何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

性差/個性がある以上、そもそも公平も平等も成立しない。結局は不平等を如何に消化するかという事。

女性は男女平等に扱われたいのか性差に配慮してほしいのかどっちなんだろう

"男性側の仕事をもっとホワイト方面に寄せていく"それは前提が少しずれてる。職種的に毛嫌いされたり、負担の大きい仕事は根本的にホワイトにはなり得ない。ぶっちゃけ完全な平等なんて僕は性差がある以上ないと思う

タイトルで終わってるけど、個人的には可能な限りの努力に過ぎなくて、ぶっちゃけ完全に公平な環境や平等な状況というのは不可能。

 

そもそも、男女云々どころか、同性同士であってすら不平等な状況や公平さのかけらもない状況等というのはあるわけで。で、それは改善すべきではあるが、全てが改善・解決できるかと言えば、それこそ不可能。

 

というか、男性と女性の性差が減っているとはいえ、それはそういった人もいるだけであって、全ての女性が男性と同じ扱いをされても困るだろうし、同様に、全ての男性が女性よりも肉体的に優位性があると思われても困るわけで。

 

結局は、誰であれ、何であれ、性差に限らず個性の差があるわけで、その差を理解する必要もあれば、配慮する必要もあり、それは確実に一定の不平等な状況を作り出す。

ここで大事なのはそれを「不平等である」と言われない状況・環境を作る事で、それを作る為には、むしろ性差や個性による差はあたり前にあるわけで、そういった状況を理解した上で、上手く組織として付き合いましょう、会社や仕事を回しましょう、という話になるべきかと。

 

結果として皆が荷物を少しずつ持つ事で、個々人の負担を軽くした上で、個々人の利益を最大化しましょうという事であり、少なくとも大抵の組織の構成員であれば、自分だけが絶対の利益を一方的に得ている(ようなやつは組織に大抵いらない)わけではないので、そういった環境を実現しても普通はそれ程不利益は起こらない。

 

例えば、子育て中の同僚がいたとして、ある時どうしても早く仕事を上がりたいが、どうしても夕方以降に対応すべき業務があり、それを代行してほしいと言われたとして、毎月数回程度それを代わってあげたとしても別に私の人生に大きな影響はないし、それ自体に不満も別にない。

ただ、当然だが、私はそういったお手伝いをしたわけで、その事は理解してほしいし、何処かで僕が困ったら助けてね、という事は理解してほしい。

こういった事を「手助けするのは当然だから」で済ませるのではなく、お互いに支え合うという構図にすべきで、そうならないとだいたい長くは続かない。

親子ですら現代において「無償の愛」なんてものは、一部のSNSのママ/パパ垢しか使わないわけで、それが他人同士であれば、全ての人が理解できる概念であるわけもない。

さらに言えば、今の時代、全ての人が子育てに関わるわけでもなければ、なんなら結婚すらしない人も多いわけで、皆理解できる環境なわけでもない。

前提条件が異なる事は双方理解すべきで、理解した上で、お互いが必要とする事や、可能な範囲で上手く立ち回りましょうという構図にすべきなんですよ。

 

とはいえ、まぁ、なかなか僕が助けて貰う事はないわけだけど、それはそれ。

いつか、どこかで、何かで困るかもしれないから、いつかの為の貯金程度で理解してもらえればいい。

と、こういった状況から見ればこちらだけが手を差し伸べているような話になるが、そのいつかは案外明日来るかもしれないし、実は自分が気づいていないだけで、僕が当然だと思っている事が、配慮された結果であるかもしれないわけで。

僕がそれに気づいていないのであれば僕はそれを知るべきだし、それに感謝すべきで、それこそが性差や個性による差があるという話と、実は不平等(誰かや何かが私に配慮してくれていた)の存在で、認識すべき事実なのかと。

それこそ自分も配慮されていた、優遇されていたと解れば、そもそも僕だけが手助けをしたわけではないので、お互い様よね、という話なわけで。

 

で、そういった環境を作る為には、いずれかの性が行うべき/負担すべき仕事というものは基本的には無くすべきで、それこそ主婦という概念は主夫と同じ理解であるべきだし、子育ては妻の仕事ではなく、夫婦であり家族の仕事であるべきだし、お金を稼ぐのも同様に夫の仕事ではなく、家族の役割として誰かが担うべき仕事であるべきで、性により何かしらの役割を固定すべきではない。

 

それぞれがそれぞれの担う仕事を尊重すべきで、それが全て。

 

結局会社の中だろうが、家族の中だろうが、夫婦の中だろうが、なんであれば誰がどの役割をするのか、それはどの程度の負担なのかという事をお互いに理解しあうという必要があり、それをした上で、ではその負担をどうやって改善しましょうか、という事にすぎない。

 

また、この手の話題で、だったら男も出産すればいいという謎な話を出してくる人がいるが、そういった(少なくとも現時点に於いては)解決できない問題を話題にする人というのは、この手の問題を解決するつもりのない人なので相手にする必要はない。

女性が出産をするという負担を一手に担っているのは事実であって、それは避けようもない事実。それを別な役割と入れ替える事はできないし、その事実から少なくとも現代においては逃げる事はできない。

 

男性はその話をされても何も意見を述べる事はできないし「そうですね」以外に何も述べる事もない。

なぜなら現代に於いては男性は出産する事はできないので。

 

できない問題やできない課題を例示にするというには、議論においては解決する意思がない事を表明しているわけであり、話は断絶する。

 

断絶するというのは、対話を拒否するという事であり、つまりはそういった性差や個性の違いによる問題と向き合う気がないという事で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

結局のところそういった無理なネタを持ち出す人というのは、こういった問題にたいして「知るか馬鹿」といっているわけだから、そんな人を相手にする必要はない。

冷静に考えて、そんな事を実社会で発言すば、普通にヤバい奴認定されるだけであり、その程度の意見に過ぎないわけで、それすら理解できていないわけだから。

 

繰り返すが、この手の問題は、性差や個性による差がある事を認める事からはじまるわけで、それを「人は皆平等であり公平である」等と、神のような教えを説くところから始めるべきではない。

そして同様に「子供を生んでから言え」のような、難癖を付けて対話を断絶させたり、意図的に対立を演出するような迷惑行為もするべきではない。

 

男女問わず差があるのが当たり前で、それは現実として全ての人に存在する長所と短所であるわけで、それを以下に社会として埋めるのか、埋める時に生じる不平等を如何に社会として納得していくのかという事が全てで、不都合な現実と向かいながら進めるのがこの手の問題の本質であって、現場でこの手の話題に触れる人間であれば大凡全ての人が理解している話である。

 

都合のよい部分や、何となく小綺麗な部分だけを話題にしていては、いつまでたっても老人達のやってきた事と同じで、前にも進まないどころか、より一層不平等で働き辛くなるだけかと。

 

それこそ、考え方や認識についてのアップデートが必要かと。