何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

被害届けは逮捕するためではなく、調査する為にだすもの

 

表現の不自由展に脅迫ファクス送った疑い、会社員を逮捕 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

いや、単純に被害届けを正式に出していない状況で、口頭説明のみで逮捕云々の話はできなかっただけでしょ。実際6日に被害届けの提出で、7日に逮捕が実現している。つか、この関係者、本当に普通に対応しようよ・・・

 

いや、普通に被害届けを出していないと一定以上の調査も判断もできんでしょ。

むしろ普段は警察が勝手に動いたり、拡大解釈したりすることについてはてな界隈は五月蠅いわけで、さすがにそれはおかしいでしょ。

 

そもそも発信元云々の開示請求自体が捜査上でしかできないし、事件化されてもいないのに一方的に企業に対して「情報開示しろ」とか「防犯カメラの映像を提供しろ」とはいえんよ。

 

まぁ、カメラ映像は協力という形で提出を求める場合や、実際に率先して提供するケース(直接的な被害がなくとも、治安等に不安がある場合に任意で協力する)はあるが、とはいえ、コンビニ店員が勝手にだすわけにもいかんでしょ。

 

むしろ今回のケース6日に提出された被害届けに対して、7日には逮捕しているわけで、そうとう早い対応だと思うし、そこを否定する理由はないでしょ。

 

むしろ僕からすると、そもそも被害届けは逮捕の可能性があろうがなかろうが、被害の事実があるのであればその時点で提出すべき話しで、で、提出する時に具体的な段取りの説明があるはずです。なので、相談程度の段階ではあくまでも相談主の説明した範疇でしか判断できないし、仮に具体的な番号が明らかにされていても、それだけ逮捕できるとは限らないわけで。

 

なので、少なくとも被害届けが出た後に警察が捜査しなかったなら批判されるべきは警察だが、被害届けが出されてからは少なくとも迅速に対応している時点で、警察が批判されるいわれは今回に限ってはない。

 

これを批判するという事は、今後日本では警察は具体的な手続きを経ずとも勝手に警察の意思で操作、証拠の差し押さえ、逮捕等を行ってかまわないと認めるようなものであって、そんな世の中はまっぴらごめんです。

 

警察はあくまでも我々からの依頼や具体的な手続き、ルールに則って動くべきであり、勝手に動くなというのが基本にあるべきです。

 

少なくとも私はそう思うけどね。

伝える努力をする事を怠るのはダメ

 

生理中の姉の血みどろの姿を見た弟氏の反応が将来有望→男性側からの意見が集まる「みんな隠すの上手すぎる」「殺人事件みたいだった」 - Togetter

これ理解を相手に求める事を前提にするのはもう令和なので辞めよう。生理の重さや辛さは個人差が大きい。全てなんでも同等に求めるのは個性の消失だし、重い人、軽い人それぞれ状況に応じた対応が必要。それが大事。

 

相手が言わずとも理解してくれるというのを前提にするのは、所謂古い世代の人が「言われなくても理解しろ」とか「空気を読め」とか「見て覚えろ」とか、そういった非合理的で非生産的なものに過ぎません。

 

そもそも私が知る限り、生理の辛さ、重さは女性同士でも安易に推測で動く、話すというのは難しいほど、個人差があります。

 

一般的に辛いと言われる生理ですが、辛くない人もいるわけで、実際産婦人科に行けばわかりますが、個人差はあれど動けない程辛いとか、出血が想定以上であるというのは、実は普通ではなく、ちゃんと産婦人科で診察を受ける必要があります。

 

実際私の妻がそうでしたし、診断を受け適切な知識と処方を受ける事である程度軽減されることもあります。

 

こういった事は、当事者でも全ての知識や理解ができるわけではないし、同性同士であっても個人差や知識差、行動力あらゆる面で差がでますから、自分が知っている事、理解を前提に相手を評価する事は適切ではありませんし、それが異性になれば尚更です。

 

冒頭に述べたように昔は「知らない奴が悪」のような体育会系のノリが許された時代でしたが、今はそんな時代ではありません。

 

私たちは同性であっても個人差があるし、性別だけが差の原因ではありません。

結局はお互いがお互いの事を理解できるようにちゃんと話し合って、その上で自分達二人の関係においてどうするか、どうすることが望ましいのか、そういった事をちゃんと話し合うことが大事です。

 

今、SNSのようなもので「私の夫はこんな事をやってくれて最高です」という記事を見ると、いつの間にか「わかってくれない私の夫は最低」という意味不明な評価であったり、逆に「あんなに出来る妻は良い妻」と評価する人がいると、「私の妻はなにもしてくれない鬼嫁です」という人もいます。

 

でも実際はそれぞれの環境、関係、条件は全てことなるわけで、さらにはそこに至るまでにどの程度努力したのか、個性のある二人が二人の将来のためにどれだけ話し合えたのか、そういった事が尽くされれば、本来は他人の結果によって自分達の結果を評価するなど無意味な事がよくわかるはずです。

 

ネットを参考にする事も良い事だし、異なる環境に置かれた人のリアクションを参考にすることも良い事です。

ですが、それを前提に全ての人が全て同じ事ができるとするのは傲慢だし、それは男性が女性に求める事も、女性が男性に求める事も、どちらも同じように傲慢な話しです。

 

男性には女性の事をよく理解できる人もいるし、実際は理解しているように見えて、ただの上っ面だけの人もいます。

逆に理解はないものの、それを理解しようと努力する人や、実際にその努力の結果見違えるように対応が改善する人もいます。

 

問題なのは二人で自分達にあった取り組み方をちゃんと見つけられるか、そういった共同作業をできるのか、その点に過ぎません。

 

当然、伝えられなくてもわかってよ、という話しはあるでしょうが、それはあくまでもそういった事を得意としている相手に対してのみ求めるべき事です。

 

会社や社会の中で「それぐらい感じ取ってやってよ」などといえば、大抵はパワハラモラハラの類いになるわけであって、そんな事を当然であるなとどいうのは家庭の中でも許されません。

 

唯一二人がそこに至るまで十分にコミュニケーションを図った結果、どの程度の事を伝えれば、そこから先は理解してくれるのか、そういった二人の関係を二人で築き上げる事ができた人だけが、そういった事を自然に行う事ができるわけであり、万人がそういった関係を築けるわけではありません。

 

結局、そこに至るにしても自分達の関係、個性にあった伝え方、つまりは伝える努力をする事が必要なのであって、その努力を怠るような人は、相手が変わっても恐らくは何かしら一方的な関係を求める結果となり、問題が尽きない関係になってしまうのだろうなと感じます。

 

こういった記事を見る都度、そういった努力を怠ってはいけないし、そういった努力を怠る事を平然と当然の事のように話すような人間にはならないように自分を顧みなければならないなと思います。

やっとこさ表に情報がではじめた

なに、とは言わないし、どれ、とも言わないけど。

やっと表に情報がでてきましたね。

 

まぁ、事情はいろいろ有るんだけど、神はお許しにならなかった、という事。

 

今後の対応もいろいろあるわけだけど、関係者各位におかれましては、引き続き誠心誠意努力いただければと思います。

 

そして私のところに余計な仕事が舞い込まないよう、最大限の努力をして下さい。

野党に投票しても別に自民全否定ではない

 

森哲平 on Twitter: "自民党でいい、と言う人と話をすると、毎回、おもしろいくらい、「民主党www」って話しかしない。「公文書改竄についてはどうですか?」「民主党www」。「増税でまた経済沈むんですが」「民主党www」。"

まずそういった意見を持つ人が大半であると思い込んでいる事が野党があの程度の自民党に勝てない原因。どう考えても与党にはつけいる隙があるにも関わらず、論点も整理できず、失点の批判しかしていない時点で同じ。

 

私は今回野党に投票したわけですが、その私から見ても、野党ですらクソでしかないと感じるのが今の政治であるというのが結論でしかない。

 

現実問題、私は統計不正問題は自分の仕事にも直結する話しである上に、そこは聖域として政治や状況に流されないものにしなければならないという思いがあるので、少なくともその1点においては自民党は全てのポイントを上回る勢いでマイナスがついた。

 

結果として今回も自民党には投票していない。

 

だが、だからといって自民党が全ての面でクソであるとは思わない。

同様に、投票した先の野党ですら私の1票に見合うだけの実績も公約もない。

 

それでも選挙は行われるし、私は何らかの形で意思を示す必要がある。

 

投票とは全権同意によるものではない。

全権委任と全権同意は全く別物だ。

(最もそもそも全権委任ですらやっているわけではないが)

 

そもそも今の政治には、与党も野党もビジョンがない。

与党の方がビジョンは掲げているが、そもそものビジョンがやらかしているので、ビジョン自体に価値がない。

野党については本質的な意味で言えばビジョンは掲げていないので、ほぼ自民に対してどういう考えであるかでしかない。

 

私は自民党の政策に対して反対か賛成かなどという話しに興味は無い。

 

これから先の社会をどのように変えるのか。

何を変えるのか、なぜ変えるのか、どうやって変えるのか。

 

その点以外に一切の興味は無い。

そういった視点でみると、実はれいわあたりは興味深い対象にはなる。

もっとも、そういったところには投票していないが。

 

結局、れいわもN国も投票する人間がいるという事について否定するのは簡単だが、よくよく調べて見ればよほど与党や多くの野党よりも具体的なものを提示している。

(但し、話しはある程度夢見がちであったり、空想物も入っている)

 

逆に問えば、与党も野党も母体が大きいという事を除けば、より具体的に何を実現するのかという点についてはさっぱり語れていないし、語っているのも「それ社会福祉とか当たり前で程度の差だけじゃないの?」というものでしかない。

 

そういったものをそぎ落とすと、せいぜい残るのは「自民党は頑張ってる」「自民党から政権を奪うべき」であったり、「消費税は10%にすべき」「消費税を10%にするなんてとんでもない」のような、非常にどうでもよいレベルの話ししか残らない。

 

極論言えば、消費税が10%であっても20%であっても何ら問題はない。

その分自分に十分な恩恵があれば良いわけであって、それがない事が問題なのだ。

そう考えると、消費税の税率そのものを議論する事は、せいぜい消費に対するインパクト程度の話しでしかなく、パーセントの議論をする事に意味など無い。

 

下げるか下げないかではないんだよ。

 

例えば、N国が提言しているNHK問題も同様で、そもそも公共放送の是非を本来解く必要などない。

 

問題なのは公共放送が提供している価値に対して無駄にコストが高いという点や、公共放送であるにも関わらず、国民の管理下にないことが問題であって、別にスクランブル放送にするかどうかが論点では本来ない。

 

兎に角、選挙において何処が勝った、どこが負けたを論じる人というのは、基本的には

政治に関心が薄く、本当の意味で政治に危機感や責任感を感じている人ではない。

 

そういった人であれば、大抵は今回の選挙はクソだと、どこの政党もクソだと、もっと真面目にやれと、そういった意見になるべきであって、与党や野党がなどという話しに終始するレベルではない。

 

このようなクソな状態が続く限り、おそらくは今後もれいわやN国のような勢力があきらかに数を増やすだろうし、一方で、旧来の自民支持層は固く、単純に野党が自壊するだけで終わると思われる。

 

本当に本気でやれ。

やる気がないなら政治家にも、政治評論家にもなるなよ。

「最後のシーン、泣きそうになったんだけど、泣けなかった」が真実だと思う

 

感想『天気の子』 新海作品史上最も難解で恐ろしい作品 - LOGのハウス

監督のYahooでの事前インタビュー(若干ネタバレ)を踏まえると、異常が当たり前、自分の正しさと他人の正しさの違いそういった矛盾ですら現実として受け入れる話しでもあるので、まさに皆自分の答えを出す作品かなと

 

『天気の子』は何を描いたのか。新海誠監督の決断が予想以上に凄かった理由(作品解説・レビュー) – ウェブランサー

事前に「前作のヒットがあったので寧ろ自由にやらしてもらえた」とあったので、その答えを探すつもりでみたら、作品の存在自体がその答えだったときは寧ろ監督よりも企画を通した側に若干恐怖したわ・・・怖いよ普通

 

良く的を得ている感想、批評だと思った。

 

私の中では妻の言った「最後のシーン、泣きそうになったんだけど、泣けなかった」これが全てだなと思ったし、おそらくそれが監督が作品を通じてなげかけていたものの正体でもあると思った。

 

全ての登場人物が、無意識的に矛盾や葛藤を抱えていて、全ての圧倒的な正しさがない状況に常に置かれる。

 

それも、それを知ってしまえば異常な状態であるわけだが、それですら知らない人にとっては当たり前に過ぎない事で、その矛盾や対立自体が物語の不均衡さを常に生みだし、それが疾走感があるはずの場面であったり、感動的であったり、涙を誘うシーンでもどこか見る側に疑問を突きつける事で、凄く単純なシーン、ありがちなシーンをそのまま飲み込ませてくれない、それがこの作品の醍醐味なのかなと。

 

ただ、これはなかなか万人受けはしないなと感じる。

一歩間違えば「意味がわからない」であったり「気持ち悪さ」であったりが強くなり、前作品のような凄くわかりやすい一つの結末のようなものからは遠く、敬遠されてしまうのではないかと思う。

 

この部分も監督がインタビューで述べていた「むしろ前作のヒットにより自由にさせてもらえた」部分なんじゃないかなと。

 

おそらく、企画の段階でこの構図はわかっていただろうし、それはつまり、視聴者の中には間違いなく肯定派、否定派が入り乱れて、その意見自体がそもそも作品の作り手自らが作品の意図として込めているわけであり、それを了承するというのは、この規模の作品ではなかなかチャレンジングではあると思う。

 

全員の立ち位置も常に入れ替わる。

能力に対しての意見も、帆高や陽菜に対する意見や立場もどんどん入れわかる。

有るときは良き理解者であっても、ある状況になれば「常識」や「立場」というものを言い訳にして敵となる事もある。

帆高や陽菜ですら、絶対的な善でもなければ、絶対的な悪でもない。

 

 

構図としては実はありふれているわけだが、おそらく幾つかのシーンで涙がでそうだが、出ない、完全に泣くという事にならない、僕は妻が感じたそのなんとも微妙な感情であり感想がおそらくこの映画の持っている魔力のようなものではないかと思う。

 

そもそも陽菜に最後の力を使わせた、またはそこに至る最後のレールを引いたのはだれでもない帆高であって、冷静に考えれば彼女を取り戻すことですらただの贖罪に過ぎない。

さらにその結果起きる事を考えれば彼の選択は正しい選択であるかという事は判断し難い。

 

が、実は他の人からすればそんな事自体が知らぬ事であり、まさにただの天災に過ぎないわけで、その選択の価値自体が結局自分の一つの結論、その程度の意味しか持たない。

そしてそれはごく当たり前の事で、僕の日常は他人の非日常であり、僕にとっての他人もまた同じに過ぎない。

 

そしてその事について、たまたま事情を知り得ている人間が、その他人と同じようなリアクションをするとき、それは一見すると悪に見えるが、実際は知らないその他大勢とその事実は変わらない。そして、前述のように彼自身「晴れて欲しいか?」の問いに「晴れると良いね」と答えている矛盾。

 

言葉にして犠牲を強いた人、言葉にせず犠牲を強いた人、無意識に犠牲を強いた人。

 

一つの物事をとっても、その結果に至るプロセスの中でさまざまな登場人物が無責任であり、身勝手であり、自己中心的である行動をとっている。

 

こういった事は凄く当たり前で、実はファンタージなんだけど、そのファンタジーを現実社会という器を使って、尚、非現実の中で描いている。

 

この構図は凄く当たり前の事に過ぎない。

だが、何れも現実と矛盾と葛藤と、そういったものがごちゃ混ぜになりながらもストーリーとしては一つの方向を明確に指している。

 

おそらく、この物語の結末のある程度は誰しもが冒頭で想像しうるものだ。

だが、最初のシーンから様々な描写、切っ掛けが描かれる中で、その結末に至るピースのはめ込み方はおそらく誰ひとりとして「当然」というものにはならないのではないかと思う。

 

実際は「当然」の答えが数多く並んでいるのだが、登場人物の立ち位置が微妙にずれる事で、所謂人間の少しズルい一面、例えばダブルスタンダードのようなものも表現しているために、その「当然」をそのまま受け入れる事は、ある意味自分の「美しさ」「正しさ」を損ないかねない。なのでその凄く「当然」の事をそのまま受け入れると言うことに個人差はあれど違和感や抵抗がでてしまう。

 

それ自体が実は当たり前で私たちの日常に過ぎない。

 

難解と言われればそうだし、ありきたりな構図と言われれば確かにそうでもある。

 

最後のピースは視聴者の立ち位置なのだと思う。

自分はどの立ち位置に立つのか、それによってこの物語をどう結論付けるか、最後のシーン、あれは陽菜はどのような気持ちであの行動をとっていたのか、帆高はどんな気持ちでそれを見つめていたのか。その答えはおそらく自分の立ち位置によって真逆になるそういった作品であると思う。

 

いや、これ本当によく企画段階でOK出したと思うそんな作品だった。

これを企画段階で読んだ人、そしてOKを出した人、ある意味監督以上にいろいろ見えていたのだろうと感じた。

 

 

だからこそヤマカンの発言は最低な発言だったと思うけどね

 

この件に関しては、自分はヤマカンさん側につきたい。お悔やみを表明するのは問題ないし、多くの業界関係者もそうした。中でも悠木碧さんはすごいと思った。 - aomeyukiのコメント / はてなブックマーク

別に誰が誰の意見に賛同するというのは自由だけど、少なくとも新海監督がただお悔やみを発言しただけで「黙れ」と言い放ったヤマカンの行動について評価すべき事情は何一つないけどね。こんな事件の時になおさらの話

 

 

組織である以上、ある人とある人が親密である一方で、別なある人とある人が険悪であるというのは当たり前で、同様に組織と組織が険悪であったとしても、個人と個人は親密であるという事も当然のようにある。

 

こういった事が起きたとき、個人や組織が意思を表明する背景にはいろいろあるだろう。そしてそれを受け取るのは個人の裁量でしかない。

 

当然、ヤマカンが自分の考えで新海誠という人物を批判するのは自由だが、だが、新海誠という個人が京アニであったり、京アニという組織に属するだれかの事を思ったり、もしくはもっと漠然としたアニメ業界に起きた事について意見を表明することについては自由であり、それを一方的に問題であるとする権利はない。

 

 

この発言には一切の理解もできないし、その理由も理解ができない。

 

 

 まず、新海誠という個人の発言が「ローマ法王のようだ」と揶揄しているわけだが、であれば日本の数多くの人間はまさに「ローマ法王のよう」で、会ったこともない、ただ作品というつながりでしかない人間の不幸、起きた事実に驚愕し、恐怖し、無念に感じそれを表現したわけで、新海誠という個人だけの事ではないし、当然の発言でしかない。

 

また、「明日封切」であるという事も厚顔無恥な話で、なんだろう、では新海誠が自分の宣伝の為にこの事件を起こしたとでもいいたいのだろうか?

 

偶然に過ぎないし、彼は間違いなくアニメーションの仕事をしており、私たちよりもより近い位置にいるわけで、反応するのは当然であって、それがたまたま封切が近いからというならただの下種の勘繰りに過ぎない。

 

個人が個人を妬んだり、何かしらの理由で恨んだり、それは個人同士の問題であるので当人同士で解決するしか基本はない。

 

が、京アニというものは組織であり、アニメーション業界という一つの塊であり、個人だけの話ではない。

 

ではなんだろうか、今回の件は世界中で追悼や支援というものが様々な形で行われているが、それにいちいち「黙っといて」という事が正当な行為だと思うのだろうか。

 

私は思わない。

 

私は電通という組織が嫌いだが、電通という組織の中で仕事をする一人ひとりを組織同様に嫌っているかというそんなことはない。

当然、ある人は嫌いだが、ある人は普通で付き合っていくことに何ら支障はないし、付き合う事で自分も豊かになる人は当然そんざいする。

 

組織である以上、個人では左右できないものも抱えているだろうが、それはむしろその組織に属する個人の方が悩む話であり、それを全て一緒くたにすることが正しいはずもない。

 

そういった事を雑に、一方的にしてしまう事は、個人の考え方や粗雑さ、肯定的に言えば素直で実直であるといえなくもないかもしれないが、それと同様に、何かに対してそれぞれの立場で感情や行動をするという事は私は正しいと思うし、その個人が正しいと思ってしている事について少なくと当事者同士以外が「黙れ」と言い放つ権利はない。

 

少なくとも今回の件についてヤマカンを支持する理由はないと私は思う。

 

 

 

フィンテックはテックじゃなくてフィンの方が面倒と言うことをもっと理解して欲しい

いや、もう、いろいろこれから起きるんですけど、その余波をちょっと受けているわけですが、ほんと無能な業界人は素直に金だけだして外から見ていてくれればいいんだけど、そういった人達ほどプレイヤーとして参戦したがるんだよ。

 

テックは人手解決できる。

一定の知識があれば極論言えば経験が無くてもなんとかなる。

経験があれば当然尚芳。

 

でも、フィンの方は人では解決できないのだよ。

 

神の手(意味深)とかもあるわけで。

 

もっと言えば、世の中の流れや雰囲気というものもある。

 

本当に、無能な(自称)業界関係者は、金だけだしてくれれば出来る人がちゃんとやるから、無理に頑張らないで欲しい。

 

道連れになる人も無能なんだが、道連れになりたくないと足掻く奴らを救済してやってくれというリクエストに対応するのが本当に大変なんだ。

 

フィンの方は、大抵新しい事は、一度神によって「ぎゅっ」とされるなんてのは常識なわけで。

 

頼むから。

 

本当に面倒だ。