何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

もうちょっと社会人経験というか、知識を持って生きてほしいなと。

これについて・・・

こんな反論がありました。

 

社会人経験がないからなのか、それとも知識が不足しているだけなのかわからないが、少なくともわざわざよりよい提案をしてくれているのに、それ以下の提案をするという意図がわからん。

 

まぁ、ネタ的な書き方で「人気のないところに連れて行って」という部分に嫌悪感を抱くというのはわかるが、これぐらいの配慮(プライバシーに関わる問題なのでそういった配慮が必要/現行法上の課題を理解した上で、現場で上手く解決)ができる人が、当然の事ながら本気でセクハラ紛いの事をするとは思えないので、そこはネットでの様式美ではと。

より具体的に書けば、生理の話しなんて他の社員の前でしたいわけでもないでしょうから、会議室やミーティングスペースで、他の社員に聞かれないように配慮したという事の、ネタ的な表現

なお、こういった対応についても、一般的には管理職研修やハラスメント研修で当然の事ながら学ぶのが社会人というものです。

 

で、現行法では結局のところ無給でしか対応がされないため、仮に毎月それで対応すれば、特に若手は厳しい事になる。

純粋に手取りが減るので、取得できるよう現場を調整したとしても、違うところで疲弊(経済的負担や、結果的に取得しない選択を採らざるを得ない状況)する事も想定される。

 

なので、現場として上手くそのあたりを処理してあげる必要があり、その一つのやり方が「終日外出」扱いや「在宅ワーク」扱いとして、実質休日と同等の扱いをするとういう方法です。

 

前者は所謂「直行直帰」としてしまい、上司が承認していれば別になんとでもできるし、後者はそもそも在宅なのでミーティングや余程差し迫った納期などに終われない限りはその日何をしてもよいでしょう。

そんな感じで現場の上司というものは上手く法律と現場の現実をみながら対応しているのが今の世の中なのですよ。

 

新人だと有給は少ないし、毎月使うというのは現実的ではないです。

その上、そんな事に有給を使ってしまえば、それこそリフレッシュする事もできず、ただ働く為だけの状況に陥り、メンタル的な問題にも繋がります。

 

なので、有給は基本的には個人の自由で、病気だったり体調不良だったりという事にあてるのでは無く、鋭気を養う為に使ってほしいわけでして。

 

こういった事に、否定的な意見を述べるのは個人の自由ですが、そういった発言が女性に限らず上手く労働者の環境を整えたいと配慮してくれる人を減らすような状況になるという事は理解していただきたいなと。

 

 

 

 

コメ欄が日本のダメな所の縮図で地獄過ぎ

マッチングアプリで知り合った女と泊まりで旅行に行ったんだが...

増田に説教している人が理解不能。増田は同意が得られなかったから行為に到ってないし、認識のズレも理解しておりその上で適切に対応はしている。単純に認識のズレについて相談しているだけで叩かれる要素はないが?

読んだ。

 

コメ欄が日本のダメな所の縮図で地獄過ぎ。

 

そもそも他人同士であるので認識のズレや誤解なんてものは生じて当たり前。

で、大事なのはそれが生じたときに、双方の意思を尊重して無責任であったり強引な行動を採らない事が大切な事で、別に満点の回答や行動がとれる必要まではない。

 

実際増田は認識のズレがあった事は理解しており、その上で強引な行動、つまり行為には到っているわけでもない。

私は十分理性的な行動が取れていると思うし、これは良い経験になったのだと思うし、是非今後にいかしてほしいと思う程度の事でしかない。

 

が、人間関係マスターのコメ欄は、まぁ、日本のダメな部分、単純な相談に対して「だからお前はダメなんだ」という、いわゆるパワハラ上司が湧いているわけで。

 

正直私が同じ立場でも完全に女性の意思とあわせる事ができたかと言えば、わからない。

 

わからない、は当たり前で、どこまでいっても「相手はこう思っているかな」「こう考えているかな」と配慮する事が限界でしかない。

結局は夫婦であれ、親子であれ、個人と個人がどのような関係で集まっても、結局は他人同士で、その距離感の違いでしかないわけだから。

 

今回の件に戻ると、その上で行為に到る、今は到らない、到るつもりもない、という基準は双方がそれぞれ個別に持っているわけであって、それも当然の事でしかない。

なんなら、事前にはそのつもりであったが、旅の過程でその気が無くなったというケースもあるだろうから、結局はその時その瞬間に判断するしかないのが結局のところ全てかと。

 

恐らくは増田に抜け落ちていた視点としてはその部分は足りなかったかなとは思う。

人間だもの、その日の気分だってあるし、「あれ、なんかこの人違ったな」と、唐突に思う事だってあるわけで、そんな事でも同意しない理由には当然なるし、恋愛とか人間関係ってそんなものではと。

 

大事なのは、そのそれぞれの認識や判断が異なっている事を理解し尊重する事や、同意が得られない限りは行為に到ってはならないという事で、その点でこの増田は十分理性的な判断と行動が取れており、少なくとも現代に於いて否定すべき点はなにもない。

 

当然、自分の認識と相手の認識がズレていたという事実はあるわけで、その事に自分の理解が追いついていないという事なので、それは消化するしかない為、その為に記事を投稿している事も僕は正しいと思う。

 

結局自分で理解できない所はいろいろな人の視点を共有してもらわないと新しい考え方や気づきはないからね。

 

ただ、こういった意見に対して、神視点で否定する人間というのは組織の中であれ家庭の中であれば正直害悪しなく組織も個人も成長させる糧にはならない。

 

私からすればこれぐらい理性的に判断し行動を選択できる人は一般的な人間関係を築く中では全く問題ないし、正直、違う女性と違う状況でであえば、恐らくは普通の恋愛を進める事ができると思うし、その女性にも十分に個人を尊重し、適切な判断と行動を取れると感じるが。

 

なんというか、他人を叩く事しかできないという人は、本当に社会の役に立たず、それどころか社会をより悪い方向へ誘導する程度には害悪だなと思った。

 

 

任天堂が悪いか、はてなが悪いのか

前から気づいてはいたのだが"canonical"設定があると、はてなブックマークはブックマークページを勝手に統合する。

 

これは仕様として開示されている。


で、例えばスプラ3の更新データに関するページでいえば、私がブックマークしてコメントしたのは以下のページで、最新の情報のものである。

このページのURLは「https://www.nintendo.co.jp/support/switch/software_support/av5ja/600.html」である事はいうまでもないが、このページをブックマークすると、その対象は「https://www.nintendo.co.jp/support/switch/software_support/av5ja/index.html」とされる。

 

この挙動は前述のとおり、仕様のとおりなのが、当然だがこの状況は正しく無い。

そもそも誘導されているページは、最新更新データへのリンクであり、実際に誘導先のページを開いたとしても、実は最新の個別ページへリダイレクトされる。

 

つまり、任天堂としては、最新情報を参照させる事を目的として類似性の高いページとして後者のページを推奨しているわけだが、実はその遷移先のページは、現時点では元々のページ、つまり前者のページへリダイレクトされるため、本来は前者のページが実体となる。

 

これが任天堂だけの挙動であれば、ユーザーに常に最新ページを参照させる為の施策として有効だが、こと、はてなブックマークの挙動と合わさると謎の挙動となる。

 

一部の人は、昔の更新情報へのコメントやブックマークとして利用し、ある人は最新の情報へのコメントやブックマークとして利用する。

 

というか、本来これは、逆であるべきなのだ。

つまり、最新情報ページ(つまり後者のページ)を参照した場合であっても、実体は個別ページであるべきなので、最新情報ページを参照した人にも個別のページを推奨すべきであって、逆であるべきではない。

 

なぜなら、その挙動は今時点でしか成立しないから。

結果としてコメント欄は、意味不明な情報の集合体として、価値の低いものとなり、ブックマークサービスとしての価値は下がる。

 

はてなとしてはあくまでも類似ページ統合、例えば例示にもあるように、複数ページの記事であれば、トップページだったり、概略ページを推奨リンク先とする事で、ブックマークを自動的に統合し、同じものと見做すという機能を提供したつもりなのだが、利用する側が間違った使い方をするとこのようになる。

 

なお、この挙動、無理矢理ブックマークをする事は可能だが、その後システム側で自動的に統合される。

 

つまり、私の最新情報へのコメントは虚空の彼方へ消え去った。

 

R.I.P.

ガチャ課金とは異なるのでそれ程効果がないのでは?

 

住宅地で唯一のスーパーが撤退リスト入り、最低限必要な売り上げ金額と毎日の売り上げを店頭に貼るように「急に無くなる前に消費者にアピールしてくれて助かる」

よくわからない。告知があるから買うの?多少は購入機会が増えるだろうけども、それはあくまでも多少であって、そもそも新規の顧客が呼べるわけでもない。自分の生活の資金を削ってでも売上に貢献する人でもいるの?

うーん、この話、あまり効果的な手法ではないと思うけど。

 

というのも、そもそもスーパーで購入するものは、あくまでも生活の為の食料であったり、飲み物であったりで、それらは各家庭で生活費の中からある程度一定の額で捻出されるものである。

つまり、その購入資金が他に分散したから、結果としてそのスーパーの売り上げが落ちたという話しなので、単純に皆がそこで買ってくれれば問題は解決するわけで、だからこそ皆前のように買ってね、という告知があれば買ってくれるだろうというものだ。

 

が、通常消費者はその程度の事で継続的に購入を続ける事はない。

 

この理屈は、ネットでよくある「それがあれば絶対買う!」という恒例のネタと同じで、実際に商品化すると売れることもなく、一体買うと宣言していた人達はどこへいってしまったのか、というあの現象と同じだ。

 

このような手法は、射幸心を煽る類いのサービスでは有効だが、それは使途となる資金が余剰資金であったり、それこそ射幸性を煽っているからこそ有効なわけであって、生活資金を対象にするようなものでは効果的ではない。

 

例えば、野菜を例に考えてもわかるだろうが、人がそのスーパーで野菜を購入するかどうかは、人により判断基準は異なる。

 

ある人は単純に表示されている値段だけで決めるかもしれない。

またある人は大きさや重さという外見的情報で決めるかもしれない。

さらにはおいしそうという感覚や、鮮度を測る指標を自分なりに持っておりそれにより判断して決めるかもしれない。

 

それだけではなく、その時の他の購入手段との関係性も関わる。

例えば宅配サービスを使っている人であれば、そちらの配達内容とも調整が図られるし、そもそも野菜が高くなっている状況であれば、購入自体を行わないという可能性もある。

 

つまり、購入するという判断には、それだけ様々な条件や情報を加味した上で行われる決定であるという事だ。

 

射幸心を煽るものとの違いは単純で、あれらはお金を使うか、使わないかという、極論言えば2択を迫られているようなもので、他のゲームをやっているからであったり、今月は使い過ぎたからという理由で「使わない/購入しない」という選択肢はあるが、あくまでも判断自体はお金を使うか・使わないかの2択でしかなく、その判断に必要な情報は限りなく限定される。

せいぜい、今回のガチャのキャラやアイテムは僕には必要ないかな、という程度の情報は加味されるが、ガチャの場合、一定の課金する人間は、それすら判断しない事も多く、引くか、引かないかという判断のみをする事も少なくない。

 

生活品の購入はそういったものとは違い、買う事は限りなく必要である一方で、どこで、いくらで、どの程度買うか、という様々な条件を様々な情報と擦り合わせた上で行う行為であって、せいぜい冒頭に出てきた話は、その情報の一つになるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

確かに、多少の効果はある。

一部の人は、買い支えなければ、と思うかもしれないが、それが継続的にできるかという話でいえば別である。

 

そもそもそのスーパーで買う人が減った原因があるわけで、その原因が解消されない限りは長期的に見れば何ら解決しない問題であり、何れ撤退に追い込まれるわけで。

 

重要なのは、そもそも何故利用者が減ったのか、それは解決できる問題なのかという点で、それが根本的にビジネスとして成り立たないものであれば、結論から言えば、消費者が死ぬ気で支える覚悟を持たない限り、つまり市場価格の1.2倍や1.5倍であっても買い続けるような状況を集団で作り続ける事ができない限りは不可能。

 

この手の話は、おそらく真っ当な事業管理をする部門や担当者がいれば容易に理解できる事ではあるので、おそらく人も時間も現場としても、管理部門としてもたりない、それぐらい追い込まれているという事だろうなと。

性差/個性がある以上、そもそも公平も平等も成立しない。結局は不平等を如何に消化するかという事。

女性は男女平等に扱われたいのか性差に配慮してほしいのかどっちなんだろう

"男性側の仕事をもっとホワイト方面に寄せていく"それは前提が少しずれてる。職種的に毛嫌いされたり、負担の大きい仕事は根本的にホワイトにはなり得ない。ぶっちゃけ完全な平等なんて僕は性差がある以上ないと思う

タイトルで終わってるけど、個人的には可能な限りの努力に過ぎなくて、ぶっちゃけ完全に公平な環境や平等な状況というのは不可能。

 

そもそも、男女云々どころか、同性同士であってすら不平等な状況や公平さのかけらもない状況等というのはあるわけで。で、それは改善すべきではあるが、全てが改善・解決できるかと言えば、それこそ不可能。

 

というか、男性と女性の性差が減っているとはいえ、それはそういった人もいるだけであって、全ての女性が男性と同じ扱いをされても困るだろうし、同様に、全ての男性が女性よりも肉体的に優位性があると思われても困るわけで。

 

結局は、誰であれ、何であれ、性差に限らず個性の差があるわけで、その差を理解する必要もあれば、配慮する必要もあり、それは確実に一定の不平等な状況を作り出す。

ここで大事なのはそれを「不平等である」と言われない状況・環境を作る事で、それを作る為には、むしろ性差や個性による差はあたり前にあるわけで、そういった状況を理解した上で、上手く組織として付き合いましょう、会社や仕事を回しましょう、という話になるべきかと。

 

結果として皆が荷物を少しずつ持つ事で、個々人の負担を軽くした上で、個々人の利益を最大化しましょうという事であり、少なくとも大抵の組織の構成員であれば、自分だけが絶対の利益を一方的に得ている(ようなやつは組織に大抵いらない)わけではないので、そういった環境を実現しても普通はそれ程不利益は起こらない。

 

例えば、子育て中の同僚がいたとして、ある時どうしても早く仕事を上がりたいが、どうしても夕方以降に対応すべき業務があり、それを代行してほしいと言われたとして、毎月数回程度それを代わってあげたとしても別に私の人生に大きな影響はないし、それ自体に不満も別にない。

ただ、当然だが、私はそういったお手伝いをしたわけで、その事は理解してほしいし、何処かで僕が困ったら助けてね、という事は理解してほしい。

こういった事を「手助けするのは当然だから」で済ませるのではなく、お互いに支え合うという構図にすべきで、そうならないとだいたい長くは続かない。

親子ですら現代において「無償の愛」なんてものは、一部のSNSのママ/パパ垢しか使わないわけで、それが他人同士であれば、全ての人が理解できる概念であるわけもない。

さらに言えば、今の時代、全ての人が子育てに関わるわけでもなければ、なんなら結婚すらしない人も多いわけで、皆理解できる環境なわけでもない。

前提条件が異なる事は双方理解すべきで、理解した上で、お互いが必要とする事や、可能な範囲で上手く立ち回りましょうという構図にすべきなんですよ。

 

とはいえ、まぁ、なかなか僕が助けて貰う事はないわけだけど、それはそれ。

いつか、どこかで、何かで困るかもしれないから、いつかの為の貯金程度で理解してもらえればいい。

と、こういった状況から見ればこちらだけが手を差し伸べているような話になるが、そのいつかは案外明日来るかもしれないし、実は自分が気づいていないだけで、僕が当然だと思っている事が、配慮された結果であるかもしれないわけで。

僕がそれに気づいていないのであれば僕はそれを知るべきだし、それに感謝すべきで、それこそが性差や個性による差があるという話と、実は不平等(誰かや何かが私に配慮してくれていた)の存在で、認識すべき事実なのかと。

それこそ自分も配慮されていた、優遇されていたと解れば、そもそも僕だけが手助けをしたわけではないので、お互い様よね、という話なわけで。

 

で、そういった環境を作る為には、いずれかの性が行うべき/負担すべき仕事というものは基本的には無くすべきで、それこそ主婦という概念は主夫と同じ理解であるべきだし、子育ては妻の仕事ではなく、夫婦であり家族の仕事であるべきだし、お金を稼ぐのも同様に夫の仕事ではなく、家族の役割として誰かが担うべき仕事であるべきで、性により何かしらの役割を固定すべきではない。

 

それぞれがそれぞれの担う仕事を尊重すべきで、それが全て。

 

結局会社の中だろうが、家族の中だろうが、夫婦の中だろうが、なんであれば誰がどの役割をするのか、それはどの程度の負担なのかという事をお互いに理解しあうという必要があり、それをした上で、ではその負担をどうやって改善しましょうか、という事にすぎない。

 

また、この手の話題で、だったら男も出産すればいいという謎な話を出してくる人がいるが、そういった(少なくとも現時点に於いては)解決できない問題を話題にする人というのは、この手の問題を解決するつもりのない人なので相手にする必要はない。

女性が出産をするという負担を一手に担っているのは事実であって、それは避けようもない事実。それを別な役割と入れ替える事はできないし、その事実から少なくとも現代においては逃げる事はできない。

 

男性はその話をされても何も意見を述べる事はできないし「そうですね」以外に何も述べる事もない。

なぜなら現代に於いては男性は出産する事はできないので。

 

できない問題やできない課題を例示にするというには、議論においては解決する意思がない事を表明しているわけであり、話は断絶する。

 

断絶するというのは、対話を拒否するという事であり、つまりはそういった性差や個性の違いによる問題と向き合う気がないという事で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

結局のところそういった無理なネタを持ち出す人というのは、こういった問題にたいして「知るか馬鹿」といっているわけだから、そんな人を相手にする必要はない。

冷静に考えて、そんな事を実社会で発言すば、普通にヤバい奴認定されるだけであり、その程度の意見に過ぎないわけで、それすら理解できていないわけだから。

 

繰り返すが、この手の問題は、性差や個性による差がある事を認める事からはじまるわけで、それを「人は皆平等であり公平である」等と、神のような教えを説くところから始めるべきではない。

そして同様に「子供を生んでから言え」のような、難癖を付けて対話を断絶させたり、意図的に対立を演出するような迷惑行為もするべきではない。

 

男女問わず差があるのが当たり前で、それは現実として全ての人に存在する長所と短所であるわけで、それを以下に社会として埋めるのか、埋める時に生じる不平等を如何に社会として納得していくのかという事が全てで、不都合な現実と向かいながら進めるのがこの手の問題の本質であって、現場でこの手の話題に触れる人間であれば大凡全ての人が理解している話である。

 

都合のよい部分や、何となく小綺麗な部分だけを話題にしていては、いつまでたっても老人達のやってきた事と同じで、前にも進まないどころか、より一層不平等で働き辛くなるだけかと。

 

それこそ、考え方や認識についてのアップデートが必要かと。

まぁ、彼らにそれを意図的に行う頭はないと思うが

歴史を調べる手法で「アベノマスクがマスク値崩れを誘った説」検証。効果ほぼなし。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

そういった話ではないかと。単純に心理的な負担が軽減されただけ。それは2面性があり、一つはとりあえず何か手に入るという要素と、そんなものはいらないという不満の捌け口という要素。人の心の平静を保つには重要

というものの、安部氏や時の政府にそれだけの思慮を持った人がいたかといえば、そんな事はなく、全くの偶然であっただろうけども。

 

確かに出荷枚数は増えているのは事実で、それが市場に『正常に』回った事が価格低下や入手困難性の解消につながったのは事実。

 

が、そんな理由だけで解決できる程、世の中は単純なパラメータでは成り立たない。

事、業者が流通量をいくらでもコントロールできるものの場合はなおさらで、需給のバランスを如何に崩すかという事の方が圧倒的に難しい。

 

これらは単純に出荷数の問題ではなく、需要に対して流通数を絞っている事が問題で、この話はマスク初期の状態と基本的には同じ。

 

仕入れ値を割らないなら、別に在庫が積みあがっても販売する必要はないし、なんなら少し寝かしたほうが値崩れしない(焦って販売すれば、結果的な売り上げは在庫を吐き出した時よりも下がる)だろうから、必要最小限のみ流通させる、という話。

 

これは別に難しい論理でもなく、我々は義務教育の間に学ぶ程度の知識だが、ぶっちゃけこの問題は、いまだ解決する術はない。

 

出荷量で解消できるのは、実際には出荷と販売がある程度密接な場合だけで、さらに言えば、その商品が日常的なものであるようなケースに限られる。

 

で、消費者の「何がなんでも手に入れなければ」という心理、売り手側の「利益を最大化」という心理の両面をどうにかしないと買い占めも収まらないし、流通に正常に載せてもらえない。

 

そういった意味で政府が「何かやるよ」とアクションする事は大事で、まぁ、もっと良い策はあったのかもしれないが、動くというスタンスを見せる事は心理的な効果は多方面に及ぶ。

 

この心理的な要素を馬鹿にする人はいるが、馬鹿にできないからこそ宗教だったりなんだりは恐ろしいわけで。

人は思ったよりも心理的な状況に左右されるし、特にあのような異常な状況下であればなおさらの事。

 

極論言えば、安部信者が1,000万人いたとして、その人達が氏を盲信し、アベノマスクと後に呼ばれるものをもらえるなら、と、安堵するだけで市場への影響は及ぶし、それでも別に良い。

で、その信者がネットでとりあえず「政府は動いている」と、仮に妄想めいた意見を述べたという話であっても、話題としてそういった事がでることにより心理的負担が軽減される人もいれば、一方で「意味ないだろ」と不満を募らせる人もでてくる。

 

で、これが2つ目の要因で、事実から目がそれるという事であり、大事な事。

買占めだったり、不安というのは、そのものの話題と向き合えば向き合う程より影響が大きくなる。

なので一番よいのは、とりあえず横に置いておく事なのだけど、多くの人はそんな事はできない。

 

なので、外部から何か要素が発生し、その物事と入れ替わる事が大事で、これができると人の心理的負担はかなり軽減される。

これは、前述のとおり、別に肯定的なものに限らず、否定的なものでもよく、なんでもいいからその事実から「目を背ける事が一時的であってもできる」状態になればよい。

 

別解として、政府が何もせずに不満を引き受けるという手もあるかもしれないが、それはダメで、否定的な意見が事実を上回らないといけないという点で意味がない。この解では元の事実の不安が増加するので、一部の対立層を除けばその他の人は全てが不安の増加に負けてしまうので。

 

そういった意味で、所謂アベノマスクにかかわる一連の事象は、私はマスク騒動に少なくとも貢献はしただろうと考えている。

 

まぁ、冒頭に書いたように、安部氏や時の政府がそんなところまで考えていたとは思わないし、僕も、今振り返れば、という感じではあるけどもね。

無料で出すならまだしも、それを有料販売とは流石に非常識としか

スイカゲーム風落ちものパズル『北海道ゲーム』Steamでいきなり配信開始。都道府県を合体させてデカくする - AUTOMATON

まぁ、集団としての方針なんだろうけど、ここまで画面もアイデアも完全に丸パクリするというのも中々面の皮が厚いとしか。インスパイアされた、という話しではなく、完全に丸パクリで組織としての方向性なんだろうな

まぁ、この手の落ちもの系ゲーム自体は昔からあるネタなので、別にスイカゲームが元祖であるわけでもない。

なので、同じようなコンセプトのゲームが後追いに限らず乱立する事自体は、私は、まぁそんなものよね、起源争いする意味もないし、という立場です。

 

ただ、ゲームに限らず、ゲームデザインや画面デザイン、基本コンセプトや挙動の在り方等、ゲームの中には企画者や制作者がそこに到るまでに試行錯誤した結果が詰まっているもので、その結果が理解される事もあれば、理解されないまま埋もれる事もあるわけです。

で、スイカゲームでいえば、遅ればせながら、それがちょっと想定外の形で理解されたというだけの事ではありますが、それを同じ開発者が、リスペクトもなく丸パクリするというのは流石にキモいなと。

 

インスパイアされた、という話しであればいいのですが、見れば解りますが完全に丸パクリで、デザインからなんから全部パクっているわけです。

リスペクトも糞もなく、ただの悪乗りです。

 

で、それが「面白いから」というネットのおふざけとして、無料ゲームで配布されるならまだしも、それを有料販売するという話しで、正直理解に苦しみます。

 

まぁ、そういった方針の集団なんだろうな、としか言えませんが、中々凄い事をするなと。

これを「面白い事をしている」と流せるのは、それもまた、ちょっと理解できないですね。

 

私が開発したものを同じような扱いを受けたら、まぁ、もう開発止めるかな、と、思う程度にはショックですけどね。