何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

短絡的な批判も、擁護もどっちも社会の為にはならない

 

はあちゅうの件 - 今日も得る物なしZ

まぁ、記事の通りでしょ。自身が被害者であることは自信が加害者となる事の免罪符にはならない。自身が被害者であったら、自身が加害者である事の免罪符とするロジックは基本いじめをする側や傍観者のロジックだよ。

ヨッピーさんのツイート: "電通のコメントなんかは残念極まりないし猛省して今後の対応をすべきだけど、電通とか広告業界関係なしにこういう話ってあちこちにゴロゴロ転がっているので

んー。このコメントを読んで電通擁護と捉えるのはちと無理筋。実際問題、電通以外の広告代理店、例えば某新興系もそうだけどどこもかしこも酷いので、現実として社会問題として洗い出さないと全くもってだめな話だろ

はあちゅう 公式ブログ - BuzzFeedの記事について - Powered by LINE

別に品行方正に生きる必要はない。が、被害者として心を痛める人が、自ら加害者の立場になるというのは、かなり罪深く、その点に考えが至らないという点はまさに日本のダメな所だと思う。結構この話題は日本の深部。

 

まさに日本の闇が両面で濃縮されている話題。

 

まず、起きている事については、ヨッピー氏の意見のとおり単なる一つの事案として電通云々の話題に括ってはいけない事。

「#meeto」の経緯はちゃんと理解しないといけなくて、単に誰かが誰かを告発するというだけの活動ではない。

声を上げられない人に、勇気や行動の切っ掛け、そして何よりも寄り添える人がいるという事を知らしめる事が根底にあり、その表に出ている結果が、海外の大物の告発であったり、本件であるという事に過ぎない。

当然、一つの事案は他の事案や時間の流れに埋もれること無く、それぞれ重要な事として取り扱うべきだが、そこで思考や歩みを止めてしまう事は、極論言えば単なるトカゲの尻尾切りでしかない。

なぜそのような事が生まれてしまっているのか、それがなぜ今まで放置されてきたのか、そういった社会的な背景まで踏み込んでいかないと、こう言った問題はただのムーブメントで終わってしまう。

 

レインボーアイコン然り、日本はファッションとしての発言、行動が多く、本当に吐き気がする。

もっと深部まで見つめて、何を正すべきか、何を我々は追い詰めるべきなのか、その点をしっかりと考えなければならない。

 

で、その流れの一端が、はぁちゅう氏自身の行動。

まず、予め言っておくと、彼女の普段の発言と行動には問題があるが、それとは関係なく、今回の件は独立して扱われるべきであると私は考える。というか当然の話。

よくわからん人が、突撃しているらしいが、それはお門違い。

 

が、前述のとおり、我々はなぜ人が人を追い詰めるという環境ができてしまうのか、そういった深部と向き合おうとすると、実は密室で行われている恐怖体験だけでなく、実は日常の中にある、いわゆる社会が傍観してしまいがちな行為と、ちゃんとむきあわなければならない事に気づくはず。

 

人は突然モンスターにはならない。

いろいろな体験、経験の中で、価値観やある種の成功体験を積んで、その積み重ねがその後のその人の生き方、行動となって現れてくる。

当然それらは社会の変化や環境の変化により評価が変わり、その都度見直されるべきもので、つまりは過去の自分が間違った価値観や行動を取っていたのであれば適宜見直し、反省し、謝罪する事で変える事は当然できる。

 

日本の社会がモラハラパワハラ、セクハラなどと向き合い辛い環境にあるのは、男性社会がいまだに強い事も一つであると共に、日本人のながされやすい性格や、思慮の浅さが大きいと私は思う。

 

もっと言えば、今回の件のように、それぞれの事案はそれぞれの問題として向き合えない、Aを正義と見做せば全てAは正義であるとする短絡的な行動も、Aに欠点があればAの正当性は全て崩れるとする短絡的な行動も、どちらも社会をダメにするもので、それこそが日本がいつまでも成長できず、世界から置いていかれる原因でもある。

 

意見を述べる、その意見を受け止める

 

これは、対立するから起きるモノではない。

意見をしっかりと受け止めるからこそ、疑問や確認、自身の意見、相手の意見の調整が必要で、その結果としてよりわかり合い、より良い結論へと到達できる。

 

「より良い結論」とは、必ずしも正解ではない。

 

が、より「正解」に近い間違いであったり、「より現実的な答え」であったりはする。

 

その歩みがないのが日本で、その象徴を挙げるなら「シャープ」という会社ではないだろうかと思う。

 

自己の内側、一つの価値観、表層的なものにとらわれてしまう短絡的な思考や行動、そういったものの集合が、結局は住みにくい日本、楽しくない日本というものを生みだしていると私は思う。

 

この話題は、本当に日本の日本人の良くも悪くも深部を見せてくれる話題であると本当に思う。

 

1年、3年、10年たったとき、日本でそういった問題が減っているのか、それともかわらないのか。

結果によって評価されるべきものだが、今のままでは非常に難しい結末が待っていそうだ。

 

 <追記>

 

 

はあちゅう氏の件について

だからこそ「誰がされたのか」も「誰にされたのか」も話題の中心にすべきではないのよ。こう言った話題が上がった時は、そういったことを許容してしまった社会の問題点を見つめ、何を改善する必要があるかが重要なの

 

この記事主の意見は半分は正しい。

問題に光が当たるのは、確かにそれがマスコミや媒体にとって取り上げる価値があると見做された場合だけであるのは事実。

また、実はこういった問題は、特別な事ではなくて非常に多くの場所で、場合によっては本人が気づいていないまま行われている事も多い。凄く多い。

実際、同性間の問題に至っては、踏み込む事が難しい(例えば、女性同士のコミュニケーションでも非常に痛ましいものはあるが、そこに男性が介入する事は難しい、であったり、男性社会の中でも組織的に理不尽なモノや扱いも多いが、それが男性社会というよりも、日本という社会でなぜか容認されている為、声を上げてもなかなか焦点があたらない等)ものも多く、実はそっちの方が問題の本質なんだよ。

 

だからこそ、はぁちゅう氏が被害者であったという事と、はぁちゅう氏も加害者であるという立場にいる事は議論として凄く重くて、日本という社会は、無意識的に、はぁちゅう氏に限らず、被害者と加害者の両方の立場を取っている人が多い。

その根っこの部分をちゃんと見つめて、そういった日本流の悪い部分はなくすようにしないと、光があたる問題だけが取り上げられる、つまりは、レインボーアイコンの時と同じようにファッションとしての活動で終わってしまう。

値上げをしても問題は解決しない

 

「高く買わないでください」獺祭の酒造会社が適正価格で販売しない市場への意見広告を掲載、様々な意見が集まる - Togetter

値上げすればいいというのは完全な間違いだよ。値上げすると中抜きできない業者や末端の提供事業者は取扱を止める。で、結局通販程度でしか消費者は買えなくなる。製造元として消費者に届かない事ほど辛い事はない。

 

値上げをすればいいというのは、所謂ビジネスを知らない人の浅はかな考えです。

 

まず、商品を開発し提供するということは、どのようなもの(モノ・サービス)であっても消費者や利用者があってのものです。

 

つまり、製造・開発元というのは、課題や需要に対しての答えを提供する事が一つの目標であり、それと同時に事業として成功を収めるという二つの軸があります。

 

短絡的に考えると、販売価格を値上げすれば転売する人間は中抜きできなくなるか、またはそもそも取扱をする末端事業者が減るのでだれでも購入できると思われガチですが、そんな単純な構図で流通は成り立っていません。

 

そもそも、お酒を蔵本や酒造会社が全て手売りするというのはほぼ不可能です。

一方で、仮に名前が知れ渡ったお酒であっても、基本的には流通に乗せて販売するのが基本で、原則、流通にながした後はコントロールする事はできません。

 

では、ここで値上げをする、極論言えば、末端価格と記載のある2万円前後まで上げるとどうなるでしょうか。

 

まず最初に、末端事業者、つまり飲食店での提供が激減します。

飲食店は基本的にはお酒類というのは利益率が高いですから、それこそ銀座のような場所ではボトル1本分で仕入値の数倍の利益をたたき出します。もっとも、これにも絡繰りはあって、稀少なお酒が常に置いてあるというのは、それだけ流通から商品を引っ張れる所とのお付き合いがあり、そういった所無くしては常備稀少なお酒を準備するというのは不可能です。

 

まぁ、希に蔵本と直接取引しているような場所もありますが、そういった場所は消費者が誰でも触れられるかと言えば逆に難しいでしょう。

 

ではなぜ飲食店での取扱が激減するかといえば、飲食店自身も事業ですから、利益のでない獺祭を出すよりも利益のでるスパークリング清酒・焼酎を出す方がよいからです。

一つは自身の事業としての利益の確保もそうですが、もう一つは取引先として側の事情もあり利益の出ない商材よりも、双方利益の出る商材を取り扱って貰う方が両者の利益に叶うわけです。

 

この構図は販売店も同様です。

例えば、消費者がお酒を買う場所として、町の酒屋もあるでしょうが、昨今ではネット通販が非常に重宝しているかと思います。例えば楽天で考えれば中抜きできるので、定価以外での販売を行いますが、定価が2万となり、売価を2万5千円として、5千円の粗利を上げるよりも、他の流通量が多く仕入値が安い商品を例えば定価が2,000円で売価が4,000円で売れる商品に切り替える方が圧倒的に儲かります。

 

理由は単純で、消費者は2万円や2万5千円では獺祭を買わないからです。

 

このような形で、確かに一端は転売・中抜きの抑制は働きますが、これで失われるモノは獺祭を生みだした酒造家の意義です。

良いお酒を消費者に届けたいという思いがあったにも関わらず、消費者に届けない事で価格を適正にするというのは、提供する側からすると余りにも暴論です。

もはや何の為に製造したのかすらわからないでしょう。

 

また、一般的にこの手の手法は後に大きな問題を残します。

獺祭が世に出たときであればまだしも、既にスパークリングの清酒・焼酎というのはオンリーワンではありません。

既に数十種類もライバルはおり、澪など海外で成功したものも少なくなく、今ですら比較的競争にさらされている状態なのに、ここで価格を変えれば、おそらくは市場でのポジションは完全に失うでしょう。

 

もっとも、そういったお酒の味の細かい違いを理解し、好みにあったお酒を、自らの手で手配し飲むような方はそれでも変わらないでしょうが、飲食店での取扱が激減すれば規模の縮小、事業の縮小という道が必要になり、獺祭の次の商品を開発する以外に生き残りはなくなるわけです。

 

同じ商品であれば、価格を戻せば消費者はまた買ってくれるというのは幻想で、その時に一度提供されなくなった商品を、消費者が思い出しその味に戻ってくるというのはなかなかハードルが高く、それ以上に飲食店にもう一度取り扱うってもらうという事自体がかなり難しいでしょう。

 

結局、一度そういった強引な手法で流通をコントロールすればもう消費者の手の届きづらい商品となるわけです。

 

このような事情もあり完全にコントロールするには自社で販売網を構築しコントロールするしかありませんが、それでも飲食店での取扱がなくなる時点で、おそらくは年間の出荷は相当減り、事業としてはなかなか難しい事になるでしょう。

 

本来は、飲食店での取扱については別として、チケットなどと同様に極端な転売を制限できればいいのですが、これについてもいろいろな権利がありますから、難しい問題で単純な解決はできません。

 

チケット問題の場合はまだ単純です。

チケットを販売事業者が協力して定価での転売のみ可能とする仕組みを作ればよいのです。

少なくとも事業としてチケットの転売を助長しているところは、二次流通でいえばチケットキャンプのようなところか、あとはオークション程度ですからそれほど売り手・買い手への影響はありません。

 

ただ、お酒の場合は、ビジネスとしてあまりにも登場人物が多く、それらのそれぞれのビジネスやお付き合いもあり、単純に解決する事は難しい為、ああいった意見広告を出さざる得ない状況になった事は理解できます。

 

単純に酒造側の怠慢であるような意見を述べるのは無知であると理解していただき、なかなか難しい事にギリギリのラインで切り込んでいる事を理解してあげてくださいまし。

永世七冠

竜王戦の決着により羽生棋士が永世七冠となりました。

 

個人的にはこの竜王位を渡辺棋士から奪った事は大きいと思います。

やはり近年で竜王位といえば渡辺棋士であり、代名詞でもあります。

渡辺棋士自身は強い棋士で当然あるものの、やはり竜王戦での強さは自身の勝敗の中でも抜きん出ている事は自身も理解しているでしょう。

 

永世竜王を羽生棋士が取得し、永世七冠となったわけですが、竜王の争いでも興味深いものがあります。

 

そもそも初代永世竜王の争いもこの二人によっておこなわれており結果として渡辺棋士が初代の永世竜王位を得るという結果であったわけです。

その後も竜王位は渡辺棋士を中心に常に争われており、結果として最多獲得数、最長連覇共に渡辺棋士のもつ記録となっています。

 

それ以外にも面白い戦いが幾つかあったり、それこそ大逆転という戦いが多かった事も記憶に強く残っているなど、なかなか竜王位の争いというのは面白いものでした。

 

このような事もあり、羽生棋士永世竜王となるにあたり、その相手が渡辺竜王であったという事は面白く、そしてそうでなければという気持ちが個人的にはありましたので、まぁ、結果は出た話ですが、よかったなという気持ちです。

 

ただ、羽生棋士を脅かす世代として常に祝えているのが、いわゆる「羽生世代」の次は?という話しです。

 

羽生世代はもう終わりなのか?という話しがちらほらでるものの、こうやってやはりトップの座に君臨し続けているわけです。

昨今で言えば、故・村山棋士の話題もでるなど、やはりまだまだ羽生世代というのはその座を譲らないのか?と思わなくもないですが、嬉しいような、寂しいようななんとも言えない気持ちがあるのも事実です。

 

藤井棋士に限らず、実は今若手が凄く成長しており、言葉としてこそないものの「渡辺世代」を食い破らん勢いもあります。

 

わかる人にはわかるのですが、実はトップであらそう事よりも、より下のリーグから這い上がる事の方が今はとても難しいのです。それぐらい、本当に才能のある若手が多数いるのが近年の棋士界です。

 

いろいろゴタゴタもありましたが、良い話題も少なくないわけですから、より成長して、ファンを楽しませてもらえればと思います。

普通の人は事業所得として認定される事はおそらくない

 

ビットコイン(仮想通貨)の税金上の取り扱いが確定したので解説する - FX初心者向けまとめ解説(株式投資もあるよ)

個人的な経験として言わせていただくと「事業所得」として税務署に認定されるためには、少なくともその収入により生計が維持されている程度の事業でなければならない。普通の給与所得者では確実にアウトですので注意

 

まぁ、個人的経験として、というか実体験なんですが言わせてもらうと、事業所得としてそういった取引を認定させるには、少なくともその事業が主軸であり、その収益によって生計を維持している程度の取引が必要です。

 

これは別に仮想通貨云々の話ではなくて、税務署がそれを事業所得として認定するか否かの話で、ただ単に個人が取引していたとして、それを事業所得として申告しても、おおよそあとで追徴課税を食らいますよ、というお話です。

 

まぁ、私が過去に食らったんですがね。

 

もっとも、私の場合は税務署に相談して、税務署の相談員が事業所得で問題ないという事で申告していたのですが、それでも後にお手紙がきまして、これは事業所得として認定できないので、このままではアウトですがどうしますか?みたいな話です。

まぁ、こういった場合は、基本修正申告するしかないので修正申告するわけですが、ここで戦うとほぼ勝てない戦いをすることになります。

 

この話は結構納税入門書でも嘘を書いているケースが多く、本当にああいった本を書く人は実務経験がないんだなぁと思うのですが、まぁ、事業所得で税金を浮かすという手は古典的なやり方で、一番ハマる罠なので、本当に専業として行っている方以外が手を出すと、後に税金をまとめて支払うことになり人生詰みかねない(税金については逃げ道がないので…)ので、そういった嘘本の雑解説に騙されないようにしてくださいね。

 

まぁ、仮想通貨取引で事業申告するってのはなかなか難しい(例えば、法人口座でFX取引をしてもそれが主たる事業としては認めれらないのと同じ)ので、普通の人にはご縁のない話だと思っていればよいかと思います。

 

 

KIBERAを見ると、サイジングそのものでは世界は変えられないという未来が少し見える

 

「ZOZOSUIT」への悔しさと感謝と、私たちはここからどう戦っていくべきなのかということ。|最所あさみ|note

一応突っ込みいれますと、女性であればKIBERAのブームが所謂サイジングというものであったのだが、あれも使っていくと結局はハーフオーダーの限界に直面するんだよね。結局はサイズの先の商品開発が課題なんだよねぇ。

 

いろいろと仕事をしていると、いろいろなネタに触れるのですが、サイジングをするサービスというのはもう既に幾つもあります。

 

もっとも、スーツを着て、というのは確かに目新しいモノの、今までもハーフオーダーであれば普通の服でもありました。

 

というか、そもそもZOZOSUIT自体が届かないとわからないのですが、身長と体重のみで採寸しており、おまえ、それ筋肉質な人はどないするんや・・・という阿鼻叫喚が聞こえてきそうです。

 

え、お前はスルーしたのかと?

いえ、注文していますが、なにか?

 

サイズを計測して、パーソナライズされた商品の提供という事で言えば、大衆化されたのはKIBERAあたりでしょうか。

 

所謂靴のハーフオーダーができる女性向けのショップで、最初の頃は採寸待ちで大変でした。

 

採寸自体は専用の機体に片足突っ込むだけという非常に簡単なものでしたので、時間はかからないのですが、如何せん人気すぎて・・・。

 

採寸データを元に、ある程度のパターンの靴に対して、好きなデザインとカラーを合わせるわけですが、なかなか難しい。

 

靴という特性もあるのですが、結局ハーフオーダーとなると完璧ではないのですよね。

なので利用者自体も満足度が最初こそ高いものの、結局は頭打ちとなり、リピート率は徐々に下がります。

 

これはサイジングそのものが問題解決の答えではないという事の表れでもあります。

 

結局、人はサイジングされたという体験であったり、ハーフオーダーという体験にこそ最初は感動しますが、その後は、商品そのものの満足度のみで評価するようになります。

 

この場合、サイジングされているモノという前提条件が付くため、実際は他社と比較するとそれほどの満足度ではない、という人が一定数現れます。

 

特に、足もそうなのですが、そもそも人間のサイズというのは千差万別です。

市販品は、ある程度、丈が長い、肩幅が狭い、首回りが云々など、試着するという手を使ってでも満足度を上げるという手段が可能です。

 

所が、ハーフオーダーの場合、既に採寸済みである為、その部分はスキップされます。

これは大した事ではないように思えるでしょうが、人間は、自分が納得したという工程を経ている時と、そうでないときは、明らかに前者の方が寛容なのです。

 

その為、同じ何かしらの欠点がある場合でも、採寸されているハーフオーダーの商品である場合、その「納得」という工程を経ていない為、満足度が低下するわけです。

 

靴であれば、結局試しに履いてみないとだめだよね、となるわけです。

 

これは、サイズ云々というよりも、人間の感情や感性の問題なのでなかなか厄介です。

 

また、採寸という事を改善しても、提供商品の個別化というのもなかなか難しいのです。

 

ハーフオーダーとしてしまう問題は前述のとおりですので、完全にオーダーメイド出会った場合は当然採寸の精度によるわけですが、そうなると今度はコストやデザイン性との兼ね合いとなります。

 

オーダーメイド化するには、それなりに汎用性が高いデザインで、加工もしやすい事が必要となります。

 

靴と比較しても洋服の場合は様々な部位のサイズが影響しますから、そのハードルはより高いモノとなるでしょう。

 

以前、スマホを使い採寸する技術の会社の話しを聞いたことがあるのですが、結局は課題は上記のような話しなんですよね。

 

人の評価、つまり消費者の評価は、採寸技術ではなくて、最終的なプロダクトの満足度で決まるわけで、なので製品・技術を採用いただくという事自体が必ずしも武器になるとは限らない、言い換えれば、その技術を採用し、より精度の高いサイズ情報を得ても、結局その精度の高い情報に見合った商品が提供できなければ、その技術を採用する以前よりも顧客の満足度は下がり、結果として事業に悪影響を及ぼすというものです。

 

ZOZO自体は自前でそれを実現するのでそういったジレンマはないのですが、個人的にもそういった課題をどう解決してくるのか楽しみでもあり、注文してみました。

 

新しい技術は必ずしも人を豊かにするわけではないというのは皮肉なものなのですが、そういったジレンマをどう解消するかというのが、これからの時代の技術者や技術をビジネスに転換する人の頭の使いどころになるのか、と思いますね。

 

 

職場で思想・信条の布教活動は場合によりアウトなのでご注意を

 

地域労組の団体交渉に参加したら初動を誤らなかった相手は手強かった - しいたげられたしいたけ

真面目に突っ込むと、政治や宗教などの思想・信条の自由が保障されることと職場でその思想・信条を布教する事の自由は違います。尤も、ただの会話の中のやり取り程度であれば問題はないが、活動と認知されるとアウト

 

なんか誤認されそうな感じのコメントもあり、一歩間違うと勘違いしたウサヨクの若者が仕事を失いそうなのでフォロー。

 

まず、個人がどのような宗教やどのような信条、政治的主張をもっていても問題ないし、それを事由に雇用契約を解除する事はできません。

 

ただ、その自由はあくまでも個人の範囲に限定されるので、個人の域を超えて、集団としての活動であったり、自己の考えを広める為の活動を会社内で行うという事は一般的に許可されていません。

 

で、元ネタにあったような「発言した」ようなケース、推測するに、例えば選挙前後の社内の会話でそういった話しになった時に、そのような発言をされた程度であれば、これは個人の思想・信条の域をでませんので、全く問題ありません。

 

ただ、例えば、日常的にそういった思想・信条を周囲に対して説く、社内でそういった事を吹聴するなど、所謂活動として認識されるようなレベルで実施するとこれはアウトです。

 

というのも、そもそもこのような活動の場合、冷静に考えて自己以外の思想・信条の自由との関係も問題となります。

つまり、「戦争反対」という意見の活動を容認するならば、自由の観点でいえば、すく句とも「防衛は必要」という意見の活動も容認すべきで、そうなるともう組織としては適切な社内環境の整備は行えません。

 

こういった企業活動に著しく影響を及ぼす行為は、個人の思想・信条の域を逸脱しているよ解釈され、解雇の事由として認められる場合があります。

 

特に、相手に自己の思想・信条を理解させる事を目的に一定時間拘束したり、会社の設備や場所を許可無く占有している、業務に影響を及ぼしていると判断されるケースでは、ほぼ間違いなく解雇を含む処罰の事由になります。

 

 

元記事のケースでは相手の発言に過剰に反応した人が問題ではありますが、線引きは結構微妙な事も多く、実は調べて見ると活動と言われるほど発言は頻繁で、主張していると認定されるケースもあるので、あくまでも個人の自由であり、活動が許可されているわけではないという点だけは理解しておいていただければとおもいます。

 

そもそも、会社の中で、そういった偏った(是非はともかく)話しをするのは、聞き手の気持ちも考えればあまり良い事ではないと思いますので、まずは、コミュ力上げていきましょうね。

経理に罪はない

 

多根清史さんのツイート: "請求書はPDFでいいというのでメールしてみたら「捺印してください」と。PDFに捺印ってどうすれば…と聞くと「印刷してからハンコ押して写真で取り込んでPDF化し

勘違いしすぎ。これは元々請求書の発行から支払までのサイクルを短縮する事の為に始まってる。経理はそもそもPDFで受け取るという慣習はない。大抵は間の担当者が処理が間に合わないとかそういう理由で経理は関係ない

 

勘違いも甚だしいと思うが。

 

大抵の場合、経理担当部署は原本でしか受け取らないのだが。

で、昨今は企業間の取引だけでなく、個人との取引も増えていて、所謂サイト60やサイト90といった支払サイトの概念と実務のギャップも膨らんでいる。

 

さらに言えば、特にWeb系の発注・支払などは、請求書の受領や納品、支払時の源泉徴収の対応など、経理経理を支援する事務所の間での確認も含め、相当昔と比べると大変になっており。

 

お金の支払も含む管理系の事務に関わればわかるのですが、例えば「Webデザイン」と呼ばれる業務と発注では、相手が個人の場合は源泉徴収が行われます。

で、その場合、請求額が確定後にそういった処理を行うわけですが、担当者レベルではこの程度の知識が無いことも多い。

結局、社内の支払稟議を回す際に勝手に源泉分の処理も考慮せず、処理するよう無知な担当者が増えている上、個人相手なんでという理由でサイトも採用せずに月末払いで、のような事もする人もおり、結局、請求書の発行日が締め日に間に合わない、請求書記載の支払日が企業の締めと合わない、源泉徴収分と非徴収分の処理が整理されていない、よって、支払額を精査しないと支払えないのに、ギリギリに請求書をまわしてくるような事が多くの企業で乱発されたわけです。

 

その時、比較的多くの会社でとりあえずPDFでおくっていただけませんか?という糞手順が跋扈しました。

これは、請求書を社内で回す際に、事務の時間が上記のような段取りもあり間に合わないので、時間短縮(郵送&社内での確認やネゴの為)に始まったことです。

なので、多くの場合、経理側は振込やクレジットカードの支払等を除けば、請求書の原本がどのみち必要となるので、仮にPDFで事前に届いたとしても原本と差し替える事になります。

 

といか、そもそもそういった帳簿に関わる書類が電子化されたもので対応できるようになったのはここ最近で、それですら条件は比較的厳しいのが実情です。

 

つまり、捺印済みPDFをおくって&その後原本下さいというのは、貴方と貴方の担当者の事務の時間が会社の段取りに合っていないのであって、相手先の経理の事務処理能力とは関係ありません。

 

もしも貴方が企業との取引でも十分に対応可能な支払サイトを設定しているにもかかわらずそういった段取りを強要する担当者とお付き合いしているのであれば、それは貴方がお取引している担当者が無能なので、経理を責めるのではなく、今すぐメールで「お前の無能さに付き合う気は無い」と連絡しましょう。

 

もしも貴方が当月払い、または、下旬発行で翌月末払いという短いサイトでの請求書を発行しているのであれば、単純に月末締め、翌月末払いという支払スケジュールにあわないので、下旬発行、翌々月末ばらいという条件に緩和すれば、相手の担当者もドタバタせずに処理できるでしょう。

 

このあたりは、日本に限らずいろいろな法律や段取りがありますので、短絡的に「事務手間多い、経理無能」と言わないでください。

無知をさらすことになりますので・・・。

 

そんな感じです。