何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

そもそもYahoo!JAPANは優良企業なんかじゃなかったんだよ

 

ソフトバンク解約者は要注意!ヤフーから毎月390円ずつ盗まれるのを止める方法 - ぶかろぐ

結構勘違いしている人多いけど、このやり方って、ソフトバンク云々ではなく、実際はYahoo!JAPANのやり方なんだよね。そもそもお客様サポート番号の非開示や、継続料金の解約フォームを作らないのはYahoo!JAPANの文化だよ。

2016/12/20 11:30

 

よんだ。

 

まぁ、ソフトバンク単体のサービスでも糞契約や糞手続きは多いからコメントの意味はないんだけど、実はこのやり方って、ソフトバンクがモバイル事業なんて始める前からYahoo!JAPANがやってたやり方なんだよね。

 

そもそも最近ではYahoo!JAPANというともはやベンチャーというよりも大企業であり、なんとなく優良企業のように思える(例えば爆速云々とかIT技術者向けカンファレンスとかでもやってるよね)発表してるけど、もともと彼らのサービスは、解約させない為の悪質な運用については日本トップクラスだったんだよね。

 

一番酷いのは、ネット企業なのに、そもそも有料契約の解約フォームがなく、もっと言うと、契約状況をネットから確認もできない。

で、今回の一件のように、カード明細などでその費用負担について気づいた人がいると、やっと請求を止めるように動くわけですが、今でこそ改善されたが、昔はその問合せ先電話番号すらなかったんですよ。

 

もっとも、かれらの場合は、そもそも企業問合せ窓口も準備していなくて、その時の言い分が「ネット企業である為」というものだった(当時)と思うんだけど、それに対して「解約がネットでできない」であったり、「契約状況がネットで確認できない」ってのは、いったい何なんだろうか・・・。ブラックジョークにもほどがあるだろ、と当時は話していたのを今でも覚えています。

 

そもそも、クレジットカード会社は必ずしも請求元について請求内容から明かしてくれるわけではないので、昔は八方ふさがりになる人もでて、カード自体を解約しないとだめって事態もあった。でもクレジットカードは、カード解約をしても、既に請求されている分の支払義務は残るので結局解約月までの支払は残るわ、同カードでの支払いをしているサービスの再登録(カードを解約しないとYahoo!JAPANの徴収をとめられないので)しないといけないわで惨憺たる状況になる事もあった。

 

正直、Yahoo!JAPANが普通の会社レベルになったかというと、今でも全然だめで、結構悪意のあるサービス設計をしている。

 

これはハッキリいわせてもらうと、結果的にそうなっているわけではない。

どう考えてもサービス設計者はその非合理的な状況を理解しているし、むしろ、非合理的な方向にサービスを設計している。

 

僕の中では、ハッキリいって、サイバー系と遜色ないぐらいネット悪なんだけど、なぜかYahoo!JAPANのそれについて論じる人はすくないんだよね。

 

僕は日本を代表するネットサービスであるYahoo!JAPANはもっとこの点に真摯に向き合うべきだし、お前らの純利益があれば、そんな悪質な事をしなくても十分利益はだせるし、それがこういったサービスのリーダー的存在である企業の責務だと僕は思うけどね。

 

僕は、いち技術者として考えた場合に、いろいろな場で登壇される方がいるわけだけど、そういった会社がこういう悪意のあるサービス設計をしているのを見ると、登壇している人に罪がなくても、「いや、お前、まずは自分の会社のサービスを顧客視点で見直してから言えよ」と言いたくなる。

「爆速」である前に「誠実」であるべきだし、お客様と向き合えないようなサービスを「爆速」でつくる意味などない。

 

大規模な組織であるとはいえ、やっぱりそういった場所に登壇し、様々な事についてスピーチしたり、業界のあり方について論じるような立場になるのであれば、もう少し恥というものを知るべきだと思う。

 

僕は日本から成熟した企業、つまり、世界でも戦えるような企業がほとんど出てこない理由もここにあると思う。

 

なぜならば、海外ではこういった悪意のある契約は場合により損害賠償の対象となるからなんだよね。

それだけでなく、当然そういった詐欺的なサービスについては、日本では「信頼」という謎の鎖で契約する事もあるが、海外では「信頼」のような曖昧なものはサービスの軸にはなり得ないのですよ。

 

そういう悪意のある制度や法律の穴を利用しないと設けられないようなビジネスレベルでは、まったくもって海外では真っ当には稼げないし、利用者の支持も得られない。

 

私の組織でも海外向けの事業をやっているわけだけど、個人情報の取扱(例えばクッキーの管理方法まで)本当に法制度は細かい点まで(少なくとも近年は)踏み込んでいて、どうすべき、という指標がハッキリしている国も多くなってきました。

そういった国では、当然個人の利益、例えばこういった解約をさせないような仕組みや、契約の存在が確認できないような仕組みを無効にできる法律があったり、そもそもそういった請求が違法であるという明確な制度が制定されていたりと、消費者保護についてもしっかりとした環境が整備されている。

その一方で、同時に、個人情報の利活用についても、保護をしっかりとするわけだから、一定の措置を講じれば個人情報の活用を合理的・合法的に認めるという制度も整備されており、結果的に企業もそういった情報やデータを積極的に活用できる素地が整う。

 

だからこそ、よりよいサービスや合理性の高いサービスが生まれる。

イノベーションというものは環境が作るものであると僕は思う。

どんなに素晴らしい素材や素質がそこにあっても、それを生かす環境がなければそれは芽を出さない。

 

日本ではそういった合理性の高い考え方ができない素地が未だに残っており、それが成長を阻害しているだけでなく、日本でしか商売が成立しないような、非常に未熟な商環境に陥れているという状況であり、まさに負の連鎖でしかない。

 

常々言いますが、ネットをより良い環境にする事は、利用者の為ではなく、それはネットでビジネスをする企業自身が、10年後、50年後にもその環境でしっかりと利益を上げる、つまりは企業継続性についての取り組みであり、これは事業命題でもあります。

 

この判断については、余地がありません。

 

その事が理解できない限り、どんどん海外の成長と日本の成長には乖離が生まれ、今多少勢いのある企業であっても利用者事態がグローバルな環境に慣れることで、サービスの選択が日本独自なものから、グローバルスタンダードなものへと移り変わる事は確実であり、その時になって慌てて制度や環境を改善しようとしてももはや手遅れである事は明らかです。

 

それはYahoo!JAPANの検索がGoogleの検索におきかわかったように、何れはYahoo!JAPANのようなポータルサイトも、グローバルなサービスに駆逐される日がくるでしょう。

 

あの時の衝撃を私は忘れていないし、恐らくは、このままではまたその衝撃は違う形で私たちの前に現れるのだろうな、と思わずにはいられません。

当たり前の光景がお金になると言うこと

 

『10分4000円ということに「えぇっ!」』と驚いた話 - 描かずにはいられない日記

逆ですよ。貴方は他人が10分4000円以上はらっても吐き出したいような負担がかかる、非常にストレスの高い内容を知人であるという理由で周囲に話していると言うことです。持ちつ持たれつとはいえそこは理解した方が良い

2016/12/19 11:44

 

よんだ。

 

まぁ、コメントに書いた「貴方は・・・」は、記事主がそういったことをしているかはわからないのでちょっと一方的なコメントで、別に批判したいわけではないのですが、ただまぁ、世の中、たいていの人は周囲の人、家族、夫婦、親友、知人、ご近所さんなどなど、何かしら愚痴や不満を漏らすことはあるでしょう。

 

ただ、今回の記事のネタのように10分4000円でも吐き出したいものがあるって人がいるというのは、言い換えると、人はそれだけストレスを抱えることがつらいという事でもあります。

 

また、値段は決して安くもなく「高い」と思う人もいるとは思いますが、まぁ、他人の愚痴なんて普通効きたくないし、そもそも愚痴ってのは、本人が正しいともかぎらないわけです。

 

見当違いの意見や考えもあれば、正しいけれども世の中の中でねじ曲がってしまうもの、その他、勘違いや、単なる意見などなどいろいろあるとは思います。

 

それもそれらを見ず知らずの人から受取、聞き上手に徹し、そしてそのたった10分間で相手に満足感というか爽快感を与えるというのは、ある意味神業的なものでもあるのかなぁと感じます。

 

この商売自体は、ある意味キャバクラのビジネスに近いのですが、そもそもこれって日常で無意識的に他人に投げつけているとすると、逆に怖いなと思わなくもないですね。

 

夫婦でも、夫が職場の愚痴を妻に、妻が日常やママともの愚痴を夫に、子供が学校の不満を親に、両親が・・・などなど、無意識にそういったものを周囲の人にぶつけているとすれば、逆にそれだけの負担・ストレスを与えているのだな、と感じてちょっと怖いですね。

 

まぁ、冒頭にも書いたように、大抵の場合はみんな吐き出しているような状況だと思うのですが、環境によっては一方的(夫から妻、妻から夫、カースト上位のママは下位のママへなど)な状況が生まれることも否定できません。

 

そういった状況になると非常に恐ろしいですね。

 

核家族化や少子化、ご近所付き合いの現象など、さまざまな事情で家庭や人は孤立しやすい現代ですので、結果的にはこういったビジネスがより成長しやすくなるのかなぁとは思いますが、こういったビジネスを見たときは、やはり「なぜ」という視点と「その背景や影響」について冷静に考えたほうがいいのだろうな、と思いますね。

 

夫であれば仕事のミスを会社で起こしたとして、それを家庭に持ち帰らない努力であったり、妻であればママとも関係の愚痴を過剰に夫に愚痴らないとかそういうことでしょうか。

 

ただまぁ、あまり自分の中にため込むのもよくないので、どこかで上手くガス抜きする事は大事だと思います。

 

個人的には、女性の愚痴は女性同士で消化する方が無難(男性とは考え方も違う部分があり、多くの男性は、女性が望む形の対応ができない・・・)ですから、女子会というのはある意味よい文化なのかなとも思います。

同様に男性も職場や仕事の愚痴を言えでお酒を飲みながら家族にぶつける状況になるのであれば、月に1回や2回は外で家族以外とお酒を飲んだり、どうしてもダメならそういった愚痴がはき出せる環境を準備した方がいいのかなとも思います。

 

近い関係であればなんでもわかってもらえると思いがちですが、冷静に考えれば、近い関係であっても、他人は他人です。

 

自分ではない誰か、は、少なからず自分ではない意見や考え、感じ方をするわけですから、愚痴る側もその点は少し配慮できるといいのかな、とも思いました。

 

PSVRを極力転売目的の人に流さない方法

12月17日にPSVRの再販が行われましたね。

 

結局、話を聞いてみると前日徹夜組や始発落選組みなどあいかわらずの事で、だいぶ大変そうだなぁという感じです。

 

前々から思っていたのですが、そもそもPSVRなんてPS4もっている人しか買わない(買わないわけではないですが、持ってない状態で買うってのは相当レアですよね。プレゼントとか、同時購入とかそのときだけですから)

 

なので、PS4の中で、Store販売すれば確実にお一人様1個しか購入できない(ライセンス関連の製品はそもそも重複購入できないように現状システムもなってますからね)し、仮に自分でかったものを転売したいならすればいいですが、1個しかかえないので、被害は実際のところ1台のみですし、何よりPS4の所有者全員が5万円もだすのかといえば、まぁ、出さないですからね、そう考えるとそれで全て決着すると思うんですがね。

 

転売自体にソニーに利益がない(ソニーからの出荷コストも卸価格も変わらない)し、小売店も原則定価販売をする以上は、整理券の配布や抽選など、台数も少ないし儲けもすくないから、別に直販のみにしてもいいと思うんですよね。

 

量産できるなら販売店経由がいいとは思うけど、現状ではねぇ。

近場の店舗では50台程度しか入らないって話だったので、50台じゃ人件費も稼げないと思うから、別に販売店にもほとんど恩恵はなさそうだし。

 

まぁ、PSStoreでの販売だと販売個数を制限する仕組みが今はないと思うので、その点のみアップデートできればそれで全ての混乱は収束しそうですけどね。

 

あとはあれか、故障や紛失時の再購入に関する制限の対応をどうするか、って話ですが、そもそも故障なら修理対応で、修理ですまない場合は、引き換えで新品購入でOKですから、実質紛失対応ですけど、PSVR紛失って・・・、まぁ、発生した場合は、そもそも品薄時期は残念ですが、無理って事でもいいんじゃないですかね。

 

なんでソニーはやらないのかなぁ。

 

これだけ出荷数少ないと量販店に直販限定の方が混乱もないから、明らかによいとおもうんだけどね。

 

あぁ、冷静に考えれば、直販のWebショップならアカウント連携すればそもそもPS4の所有状況も確認できるんで、即それで実現できる気もしますね。

 

是非ソニー関係者の方はそういった対応をしていただければと思います。

レビューといいつつ、自己以外の評価を否定する人

 

MacBook Pro Late 2016レビュー: おっとTouch BarとUSB-Cの悪口はそこまでだ | Stocker.jp / diary

新旧機種の評価は人それぞれ。私も新機種を借り入れちょっとテストしましたが結局旧機種の利用としている一人。ちなみに私の部署では同じテストの結果もう一人は新機種へチェンジ。貴方の評価が絶対なわけないでしょ

2016/12/09 09:56

 

よんだ。

 

ご自身のレビューについて私は同意するところもあれば、違うよそれは、と思う所もあります。

根本的にコネクターが変わった時点で、以前の資産の使い回しができないというのは、長年愛用しているものからすると「もういいかげんにしろよ」としか言えません。

個人的には、いい加減ACアダプターで金儲けするのはやめて欲しいし、この問題はもう脈々とApple製品に受け継がれている悪しき伝統ですからね。

(昔は電源ケーブルが断線した時に純正品の購入だけでも非常に高価だったんだよ)

 

それはともかく、私も他人のレビューには否定的な意見を述べる事はありますし、それは個人の意見としてありだとは思います。

 

が、そのレベルには流石にやっていいレベルと、それ裏取りしたのか?というレベルとあります。

 

前提として、私は新機種も旧機種も、もっといえばその前も、もっと昔の機種も使っており、それほど愛好者というわけではありませんが、Macの歴だけでいえば糞長いです。

直近ではiOSの開発の影響もあり、ここ数年は業務のメイン機をMacBookPro(現行機はMid2014)としています。

ちなみに「Mid2014」となっているのは僕が前回の新機種の発表時に「Mid2014」に満足していた点と、OSをこれ以上糞バージョンで使いたくなかったので駆け込み購入した為です。

 

また私のところでは、新機種は一度レンタルして評価する事が可能です。

実際私は現状のMacBookProを使うまでは数年間レンタルでした。

レンタルとすることで常に最新機種を試すことも可能でしたが、結局は今回のように見送る事も少なくありませんでしたね。

そういった事もあり、私自身、新旧機種の比較はしている人間として、あの記事の自己の批評が全てで、他人の批評は糞とする姿勢はレビュワーとしてもどうなのよ?と思うレベルです。

 

例えば、元記事では「例えば 以下のようなことが書いてある記事は完全に間違っており、記者やライターがMacBook Proをまともに使用せず記事を書いた可能性が高い です。」とした上で、「Touch Barモデルはescキー、ファンクションキーがないため一部の操作ができない、Vim使いが困る、動かないアプリがある等」という評価をしている記事としていますが、これは私は直前はてなの記事でみた記事を特定できるレベルの引用であるとの認識です。

 

で、事実はどうか、一部誤り(または表現が雑)であるものの、私もESCとFNのあり方には疑問を感じるし、実際アプリケーションや設定に依存するので「糞」と思っていますから、私も嘘つきという事になりますね。

実際問題、元記事にもあるように「なくなった」わけではありません、状況により操作方法が変わるというのが正しく、ある程度は変更可能ですから、別に「無理」という状況に陥る事はありません。

が、結局それは「困る」状況を生み出している事は事実で、私と一緒にテストしたスタッフも「え、これどうすんの?」的な事を最初は至る所で声をあげていましたからね。

私もそうでした。

TouchBarの絡繰りを理解しても、体が簡単にはそういった動作について行かない事は私は普通にある考えます。

私は、Windows機とOSX機を同時に使うのですが、ブログでも誤字が多く、その最大の理由はキーピッチの違いとキー配置の違い、さらには辞書の違いによるストレスです。

操作というのは、どんどん染みついていくもので、キーピッチが少しずれるだけでも実際にはストレスになります。

キータイプが早い人、ショートカット的な要素を組み込んでいる人、特定反復操作を行うような人、こういった場合は特定のキー配置が操作性に致命的な影響を与えます。

その事を「困る」と私は元記事がおとしめた側の記事では表現していると理解したのですが、あの記事の記事主は違うようです。

 

また、次の部分も「は?」といわざる得ません。

まず「また、以下のようなことが書いてある記事は半分正しいが、半分間違っている といえます。」と書いた上で、「USB-CはこれまでのUSB-Aと端子の形状が異なるためアダプターを経由して接続しなければならず、配線がごちゃごちゃになる」であったり「MacBook Proを使用するためにはたくさんのアダプターを購入する必要があり、ムダなお金がかかる」という例を挙げています。

これも私は幾つかのブログで見かけたフレーズで、ある程度特定個人の記事を狙い撃ちしているようにも思えますね。

意図してここまで特定しやすくしようとしたのかどうかは、記事主の人となりですから、なんとも言えませんが。

で、事実としては、旧資産の使い回しはできませんから、それは評価として「USB-CはこれまでのUSB-Aと端子の形状が異なるためアダプターを経由して接続しなければならず、配線がごちゃごちゃになる」以外のなにものでもありません。

 

違うんですかね?意味がわかりません。

 

おそらく、新機種なんだからそもそも資産全てを買い直すか、あきらめて追加投資をするのがあたりまえだろ?

といいたいのでしょう。

実際記事ではそういった評価をした人間に対して「考える力が少ない」といわゆる情弱判定をしています。

 

よくわかりませんが、Macを長年つかってきた人間からすると、特にここ最近の「ACアダプター商売」は意味がわかりません。

変わる事によるメリットはゼロではありませんが、その得られるアドバンテージが追加投資を上回るものであるかと問われると、いったい何と比較しろというんや・・・としか言えません。

また、「USB-C to USB-AアダプターはAmazonで298円くらいから購入できるので、MBPをメインマシンにされるのであれば、USB-C to USB-Aアダプターを従来のUSB機器に接続しておけば特に不便なく使用ます」という一文ですが、私からするとこの一文が一番気持ち悪いですね。

 

さんざん相手のレビューには「中途半端」「考える力が少ない」とののしっておきながら、安物変換アダプターが機器に与える影響について一切考えない。

例えばMacでUSBの利用用途してはバックアップ(TimeMachine)があるわけですが、そんなところに安物アダプターを挟むなんてあり得ません。

信頼性をためるべき箇所に、安物アダプターを差し込み、場合によってはデータだけでなく機器の寿命も縮めるとか正気かと。

 

もっとも、バックアップなので私が機種を変更した際は、素直にバックアップディスク自体を買い直します。

負担としては2万円程度あれば済む話ですから、費用の面はどうでもいいのですが、むしろバックアップの連続性が失われる事の方が若干気持ち悪いです。

 

僕は、このレビューは1つは「新しく機種を買うなら」という前提であり、継続利用時の想定はあまり役に立たないレビューであると考えています。

 

理由は単純で、そもそも買い換えが必要である点や追加投資が必要な点は全て「仕方ないよね」ですましており「いやいや、マイナス点はちゃんとマイナス評価必要でしょ」と突っ込みをする以外に何も言えません。

 

記事主のいう「変える事によるメリット」が、少なくとも追加投資や得られる体験でマイナスを上回らなければならないわけで、その判断は人によります。

僕からするとACアダプターを全ての事務所にまた買い直すなんて糞食らえですし、それを上回るアドバンテージが新機種にはなかった、だから僕は買い換えなかった。

ただそれだけのことです。

 

TouchBarが優れている。だが、僕からすると、そもそもTouchBar自体それほど興味ないし、付加価値にならない。だとすると、追加投資が必要なマイナスを埋める箇所は他にあるのか?となるわけで、スペックの上昇もまぁなくはないけどもそれほど求めてないし、会社負担とはいえ、メリットの少ない機種交換をするというのは自分の美学に反するのでやらない、ただそれだけのことです。

 

もう一つは「お前の意見なんてしらねぇよ」という考え方です。

Macに限らず大抵のレビューは人の主観によって書かれるものです。

ですから、大抵偏った意見になるので、それ自体の批判する事にそれ程意味はありません。

いや「僕にとっては」を「貴方にとっても」にする意味なんてないじゃないですか?

ただ、一部の商品ではすれを許せない、その事を理解できない、という傾向があり、その典型であると私は思います。

 

ネットの悪い一面ですね。

 

当然、僕と違う意見を持つ人、特に買い換える事が当たり前である的な意見には僕も「もうそういった偏ったレビューいらないから」という意見は述べます。

ただ、その話は、具体的な部分があり、その事を相手に対して述べる話で相手の体験や記事が「嘘」であるということはありません。

 

感じ方が違う、表現が違う、というのは誰でもあります。

それをもって「嘘つきだ」とまでいったり、「金で書いている」とまでいい、相手をおとしめるのは、何のためなんでしょうね。

 

正直、数あるレビューの中でもなかなか酷い記事でした。

 

 

内輪の話で反論するとか価値がなさ過ぎる

 

「ネイティブ広告ハンドブック」はライターなら読み込んだほうがいい。それがなぜかを解説しておく | sakaiosamu.com

どうでもいい話だったがこの反論はまた糞だな。手弁当で頑張ったからとか、努力があったとか正直どうでもいいだろ。業界団体の意義は裾野から天辺まで如何に正しく動かすかであって一部が頑張ったからなんて意味ない

2016/11/11 15:48

 

よんだ。

 

正直元の話題からそれほど興味がなかったので読んでもほぼ無反応だったが、なんかいきなり内輪を知る人間が「こんなに努力しているんだぞ」って話し始めて、そっちの方向の内輪ネタなんていらねぇよって感じた。

 

そもそも勘違いしているのは、業界団体やその活動というのは広く認知させ、関わる人全てに理解させることで、業界全体を正しくするという事にある。

 

未知のものは理解し、正しく導くという意味もあり、それは、誰の為でもなくその業界自身が外部からの批判やそれに伴う制約を受けないよう、自ら正しく運営するという事を目指す物で、利用者の為でもなければ、視聴者の為でもない。

 

ではその業界関係者は博識な人間だけなのかといえばそんな事はない。

そもそも、糞のように知識のない人間をたんまりと生み出したのは団体のトップに君臨する面々であって、お前らの今までの努力がたりねーからこうなったんだろうがとしかいえない。

 

正直、放送事業や広告事業ってのは制限がヌルすぎてもっと法律で規制しても良いと思う。

 

詐欺のような事を平然と業界団体が放置し、混乱をきたすような事すら自ら取り締まることや律することもできないような団体に価値なんてない。

 

ましてや、自分達の領域に、新しいものが生まれ成長しているときに、そもそもその道のプロで業界を正しくすべき側の人間達が、裾のまで浸透させられるかどうかなんてしらん、とか、読めない方がわるい、とか、手弁当で頑張ったんだから、とか、それ、なんの意味があるの?

 

そもそも手弁当で頑張るような状況ってことは、業界団体が適切な努力をしていないって事を宣言してるだけなんだけど?

 

そんな事だから、正しい規制やルールが作られず、詐欺のような契約や商売、手法がさも当然のようにまかりとおるんだよ。

実質的に価値のない、内輪での表彰ごっこに使う金があるならちゃんとガイドラインやハンドブック、それこそ人材育成の為に金使えよ。

 

自分達がどれだけ甘いのかもう少し真剣に考えろ。

 

業務の大半は、どの業界であれば末端の人間が回しているわけで、それに関わる人間全ての程度の問題はあれ、正しく伝えられるツールが作れないと意味なんてない。

 

ガイドブックが難解なら、少なくとも簡易ハンドブック程度作ってから物はいえよ。

 

JIAAの事業方針には「人材育成、業界トレンドの把握と共有、情報発信などの事業を実施し、内外への教育・啓発を行う。 」という項目もあれば、「消費者保護と媒体価値の維持の観点から、業界基準として必要なガイドライン等の作成や啓発を行う。」などもあるんだが、言葉だけで実行力はゼロってか?

 

人材育成ができもしない、消費者保護の役に立たないような活動を、それも団体は金も出さないとかもはや存在価値もないんじゃないんですかね?

 

反論の意味もわからんし、価値もないよ。

『そうである人』を助けるには『そうでない人』も救わなければならない

 

子供がいないことはそんなに特別なことなのだろうか。 - Everything you've ever Dreamed

そもそも子供がいる親が休日出勤しない場合に子供のために尽くしているのかという疑問はあるよね。僕は休日出勤は子供のいるいないに関わらず出勤できる人がやるべきで、それが足りないなら公平にすべきと思う派です

2016/11/10 17:16

 

よんだ。

 

文末でしっかりと落とすところは流石ですね。

 

僕は、基本的には子供を中心として如何に社会を改善するか、という事に比較的積極的な人間です。

 

が、それであるからこそ『そうでない人』、つまり、子供のいない人についても同様に配慮する義務があると考えています。

 

例えば元記事の話でいえば、子供のいない人は土日子供のいる人よりも余裕があるのでしょうか?

私は独身時代、土日といえば平日にできないことをまとめてやる時間に当てており、正直それ程暇ではありませんでした。

 

そもそも平日からパートナー(未婚・既婚問わず)がいる人の予定に配慮してスケジュールを調整し、子供いる家庭にも当然配慮していたわけで、システム関連の大きな対応の夜勤やトラブル時の徹夜、お客様先の接待、海外出張など、いわゆる時間がかかる仕事や比較的面倒な仕事は独身である私が比較的多く引き受けていました。

 

まぁ、それは結婚した今もあまり変わりませんが。

 

冷静に考えれば、平日からそもそも『そうである人』に配慮を行っているわけで、そのしわ寄せを土日に行ったりするわけです。

それは役所への手続きであったり、確定申告の準備であったり、資格取得の勉強であったり、友人との交流であったり、そして当然趣味である映画鑑賞やゲームであったり。

 

どんな人であっても基本的に1日は24時間しかなく、残念ながら『そうでない人』だけが優遇され、時間をもてあましているわけではありません。

 

当然『そうである人』つまり子供がいる人やパートナーがいる人と比べれば、個人の時間と言われるのもは制限がなく、より個人の時間に多くの事ができるだけでなく、その時間も比較的調整しやすい事は事実ですが、それであっても万能ではありません。

 

『そうでない人』が土日をつぶして振替休日をとれば平和であるという事は幻想で、例えば友人との交流を考えても、私が火曜日に休んでも、相手が火曜日に休めるわけではありません。

同様に、国家資格の試験日は私の都合で変更されませんから、土日に集中する必要がある事情も動かせません。

『そうでない人』にとってもその1日が実は凄く大事な1日で、その影響はもしかするとその人の人生にも影響する可能性もあります。

 

こういった時に『貴方は独身だから』というだけの理由でそういった環境を押しつけてしまえば、『そうでない人』は『また押しつけか』という気持ちになる人は少なからずおられるわけで、それを『こころが狭い』と批判する事はそれこそ心が狭い人間のする事です。

 

元々、そういった仕事は公平にすべきで、事情がない人がいるならば、既婚・未婚・子供のいる・いないに関わらず、一番事情にあった人が対応すべき話です。

 

それをある『属性』であるという事を前提に決めつけや、押しつけをしてしまうというのは『貴方は女性なのだから』であったり『男のくせに』であったり『恋愛は異性とするもの』のようなある固定的な考え方を社会として押しつける事になり、私は社会としては良くないと考えます。

 

『住みやすい社会』を作るというのは、誰かにとって住みやすいではなく、誰にとっても住みやすい社会にすべきで、その為に誰かを一方的に犠牲にし続けてよいわけではありません。

 

社会維持費の負担でいえば、独身世帯の方が圧倒的に負担が大きく、状況的には弱者であることは否定できません。

 

現状の社会はどちらかというと独身であることや子供がいないことについての配慮が少なく『そうである人』にばかり目を向けがちです。

その結果、全ての人ではありませんが『そうでない人』ばかりが負債を押しつけられるという感覚に陥る人が出てくることは否定できません。

 

子育て支援の議論の中でよくでるフレーズとして『貴方も子供だったでしょ?』という言葉があります。

人は皆子供時代があり、その時社会が支援してくれているわけだから、今度は貴方が社会の一員として子育てを支援してあげるべき、といった趣旨の話です。

 

私はこのことは『そうでない人』への配慮でも同様だと思います。

人は最初からパートナーがいるわけではありません。

あるときパートナーが見つかった人や、あるとき子供を授かった人は『そうである人』になっただけであって、皆最初は『そうでない人』から始まっているわけです。

 

『そうでない人』が確かに自由かもしれませんが、パートナーがいる人が得ているようなものは当然得ておらず、子供がいる人が得ているものも持っていません。

どちらが多くの幸福を抱えているのか、と考えた時、ある部分では『そうである人』が『そうでない人』にもしっかりと目を向け、配慮していくことが大切で、そういった配慮が、『そうである人』と『そうでない人』の関係をより良い物にすると私は思います。

 

ある属性であるから、少数であるからなど、特別な色眼鏡で見なければならないという事そのものが本来は問題であって、そうする必要がない、お互いがあたり前のようにお互いの事情をくみ取り、上手く支援しあえるようにすべきであって、それは一方的なものであっては絶対にならないと私は思います。

 

私は既に既婚者ですから、少なくとも何度かは周囲の方に配慮していただいている事もあります。

だからこそ、私が受けられる負担は私が受けるべきだと思いますし、相手が独身者であろうがなんであろうが、それが個人的な事情で、別に特別なものでなくとも、負担をお互いに支援しあう必要があると考え行動しています。

 

過剰に『配慮』するばかりが支援ではありません。

環境を正しく回し、相互に支援できる社会にする事も一つの『支援』であることはわすれないでほしいと思います。

米大統領戦から見える民主主義の限界

米大統領選も終わり、下馬評を覆し、結果を見ればトランプ氏の圧勝でした。

 

そもそも彼が大統領になる可能性は低くなく、最もその確立を上げてしまったのは、対抗馬がヒラリー氏であったという事でしょう。

 

1夜明けて、全米では反トランプのデモが行われていると言う。

そのこと自体は権利として認められているので私は良いと思うが、中にはいささか民主主義を否定するものであって、その内容は彼らのいう「自由」の侵害ではないのかとすら思う。

 

確かにトランプ氏は過激な発言を繰り返し、おそらく政治的素養もそれ程持たない。

実際のところどの程度実行力が有るのかも未知数で、ある意味、当選してしまったこと自体を彼は多少後悔するのではないかと個人的には感じている程ではないかと思う。

 

だがそういった彼に対してであれば、何を言っても、何をやっても許されるわけではない。

 

そもそも彼が大統領になったのは、ある意味非常に大きな制約の中での結果であり、通常であればそんな事は起きえないほどの逆風の中での勝利であるのは言うまでもない。

 

多くの芸能人は彼に自信の名前や楽曲を使う事を拒否し、ほぼ全ての新聞やテレビなどのメディアは彼と敵対し報道にすら制限を設け、そして世の中では彼の支持者は短絡的(事実差別発言はしていたが、彼を支持する理由は様々であり、ある一つの発言をもって支持者を十把一絡げにするのはまさに差別でしかない)に差別主義者であるというレッテルを貼り、一方的な攻撃対象とする事を正当化され、表向き彼を支持すると発言する事ははばかられるような状況であった。

 

正直、これだけの状況下で大統領選をあれほどの差で勝利できるというのは、まさにアメリカンドリームであり、自由の国であることの象徴であると私は思う。

 

おそらく日本では起きえないし、ヨーロッパでももう少し時間がかかるレベルの事象である事は明らかで、自由の国の人間がその事に目を瞑り、結果を全力で否定し、さらにはそれを攻撃という手段にまでエスカレートさせるような事があれば、まさに民主主義の死であり、アメリカの自由は完全に失われたと言える。

 

得票数の上では云々という意見もあるが、大統領選の制度が今の形になったのはトランプ氏を勝たせる為だけのものではない。

結果がでて、自分達の意に沿わない結果を生んだのは環境や社会に問題があるのだ、などという意見を正当化すれば、テロリストの自己正当化と全くもって同じで有り、それこそ対テロ戦争も敗北したと宣言するようなものだ。

 

私は「一番怖いのは「やってくれた」という感覚を有権者に植え付けてしまうこと」という記事を結果前に投稿している。

 

彼は大統領に就任し、現実と向き合ったとき、確実に一つしかない選択肢を選ぶ事になる。

 

それは、全てを捨てて、一つの結果を得る必要があるという事。

 

メディアや世論では彼の放言一つ一つに意見を述べているが、僕は彼はそれのほとんどについて手を動かす事は直ぐにはないと思う。

 

理由は単純で、彼の一存では何もついてこないからだ。

 

その為、彼が選択する事というのは、自分の意見を同意せざる得ない環境を如何に作るか?という事で、その為にあらゆる課題の中から最もインパクトがあり、最も否定できない問題について一つに注力して解決する事を目指す事になる。

 

今のような対立構造が続くと、最もマイナスを受けるのは反トランプ陣営と言うことになる。なぜなら、彼はその最初の一つの実績を反トランプ陣営の沈静化にする可能性があるからだ。

 

おそらくこの状況で大統領に就任すれば、上下院限らず、彼に単純に賛同する事は難しい。その為、彼に賛同するだけの根拠がなければならないが、その根拠はそもそも両院の信任がなければ進まないという悪魔の証明に近いものであった。

 

しかし、そこに反トランプという行動が出てくることで自体は一変する。

反トランプ行動は、おそらく暴力的なものも含まれるであろうし、差別的なものも含まれるだろう。

そういった行為を適正化するのに対して上下院ともに反対する事はできず、結果的に彼がそれを抑える事ができれば、彼と両院の関係には一つの前例ができる。

当然、反対運動が収まってしまえば、それは彼の実績となる。

 

前例とは恐ろしいもので、最初は小さな合意であっても、段々とその前提を元に大きな合意へと動き始める。

 

結局、今の反トランプ運動というのは、相手方に対して非常に都合のよい切っ掛けを与える事になるだけで、彼ら自身の利益にも理念にも伴わない。

 

結果として彼がどのような大統領となるのかはわからない。

もしかすると彼は害のない在任期間を過ごすかも知れないし、歴史に残る結果を生むかのしれない。

が、それはおそらく彼自身にもわからない事で、まずは蓋が開くのを見守るしかないし、むしろ冷静に対峙する必要がある。

 

仮に彼を追い詰めると言うことであれば、もっと単純な方法がいくらでもある。

 

例えば過去には女性スキャンダルで罷免直前まで追い込まれた大統領(それがヒラリー氏の関係者であることは皮肉なものではあるが)がおり、奇跡的に罷免はものがれたものの、トランプ氏の過去を見る限り、追い込む方法はもっと合理的にいくらでもあるように思える。

(もっとも、その方法が理性的なものであるかどうかについては別な議論だが)

 

何れにせよ。

 

選挙結果を受けてのアメリカを見ることは、どのような書物で読むよりも、民主主義の限界というものを表しているのだと本当に思う。