★ゆとり教育について 池上:ゆとり教育ってよくいわれるでしょ。円周率を..
論点ずれてるよね。指導方法や環境も進んでいるわけで過去の問題が今と比較してどうであるかという事以外これじゃわからんよ。問題はその進歩した社会の中で競争しないといけない現実と遅れている問題なわけで…
2014/11/26 17:32
よんだ。
それね。
まず、教育とその影響は時代背景や社会等いろいろなものに影響をうけます。
また、その結果培われる知識であったり経験も当然さまざまな影響をうけますので、一概に教育の内容によってその後の運命が定まるものでもありません。
一方で、残念な事に、昔の日本と比べると今の若者は非常に厳しい競争にさらされる事はほぼ確定しています。
それは、私たちが小さい頃はまだまだ外国人との接点はせいぜい学校や地域に数人いるかいないか(地域によりますが)程度で、やはり都市部以外の多くの地域ではなかなか接点はなく、それらとの競争というものを意識することはそれほどありませんでした。
もっとも、親が商社勤めであったり海外勤務であったりすると別ですが
しかし、今はどうでしょうか。
地方における地域内での外国人の居住はそれほどでもないかもしれませんが、その一方で、社会における外国人労働者や外国人居住者、訪日外国人旅行者等との接点は昔の比ではありません。
さらに難しいのは、労働人口の減少により、今後さらに外国人労働者が国内に流入する点と、昨今指摘が行われているアジア内での日本人の学力レベルの低下という問題です。
日本は格差が酷いという人もいますが、正直世界の中でいう格差と日本の中でいう格差は次元が違います。
これは「容認せよ」という事ではなく、その格差が影響を及ぼしているものが比較にならないほど著しいものであるという事です。
そしてその競争は既に国内でのみ行われるものでもなく、一部では既に外国人の新卒者との間での競争も始まっているのが現実です。
昔の人達の学力レベルよりも高ければ、それらの人よりもよりよい生活がおくれるわけでもないわけで、戦うべきは、まずは同世代であり、さらには前の世代との戦いもでてくるのがこの社会です。
技術にかぎらず、「革新」であったり「進歩」というものはあるもので、英語教育もその一つだと思います。
環境の変化に適応していくこととや、就学環境の改善による学力の向上は否定できないわけで、それを無視して単純に学力が云々というのはあまりにも愚かすぎです。
それがわからないというのであればそれこそ「ゆとり」とばれる何かだと思いますよ。