何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

ガチャ課金とは異なるのでそれ程効果がないのでは?

 

住宅地で唯一のスーパーが撤退リスト入り、最低限必要な売り上げ金額と毎日の売り上げを店頭に貼るように「急に無くなる前に消費者にアピールしてくれて助かる」

よくわからない。告知があるから買うの?多少は購入機会が増えるだろうけども、それはあくまでも多少であって、そもそも新規の顧客が呼べるわけでもない。自分の生活の資金を削ってでも売上に貢献する人でもいるの?

うーん、この話、あまり効果的な手法ではないと思うけど。

 

というのも、そもそもスーパーで購入するものは、あくまでも生活の為の食料であったり、飲み物であったりで、それらは各家庭で生活費の中からある程度一定の額で捻出されるものである。

つまり、その購入資金が他に分散したから、結果としてそのスーパーの売り上げが落ちたという話しなので、単純に皆がそこで買ってくれれば問題は解決するわけで、だからこそ皆前のように買ってね、という告知があれば買ってくれるだろうというものだ。

 

が、通常消費者はその程度の事で継続的に購入を続ける事はない。

 

この理屈は、ネットでよくある「それがあれば絶対買う!」という恒例のネタと同じで、実際に商品化すると売れることもなく、一体買うと宣言していた人達はどこへいってしまったのか、というあの現象と同じだ。

 

このような手法は、射幸心を煽る類いのサービスでは有効だが、それは使途となる資金が余剰資金であったり、それこそ射幸性を煽っているからこそ有効なわけであって、生活資金を対象にするようなものでは効果的ではない。

 

例えば、野菜を例に考えてもわかるだろうが、人がそのスーパーで野菜を購入するかどうかは、人により判断基準は異なる。

 

ある人は単純に表示されている値段だけで決めるかもしれない。

またある人は大きさや重さという外見的情報で決めるかもしれない。

さらにはおいしそうという感覚や、鮮度を測る指標を自分なりに持っておりそれにより判断して決めるかもしれない。

 

それだけではなく、その時の他の購入手段との関係性も関わる。

例えば宅配サービスを使っている人であれば、そちらの配達内容とも調整が図られるし、そもそも野菜が高くなっている状況であれば、購入自体を行わないという可能性もある。

 

つまり、購入するという判断には、それだけ様々な条件や情報を加味した上で行われる決定であるという事だ。

 

射幸心を煽るものとの違いは単純で、あれらはお金を使うか、使わないかという、極論言えば2択を迫られているようなもので、他のゲームをやっているからであったり、今月は使い過ぎたからという理由で「使わない/購入しない」という選択肢はあるが、あくまでも判断自体はお金を使うか・使わないかの2択でしかなく、その判断に必要な情報は限りなく限定される。

せいぜい、今回のガチャのキャラやアイテムは僕には必要ないかな、という程度の情報は加味されるが、ガチャの場合、一定の課金する人間は、それすら判断しない事も多く、引くか、引かないかという判断のみをする事も少なくない。

 

生活品の購入はそういったものとは違い、買う事は限りなく必要である一方で、どこで、いくらで、どの程度買うか、という様々な条件を様々な情報と擦り合わせた上で行う行為であって、せいぜい冒頭に出てきた話は、その情報の一つになるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

確かに、多少の効果はある。

一部の人は、買い支えなければ、と思うかもしれないが、それが継続的にできるかという話でいえば別である。

 

そもそもそのスーパーで買う人が減った原因があるわけで、その原因が解消されない限りは長期的に見れば何ら解決しない問題であり、何れ撤退に追い込まれるわけで。

 

重要なのは、そもそも何故利用者が減ったのか、それは解決できる問題なのかという点で、それが根本的にビジネスとして成り立たないものであれば、結論から言えば、消費者が死ぬ気で支える覚悟を持たない限り、つまり市場価格の1.2倍や1.5倍であっても買い続けるような状況を集団で作り続ける事ができない限りは不可能。

 

この手の話は、おそらく真っ当な事業管理をする部門や担当者がいれば容易に理解できる事ではあるので、おそらく人も時間も現場としても、管理部門としてもたりない、それぐらい追い込まれているという事だろうなと。