何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

目的が国民や生活の為でなく相手の失点を引き出す事だから発生するわけで

高市首相 午前3時ごろから衆議院予算委員会の答弁打ち合わせ SNS投稿で改めて説明 | NHKニュース

通告期限云々以前に、質問された側が回答に時間を要するのは一般的であって、直前に質問を出して、明日回答せよなんて今時一般企業でもやらないだろ。回答を得ることが目的なんだから、相手に十分な時間を与えるべき

まさに今の政治を表すわかりやすい状況かと。

 

本来質問の目的は、問題点や課題についてどのような認識であるか、どのように対応するのか等、その事についてより深く向き合う為のやり取りであるはず。

一方で、少なくとも近年の国会の質疑の多くは、ネットや週刊誌の延長線上のような質疑が多く、結果として、相手を困らせてやれば勝ちのような、小学生の喧嘩状態が続いている。

 

そのわかりやすい状況が、国会質問の通告時間。

一般的に、何かを聞くという行為、つまり質問とは、回答を得る事や、自分が知りたい情報を得る事が目的であり、その為のパートナーが回答者だったり窓口担当者だったりする。

そもそも質問者と回答者はこのやり取りにおいては、敵ではない。

 

どのような質問をしようが、結果、何も得られなかったのであれば、成果としてはゼロ。

 

しかし何故かこれを「回答いただけなかった」という事を自分たちの得点のような、勘違いした大本営発表をする癖がついており、また、それを国民の一部も追認する、明らかに間違った状況がある。

 

当然、回答者側にも誠実さは求められるし、例えば先日の高市総理のレジに関する話でいえば、あれは明らかに答弁内容がお粗末であって、どうしようもない。

レジ自体はもう、結構前から税率変更に対応しているし、なんなら内税、外税表記も柔軟に対応できる機種が大半。

今税率変更に対応していない機種は、おそらく今でも内税、外税対応ができていない昔の機種で、税率変更以前に今でも運用に問題があるので、税率変更云々関係なく是正させるべき。

 

一方で、そういった話があったとしても、ギリギリに質問を送付する事に正当性はない。

 

繰り返すが、質問とは相手を遣り込める事が目的ではない。

回答を得る事が目的である以上、仮に相手が結果的に不誠実な回答をしたとしても、それは回答者の質や人格の問題であって、質問者が行うべき事に変わりはない。

 

逆に、質問者が相手を困らせる事を目的として意図的に質問の送付を遅らせている状況であれば、どのような事情があれ、まっとうな回答がでない事も批判できない。

 

一般企業ですら、製品に関する質問について、回答までに2~3営業日いただきますなどというのは普通で、それに対して「自社の製品なんだから今すぐ回答できるはずだろ」などというのは、明らかに異常で、クレーマーでしかない。

 

国会答弁も同じ事。

むしろ製品という定型的な話題よりも複雑で、慎重さを求められる内容なわけだから、一般企業の質疑よりも時間をかけるべきで、それが理解できないのという状況自体が異常だと理解すべき。

 

目的を「相手を困らせる事」と一部の政党がしている事について、支援者は恥じるべきで、それは、支援者がそういった行動を政治家がとる事を承認しているからである事を理解すべき。

 

自分が一票を託した人間が、国会という血税を用いて運営されている場で、小学生の喧嘩のようなやり取りをしている事を承認すべきではない。

 

もしそれを承認しているのであれば、結局、自分が国会で小学生の喧嘩をする事を求めている低レベルな人間であるという事に過ぎない事実を受け入れるべきかと。

 

今後、与野党の関係はもっと変化すると思うが、こんなくだらない状況は早く是正すべきだと私は思うけどね。

出来は良いが、もう少しが足りない気がする

 

BtoB向けのスライド共有サービスがなかったので、自分たちでいい感じのやつを作った | Cone Inc. | 株式会社コーン

スライド経由で営業が成立しにくいのは、スライド自体は情報の断片であってその背景やシナリオを理解できないとアクションに移らないから。大事なのは背景にマッチした資料をシナリオと合わせて提供する事かと思うよ

読んだ。

 

タイトルのとおり、出来は良い。

が、もう少し足りない感じ。

 

スライドの操作感や、サイト自体の機能は、正直普通。

資料のダウンロードもできるし、資料毎にみると動画解説へのリンクがあったり、サービスサイトへの導線があったりする。

 

が、それは概要が備考として投稿者が設定するからの話し。

 

利用者視点とすると、まず、解決したい何か、があり、それにマッチする情報を探す。

つまり、解決に到る為にはまずはその「何か」を見つける部分が大事で、その導線について改善が必要。

 

例えばSlideShareはどうなっているかと言えば、ぶっちゃけ検索エンジンやブックマークサイト頼りで、何も革新はない。

 

つまり、スライド掲載・保存サイトとして考えれば、まぁ、それでも良いが、リーチサイトや商談へのアクションを目的としているのであれば、その部分から改善が必要。

 

これは単純な話し、目的を持ったユーザーを如何に捕まえるか、流入させるのかという点がコンバージョンの土台となる基本的なお話。

 

特に現代の検索ではAIによるなんちゃって解説や検索結果のお勧めという地獄のような構造になっているので、それも意識すれば、従来の導入部分は検索で賄うというのは結構リスク。

 

もっとハッキリ言えば、誰もその情報に辿り付かない。

 

で、この部分、突き詰めていくと結局「マイベスト」や「BOXIL」「アイミツ」みたいなサイトになりがちで、利用者からすると使いにくい事となる。

 

課題があり、解決手段や、お悩みを緩和する方法についての解説がある、で、それを実現するためのサービスや製品がある、これをストレスなく、且つ、押しつけなくどうするかがこのサービスの課題かなと。

 

この部分は結構昔から進化がなく、見た目が綺麗になっただけで、結局「まとめてお問合せ」の域を出ない程度のBtoBサイトばかりではあるので、本気で取り組むなら価値はある。

 

が、本当に難しい。

この領域で結構某営業会社が強いのは、結局技術で解決よりも人的な対応での方が実利があがるという現実がある為で。

 

自分も何度かこの領域のアイデアは議論した事があるが、結局、まぁまぁ立上げに金がかかるし、結果として利益が限定的(一昔前の金融系送客サイトのような利益率にはならない)である為、正直ビジネスとして実現するのは難しいかなと感じる。

 

自社のサービスを売る為に作るので、別に利益は度外視という事であれば成立しそうではあるが、それはそれで、なんともいえないサービスや情報をどうやってフィルタするのかという課題との戦いが始まる。

 

違う視点として、当時考えた(事業化しなかったので、別に出してもいいはず)ものとして、企業と従業員とサービスを、企業の垣根を越えて結びつけるサービスを考えた。

結局のところ企業が情報を得るのは従業員がエンドポイントで、情報のリーチ精度も結局は従業員次第となる。

で、その従業員は企業に固定されているわけではなく、転職もあれば、なんならコンサルのような流動性の高い関わりというものもある。

この関係性と商品やサービスというものの関係を再定義する事で、営業の在り方を変える、情報の連携の流れを変えるというサービスを企画した。

が、この企画10年以上も前だったので、投資側が理解できなかったが、今なら情報の在り方も変わったと思うので、普通に理解されるのではと。

 

今自分がその企画を事業かする?と言われても、いや、もっと他の事業の方が単純で可能性が高いから、お金出し手もらえるならそっちでお願いしますというだろうから、まぁ、誰かがそんなものを作ってくれるなら、可能性はみてみたいかなと。

 

まぁ、定期的にウォッチしてどう成長するかはみてみようかな。

 

訴えた結果、司法が結論が全てであれば、政治家の行為はほぼ白確となるがそれでよいのか。

ラッセンをモデルにした直木賞作家による小説の内容について、ラッセン研究を重ねるアーティストが自著との類似を指摘…「小説家による物語の収奪では」「訴えられるリスクを考えてか」などの声

これは結構酷い。偶然というには意図的に対処している節が随所にみられるので、何なら出版社や編集者も知った上で助言して対処したのではないかとすら思える。作家の悪意という以上の問題なのではないか。結構やばい

世の中には明らかにグレーゾーンをついているものはあるし、それが司法で裁けないという問題はある。

 

で、司法が黒にできないのであればそれは白というのであれば、私個人はそれでよいが、であれば政治家の大抵の行為は白確という事で今後は声を上げるべきでもないが。

 

私は司法には問題がまだあるし、今後も解釈の変更含め改善の余地は大いにあると考えている。

そもそも時代の変化により扱いの変わるものもあるだろうし、それこそアップデートが必要。

 

問題があるが、現時点の法で裁けないものは別に問題がないわけではないし、それを放置してよいわけでもない。

 

まぁ、立場によりそういった事でよいという人もいるだろうね。

そういった人は、まぁ、そういった価値観や立場の人なのだろうとは思うし、それを否定する気はないが、まぁ、であれば今後は司法の結論や法の問題について異議を唱えないようにしないとね。

 

お好きにどうぞ。

なんというか、それ、まさに日本人典型的な悪しき考え方では

よんだ。

「JICAアフリカ・ホームタウン」に関するデマについての拡散の流れ - 電脳塵芥

デマとは違うのでは。事実として先方は我が国の認識と異なる発表をしており、それがネットで問題だと指摘されてやっと理解にズレがある事を認識した。その上で訂正を求めた。少なくとも事実として存在していたわけで

なんというか、典型的な古き良き日本人の考え方かなと。

私自身は国内の仕事も、一部海外の仕事も、日本人ともそれ以外の国籍の方とも仕事を普通にしますので、この考え方には違和感を覚えます。

 

まず、国内であれ海外であれ、1人以上の人間や組織が関わるケースでは認識のズレは普通に起きます。

どんなに細かく調整しても、文章を認めても、何をやっても何かしら「え?それそういう認識?」というものはあります。

 

で、そういった事が起きる事を問題にする必要はないですが、日本人典型的な悪しき考え方として「いやいや、皆解ってるでしょ」であったり「わざわざコレを言うまでもないでしょ」のような思い込みが結果として問題を大きくする事はままあります。

 

そういった時、日本人どうしだと「いや、普通こうだよね?なんで君はその理解ができないの?」というように、誰を基準に考えるのかは「普通」という非常に曖昧な定義や「経験則として」のような、過去事例を元にするような話しに頼りがちです。

 

が、そんなモノは国際社会では何一つ役にたちません。

というか、この手の問題が起きたときに何も言わないのはまずダメです。

最低限当事者にちゃんと「違うよ」と伝える必要がありますが、とはいえ、国にもよるのですが公に「おまえの認識違うよ?」というのも相手のメンツを潰すので大抵はダメです。

 

大抵の場合は「ごめんね、なんか認識ちがうよ。こちらの認識はこうだよ。前回そう確認したよね?念のためメール転送するね」のような形で当事者とまずは確認して、後に「じゃぁ、こんな感じでフォローいれるね」だったり「フォロー入れておいてね」のような形で相手のメンツを潰さないようにいい感じでフォローします。

 

では「いやいや、皆解ってる事だから、あえて言うまでもないでしょ」のような形で放置するとどうなるかというと、言うまでもなく誤解が正しい認識になります。

 

で、それを後になって「いやいや、普通に考えて違うでしょ」と言ったところで「でも君は違うと解っていたのに正さなかったじゃないか」という指摘を受け、逆に「君は間違っていると認識して放置したの?」となって、状況にも寄りますが「あいつ何言ってるの?」のような感じで、何故かこちらが問題児のように扱われます。

 

そもそも「おかしくない?」と気づいたときに「まぁ、皆わかってるでしょ」のような発想は海外にもないとは言いませんが、まぁ、通じないです。

通じるとしても「意味」や「解釈」のような曖昧なものではなく「ルール」だったり「文化」のような明確に過去から決まっているものであったり、何か別の具体的な事実が明確なもの、に限られます。

 

特に、双方で取り決めた事について認識がズレているのにそのまま放置なんて事は、少なくとも自分達に不利な状況では行わないです。

そんなもの放置しようものなら、その間違いが前提に物事が動きますし、それを前提に議論をしようものなら、それこそ暗黙の了解を示したとすら受け取られかねません。

 

というか、おかしいと思った事をおかしいと指摘するのは普通であって、むしろ日本人はなぜそこに遠慮するのか私も同じ日本人として理解ができません。

いや、言い方や伝え方はあるとしても、おかしいものはおかしいと言うべきだし、普通に海外でも言いますけどね。

 

むしろ日本人は「言わなくてもわかるでしょ」のようなエスパーのような相互理解を求めますが、そんな事が通じる世界はもうありませんし、なんなら日本国内ですらそんな時代でもありません。

 

相手の国が間違った発表をするのはままある事だとしても、それはそのまま放置すべき事ではないし、それ以前に発表内容を第三者から指摘されるまで当事者(国や自治体を含む担当者)が確認していないというのも問題です。

 

普通確認しますし、何なら原文チェックもするし、必要なら自国の第一言語だけでなく、相手側の第一言語での原文も作成し相互チェックする程度の事は、いち企業ですら行います。

原則どの言語による文章を有効なものとするかは予め取り決めをしますが、仮にそれをしても理解をする為には翻訳も必要となりますから、その翻訳結果が意図したものを正しく指しているのか、効果だったり範囲だったりが適切であるかは細かく確認します。

 

そういった事は普通にやりますし、間違いの文書が出回る事もありますが、それが第三者から指摘されるまで「認識にズレがあるのに気付かなかった」というのは問題ですし、それを指摘したら「デマ」というのは流石にどうかと。

 

仮にそういった文書や発表が事実としてなかったのならそれはデマであるといえますが、間違った認識とはいえ、その間違った認識を発表されており、それをさらに第三者が文書として採用し記事化しているわけですから、認識にあやまりがあり、訂正が必要なのであれば指摘するべきでしょう。

 

いや、ネットで取り上げられるよりも早くやれよとむしろ言いたいのですが。

 

兎も角、なんというかこの手の話しを「いやいや解っていて当然だし、いちいち取り上げるほどの事でもない」というのは、まさに古き良き日本人のそれではあるのですが、その認識を国際社会にまで適用するから、まぁ、日本のビジネスも活動も海外では、まぁよく失敗したり、いいカモにされたりしているのですよ。

 

むしろこういった所は、もっとちゃんとやってほしいわけでして、別に日本人ファーストがどうだとか、参政党がどうだとか関係なく、ちゃんとやれよ、としかいえないですけどね。

 

なんでもかんでも参政党だ陰謀論だと片付けるのは良くないと思いますよ。

 

 

そうめん「で」いいよと言われたときに、お稲荷さんや焼き鯖寿司を作る必要はない

読んだ。

「そうめんでいいよ」で炎上しているのは「そうめん」ではありません、「でいいよ」です→「でいいよ」と言いたいときはなんて言えばいいの

例の話であれば論点ズラシかと。勝手に素麺だけだと不足だからほかにも作る必要がでてくるから素麺は大変だって主張だったが、素麺でいいよと言われてそれ以外も付け足さないとなんて勝手に解釈する方が無理筋すぎ。

双方歴史修正だのいろいろと言っていたり、過去の経緯を全部しらないまま、私も含め批判している人がいるようだが、それ本気で言ってる?

 

まず、元の発言者はもうとっくにポストを非公開にしているし、該当ポスト以外も非公開になっているので確認はできないかと。

 

で、この話結構前のネタで、当初の炎上は、そうめんでいいよと言われてもそれだけでは足りないだろうから、お稲荷さんや焼き鯖寿司を作る必要もある云々、だからそうめんでいいなんて話しではないという発言が飛び出して、いやいやそうめんでいいよと言われたら、普通はそうめんを作るだけでしょ、当然夫もそれを期待しているだろうし、なんでそうめん以外を作る必要があり、それも含めるから大変なんだという議論になるのか、という経緯であったわけで。

 

で、まぁ、そんな話しはぶっちゃけ些末な話しで、この手の話し延々と繰り返されているが、もうね、「そうめん『で』いいよ」でキレるのであれば、おそらく関係が終わってるからとっとと離婚すればいいかと。

 

言葉尻を捉えて相手を批判するというのは、相手を攻撃する時の典型的な行動で、会社でモラハラパワハラ研修を受けると普通に注意されます。

仮に相手の発した言葉が自分の意に沿わないとしても、多くの場合は誤解や認識のズレで起きる問題であって、ちゃんと話せば理解できる事。

で、それができないまま相手を「コイツはダメな奴だ」というレッテルを張り、だから攻撃しても構わないという解釈に到るわけですが、それ、普通にモラハラです。

 

「でいいよ」といってほしくないならその話しを相手とすればいいし、それがそんなに重要な部分なら尚更家族で議論すべきでしょ。

で、それでもお互い理解できないなら、もう関係が破綻しているわけで、男が女がではなく、単純に家族として生活を共にできない、それだけの話し。

 

にも関わらず、直ぐに対立を煽る人間というのは「だから男は」とか「だから女は」とか「ゴールポストを動かす」とか「歴史修正」とかくだらない事を言いますが、全部関係ないよ。

 

単純にその家庭ではコミュニケーションが成立しない関係に陥っているだけであり、他の家庭では「そうめんでいいよ」でお互い別に嫌悪感を抱かない関係も築けるし、「でいいよ」は嫌だから、と、ちゃんと双方で話し合って別な言葉であったり、使ってしまった時に「ごめんね」で済むときもあるわけで、単純にその両者の問題に過ぎない。

 

直ぐに「男女関の対立」だったり「男の問題」「女の問題」にすり替えて、話しを大きくして、対立構造に持って行く人間は、基本的に社会のゴミなので相手をする必要はない。

 

そもそも「でいいよ」に限らず、相手がパートナーに対して意図的に嫌な事をするわけがなく、普通は相手が気にしている事に理解が及んでいないだけの事。

 

で、これは相手方の一方的な話しではない。

 

違う場面では自分が配慮不足も普通にあるし、お互い異なる人間が生活を共にするわけだから、認識の違いだったり、理解の不足だったりは、10年、20年生活を共にしても普通に起きる。

 

それを一緒に擦り合わせて、ちゃんと少しずつ理解して家族だったり、親子だったりと関係を作るわけであって「そうめんでいいよ」で相手を侮蔑しないと済まない程度の人間は、夫や妻だけでなく、子供だったり、親だったり、周囲の人間に対しても同じ態度である訳で、もう少しその自己中心的な考え方を改める事の方が先だと思いますが。

 

正直そんな状況で親になろうものなら、まさに毒親まっしぐらという感じですよ。

 

私と妻の間でも言葉の使い方としてそれはさすがに、というものもあるから、私からも「今のXXXはちょっと良くない表現だと思うから、○○○といってほしいかな」のような話しはするし、逆に妻からも「それ酷くない?」というような指摘をされた事も実際過去にはあるし、それでいいと思うし、そうあるべきだと思う。

 

というか、そういった事をちゃんとお互いに言い合える、言われても「おっけー、解ったよ。ごめんね」とか、ちゃんと相手の考えを理解できるように言い合える関係を作るべきで、おそらく「そうめんでいいよ」で男女間の対立構造に持って行きたい人というのは、そういった事で失敗しているのだろうなと。

 

なんでそんな事になるのか、そういった思考に陥るのかはわからないが、少なくともその状況が真っ当な状況だとは思わないので、一度カウンセリングを受ける等して、原因の把握とリハビリに努める方がよいのではと。

 

本当に特定の家族、男女間の問題をすぐに社会全体の問題にする人というのはゴミ以外の何者でもないと思う。

 

多様性とか、価値観の違いと、世の中にはいろいろな人がいるし、当然背景も状況も千差万別であるという事を理解してほしい。

 

流石に世界狭すぎでしょ。

野党陣営の変化とこれから

参院選の結果がほぼ出そろいました。

 

現状比例の1議席を残しNHKの速報では与党系122議席、野党系125議席、おそらく最後の1議席立憲民主党ではないかと思うので、恐らくは与党系122議席、野党系126議席で決着かなと。

 

で、結果だけみると、案外与党系は踏みとどまったなと。

正直大連立を組まないかぎりは維持できない程度にはボロボロになるのではと思っていましたが、蓋を開けてみればそれ程でもなく、むしろ相当善戦している状況。

一方で野党の結果を見ると、比例の1議席を加えても立憲民主党は改選前を維持、共産党は4議席減というこれまでの野党の主力である2政党が何れも振るわない結果。

もっとも、共産党に関しては野党での調整の結果もあると思いますからその影響も考えれば、まぁ、微減よねといえるところですが、逆に立憲民主党はそこまでしても維持が限界というのが実状。

 

以前から言及していますが、今の立憲民主党共産党のやり方は、ほぼ昔の社民党のソレで、このまま進むとおそらく社民党同様にそう遠くない将来には野党としての発言力はなくなるでしょう。

 

一方で大きく躍進したのは言うまでもなく参政党。

2桁にのせるどころか、これ、次の衆院選までに党内の混乱を収める事ができるとさらに伸ばす可能性も感じるところで、野党第一党の座を国民民主党と争う事になるのではという雰囲気すらあります。

特に今後も自民は難しい舵取りの中におかれる事は確定しており、確実に支持者の離脱は増えるでしょうから、少なくともその中の一定の割合が参政党や保守党に流れる事はいうまでもありません。

 

また、国民民主党も改選数4議席から大幅に伸ばし17議席、非改選含め22議席と、このままの勢いであれば次に選挙では確実に野党第一党が見える状況まで積み増しました。

正直、候補者選定だけでなく米騒動の話しも含め結構やらかしていたにもかかわらず、ここまで伸びるというのは予想以上の結果で、おそらくはこちらも次の選挙でも引き続き伸びる事が予想され、前述のとおり参政党とどちらが野党第一党の座に着くのかという感じはしています。

 

いろいろな分析はこれから行われると思いますし、それが的を得ているものもあれば、お気持ち分析のようなものもあるでしょうが、結局両者ともにどこの政党も拾わなかったような声に応えた(とはいえ、実際にはほぼまだ何も実績はない、なんなら与党よりも実績だけでみるとないのが現状)という事が全てで、今まで散々私が立憲民主党社民党にならないように何をすべきかで述べた事を単純に実行した結果だなとしかいえません。

 

人間は素晴らしい考え、正しい考え、当然のように守るべき事等、当たり前にそういった事は理解しています。

なんならこんな事は子供だけでなく、悪人ですらわかっているのです。

が、解っている事、理解しているとしても、それを選択するかどうか、守るかどうかは別です。

残念ながら人はそれぞれ優先順位があり、経済対策を一番にする人もいれば、その中でも減税を一番にする人もいるし、手取りの増加という話しを最優先にする人もいます。

で、そういった人の中で、例えば共生というワードをかかげて「これは人として守るべき大事な事です」と訴えたとしても、まず確実に響きません。

繰り返しますが、彼らもそういった事を理解していないわけではありません。

が、彼らの中での優先順位はそこにない、ただそれだけの事です。

 

で、今回躍進した2政党はこの点を解りやすく提示した、結果、そこに感心のあった人が自分の票を投じた、至極単純な結果です。

 

また、あれほど対決姿勢で臨めば、結果はプラスにならないよといったのですが、立憲民主党共産党の支持者の多く、特にネットの支持者は強烈にバッシングを繰り返しました。

 

これは本当になんの意味もなく、むしろ票を失う結果でしかありません。

過去に何度も述べていますが、争いや対決姿勢を好むような人は実はそれ程多くはありません。

 

どんなに正しい事でも、口汚く罵る集団がいたとして、それを「彼らは口が悪いが、正しい事を言っているから彼らを支持しよう」等となる人は、最初からその政党の支持者であって、普通の人は「なんか口汚く罵り合っている政党だな」としか思いません。

「そんなわけない!」「正しい意見なのだから理解できない人がおかしい」「そいつらも差別主義者だ!」等と言うのは良いですが、その結果がこの惨状です。

 

与党が票を失っている中で、躍進している野党の中には含まれず、調整した結果を含めても実際には議席は維持が限界、全体で見れば減少、それが現実です。

 

私は少なくとも共産党には一切理解を示していませんが、立憲民主党に関して言えば全否定という立場でもありません。

が、あまりにもどうしようもなさ過ぎる。

特に公約がダメ過ぎて、もうここまで票を取りに行けない、というか、本当に政権をとろうとしているのかすらわからない程度には本気が見えない。

結果として私の中ではれいわ新撰組あたりまでは評価が低くなっている現状です。

 

既に流れを失っているのでちょっと難しい状況ではありますが、今立憲民主党がやるべき事は、目先の票を獲得するために何でもいいから集団を抱え込むような戦略をとるのでは無く、まずは国内でどんな事が問題となっているのか、その声にちゃんと向き合うべきです。

 

「日本人ファースト」という表現で言えば、私は別にこれを日本人だけの為であり、外国人を排斥する為の言葉として捉える必要はないと思います。

(ちなみに私は参政党には票を投じていないですし、今後も投じる事はないです。少なくとも共産党と同じ程度には確率は低いでしょう)

 

結局これは解釈の問題だと思うし、もし参政党の言う「日本人ファースト」に問題があるのであったとしても、その声の中に本当に組み上げるべき問題はなかったのか、そういった事とちゃんと向き合い、例えば単純な統計や情報にはでてこない問題や、なんなら認識のズレ等、そういったものとちゃんと向き合う、自民党や既存政党が大きな話しばかりで、今生活している人がそれぞれ抱えている悩みや不安に向き合っていない、そういった所と色眼鏡や先入観を無しに純粋にまずは向き合う、そうした中で、例えば正しく無い認識だったり、もっとよい解決案だったりを提案し、そういった活動の中で支持者を拡げる、あぁ、この政党はちゃんと身近な問題にも目を向けてくれるのか、そういった話しをしてくれるのは、参政党と立憲民主党ですか、だったらどっちがいいのだろうか、そういった状況にもっていかないと話にならないのですよ。

 

身近な生活に全く沿わないようなアレやコレについて「今やらなければならない」と言ったところで人は「そうですが、でも、それ、僕に何か関係ありますかね?」と、理解させるまでにも時間はかかりますし、理解されたところで少なくない割合で「でも、私の差し迫った悩みはそれじゃないんですけど」となるのがオチです。

 

これはポピュリズムに染まれと言っているわけではありません。

この「ポピュリズム」という言葉を絡めて国民の声を聞く行動を批判する人がいますが、それは間違いです。

 

幾つもある解決すべき問題や、今取り組むべき問題について、大きなもの、長期的な視点、国際的な状況、そういったものと同じレベルで身近な問題、国内で議論されている話題、そういった巷にある課題とも同じく向き合う事は大事な事です。

 

この視点が持てないようであれば、以前から何度も言及していますが、立憲民主党共産党も恐らくはそう遠くない将来、社民党がかかえるような党を残す事が目標になるような状況に陥るでしょう。

 

これから若い世代の投票率はもっとあがります。

確実にあがります。

 

これは手段や関係が変わったという事です。

もう変わっています。

 

政治が取り組むべき事、どのような声に、どのように応えるのか、その距離感や温度感、それも変わっています。

 

そういったものと向き合った上で、さらにもっと大きな、例えば万人には理解されないだろうけども、やはりやらなければならない事、立憲民主党だからこそ取り組める事、そういった事にも取り組めばよいだけの事で、どちらかしかできないなどという事はありません。

 

いいかげん「ポピュリズム」などというワードで馬鹿にするのではなく、もう中二病のような「おれはおまえらとは違うから」などという拗らせは卒業して、社会の変化、支持層の変化、投票行動の変化、社会環境の変化等、変化とちゃんと向き合ってもらいたい。

 

私は立憲民主党を積極的に支持はしていないけども、今の政治を変えていくという意味では立憲民主党がより価値のある政党に生まれ変われれば、もっと早く政治的な変化、その先の安定というものはみえてくると考えており、さらにはやはり選択肢は多い方がよい、国民民主党がダメならほかに託す、そういった人の票をどこが拾うべきか、私の中では参政党であるべきではないと思うし、れいわ新撰組であるべきとも思っていません(私はね)。

そういった票がどこに行くべきかという時に、ちゃんと「だったらこっちにいれよう」そう考えてもらえる政党であるべきだし、本来は逆で、「やっぱり立憲民主党だよね」といわれないとダメなんですよ。

 

与党が失速したときに、与党と一緒に野党第一党が足踏みしているようでは本当に話にならない。

 

もし、今回の選挙で立憲民主党がちゃんと変化に適応できていれば、もっとハッキリとした結果がでていたでしょうし、なんならそれこそ不信任決議からの解散、そして選挙へ持ち込み連立政権という流れも見えてきたはずなんですよ。

あと20議席程度削れていれば、恐らくは与党は政策協議で誤魔化すという事はできず、基本的には立憲民主党、国民民主党、参政党、このあたりを軸に連立を協議し、それが成り立つようであればもはや与党の意見等無視して一気に進める事もできたのですよ。

それが、蓋を開ければ維持が限界、与党も実質議席は失ったものの、致命傷には到らず、にも関わらず「民意は石破政権にノーをという示した」という勘違いコメントを出しているようではダメなんですよ。

 

ちゃんと考えよう。

国民は石破政権にNOは示したかもしれないが、結果を見れば、立憲民主党にYESといったわけでもないのですよ。

現実と向き合おうよ。

どうみても立憲民主党は今回の選挙の結果を見れば、一番最悪の結果になっているわけで、なんならこれ、比例の結果次第では議席減らしている結果もありえるのですが。

 

立憲民主党の不甲斐なさの結果、結局のところ衆院同様に与党系が政策毎の連携で維持という一番ダメな形を選択可能にしてしまったという責任はもう少し真剣に考えるべきかと。

 

政局を読むちから、流石になさ過ぎだし、天然だとしてもちょっと空気読めてなさすぎかと。

頭お花畑過ぎでしょ。いいかげんにしろよ。

 

また、共産党もかわらないといけない。

かかげている中身は少なくとも幾つかの事はいいと思うよ、いくつかはね。でもね、組織を変えないとダメだし、活動方針も変えないとダメ。

特に目的が正しいなら過程はどうでもいいなんて事はない。

そしてもっと若い人の意見を正しくくみ取るべきだし、もっと視野を広げるべき。本当に今は偏り過ぎ。どこまで近視眼的で視界を失っているのかと。

別に消えたないならそれでもいいが、私はそうあるべきとは思わない。

尖っている事が悪いわけではないのよ、明後日の方向に尖るべきではないし、中二病のような「おまえらには俺たちの崇高な理念は理解できまい」みたいなスタンスを辞めろといっているのです。

今あるべきは逆。

広い人に「正しい議論の過程」であったり、「他の政党では目指せない目標」であったり、独自性をかかげるだけでなく、その活動自体をもっとオープンにして、その上で変化をちゃんと受け入れる、その中で染まるのではなく「正しい変化」を受け入れる事で、はじめて「他の政党では目指せない目標」を達成できるわけであって、まずはそれが先。

それこそ党内で問題が起きたら他の政党ではマネできないような正しい議論の在り方やその過程の共有等、自分達だからこそできるものをそれこそ「正しく」やるべきで、そこができないと本当に意味がない。

 

議席数の結果を見ても、残されている時間は正直それ程長くないし、ここまで議席を減らすと、もはや野党の軸ですらない。

立憲ですら野党第一党の座が危うくなりつつあるなかで、このまま埋もれていけば社民党同様に一瞬でだれも支持しない政党になってしまう。というか、もはや野党の中でわざわざ共産党と協議する事に意味がない状況になっているわけで、その事実にいいかげん目を向けてほしい。

私はそうあるべきではないと思うよ。

尖っている政党は残るべきだと思うし、確実にそれを必要としている支持者はいるわけで、その人達の気持ちだったり、考えをちゃんと国政の場で活かす、届ける、そういった責任を果たす事と一番大事な事であって、自分達が考えた運営方針だったり、理解できる仲間だけで別に良いというようなスタンスを続ける事に、私は何ら価値はないと思うけどね。

他の政党ではダメだから必要なんじゃないの?

だったら「理解できない人の支持なんていりませんから」ではなく「どうして理解してもらえないのだろうか」「何が共感されていないのだろうか」と、ちゃんと自分達を見つめ直してほしい。

 

おそらく次の展開は国民民主党と参政党の選択次第とはなる。

与党にはそもそも選択肢がなく、代案もないので。

 

両党の決断を待つのもいいが、おそらくそのスタンスでは確実に与党に先に動かれる。

仮に不信任決議案というカードを切るのであれば、その状況をどのように作り出すのか、どうやって理解を得るのか、それが大事。

立憲民主党がこの先に仮に連立のような形で政権に関わるとしても、この局面を正しく立ち回れないようでは、確実に党勢はより厳しいものになる。

 

野党の在り方は、正直与党以上に厳しい状況にある。

与党が失速したので自動的に野党に票が流れるわけではないし、その票は規模の大きな政党に自動的に流れるわけでもない。

そんな時代はもう終わっている。

 

有権者ひとりひとりが抱える不安や悩み、そういったものの優先順位だったり、人間は正しさだけでは生きられない、正しく生きる為にはお金も必要だし、安定も必要、そういったものが整って初めて人は他人の事も考えられるし、共生と協調とか考えられるわけで、そういった「当たり前」の事を理解してほしい。

 

解散が行われるかどうかはわからない。

が、仮に行われるとすれば、その時、ちゃんとした反省と改善がみられないと、おそらく次はもう目も当てられないような現実と向き合う事になると思う。

 

私はそれを望んでいない。

最低限、私が受け入れられるような状況であってほしい。

 

私が望む全てを持つ政党はいないのですよ。

今投票している先に関しても、様々なギャップがあるなかで検討に検討を重ねた結果、私が投じられる票を比例含めそれぞれ投票しているわけで、私の希望を満点でかなえているわけではないのです。

不満も沢山あるし、なんなら「おまえらいい加減にしろよ」と思う点も沢山ある。

でも、そんな中で、一番マシと思う所に対してそれぞれの票を分け、少しでも可能性を信じているわけです。

だからこそ、特定のいち政党が圧倒的な力をもつ状況にはなってほしくはないわけで。

 

将来、私の判断、決断、行動が間違っていたとき、私は反省し、投票行動を変える事ができる。

でもその時、次の投票先には少なくとも間違った判断をただせる政党がいてほしいと思うし、それがない状況だけは受け入れられない。

この政党はダメだった、でも、もうどこの政党も期待は持てない、この政党にいれたくないから何の期待も持てないがこっちの政党にいれよう、そんなクソみたいな状況にはなってほしくないのですよ。

せめて、この部分は私は理解できないな、でもこの部分は私の希望にちかいよね、うーん、どうするか、まぁ、優先順位も考えて、今私が一番必要としている事をこの政党であればなんとかできそうだ、よし一度信じてみよう、せめてその程度のものであってほしいのですよ。

 

今回の選挙は私の中ではぶっちゃけ野党は負けたと思うし、与党には「まだなんとかできる」と思わせてしまった選挙だったと思う。

 

次こそはちゃんと結果を出せるようにしてほしいと心から思う。

やっぱりマイニンテンドーストアのSwitch2の抽選ルールはおかしい

マイニンテンドーストアでの第5回抽選販売の申込が24日まで行われています。

仮に当選した方は9月15日以降順次お届けという事になるようです。

 

が、やはり現状の市場の状況を考えてもこれは異常な状況だと思います。

 

まず誤解されないようにハッキリさせてくと、私は第5回抽選販売の対象から除外されており、そもそも対象者ではありません。

先に入手した妻のSwitchに私のアカウントがあり、Switch2にデータの一括転送した際に私のアカウントも含めまとめて転送が行われた為、残念ながら私のアカウントにはSwitch2との連携履歴が残った為、対象外となっています。

その為、私自身が第5回抽選販売の状況についておかしいと主張したところで、そもそも私には全く関係はないのですが、この記事を書こうと思ったのは、逆に私が普通に市場で手に入れてしまい、予想外にあっさりとSwitch2とProコントローラ2の両方を手に入れてしまった為です。

 

本来私は任天堂の指定した「より多くの方に手に入れていただく為に除外されたユーザー」であったわけで、第5回抽選販売の対象者は私よりも入手できる可能性が高いユーザーであるべきなのですが、前述のとおり私はあっさり市場でSwitch2を入手してしまっています。

 

これ自体は市場にそれなりの台数が流通しているという事で一見すると良いことのように感じますが、いや、だったらせめて第5回抽選販売の出荷時期を早めるとか、応募者全員に9月15日から順次お届けを約束するなりできるだろうと思うのです。

 

そもそも既に第6回抽選販売と思われる予定が公表されており、その当選者は10月以降の出荷となるわけで、第5回抽選販売で応募者全員が入手できるわけではない事はあきらかです。

 

それなりの台数を市場に流すという事は必要だと思いますが、いや、とはいえ、マイニンテンドーストアで抽選に参加している人は少なくとも1年以上はオンライン契約をしていたユーザーで、且つ、一定のプレイ時間の実績があるユーザーなわけです。

 

それがここまで後回しにされるというのは、流石にどうかと思う。

 

いや、市場に出回っているSwitch2は余っているわけでもないので、現状私が手に入れられたのは普通に運とテクニック(同じ方法でPS4ProやPS5も入手)を駆使はしており、先着販売にはそれなりに強いという前提はありますが、とはいえ、市場から入手するというのはまだまだ大変なわけです。

 

初期出荷分は流石に台数の制限や製造数の関係で難しいとしてももう販売開始からみても1ヶ月、そもそも第1回の抽選は4月上旬から始まっており、その時点で想定台数は既に確定していたわけです。

その上第5回の抽選時にはさらに条件による絞り込みをし、どの程度の人数が候補者となるか予想ができ、さらに週間の製造台数についても明確になっている状況です。

 

であれば、どの程度を市場に流し、どの程度を直販とすべきか、そのあたりの調整は流石にセンスのない担当者が行うとしてももう少しまともにできたのではと。

 

どう考えてもこの状況はおかしい。

 

初期在庫の調整も明らかにミスだったが、その後の出荷調整も完全にミスっており、どう考えているのだろうかと。

 

そもそも生産台数は多少増加させる事はできたとしても、それ程台数を積み増す事はできない。だからこそ自分達で混乱を招かないように十分対応を進めると宣言していたわけで、その結果がこれというのは流石に情けなさ過ぎる。

 

入手できる販路は確かにマイニンテンドーストアだけではないし、他で入手できるのであればそこで買えばいいという人もいるだろうが、それは私のような人間に対しては通じる(実際入手できているし、入手する方法も技術も時間もある)が、万人がそんな事ができるわけではないし、だからこそ公式通販に期待しているわけで、もう少しユーザーの事を考えてほしい。

 

一部の人はソニーにはできない神対応のような発言をしているが、私からするとそれ程結果に変わりはなく、今後の状況次第ではぶっちゃけソニー以下の結果になると思うが。

 

本当に任天堂がユーザーの事を考えているのであれば、せめて初回から応募している人に対する出荷についてももう少し真っ当な対応をしてほしいと思う。

 

私は潜在需要も考えればまだまだ需給のバランスは崩れたままで、大都市圏は大型量販店で入手可能であったり、ネット通販もリテラシーの高い人は私のように入手できるという人もいるが、仕事の関係で貼り付けない人もいるし、そもそもチャンスが来ない人もいる、だからこそ公式通販の抽選にかけている人もいると思うし、その人は少なくとも任天堂ユーザーである事はあきらかなわけだから、なんとかできんのかと。

 

もし私が普通に市場で入手できていない状況であれば、9月でも10月でも入手できるなら良いよね、と考えていたのだろうが、結果的に市場で入手できてしまい、その結果として逆になんとも納得がいかない、今も抽選を待っている人がいるわけであって、なんだろうか、この本当に「どうなってるの?」という気持ちがわき、文句を言いたくなったわけでして。

 

うーん、最初から1台規制は入れておくべきだったし、2回目の抽選時点で出荷可能な台数はわかっていたわけだからこそ、やはり抽選条件の調整はもっと前にすべきだったし、そもそもマイニンテンドーストアでの出荷台数はもっと増やすべきだと私は思う。

 

量販店に朝から並べる人だけや、ネットに貼り付ける人だけ、なんていうのはPS5と何にも変わっておらず、むしろ公式通販で条件設定しているにも関わらず、結局市場で入手できる人、つまり貼り付けるような人だけが入手できるというのが当然というのであれば、ソニーとなんにも変わっていないし、一体絶賛された対応というのはなんだったのかと思う。

 

もう少しちゃんと向き合うべきだと思うよ、僕は。