何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

全銀ネットと即時送金

 

三井住友銀行からSBI銀行に送金したんだけど、15分位で振り込まれてた。 な..

全銀ネットは金融機関間での取引の共通システムであり送金時には出し手と受け手でざっくり言えば貸し借りの関係が成立する。全体による貸し借りの関係をもとに最終的に相殺し最終取引により清算する仕組みだったはず

 

ちょっと嘘書いた。

出し手と受け手ではなく、出し手や受け手と中央決済機関の間での貸し借りが正しい。

 

で、この全銀ネットがもともと受け入れ時間による制限を加えていたものを、段階的に即時受付および即時処理を行うという事になり、それに伴い、中央決済機関を通過する取引の迅速化が図られた。

結果として他行宛ての送金についても、全銀ネットが定める営業時間内であれば、原則として、おおむね1時間以内での着金が実現している。

但し、全銀ネットへの接続は各行により接続時間が異なるため、厳密には常に即時送金が行われるわけではない。

なので、送金元・送金先の両方の接続時間を本来は確認すべきだが、まぁ、今時点ではだいたいのところは平日に関して言えば、即時送金に対応しているといってよいかと。

 

なお、清算の仕組み自体は変わっていないと思われる。

送金時点で銀行と中央決済機関間で清算は行っておらず、おそらくこれまで通り、最終的な取引の状況を相殺し、最終的な清算を実施している「はず」。

 

「はず」というのは、私自身は即時送金に関するAPIを使い、それに関わる範囲で銀行との会話をしたが、昔と違い今は清算業務にかかわる中身(全銀ネットの中身の仕組みの詳細)までは間接的に聞いているだけなので。

 

間違ってたら誰か訂正してくださいまし。

 

(補足)

回答になってないな。

なので、実際に送金処理を行った際には、お金が動いているわけではない。

貸し借りという取引により最終的に払うよ、的な扱いで、相手方は口座に着金させているという感じ。

その処理自体の制限が緩和されたので、即時に近い形で今日では取引を利用できるようになった。

まぁ、相手の銀行はあなたの口座の残高は知らないけど、あなたの銀行はあなたの口座の残高(または余力)を知っているので、支払い可能額の範囲であれば送金を受け付けたとしても、その取引に関してだけ言えば、最終的には清算可能(但し、実際の中央銀行との清算業務で言えば、それに限らないので必ず清算可能とは限らないが)なので、電子的取引上のトランザクションの制約さえ対応できるようにすれば、実質的には即時の送金は可能という話で、それが実現したのが昨今の事情という事です。

なお、大昔は送金情報のやり取りの関係で、本当にデータを物理的にも処理する必要もありました。

(相当昔の話ですが)

ネットによる署名は否定しないが、少なくとも賛同人や発起人に対してすら確認を行わないのは流石に怠慢すぎ

 

(ネット)署名という仕組みに否を突き付けている人が多くて困惑している - 発声練習

多数の無名の一署名の成りすましと、賛同人、発起人の成りすましは次元が異なる。場合によっては賛同人や発起人の名誉すら毀損する話しであり、少なくともそういった立場として扱うのであれば確認は必須だと私は思う

 

私は時代と共に手段は変わるべきで、必ずしも古い手段が排除される必要はないものの、ネットの活用に限らずやはり、その時代に合わせた新しい手段が登場すれば、少なくともその方法について理解をし、広く活用する術を検討すべきだと思っている。

 

そのうえで、今回の件でいえば、一番ダメな形となっているのだと思う。

 

例えば、署名(本件はオープンレターだが、実質手続きを見ればただの署名の扱い)に対して権威付けをするために、賛同人として特定の個人、それも職業等も付した形で、これだけの人間がこの署名に同意しており、中には著名人や業界などによりそれなりの地位をもった人もおられますからね、という氏名の公表を行っている点。

 

単純なネット署名において、個々人の氏名、職業等は実はそれほど重要ではない。

どの程度の人数が同意しているのか、いわゆる筆数が結果的には重要であり、そのうえで、個々人がそれに同意しており、その活動を支援する場合、一般的にはその個人が自らそれを支援している旨宣言するか、または、その活動自体に参加し主要な人物として活動する事で広く支援を募ると言う形となる。

この場合、本人が宣言しない限りはそもそも誰かが勝手に偽名で署名したとしても、それ程影響力はない。

いや、実際には不適切な行為ではあるが、実体として、不正を行った人がいる、または、不正が行われた署名活動であったというだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。

また、ネットか否かに限らず、一般的に本来署名活動における署名では後の本人確認の場合も想定し、住所を含めた署名を行う事が一般的だが、残念ながらネットにおける署名ではそれをしていないという問題点(メールのみで実在正証明/確認はほぼ全てのサービスで行われていない)はある。

とはいえ、結局はソレによる不利益は限定的である上、現時点でネット上の署名により効果を持つ手続きは私が認識する限り国内では存在しない為、特段それ以上の法整備は、それらが法的効力を持つ段階に到らない限りは不要だと思う。

 

他方、ネット署名であっても、例えば賛同人として特定個人の名称を利用し、賛同者を募るようなケースであれば、当然その賛同者の意思確認は必要だと考える。

なぜならば、極論言えば、それを怠れば、その活動によりその賛同人に対して不利益を及ぼす場合もあり、それは余りにも無責任だからだ。

当然、賛同人という事で個人の名称を利用された場合、その活動における影響について一定の責任を負う(発起人ほどではないとしても、少なくともただの参加者とはいえない)事となるわけであり、当然、ただの参加者よりはその活動について深く理解し、場合によっては具体的に個人の意見を述べる事ができる程度の理解は必要であると考える。

特に、それが社会的に影響を及ぼす事象、特に今回のように、特定個人に対して明確に否定ないし排除の意思を示すようなものの場合であれば、少なくともそれに賛同するという事の意味、行為の重さ(ソレにより相手方に生じる不利益に対する責任はおそらく司法の場でも負う可能性がある/一般的に活動とは無責任に行える事はでなく、場合によっては当然一部の行為は処罰の対象ともなり得る)を伴うわけであり、それを共に負うという事であり、それを無責任に行うというのは余りにも非常識だと私は思う。

 

こういった行為は、ネットを活用した様々な今後の行動に悪影響を及ぼすおそれがある。

そういった視点でも、こういった無責任な活動は適切に対応していただく必要があるし、現状の対応は非常にダメな実例であると思う。

 

また、オープンレターと署名活動を同義に捉えている人もいるが、そもそも全く異なる。

前者は意思を表明したり、特定の事柄について公に回答を求めるものであり、賛同者の数により何かが変わるものではない。

後者は特定の目的にを達する為に、一定の賛同者を集め、その賛同者の数によりその受け手に対して同意を求める行為である。

 

今回のオープンレターの問題点は、前者と後者を混ぜている点にもある。

単純にオープンレターを送るだけであれば、そもそも、数名の発起人、つまり明確に確認が取れている人の名前を連名で記すだけでよく、トラブルともならなかった。

逆に、後者のような具体的な結果や対応を求める事とするのであれば、数名の発起人により署名活動を起こせばよかった。

しかし今回のオープンレターでは、なぜかオープンレターの賛同人を署名活動のそれと同じレベルの手続き(つまり特段の確認はしない手段)によって行った上で、それをオープンレターの具体的な賛同人の一人として個々人の立場を含め、権威付けするために利用した。

 

これは明らかに手続きの悪用であり、典型的なダメな事例だと私は思う。

 

もしも確認の手続きを省くのであれば、せいぜい「なお、この書面に対してはこのほかXX名の賛同者がおられます」程度の記述に留めるべきであり、仮にどうしても権威付けしたいのであれば、その候補者の数名に連絡をとり、賛同者に名前を記載する事について同意を取るべきである。

これは特段の負担もなく、そもそも他人の名前を何かしらに記すという点では最低限の手続きであり、ネットであろうが対面であろうが、何れでも必要な手続きに過ぎない。

逆に、賛同者であるにも関わらず、連絡も取れない、連絡手段もわからない、等というのは流石にマズイ。

例えば何かしらの不手際があり、活動について調整が必要となった場合や、極論活動の停止、取り下げなどの通知も行えないわけであり、流石にそれはない。

 

なので、私はネットであろうが、なかろうが、少なくともただの一署名という扱いでなく、具体的な個人を、特に権威付けの為の発起人や賛同人として記載するのであれば、少なくともそれらについては本人に対して同意をとる行為は必須だと思うし、それを行わなかった本件については、その点は、不手際であり、その行為についての謝罪、特に同意もなしに賛同者として名前を記載されてしまった方に対してお詫びをする事が筋だと思うが。

 

何事であってもそうだが、何かしらの問題や不手際は起こりうるモノだが、そういった時にこそ、個人や集団の価値が問われる時だと考えて対応はして欲しい。

昨今のネットの状況を濃縮したようなコメントだったのでつい

else 句に「// 何もしない」コメントを書く意味について

短絡的に批判的な意見が散見されるが、記事主はちゃんと末尾に「具体的な説明を記述するべきよね」とコメントしているわけで。その上、冒頭で考え方の一つとしてという前提を置いており、批判の意図がさっぱり不明。

 

最近ネットがだるくなり、仕事もいろいろと公私共に忙しくなったので、SNS含め一切何もリアクションしていなかった。

毎年どこかで私はSNS断ち的な事をして、自分が客観的に情報と向き合える自我を持っているかということを確認するのですが、今年はそれよりもより踏み込んで、最近のネットの「とりあえず自己中心的な理解から」というスタンスに嫌気がさして、このまま放置でもよいかな(放置というか、別に触るという意欲自体がなかった)と考えていた。

 

そんな時にこの記事のコメント欄をみて、いや、もう昨今のネットのダメなところを濃縮したような状況で、どうしようもないなと思った。

 

式と文の違いがあるのは言うまでもなく、コメントにあるように、元発言がどちらの言語での状況を捉えたかということもわからないので、その点では特に何が正しいという話はないと思う。

 

が、その点は記事主は冒頭から言及していて、思考の整理(遊び)の一つとして、こういった考え方、整理もあるよね、という話題として全体を構築している。

こういった思考の整理は少なくとも言語を操るエンジニアにはとても大切なことで、昔のはてな界隈であれば、こんな愚かなコメント欄にはならなかったと私は思う。

あったとしても、せいぜい異なる視点での整理の対案が記事として執筆されたり、より踏み込んだ具体的な例示を基にした解釈が提案されたりするのが昔のはてな界隈で、それが、思考整理に関する記事すら「それはお前の考え方だろ?」という批判的なコメントが多いという何とも末期の状況というのは本当に悲しい限りだ。

 

その上「そんな事ならもっと具体的な事を書くべきでは?」といった趣旨のコメントもあるが、いや、追記でそのこともちゃんと言及しており、そういった意図(記事で言及したような意図を持った記述)であるならば、その意図を第三者にも理解できるよう、意図について記述すべきだよね、ともちゃんと追記している。

 

コードへの評価というものは、正直、その状況により異なる。

どんなに美しいコードであっても、極論言えば、それが価値を生み出していない状況であればプロダクト/サービスを生み出すという観点では無価値である一方で、そのコードの断片を取り出した場合に限ればそうとは限らない。

 

つまり、この式による表現について断片的に取り出す行為や、それを評価するという行為は、結局のところ、何かしらの前提条件を付加して、その状況下で一つのシミュレーションをする、という程度の話でしかない。

 

そういった意味で、一つの思考パズルの類としてこの式の在り方の解釈を行うという事は、自身がコードであったり、さらにはプロダクト/サービスを生み出す、いや、第三者のコードやそれらの集合体と接する際に、どのように正しく向き合うかという点で大いに役立つ。

 

自分が理解できないものであれば「無駄だよね」と切り捨てるのか、「無駄であるかもしれないし、もしかするとほかの解釈もあるのかもしれない」と考えるのか。

 

もしも開発時間が十分にあり、予算も人員も十分に充足され、知識も経験も過不足ない状況下、そういった万全の状況で、全関係者がそれらの条件を満たす環境下であればそのような思考は不要だろう。

が、現実はそんな状況はまれであり、経験も知識も全く異なり、その上で、さらに予算も人員も欠けている、そんな状況が少なくない。

 

そういったとき、分業をする中で、当然ルールに沿って記述するわけだが、それでも万全はない。

 

制約を増やすという事は、一定の状況まではコストと反比例するわけであり、特に知識や経験が不足する人員がメンバーにいる場合その影響は大きい。

 

つまり、現実社会でこのような式とであうという事は、そういった自己の理解の外にある何かとかかわるという事であり、それとどのように向き合うかという手順でもあると私は思う。

 

ネットの今のありようはまさにこのコメント欄と同じだと思う。

思考整理の記事、思考パズルの解法の一例(一例であるにすぎないという定義は重要)であるという前提であれば、そもそも否定する意味はない。

一例である時点で、記事主は別解について受け入れる余地があるわけであり、その時点で議論は本来対立しない。

が、コメントを見るに対立する意見がでるというのは、単純にコメントする側が最初から全体を俯瞰できておらず、状況を把握できないまま、ただ感情でコメントしているに過ぎないという事でしかない。

 

まったくもってつまらない。

 

僕はこの一例を全肯定するわけではない。

が、この一例を全否定する知識や経験を持ち合わせていない。

 

全否定する人がどの程度の知識や経験をもとにしているのかというのは分かりかねるが、余程の自身と経験なのだろうから、是非その知識や経験を披露してみてはいかがだろうか。

 

もっとも、私も記事主もそういったものが披露されたとしても、特段そこに対立することはなく「そういった整理もあるのですね」で終わるだろうが。

 

 

表現規制の議論は「唯一の正しさ」を強要するのか、「それぞれの正しさ」を受け入れるかという選択

森川ジョージ on Twitter: "表現規制の問題はとても思うところがあります。 確かに目を背けたくなる絵もあります。 僕自身も多くの人の目に触れるものは健全であるべきと考えます。 以前、都条例の時に大先輩が反対派の先鋒として戦っていました。 とても疲弊していました。 たまらず僕は声をかけました。→"

正しい。直ぐ規制賛成派は萌え絵やエロ等の一部の極論だけで規制を正当化しようとするが多くの作品は不快さもない普通のもの。この問題の大半は販売手法や広告手法の問題でそういったものを改善すべき話しでしかない

「正しさ」とは投稿にあるように「誰が決めるのか」という実際には善し悪しではなく、その基準を作る人や集団の思惑で決まるもので、非常に危険なもの。

例えば、セクハラ一つとっても、昔はルールやそれを運用する側が「その程度の事」というとんでもない運用を行っていた結果、許されるべきでないような事が社会のなかで身勝手にも振る舞うという歴史があるが、あれがまさにそれ。

 

今考えれば「そんな事ゆるされるわけないだろ」とは思うし、当時も「いや、それはおかしいでしょ」と思う人はいたが、結局ルールを作る人やそれを運用する人や組織が「この程度の事は許容されるべき」と考えていたので、そういった声も潰されていたのだと思う。

 

表現の規制も同じで、そもそも表現自体を規制すべきではない。

当然、一切の表現に規制を設けないという事は非現実的だが、著しく社会的に問題があるものを除けば「不快である」とか「健全でない」とか、そういった個々人の価値観に委ねるようなもので規制すべきではない。

 

一方で、現実問題としてそういったものを不快と思う人はいるし、それはなにもエロや萌え絵だけの話しではない。

 

以下の映画のCMもその一つではあると思う。


この映画の地上波のCMは控えめにいって下品だった。

男性の裸体を想像させるものを意図的に地上波で流したわけであって、おそらくアニメのような二次元のそれよりも生々しく、その上、それを地上波という圧倒的大多数に一方的な方法で配信したわけで、あって少なくともインターネットの広告以上に問題のある手法であった。

このコンテンツについても、例えば私は「あぁ、あの作品実写化されたのね」という程度の認識やリアクションではあるものの、当然これを見て不快と思う人もいるわけです。

 

最近でいえば以下の作品も似たような手法を用いている。


この作品に到っては、シリーズ全てで主演の半裸または全裸をCMで全面的に使う等、明らかにそういった手法を活用する事を目的としている。

 

結局、この手の話しは男性の欲望だけの問題でなく、単純に女性も含めた人間の欲望とそれをどこまで公とするのかという程度問題の話しでしかない。

 

特にインターネットの場合は、意図しなくともそういった情報に接触してしまう事もあるわけなので、その点は当然配慮をすべきだとは思う。

それこそゾーニングのような話しであって、売る側のモラルの問題でしかない。

上で上げたコンテンツも、それを好きな人が消費する分には誰にも何も影響を及ぼさないし、ただただ面白いコンテンツでしかない。

が、それを性的な表現である、不快であると感じる人もいるし、同様に健全さに欠けるとか、子供に悪影響を与えるとか、なんなら犯罪に繋がるという意見もあるかもしれない。

 

大事な事は、そう思う人もいるという点であって、だから「作品を作るべきではない」とするのではなく、不快に思う人をどうやって減らすか、という事が大事。

 

そもそも規制派の人間が上げるような作品はメジャーでもないし、売上云々をいってもさほどのものでもない。

例えば、アニメの中にも明らかなエロ系の作品はあるが、あれの売上がメジャーな作品と比較して上回っているのかといえばそんな事はない。

 

具体的な数字は言えないが、視聴率でいって、固定視聴者を稼ぐ事はできるが、その程度の効果であって、実際にそれがアニメの主流でもないし、せいぜいバリエーションの一つという程度でしかない。

 

そういった「全体の中の一部」を切り取って「だから規制が必要だ」というのは、明らかに異常なロジックだし、それが許されるなら「一部の音楽では健全性を欠く表現があるので、音楽の制作においては法律で規制すべきだ」も成立するし、なんなら「写真において芸術と言っているものであってもそれを不快と感じる人間もいるわけだから法律で規制うべきだ」という事も正当化される。

 

そもそも「不快」というのは完全に個人の価値観によるものでしかない。

また同時に「犯罪に繋がる」というような話しも何度も述べているが何ら根拠はない。

犯罪者の所持品検査や趣向検査をすれば、それよりも圧倒的に多くの共通点が他のもので表されるわけで、それこそBTSであったり、ジャニーズ、坂道グループ、有名YouTuberをはじめ、共通というだけで「犯罪に繋がる要因」等と述べればもう、一定の支持のあるものは、全て規制の対象とするしかない。

 

普通に考えればこういった考え方がおかしい事には気付けるはずなのだが、規制する事を目的とする人、具体的には「アニメ」や「萌え絵」を規制したい人、もっと言えば「オタク嫌悪」を信条としている人からすると、それを規制する事が目的でしかないので、冷静な判断ができる状態ではないため、本当に一度落ち着いて考えて欲しい。

 

それこそ一部の方のいう「古きよき日本人のあり方」を万人がうけいれるのか?という話しと同じで、それはあなた方にとっては良いことでも、私からすればただただ性別により役割を押しつけるものであったり、個人の自由を制限するものであったりするもので、到底受け入れられないという話しと同じでしかない。

 

でも、そういった考え方もまた、ある人にとっての価値観であり、私が受け入れないというだけであって、それを「悪である」とする事も、仮に個人的にそう評価する事はまだしも、社会としてある考え方や表現を「悪であるから法律で規制すべき」等とするのは明らかにおかしい。

 

表現規制をするという事は、そういった誰かの価値観を正しいものとし、別な人の価値観は間違ったものとする話しであって、私は「正しさ」は唯一一つのものではなく、複数の考え方、正しさがあるべきであって、できるだけそのそれぞれの正しさを否定しない選択肢を取るべきだと思う。

 

表現規制の争いはそいったものが本質なのだと思う。

 

 

不快に感じる人もいる→まだわかる、性犯罪を助長する→???

知念実希人 小説家・医師 on Twitter: "表現規制って、最初はほぼ確実に性的表現を標的にするんですよね。 それに成功すると、次は暴力表現の規制になります。 そこには当然『殺人』も含まれるので、ミステリの大部分は規制対象になり得ます。 そうして多様性を失えば、日本の文学… https://t.co/JzbucyRX6B"

エロ云々に対して性被害を根拠とする場合少なくともアルコール類も規制すべきとなるはずがならないのは何故だろうか。圧倒的に被害者は多いのだが。その上ゾーニングも機能しておらず実質禁酒法以外に術はないのだが

表現規制の議論で、不快に感じるという意見については、個人によるものではあるものの、実際問題としてそれはそうよねとまだ訴える意味が理解できる。

一方で、表現規制の必要性として性犯罪の助長云々を根拠とする話しは良く判らない。

 

アニメやマンガを見ることで犯罪を犯す確率があがるというのは明らかなデマで、以前から述べるように、例えばそんな話しを言えば、BTSファンの女性は犯罪者を出す可能性が高まるとかそんなアホなロジックが成立します。

 

ありえんやろ。

 

個人的には何かしらにハマっている人なんてのは、その事で幸福感が増加しているので、むしろ犯罪に走る可能性は低いのではと思う程度には「ありえんやろ」と思う。

まぁ、増えるとしたら、BTSにはまりすぎて離婚した、程度はあるかもしれないが、それは仕方ない。

 

で、仮にそのアホなロジックが成立したと仮定しても理解できないのが、例えばアルコール類に起因する被害、性被害だけでなく、暴力、ハラスメント、その他自傷などもあるだろうし、あらゆる意味でマイナスの影響を与えているわけだけど、これ、ゾーニングも失敗しているのよね。

年齢制限しても意味がないし、提供場所だって当然制限されていて、販売や流通についても管理下にある。

そこまでしても当然の事ながら犯罪がなくなるわけでもないし、アルコール類に起因する被害は決して少なくないわけで。

 

性犯罪を助長するというロジックについては仮に何かしらそういった事象がある可能性は否定しないし、極論言えば、世の中に存在するものは何かしらに対して影響を及ぼしているわけですから、一切関係ないとは言えない。

 

が、その意見は、例えばミニスカートをはいていたから狙われたとかいう、後継無知なロジックと同じで、それは関係ないだろとしか言えない。

 

そもそもマンガやアニメがある以前から性犯罪は普通にあるし、以前から何度も述べるように、犯罪者の大半がオタクであるというならまだしも、当然ながら性犯罪者の大半がそんな事であった事実はないし、おそらくオタク人口から考えて、明らかにそれ以外の人の方が多い。

で、そこに何かの共通点を見つけるとすれば、例えば、Adoを聞いていた人が多かったとか、ジャニーズファンが多かったとか、BTSファンが多かったとか、坂道ファンが多かったとか、単純にその時代、その時に一定の割合で支持を得ているものが原因であると認定して構わない事になる。

 

当然、背景としてそういったものを切っ掛けにした人がいないわけではないだろう。

が、それは通常は特殊な事例で、そんな事を言えば、ある小説、映画、あらゆるものの影響を受けているし、一昔前はミュージシャンの影響だと言われていた事もあるなど、結局その時代によって迫害する対象が変わっているに過ぎない。

 

冒頭に述べたように、不快に感じる人がいる、これは個々人の評価の問題なので、否定できない事実で、これをどのようにバランスを取るべきかは一考の余地が当然ある。

それこそ中野ブロードウェイの一件のように、それ、わざわざそうするかね?という事例もあるように、ちょっと考えれば、まぁ、トラブル起きないんじゃないの?というものは多数あるわけで、そこは上手くやろうよと。

 

だが、それとは異なって、犯罪の温床であるとか、それが理由で犯罪が増えているとか、そういった根拠であると述べるからには、当然それそうおうのデータや事例を挙げて、妥当な事なのか分析が必要だし、それこそただ件数や占める割合が多いなどというのは、時代や状況に左右されるので、韓流の禁止や音楽の禁止、YouTubeの禁止、Instagramの禁止、TikTokの禁止、Twitterの禁止、なんなら犯罪者の多くがスマホを所持していたのであれば、スマホも禁止すべきなどと、ありとあらゆるもの、その時代に一定の年齢層や属性に好まれているものをどんどん禁止するしかない。

 

当然、それにはなんの根拠もないので、禁止したところで効果は出ない上、Aを禁止したのであれば次はBを、Bを禁止したのであれば次はCをと連鎖的に続けるしかない。

 

なぜならば、ある事を解決するために、権利を奪うという決定をしているわけだから、効果がでない状況下で「やっぱり禁止やめますわ」という後退的な決定を行う事は基本的になく、この場合は、効果がでるまで次々と禁止を増やすしかない。

 

表現規制を短絡的にAが禁止されればそれで解決すると考えている人はちゃんと考えた方がいい。

 

法律なので、当然男性向けのものだけが禁止されるわけではない。

CMで色気を伴うようなものは一律禁止になる事も想定すべきだし、当然、若年層のアイドルという活動も禁止される可能性もあり、それは女性アイドルだけでなく、男性アイドルも同様で、衣装や発言含め、性的な表現を含むものは公共の電波では発してはならないとか、例えば、挑発するような発言(口説き文句も普通は含まれる)も公共の電波で禁止すべきという議論すらでてくる可能性もある。

 

いやいやそんな事おきるわけないでしょ、と思うだろうが、それこそ昭和の頃であれば今のこんな議論すら想像もされていないわけで、その想像していない可能性がどんどん具体化されているのが今なわけで。

 

当然禁止された側は、他の禁止されていない事に対して不平不満を持つことになり、結果としてお互いが全ての可能性を潰すまで続ける事になる。

 

ネットの小競り合いであれば、ただただ「気に食わない」で済む話しだが、一度これが法律として前に進めばもう後戻りはできない。

 

本気でそれが良い未来だと思うならやれば良いが、僕は、自分の権利も他人の権利も奪うという事を安易に選択すべきだとは思わないし、将来の子供にもそういった権利は自分達で取捨選択できる未来であって欲しいとは思っている。

 

世の中には良いものも悪いものもあるのが当たり前で、好むもの、好まないものもある、誰かが「これは正しいものです」と定義するのではなく、その時代を生きる若者だったりが「良い」と思えば生かせばいい、例えば「うっせえわ」とかがまさにそれで、聞くべきではないとか、教育によくないとか、いや、そんなのほっとけよと。若者には若者の価値観があるし、それを外野が「これが正しい」「これは正しく無い」と勝手に決めつけて、選択肢を奪う事が正しい未来だとは僕は思わない。

 

誰かの権利を奪うという事を、少なくとも根拠もないまま、定義も曖昧のまま、さも自分達の正義が絶対的なもので、それ以外は常に悪とするような人の作る未来が、次の世代の人達にとって、僕は良い未来だとは全く思わない。

もう少し上手くやれよ

Flatt Securityが2億円を資金調達。開発とセキュリティの分断を解消する「B2Dセキュリティ」を軸に海外を含めた多面展開を加速

(批判の同一コメを投稿)やり過ぎ。この手のはてブの悪用ってのは明らかにエンジニアサイドからも嫌われると判っているのに何故やるのか。仮に自社・関係者で支援ブクマするにしても、もう少し上手にやりなさいよ。

プレスリリースにあわせて自社の認知度を上げたりする事を目的としているのだろうけどやり過ぎ。

 

 

クラウドネイティブの時代に、脆弱性診断を開発者向けにリデザインする。Flatt Securityプロフェッショナルサービスの展望 - Flatt Security Blog

(批判の同一コメを投稿)やり過ぎ。この手のはてブの悪用ってのは明らかにエンジニアサイドからも嫌われると判っているのに何故やるのか。仮に自社・関係者で支援ブクマするにしても、もう少し上手にやりなさいよ。

「開発者に寄り添ったセキュリティを世界中に届ける」Flatt Securityの挑戦 - Flatt Security Blog

(批判の同一コメを投稿)やり過ぎ。この手のはてブの悪用ってのは明らかにエンジニアサイドからも嫌われると判っているのに何故やるのか。仮に自社・関係者で支援ブクマするにしても、もう少し上手にやりなさいよ。

セキュリティに全ての開発者が向き合えるようにする ― Flatt Security がセキュリティプロダクト事業を通して目指すこと - Flatt Security Blog

(批判の同一コメを投稿)やり過ぎ。この手のはてブの悪用ってのは明らかにエンジニアサイドからも嫌われると判っているのに何故やるのか。仮に自社・関係者で支援ブクマするにしても、もう少し上手にやりなさいよ。

おそらく自社のスタッフや知人でタイミング合わせてブクマしたのだと思うが、せめてもう少し上手にやるべき。

私が確認した時点で、全記事が9〜11件のブクマ数、私を含め1人の懐疑的コメントを除いて全員が無言ブクマとか明らかにスパムだから。

ちなみに、全ての記事の投稿日は今日ね。

投稿して、プレスに合わせて午前中のタイミングで支援ブクマ、わかりやす過ぎるだろ。

 

別に仲間内で支援ブクマをする事を否定はしない。

良い記事であれば拡散されるべきだし、認知してもらわないと良い記事かどうかも判断されないわけだから、まずは一定の支援を得て認知してもらうという事は良い。

が、なんでもかんでも全部の記事を一斉に放り込むとか、邪魔以外のなにものでもない。

 

そもそもランキング的なものを作為的に操作する事は本来違反に近い行為で、仲間内で操作する事も限りなく黒に近いグレーなんだよ。

 

だからこそ少しは冷静になってやるべき。

 

そもそも他の過去記事はまぁまぁのブクマ得ているわけだから、こんな操作するような行為しなくてもそれなりに認知されているわけで。

少なくとも1件投稿してそれを支援ブクマするとか、PRのみ支援ブクマするとか、もう少し弁えなさいよ。

 

流石になんでもかんでも支援ブクマして見て下さいは、うざい。

 

 

 

ハッシュタグの利用の問題ではなく、単純に業として許諾を取らない利用が問題

 

ハッシュタグ使用と商標的使用 大阪地判令3.9.27(令2ワ8061) - IT・システム判例メモ

商標的使用の有無についてウェブサイトの所在場所を示すに過ぎないという意見は流石に無理筋かと。何というかどうしてこんな反論にしたのかという点について疑問が。認定は妥当だが争い方は微妙という案件に感じる。

まぁ、妥当な結果だとは思う。

 

一方でコメントはなかなか興味深い。

 

まず、以下のコメント

ハッシュタグ使用と商標的使用 大阪地判令3.9.27(令2ワ8061) - IT・システム判例メモ

違法にすべきは騙そうとの姿勢こそであって、ハッシュタグの使用ではないだろ(´・ω・`)ハッシュタグは誰のものでもない

ハッシュタグそれ自体は確かに誰のものでもないが、そこに表記される文字には意味があり、それに商標が含まれるならその利用に従う必要がある。

ハッシュタグを使った事が問題なのではなく、ハッシュタグに商標を含み、且つそれを業として行った事が問題で、そう記事も裁判上でも問われているかと。

ネタとしてのコメントだと思うけど、ちょっとコメントの意図が不明。

 

ちなみに、欺す云々も関係なくて、単純に登録されている商標を勝手に使うなというだけのお話です。

それがハッシュタグであっても、それ以外であっても、業として行うのであれば所定のルールを守りなさいというだけの事です。

 

で、使いたい時はどうすれば・・・というコメント

ハッシュタグ使用と商標的使用 大阪地判令3.9.27(令2ワ8061) - IT・システム判例メモ

これを踏まえた上で、xx(商標名)好きの方にオススメしたい時はどうすりゃいいんだ?「ハッシュタグは検索に使われる」が根拠らしいから、検索対象でない項目に含めるのは説明文としてアリなのかしら

どこで、どのように使うのか、というのがポイントになるとおもわれます。

商業的利用を前提にするのであれば、相手方の許諾が必要になるでしょう。

逆に個人が名詞的な利用(特定商品やサービスを営利的な目的ではなく、個人の利用や興味・感心の範疇で紹介したりする程度の事)であれば、おそらく常識的範囲(相手を貶める目的や想定されない用途でないかぎり)は問題にはならないと思います。

本事案でも業として行っていた事が問題であって、個人が何かしらの商品を購入した時や購入する事を希望しているようなケースでつぶやいたとしてもそれを商標違反で訴える事は大凡不可能ですし、それ自体で相手が何を損害としてうったえるのか不明ですから、裁判自体にならない(訴える根拠がない)と思います。

ただ、冒頭にも書いたように商業的目的でなくとも、相手を貶める目的のように、相手に何かしらの損害がある場合は、直接的な商標上の争いだけでなく、そもそも名誉毀損も含めたリスクを負う事になるので、あくまでも常識的に、相手方が使用について同意できるレベルの用途に留めるべきではあると思いますが。

その他、法人が何かしらの理由で第三者の有する商標を掲示する必要がある場合は、原則として権利保有者の承諾をとる事がベストですが、一応権利の表明(どれがだれの登録商標であるかの帰属を明確にする)で濁す事はありますが、あれ自体は「わかってるよ!これはあの人の商標であることを!」といっているだけなので、それで事足りるかというのは使い方や相手の理解の問題ですから、その点注意は必要です。

 

まぁ、普通は自社の商品やサービス名を含む商標が好意的な意図で拡散する事を否定する企業や個人は少ないと思うので、よほど相手の意図を汲まないような話しでないかぎりは問題にはならないと思いますし、実際、ネットでも多数の商標を含むツィートやハッシュタグが使われていますから、その程度の認識で問題は無いと思います。

 

なお、上記の見解は私個人の理解と整理に基づくものですので、最終的な判断は個々人で行っていただければと。