は思います。

 

ある属性であるから、少数であるからなど、特別な色眼鏡で見なければならないという事そのものが本来は問題であって、そうする必要がない、お互いがあたり前のようにお互いの事情をくみ取り、上手く支援しあえるようにすべきであって、それは一方的なものであっては絶対にならないと私は思います。

 

私は既に既婚者ですから、少なくとも何度かは周囲の方に配慮していただいている事もあります。

だからこそ、私が受けられる負担は私が受けるべきだと思いますし、相手が独身者であろうがなんであろうが、それが個人的な事情で、別に特別なものでなくとも、負担をお互いに支援しあう必要があると考え行動しています。

 

過剰に『配慮』するばかりが支援ではありません。

環境を正しく回し、相互に支援できる社会にする事も一つの『支援』であることはわすれないでほしいと思います。