何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

だから固定化が問題なわけで流動性があれば問題じゃないんだってばよ

 

「ピケティ格差解説」TV番組に出たら、出演者がみんな「所得トップ1%に入る年収」だった  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]

まぁ、資産課税すればいいだけなんだけど、なぜか所得課税の議論しかしないのはいろいろ不都合がおおいからなんだろうね。流動性が高まれば仮に局所に集中してもそれ程害はない。問題なのは固定化することだろうと。

2015/02/23 11:46

 

よんだ。

 

まぁ、話題の中心は現場の雰囲気だったのでちょっと違う話なんだけど。

 

ぶコメでも勘違いの意見が結構見受けられるんだけど、本の中でもそもそも所得格差を議論の中心にしているというよりは資産格差の方が余程深刻だと言う事を指摘しているわけです。

 

というか、もう何度も言い尽くされていることですが、一時的な所得の格差は実はそれほど富の均衡という観点で考えれば重要ではないです。

社会主義を除いて、基本的に所得の格差は必ず発生しますし、それがなくなるというのは、極論いうと、働く意味も無くなるし、努力や才能には一切価値をつけない事に等しいので。

 

では何が問題なのかというと、『富が固定化(定着化)する事』なんです。

 

例えば、年収3000万の人がいたとして、その人が家賃の高いマンションに済み、外食も行い、映画を見て、洋服を買い、お酒も多いに飲む。

 

このような結果だったとして、当然貯蓄はしないわけではないけど、お金を常に使い続けているのであれば、社会全体のバランスは極端な不均衡を招くわけではないわけです。

 

なぜなら、得た富は常に社会に対して再配分されているので、その労働者の業績であったり、企業の収益に貢献し、お互いの生活に寄与していますから。

 

一方で、富というのは、今の社会構造上は下位から上位(適切な表現ではありませんが、分かりやすく)に流れ、集約されます。

 

ハッキリいうならば、労働者が現場で稼いだ富の多くは、経営者であったり、投資家であったりにより多く再配分されます。

 

この事そのものも実は問題ではないのですが、この構図の延長線上でおきているのは、一時的な所得が資産に転換され、その資産はどんどん固定化されていく事です。

 

一時的に富をもった人が、そのお金を社会でまわさず、貯蓄や特定の資産に変換し、固定化すると社会のお金の流れは滞ります。

 

株であったり債権であったりは、一見すると同じ血肉のように見えますが、社会への影響は間接的なもので、より局所的なものですから、その経済に与える流動性は限定的です。

 

これが、全ての所得階層で平均的に行われる行動であれば良いのですが、問題なのは、下位から上位に富が吸い上げられるにも関わらず、その上位では、そういった資産に転換し、流動性を高めない行動をとる事が多いため、結果、富が固定化し、下位にまで循環する事がなくなるわけです。

 

ですから、本来は累進課税制度なんてのは、働く人の可能性を奪っている事の効果の方が大きいので、資産に対して課税する方が再配分できる金額も大きく、また、効果も高いのです。

 

後者の話ですが、そもそも1000万程度の年収の人は、500万の人よりも倍の裕福さをもっているかというとそんな事は有りません。

大抵、家賃がそれらの人よりもっと割高であったり、ちょっと外食の回数が多い程度で、税金の割合からいっても、実質的な差は、年間200万程度で、月にすれば10万強、家賃+ちょっとした食費や娯楽費の差で資産に大幅な差が出る程ではありません。

 

一方で、500万の人が1000万になる可能性と、1000万の人が、3000万になる可能性で言えば、絶望的に後者の方が可能性としては低いのが現状です。

 

普通に労働者として1000万もらう事自体がなかなか難しいわけですが、そこからステップアップするにも、そもそもその金額の給与がもらえる仕事など限定的ですからね。

 

また、僕は『可能性を奪う』という表現をしました。

 

いろいろな話があるのですが、例えば皆さんもスポーツ選手が様々な慈善事業や支援活動に参加されているのは知っている事と思います。

ある意味、自ら参加している人もいるでしょうし、もしかすると、それを行う事があるいみ社会から求められており、やらないという選択肢がないのかも知れません。

 

いずれであっても、彼らはそういった取り組みにも参加し、その結果、多くの人が救われている事と思います。

 

一方で、私は度々批判しますが、日本の資産家の多くはそういった活動には興味がありませんし、支える気もありません。

 

スポーツ選手には家庭が恵まれた人もいないわけでもありませんが、多くは、我々と同じ普通の家庭で、才能が開花し、その結果夢を掴んで、金銭的にも恵まれる人でてきます。

 

しかし彼らの選手生命には限界があり、10年〜20年、短い人等数年でその選手人生を終えてしまいます。

 

その中でも前述のような取り組みをしているにもかかわらず、彼らは一時の所得が高いからといってその所得の半分は国が受取り、その一方で、資産を膨らませている人々は社会に貢献する事も無く、『所得』という物差しのみではかれば何らその差はありませんから、同じようにその半分をおさめるか、又は、ある仕組みによりその多くをおさめません。

 

いろいろと言いたい事はありますが、『所得』という概念で物事を単純に分類するのは実際はそういった人達にうまくコントロールされているだけなんで、本来は循環する社会を作る為に、より流動性を高める方向へもっていくべきなんです。

 

その辺は、いろいろな考え方がありますからどれがもっとも正しいという話ではありませんが(この手の話は常に社会にあわせて評価が変化するので)、そういった考え方や問題が有るという事は理解して、自分の考えがどうなのか考えたいものです。