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何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

断片的事実だけで反論するのはどうかと。それを賛美するのもどうかと。

 

あの「採点」された記事の話 - 無要の葉

採点はいらぬお世話だとは思うが、ただブログの記事に対するありようという事をいった時点で採点主とやってる事は同じだと思うんだが…その点どうお考えなんですかね?僕は結論どっちもいらぬお世話だと思いますが。

2014/11/14 17:42

 

よんだ。

 

ながいけど、結構読み応えも中身も有ったと思う。有益な時間でした。

 

ただ、個人的には、各所の意見が断片的な部分の解釈のみで自己肯定しているようにも思えます。

 

もともとの切っ掛けの方の記事ですが、あれは彼自身の過去の発言も絡んで炎上したんですよ。その事実を全力で無視した状態で、部分の事実のみで記事を肯定するというのは僕は違うかなと思います。

 

バイラルメディア否定派だから、肯定派を擁護してはいけないとかではなくて、バイラルメディア肯定派が、突然バイラルメディアと同じ行為を行う個人に対して、「このクソが」という事に問題があるわけで。

 

まぁ、私の意見は、どっちみち「好きな事書けば?」でしかないのは事実ですが、バイラルメディアを容認しておいて、個人ブロガーがPV稼ぐのにルールを強いるのは、さすがにダメでしょ。

 

あの記事のやり取りに参戦する人は、少なくともその文脈を読んで反論しないとだめだと僕は思う。

 

他人の採点は知らんけど。僕はね。

 

意見も感じ方も人はいろいろいるわけで、ブログなら許せなくてもTwitterなら許せるという人もいるけど、お前、それ、一緒だから、って僕は思うし。

当然、そう思わない人に「お前の意見はおかしいよ!」っていうかもしれないけど、それと同時に、その事に反論される事も覚悟はしておかないといけないかと。

 

それは、主のいう「炎上上等」ってことではなくて、ネットという“地域”で店を出すってことは、そういうものであると、そういう市場であるという事を知っておくべきだし、知らなかったら知るしか無いし。

 

ただ、知らないと来ては行けないという場所でないのも事実。

 

ネットで繋がる全ての人が、同じルール、感性、知識でいる訳ではないし、そこには誤解もあれば、人種・宗教・育ちやいろんな事柄で同じ言葉を聞いても感じ方がかわってくる訳で。

 

それは悪い事ではなく、それこそがネットの長所である多様性を生んでいるわけだから。

 

炎上化させる事に正当性はないけど、それと同じように、自分ルールを発信するからには、それこそ「書いていい事と書いていけない事」という話のように、自分のルールを公表し相手にそのルールを押し付けるという行為を行う時点で、僕は、書いては行けない可能性が高い領域の文章を書いているのではないかと思うんですよ。

 

自分のルールに照らし合わせて相手の行為を批評するってのは、僕からすれば、採点しているのと同じです。

 

採点主も、自分のルールでみた場合の意見を述べているわけで、その事と、自分ルールで言葉が優しければ相手を批評していいのかという話でいえば、印象の違いだけで、やってる事は同じだけ残酷な事ですからね。

 

これは、採点される覚悟で意見を発信しろってことではないですよ。

印象の違いだけで、やっている事はお互い同じですよ?ってことを伝えたいだけです。

 

その事を理解した上で、あの記事を書かれているならいいのですが。

 

つまり、ネットなんて、そんなもので、別に要旨が同じかどうかなんて読み手は実は真剣には考えていなくて、結局はその程度の判断で、この文章はすばらしいとかこの文章は気持ち悪いとか、共感するなぁとか感じ、コメントしているんですよ。

 

当然、記事の発信主にだって同じ話で、凄く深く、凄く慎重に物事を捉える人もいれば、そんなに深いことは考えず、例えば、画像1枚とっても、見る人が不快になるかもしれないから流血した写真は引用しない人もいれば、より緊迫感が伝わるようにあえてそういった写真を引用する人もいるわけです。

 

これは、どっちが正しいかではなく、書き手がそういう感性の人であったというに過ぎません。

 

もしかすると、いや、多くのその話題を取り扱った人は、PVが欲しかったのかもしれませんが、その行為も、貴方からみれば「クズ」みたいな行為かもしれないけど、でも、その人にとってはもしかするとPVが稼げるという事は、それだけ興味を抱く人がいるので需要のある話題なのかもしれない、と、本気で勘違いしているかもしれないし、そうでないかもしれないし。

 

少なくとも、あの切っ掛けの記事は、それら全てを鈍器のようなもので、ぶった切った訳で、正直、まったくもって慎重な言葉の選び方もしていなかったし、少なくともそういった可能性にも配慮していなかったし、そして、前述の通り、その上バイラルメディアは容認しているという自己矛盾をはらんでいるわけで。

 

その全てをもって、少なくとも僕は、あの記事と顛末にまったくもって理解はできないし、どんなきれいごとを並べても気持ち悪いとしか思わない。

 

そんな感じです。