何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

双方コミュニケーション能力が欠如していただけではないのか?

 

婚活で紹介された猫飼い男性に猫アレルギーである旨を伝えたら男性が「猫は捨てます」と言ってきたので食事代を置いて帰った→賛否両論 - Togetter

動物を安易にすてる、と思っている人もいるかもしれないが、それはわからないよね。彼にすると、その出会いが何よりも大事だったかもしれない。情報がないと言う事はつまりはわからないという事に過ぎない。それだけ

 

唯一わかる事は、双方にとって、この出会いが成立しないという事はよかったのだろうと思えることですかね。

 

結婚にかぎらず、人と人が一緒に過ごすというのは、究極の話し、異文化コミュニケーションを常に続け、その中の違いを如何に擦り合わせるかという事の繰り返しでしかありません。

 

これは、親、兄弟、パートナー、友人、なんでも同じで、違うのは当たり前というところからスタートして、その上で、違うという事は理解することが単純ではない、一言の「はい」という肯定と受け取りがちの返事が、本当に肯定の意味での返信なのか、それともそれは消極的なものではなかったのかなど、一つのやり取りであっても、色々と配慮が必要なもので、それほど単純ではない。

 

「では捨てます」

 

この一言だけで、全ての背景、行動を理解することはできないし、ましてやどうしてそうなったのかも理解はできない。

 

もしかすると凄く大きな決断だったかもしれないし、いやいや、安易な判断だったかもしれない。

一方で「猫好き」に「猫アレルギーなんです」という事を告げることもまた同様に、何が正解になるのかわからないような気もするものの、ではそれを隠す事に意味があるかと言えば、それも誠実さも将来的を見据えた場合も正しくはなさそうだ。

 

結局、このどうしようもないやり取りから見えてくることは、二人のコミュニケーション方法では、この二人に未来はなさそうだという事に過ぎない。

 

夫婦や恋人なんてものの関係は、どちらか一方だけの柔軟性だけではどのみち成立しない。

 

大抵の場合、片方が折れ続けているように見えても、実際は、そうでない部分で相手も折れている事は多く、そのバランスが著しく崩れれば、そのストレスから離婚や別れという選択に至るに過ぎない。

 

この二人はそれ以前の段階で躓いたに過ぎず、それは二人のコミュニケーション能力では彼らのギャップを埋められない事を証明しただけに過ぎず、人間性を批判する為の情報なんて存在しないし、する必要もない。

 

あえて批判するならば、理解に苦しむ程度の説明しかしなかった側も、その状況で状況を理解するだけのコミュニケーションが図れなかった側も双方改善が必要であろうと言う程度の話しに過ぎない。

 

そもそも婚活というのは、そういったものを含めパートナーとなれる相手を探す場なわけで。

 

それ以上でも、それ以下でもないが、ただ、この程度の断片的な情報で、相手の人格を否定するというのは、中々DVの素質が見え隠れするという所だけは明記しておきたいと思います。