何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

Aniplexの博打は吉と出るか凶とでるか。

※末尾に追記あり

 

今週末から話題の映画の公開が始まります。

多くの映画がスケジュールを変更する中で、この状況でも変わらずに配信する事を決定しています。

東京都については一部の映画館が今週末は営業自粛を行う事としており、それ以降については状況を見て、という事になりそうです。

 

個人的には自粛要請である以上、個人も民間事業者もそれに従わなければならない道理はありませんが、K-1ですら「たった」6500人程度を集めただけであれだけ批判されたわけで、映画館全体で言えば、箱にもよるわけだがそれを超える人数を複数日数にわたって集めるという状況について我々は肯定できるのだろうかと。

 

個々人が、例えば「個人旅行などこの時期に行くなどとどうかしている」であったり、「こんな時期に身勝手な振る舞いをするなど信じられない」であったり、K-1に限らず音楽イベントやオリンピック関連行事、政府や自治体の広報事務のあり方を含めそれぞれ批判や不満を口にしているのが現状でしょう。

 

私は結果としてこの映画の当面の視聴は見送る事としており、妻ともその事は話し合ったわけですが、皆さんはどうするのかなと。

 

いざ自分が行動を選択するとなった時に、自分は別、という事とするのか、それとも自分も自由に行動するし、皆も自由に行動すればいい、とできるのか。

 

私は自分が行かない事を決断したとしても、別に他の人がそれを選択しない事は特に問題ありませんし、そもそもそんな権利もありませんからどうでもいいのですが、唯一は政府も自治体も個人も方針や意見がブレブレなのは勘弁して欲しいという事です。

 

自粛を求めるなら自分も自粛すべきで、政府が民間に自粛を求めたわけであれば限りなく政府系のイベントであったオリンピック関連行事も自粛すべきだった、当然ですが東京マラソンも自粛すべきだった。それらが実行された後(後の予定の一部は結果として中止になりましたがそれは消極的決断に過ぎません)になってこのような状況なので、というのは流石にブレブレ過ぎかと。

 

同じく、個人の方が海外に渡航される事を批判するのであれば、それが国内であろうが、海外であろうが娯楽によるものであれば同様に控えるべきであろうという話しであって、海外だからダメ、国内であればいい等という自分ルールを行使すべきでは無いと思う。

 

私が感じるのは、危機であったり、リスクと直面したときに、自分の中の一つの軸のようなものをしっかりともてるのかどうかというのは、ある意味自分自身を試す一つの試練なのだろうと思う今日この頃です。

 

<追記>

下記のとおりAniplexは博打を打ちませんでした。

という事で、結果として博打を打つことになったのはProductionI.G&東宝のタッグのみとなりました。

皮肉にも率先して週末の首都圏映画館の営業中止を打ち出した東宝グループが異なる形で博打を打つという結果になりました。

給与ファクタリングと給与前払いは別物ですよ

やまもといちろう 公式ブログ - 「給料前借り」二者間ファクタリングが無事に貸金業認定されて要登録になる - Powered by LINE

グレーゾーン解消制度による金融庁の一昨年の回答では『貸金業に該当しない』と回答してるっぽい。条件付きだけど。 https://www.meti.go.jp/policy/jigyou_saisei/kyousouryoku_kyouka/shinjigyo-kaitakuseidosuishin/press/181220_press.pdf

2020/03/08 10:00

 

これは間違いかと。

 

経産省の話はこれはいわゆる給与前払いサービスと呼ばれるもので、昔から企業自身が行っていたものを第三者が介入する形でサービスとして行われるようになったものです。

会社自身で給与支給日以外に給与を支払う事はないの(求められれば支払う義務があるものの、実態として通常法律の下限である最低限毎月1度の支払いのみ行われているのが実情)ですが、一部の業種では昔から前貸しや前払い、一部日当払いのような形で行ったいたわけですが、最近では日雇いバイトの需要や共働き世帯の増加等で一定の柔軟な支払い方法が広く求められるようになった結果、15年ほど前だったと思うのですが、元々は銀行系が始めたサービスでした。それが独立系企業が類似サービス(従前の銀行系の仕組みはいくつかの銀行が特許を持っており、同じ仕組みではサービスの提供が行えない為)を提供するようになり、その後爆発的に増えた事業で、その事についていわゆる直接払いの原則と、全額払いの原則についての問題がないかの確認で、その点については問題ないとしているものです。

 

一方で、2者間ファクタリングについての話は、まったく異なり、従業員個人が債権買取事業者に対して申込を行い、その信用力(与信)によって一定の手形を発行し、その債権を買い取るものです。

この時、債権である一方で、前提として売主の買取を前提として発行し、そのディスカウント率がいわゆる「利息」であろうとされるわけです。そうなると買取の都度30%等というディスカウント率を設定された場合、実際の買取までの日数で割り戻すと明らかに制限を超えていると解釈されたものです。

 

そもそもの話、これ、昔からアウトである事は明らかだったんですが、むしろなぜこれがセーフであると考えたのか謎です。

恐らく金融知識を持つ人であればだれでも「そこまでやってしまえばアウト」と理解している話で、逆を言えば「ここまでで止めておけばセーフ」という事も明らかです。

 

なお、前者の話としては実はいろいろな金融事業者が経産省金融庁(なお、正しくは財務局)だけでなく、労働局等にも細かく確認を取っており、何れも問題ない(ただし、所定の仕組みや手続きを踏む限り)としているので、現状はグレーゾーンではありません。

もっとも、今後法改正等があれば別ですが、恐らく私が聞き及んでいる限りでは各社細かく整理しているので法改正があれば普通の事業者はそれに対応すると思われますのでグレーゾーンで争う事業者は少ないかと。

 

という事で、給与ファクタリングと給与前払いは別物という話でした。

 

(追記/修正)

勢いあまってブコメと同じく「金融庁」と書きましたが、あれは経産省の回答であるとの認識です。

なお、私が知る限り、給与前払いサービスを提供する事業者は財務局(金融庁管轄)にも合わせて確認を取っているという事もうかがっていますので、恐らく、経産省、財務局、そして労働局に対してそれぞれヒアリングや質問を行っているものと思われます。 

そもそも大半の人間は楽隠居なんてできない

 

タクシーの運転手が「昔、アニメの監督をしてたんですよ」と言うので名前を聞いたら『名探偵ホームズ』『ルパン三世』『ガンバの冒険』の御厨恭輔監督だった - Togetter

議論の意図も趣旨も全くわからんのだが、人が生きる上で、仮に金銭的事情であっても、個人的趣向であっても、セカンド、サードのキャリアを考えるのは普通では?経緯が不明なので議論すらできないが、論旨がさっぱり

2020/03/08 00:21

 

前提として金銭的事情でやむを得ずタクシー運転手となったとして、それが異常であるかというとなんとも言えない。

 

いや、業界の構造の歪さはあるとは思うが、ただ、年齢を重ねた社会人が昔とは違い、楽隠居できるような世界はそもそもどこにもない。

 

恐らく普通のサラリーマンでさえ、定年まで同じ会社で、右肩上がりの給与をもらい続ける事ができるなどという事はほぼあり得なくて、大抵はどこかで転職やリストラ、仮に続けることができても何らかの配置換えというのが普通で、役員や一定の役職を得て、良い給与をもらうなどというのは一握り、いや指折り数える事ができるほどでしかないと思う。

 

これは、本人に過失がなくてもそうなる話であって、年功序列型の社会体制が崩壊した日本では社会人になるときにある意味それぞれが自分の人生、キャリアを個々人で描かなければないらないわけで、いたって普通の事だと思う。

 

ある分野で頂に立ったことがある人がいたとして、それは結果であってそれ以上でもそれ以下でもない。昨年の営業実績がトップであったとしても、それは昨年の実績であって、今年は今年、来年は来年、そんなものだと思う。

 

営業職だって、技術職だって、経験や実績を積み上げているわけで、結果としてそれが通じない、又は時代が求めるモノとの乖離があるようであれば、それは若手に地位を奪われる事もある。

 

そしてその後、若手の稼ぎでそういった人を食わせるべきというのは、それは年功序列型の考えなわけだけど、それはもうすでに崩壊しているわけで。

 

実際のところなぜタクシー運転手をされていたのかはわからないが、仮にそれがどのような理由であれ、そういった事実があった、という事なのではないか、それ以上でもそれ以下でもないのではないか、と、思うのだが。

東大側は徹頭徹尾「個人の行動や問題を学内に持ち込むな」という話をしていたかと

 

エミコヤマ on Twitter: "シアトル近郊のベルビューカレッジに昨年設置された日系アメリカ人アーティストによる日系人強制収容についての展示の一部が大学の副学長によって消された。 https://t.co/EWXwQjRyzk 消されたのはベルビューの街の発展に… https://t.co/gnv0qUP5Wb"

某准教授の話を出して議論している人がいるが、あれはそもそも東大という活動の中で生じた話ではなく、ご本人が個人として行っている事業においての話が東大に飛び火しただけであり、本件とはだいぶ様相が違うのだが

 

あれはそもそも某准教授が「自分はそういった人を採用しない」という差別的な行動や考えを持っている事を個人のTwitterで発信していたわけであって、本来東大が責任を負うべき話ではない。

 

ただ、東大としてはそういった差別的な行動や考えを持つ人間を特任とはいえ准教授という立場に置くのか?という議論となった為、最初の段階として個人の行動と准教授としての行動を明確にわけるようにと指導したものの、本人の見解、東大側の見解に違いはあるものの、東大側としては個人の活動と准教授としての活動の区分けが正しく行われていないのでそれであれば大学内への立ち入りを禁じるというお達しをだしたわけで。

 

仮にあれが彼が受け持つ講座内で教育の一環として行われおり、東大の活動や行動としての問題であれば監督責任者として東大の誰かが処分される事も必要だと思うが、そもそも冒頭でも述べたようにあれは准教授が個人で営んでいる事業においての行動なので、東大としては准教授としての任を解くであったり、東大内での活動を禁じる程度しかできない。

 

寧ろその枠を超えて東大が圧力や実力行使にでていればそれこそ問題なわけで。

 

という話で、あの件で東大内の誰かが責任を負うべきというのは流石に無理筋。

日本人の典型的な議論の進め方がここにある

 

安倍首相の答弁は正しく、バカなのは増田とブクマカのほう

「なぜ新感染症に指定しなかったのか」を問う必要があったとしてそれは別に現状適用できない事の事実に影響は与えないでしょ。過去の事象有無によって今の事実を変えるとか流石にありえない。そこは冷静に議論すべき

 

スレ冒頭からの脈略は無視しているけど、結局、現状の適用に有無についての議論は本件記事や他の記事で言及されている話しで結論はでている。

 

当然、それは「なぜ新感染症に指定しなかったのか」という議論をするな、という話しではないものの「なぜ適用できないのか」という議論とは別な話に過ぎない。

 

この手の議論が発散するケースは日本では本当に多い。

 

当然、ある事柄について具体的事実が明らかになり、且つ、そこに問題があり改善や解決が必要ならば、それはそれとして個別に対応すべき話しで、既に存在する事象や事実が変わる事はない。

 

この前提条件を崩したり、共通の認識や認知を歪めるというのは議論がまとまらない、収束しない一番の原因で、日本のミーティングや会議で迷走する原因の一つ。

 

別に間違った事実が存在していたとして、それが事実であってもそれは仕方ない。

当然そういった決定をした事が問題であればそれを議論すればよいわけで、正誤や是非を事実から客観的に判断した事について批判をすれば、もう、批判をする事、否定をする事が目的になってしまうわけで、それは議論でもなんでもない。

 

ただの罵倒合戦でしかないよ。

完璧にできるならそりゃやるでしょうね

 

岩田 健太郎先生の動画(コメント欄にリンク)を拝見して、まあ、「岩田先生らしいなぁ」と思いつつ、あまり気にしていなかったんですが、しっかり炎上しているようです。 岩田先生をご存じない方々には、ちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。ただ、下船していく乗客の方々、現場で頑張っている方々を追い詰めかねない内容なので、事実は事実と認めつつも、動画のなかに登場する当事者として、勘違いされていること、抜けているところは修正させていただきたいと思います。 >1日で追い出されてしまいました。 事実です。正確には、

"「現場は頑張ってるのに正論ばかり言うな」ってお気持ち表明と、実態として感染症対策のセオリーが実施できていないことの白状"いや違うでしょ。ちゃんとやってるよ、レッド/グリーンもわかれてるよ、とかいてある

 

これね。

僕は、指摘があったことは別に良かったのでは(やり方は良くなかったと思うが)と思うが、それと同時に「現実は理論通りにはいかないだろうな」という考え方です。

 

当然、完璧に理想通りにできるなら100%、なんなら120%を目指すべきだし、さらにより万全にと常に改善と完璧を目指して欲しいのは当然ですが、その話しは「担当者で解決できる限界を理解した上で議論すべき話し」であるわけです。

 

私が以前やっていた仕事で言えば、GISと呼ばれるクソ高いシステムをまだスマホがない時代に触っていたわけですが、それで経路探索と行動計画をシミュレートする仕組みを作っていたわけです、イメージとしては、構内に火災のような災害が発生した場合に、どの拠点からどの機器をどのような経路で現場に移動させ、どのように行動すれば安全に対応できるか、みたいなものです。

 

で、当然ですが、安全管理において、批難経路を複数確保であったり、活動拠点として選定される場所は云々かんぬんと規定やルールはあるわけですが、当然様々なケースを例としてテストをすると全てを満たす事は難しいわけです。

 

例えば、構内で古い設備がある場所ですと、そもそも行き止まりのような箇所はあり、それがずっと奥まで続くような地形ですと消化設備や機材の配置上、どうしても一定の距離複数経路の確保ができない状況で拠点検討をする必要がでてきます。

 

当然「無理だから消化を諦めろ」という選択肢もあるわけですが、そんな選択はありませんし「いや、建物を破壊すれば複数経路ができるだろ?」などと言う人もいるかもしれませな、簡単に建物を破壊するなど許可がおりるわけもなく、現実解としては「安全を確保でき、且つ、退避可能な地点までは進む事を許容する」見たいな運用ルールが作られるわけです。

 

そんな簡単にいわれても当時の情報システムの処理レベルで莫大な情報をリアルタイム処理するなんてできませんでしたから、そうなるとシステムというよりもリスクがあるエリア毎の運用ルールを作るという方法で回避せざるを得ないわけです。

 

これはつまり「決められたレベルを確保できない」わけではあるわけですが、「解決すべき事象」と「それを解決しない結果に起きるリスク(物的、人的損失)」を客観的に評価し、特に人命が掛かる場合は発生するリスクを最小化した上で、可能な範囲で「努力」する事が必要になるわけです。

 

ここで「完璧でなければならない」とするならば、まずは建物の建て替えや、設備の再配置(工場の解体、移設による新たな経路の確保等)を目指す事になるわけですが、その期間中に災害のリスクがゼロになるわけでもありません。結局、その工事自体が一定のエリアを対象に行う関係から、工期中のリスクは下がらず、その点も含め、期間中の対応策という事を考え、実践する事になるわけです(というか、そもそも工事を行う場合、それがどのみち必要になりますからね)。

 

つまり、完璧を目指さないわけではないが、かと言って「完璧でないならやるな」という選択肢がとれるのか、とれないのかという判断が必要で、おそらく「船舶」という特殊な環境であれば、必ずしもエリアを分ける事が可能とは限らない事もあるのだとは思います(水回りを含め、船舶は設計上代案に限界があるので)。

 

且つ、世論は好き勝手いいますが、上陸をおいそれと許可すればそれこそ大変な事です。

 

となると、結局はどのラインは超えてはならないのか、そのモニタリングはどうするのか、等と最善の中で人命をどうやって救うべきなのか、という事を検討し、一つずつ実践するしかないわけです。

 

また、政府を批判するのは良いですが、記事にあるように「専門家はいなかった」などと軽々しく言うべきではありません。

 

専門家がいることと、専門家の知識が発揮できる事は別物です。

 

当然「発揮できない状況」は問題があるわけですが、仮に発揮できる裁量権を与えたとしても、環境がそれを許さないケースもあります。

 

我々が情報と接するときは、Aの意見はAの意見として客観的に見つめるし、Bの意見はBの意見として客観的に見つめる必要があります。

 

私は問題がなかったとは思いませんが、それは誰が入っても解決できない問題はあったのであろうとも思っています。

 

それを理解する事は、別に政府の不手際を肯定するというわけではありません。

 

所詮は政府などというのは、あれをやれ、これをやれというだけであって、あとは医療関係者や自衛隊、その他臨時のスタッフ等、そういった現場の方が必死になっているわけであって、政府を批判したいが為に、それにそう意見だけを盲目的に信じ、それをネタにするというのは私は流石に横暴過ぎると感じますね。

 

完璧では無かったことはそうであろうと思いますが、それであっても「完璧でないならやらない」という選択肢がなかったという点は少なくとも理解するべきですし、私たちひとりひとりだって「完璧で無ければ死ね」等と言われても困りますから。

 

非常時で、単純な比較はできないとしても、そういった考え方は大事ではないかと思うのですが。

古臭い考え

 

「結婚できない女」と「結婚できない男」、その決定的な違いについて(アルテイシア) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

このネタもう何度目なんだろう。男性には努力が足りない、スキルが足りない、考え方が古い、気が利かない、あれやこれや仰るのだが、それと等価の何かを女性はもたらすのだろうか?この手の話はほぼ全て一方的過ぎる

 

余りにも古臭い。

 

そもそも「男性は」とか「女性は」なんてどうでもいいかと。

 

自分が何を与えられるのか、ただそれだけでしょ。

分かりやすい「お金」というものですら、昔とは違い今はどちらが稼ぐのか、二人で稼ぐのか、稼いだお金はどうやって管理するのか等、何一つ他人と同じにする必要もないし、全て自由だ。

 

それを、あれはこうするべき、こうしないからよくない、だからダメ。

 

何時代だよ。

 

力が強い女性もいれば、気が利く男性だっている。

今はもう令和の時代で、その人の個性と自分の個性の相性が良ければ結婚すればいいし、そうでなければ結婚しなければいいだけの事。

 

結婚する相手が見つからないは誰のせいでもない。

単純に結婚を希望する者双方、そういった集団の問題であって、せいぜい我々は邪魔をしない事しかできない。

 

それを「男はこうすべき」「女はこうあるべき」とか古臭くて吐き気がする。

 

自分にできることは自分がどうするか、だけであって、相手が与えてくれるかどうかは相手次第。

与えてくれない相手が悪いと思うのは自由だが、その程度の関係すら培う努力ができないのであれば、到底結婚とか同棲とか無理でしょ。

 

相手の機嫌が悪い時もあれば、体調が悪い時もあるし、うまくかみ合わない時もある。そんなときでも折り合いを付けながら上手に付き合うのが夫婦であって、相手にばかり求めるのは明らかに異常。

 

そういった人は結婚すべきではないし、そういった意味では選別されているのだとは思うが。