何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

緊急記者会見であらたに責任者他の在籍メンバーに押し付ける監督・コーチをみて在籍メンバーはどう思うのだろうか

日大の内田元監督および井上コーチが緊急記者会見を開いたわけですが、まぁ、進行も中身も酷い。

 

まず、全般的に質問される内容は素人でもわかっていたはずであるにも関わらず、指導の問題であった、自分の責任といいつつ、度々「負け越しのチームを強化するために…」「4年生は本当にしっかりやってくれた」「1年違いとはいえここまで違うというのを理解していなかった」と、実質的には在籍メンバーが無能であったと責任や学生にあるという表現を続ける始末。

 

本人達は気づいているのだろうか。

貴方たちはその行為を行ったメンバーだけでなく、とうとう他のチームメンバーも含め「お前たちの理解が誤っていたから」とこれからチームを支えていくべき在籍メンバーも地に落としているという事を。

 

アメフトに限らず、大学スポーツというのはメンバー入りできない選手、や新人、後輩を含め全員が一丸になって当たらなければ勝てない。

 

当時中心メンバーが当時の3年生、4年生であったとしても、その実績を作り上げたのは1年生から4年生、それ以外にもすべての関係者が築き上げたものであって、特定の学生や学年だけの実績ではない。

 

結局、こういった発言、認識でいるという事が、彼ら、つまりは日大という組織の危機管理能力はあまりにも低く、そして、指導者として未熟で本来であれば上に立ってはならない人物であり、学生を指導するような環境が整備されていないという事の表れだと思う。

 

 

アメフトは決して危ないスポーツの象徴ではないが、確実に危険と隣り合わせのスポーツであるのは事実。

そういったスポーツを、それも大学生という最も体力的にも伸び盛りで、血気盛んな時期の選手同士がぶつかる場をコントロールするものとしての知識も、決意も足りておらず、そういったメンバーを指導者として選択した日大の未熟さ、自治の崩壊、そしてそれを指摘できない関係者というのは、まさに日本の悪いものが凝縮された組織だと思わずにはいられない。

 

あの会見を見て、日大アメフト部の部員はどう考えただろうか。

自分たちまで地に落とされた状況をどう考えているのだろうか。

 

本当に中身もなく、メディアの対応も、大学の対応もお粗末で、歴史に残る胸糞の悪い会見だった。

ここまで追い詰める社会、組織とはいったいなんだろうか

日大アメフト部問題で記者会見を聞いていて思う事は、これだけ重い記者会見を成年とはいえ、大学生が、部員が弁護士同伴とはいえ個人で行わなければならないという理不尽さが、本当に辛い。

 

途中弁護士から現状抱える事件性の云々の説明もあったわけですが、この重い責任を学生という身分である個人が抱えているにもかかわらず、日大側は何もしないという、それも監督は理事でもある立場であり、迅速な行動、明確な意思決定が可能であるにも関わらず、いち学生が、まだ20歳という精神的には未熟な学生という立場で一身に背負うのみで、その支援もせず、本当になんという学校なのだろうか。

 

また、記者についても思うのは本人の意思として答えないとしているところを無理に聞き出そう、思う言葉を吐かせようとする魂胆が非常に気持ち悪い。

 

何人が監督、コーチ、組織への意見を引き出そうと試みたことか。

 

冷静に考えて、現時点では本人と組織(日大)側はなんら今後の決着がついていない以上、現時点で本人が組織に対して話せる事はなく、その事は繰り返し意見としてのべ、その都度、どのような事情があれ自分が起こしたことの事実は変わらず自分に責任があるという、本件を一身に背負う発言を繰り返すわけですが、その言葉を聞いて少しは察しろと、無能にも程がある、というか、本人達はそれを無理矢理にでも聞き出す事が仕事だと思っているだろうが、お前らの仕事の事情で個人の状況を追い込んでよいわけではないだろ。

 

また、他日大の学生に対して思う事もある。

それぞれ学生という立場で事情もわからない人も多いと思うのだが、おそらくは彼が今後少なくとも平穏な生活を送ることは難しいと思う。

それは、注目を集めてしまっているという事情だけではなく、文字通り組織の圧力であったり、場合によってはそれ以上のなにか(少なくとも相手は理事という立場にある人間であるわけで)によってより追い込まれる可能性もある。

 

彼自身は間違った事をした事は理解しており、事実を公表したところで許される訳ではない事も理解おり、さらには、少なくとも日大側が事実を公表する前に、個人で行動を起こしたことで、行動後の自分の立場がより厳しいものとなる事も理解した上で行動をしている。

 

そういった彼が、少なくともアメフトを止めたとしても、少なくとも在学中は、いち学生として、尊厳ある生活が送れるような環境を作る、そういった事には是非協力してほしいと思う。

 

また、組織から理不尽な扱いを受けているようであれば、それを明らかにするような行動も持って欲しいと思う。

 

そういった行動が、パワハラであったり、組織的抑圧のような理不尽な社会を少しでも軽減する行為であり、もしかすると次の被害者は自分であるかもしれないわけで、自分の将来を救う可能性もあるという事も考えて欲しい。

 

少なくとも、この記者会見を見て思う事は、個人が組織の全ての責任を負わされ、責任ある大人、責任ある組織が、身勝手な事情でその責任を果たさない、その不始末も含め、個人が、まだ学生という身分であり、いち部員という立場であった人間が、一身に背負わないといけない状況、そんな状況を作り上げる日大という組織は、もう大学としてはそれこそ教育機関としては不適格であり、監督やコーチの辞任のみならず、大学そのものの現執行体制を全て刷新しなければならない程の問題だと私は思う。

 

それがわからない事が一番の組織の問題であり、それをもしも大学に関わる人間が傍観するというなら、それ自体がおそらくは日本が抱える闇そのものだと思わずにはいられない。

 

そんな記者会見だったと思う。

 

弁護士によりある程度コントロールされている内容であったとはいえ、余りにも理不尽だと思った。

そこではない

 

弊社から社員が退職しました - megamouthの葬列

意味がわからないし、このエントリーを本気で問題ないと思って書いているならもう末期だよ。後輩エンジニアが一人休職しただけでも大変なのにそれが逆で先輩二人が休職した状態を「成長のチャンス」とか気が狂ってる

 

これがネタであっても個人的に怒りを覚えるのは、記事の内容についてではなくて、ネットの悪い性質があるのでその相性の問題について怒りを覚えているのですよ。

 

まず大前提として本人はタグにもあるように「ネタ」として書いている(と私は思っているが・・・)し、私の基本方針として個人が個人のブログ(彼は確か個人だったはず?)でどんな事をどのように書こうが基本は自由で責められるいわれはないのです。

 

ただ、この点エントリーは、他人に悪意をもって引用される事があり、ネタであるならばもう少しネタであるように万人(少なくとも大半の人には)わかるように書かれないと「日本のジョークは分かり難い」というそれこそ外国人から揶揄されるものでしかありません。

 

で、内容を読んで、読み解けばわかるものの、ただ流し読みし、彼の背景を知らない人からは、所謂自己満社長のポエムとして受け取られるわけですが、これをネタで笑って過ごしてしまうと、この手の話しをネタで済ませてよいという風潮が広がりかねません。

 

ネットでは前後の文脈や背景について深く読み解く人はほとんどいません。

 

その為、ある一定の内容について容認すると、それはその他でも誤認され容認するバイアスとなる事があります。

いや実際にはちゃんと読んだり、背景を知っている人間であればわかるのですが、ネットとは凄く残念なところでその背景や経緯を知らない人ばかりなのです。

 

そういった意味で、本人は「むしゃくしゃしてやった」という事なのですが、それについてコメントを書くときに「面白いよね!」と書いてしまうと、記事単体の意味(ネタとしての前後の文脈が喪失)と、それに対する切り離されたコメントだけが勝手に一人歩きする可能性があります。

 

所謂悪ふざけというものではあるものの、やはりジョークとはジョークと万人にわかるものである必要があり、海外でも一定の表現が定着しているのはその意味でもあります。

(突然新しい表現で人を弄ると希に炎上しているのは、つまりは伝わらないというだけで、ジョークにしているという意味では実は古典的な表現と変わらない)

 

そういった意味で「ネタにマジレスすんなよ(笑)」という意見がブコメでも散見されましたが、そこはあえて乗る形で、且つ、この手の話しはゆるさんよ?という意味も込めています。

 

ジョークを書く事も、書いた事も責めてはいませんしそれを批判をしているつもりはありません。

 

ただ、ネットという非常に微妙な空間でジョークを記録に残すというのは、なかなか難しいという事を示唆したかったというお話です。

ソフトバンクにも見られる後継者問題の難しさ

 

ソフトバンクの借金玉(有利子負債)、13兆8247億円まで膨らむ : 市況かぶ全力2階建

まぁ、ソフトバンクの課題は借金ではなく指導者稼ぎ頭ともに後継者がいないという問題よね。ヤフーは今期のEC展開が事実上最後の大規模なリビルドなので将来性は微妙で、且つ、最大利益のモバイルもそろそろ限界だし

 

まぁ、最終利益を見る限り貸し手としても貸さざるを得ない状況ではあるので、借金が膨らむのはそんなものかと。

 

一方で、目下の最大の問題は後継者問題であるのは投資家に限らず皆ここ数年心配している。

 

後継者問題には2つあって、一つは当然孫さんの後継者が育っていない事。

正直、ソフトバンクの業績の大半は孫さんの投資センスによるところが大きく、その源泉がなければ国内の糞大手と同じレベルでしかなかった。

ヤフー然り、モバイル然り。

だが、孫さんの後を継ぐべき人材はどうも育っているようには見えないし、先日の一件もあり、外部からの招聘もなかなか難しいと言わざるを得ない。

まだ数年はそれほど心配する必要もないが、元気な間に後継者にリレーしないと後継者の方も負担が大きすぎて辛みしかない。

 

もう一つは稼ぎ頭の問題。

これまでは明確にヤフーとモバイルの2本柱で引っ張っていて、どちらも時代の流れや打つべき手があり成長というものが実現できていた。

ただ、特にヤフーにおいては成長の要因は自社での内部投資(技術投資や開発により新たな収益を生みだす行為)による成長ではなく、ほぼ外部投資(既に存在するサービスやプロダクトを取得し自社の一部とする行為)によりもたらしたものか、リビルド(既に存在するサービスやプロダクトの再編により収益を増やす行為)によりもたらされたものであるため、会社自体が成長しているわけではない。

もっとも、リビルド自体は必要な事なので当然の行為なわけですが、これは本来同時に内部投資と両輪で行うべき事で、内部投資が上手くいっていない状況では限界がある。

正直ヤフーに関してはもうだいぶ前からちょっとした大企業病なのかな・・・と思われる節があり、早めに手を打たないとだめだろうなぁと感じていたのですが、数年見ている感じでは具体的な手は打てていないようです。

恐らくは生みだしている利益が大きすぎて簡単にはいかないというのはわかるのですが、にしてもちょっと楽観視しすぎかなと。

ヤフー単体で考えれば正直ぜんぜんどうでもいい話なんですが、ソフトバンクとして見ると陰りが見えると結構厳しい事になるのでそこも考えて動かないと死ねます。

 

モバイルについてはそもそも打てる戦略に限りがあるのであれなのですが、今後のスマホ需要の成り行きに任せるしかないという事は言えます。

現状は偶然にも景気が安定しており、総務省の活動による事業への影響などを見てもそれほど業績への影響はありませんが、景気が傾けば一気に崩れかねません。

そもそも通信事業の売上が右肩上がりを続ける事はないので、国内通信事業のみで考えれば成長は止まり一定の利益を上げる優良子会社でいてくれる以外にはありません。

が、ここも問題で、有利子負債が右肩上がりに増える会社なので、グループ全体では成長している事を常にアピールする必要があります。

そういった意味でも優良子会社というだけではだめで、高成長を続ける優良子会社でなければならないのですが、流石にそれも限界があります。

 

結局、孫さんの後継者がでてくれば現状の様な投資活動により稼ぎ頭を生みだし続けるという手法で問題はないのですが、それ自体が現状黄色信号なわけで、そうなると稼ぎ頭を内部的に増やすかまたは高成長を続けさせる必要があります。

もっとも、有利子負債を圧倒的に圧縮してしまう方法もあるのですが、返済額よりも借入額の方が多いのと、そもそもそういった方向に動くと市場が余計に警戒するのでそんな方向に舵をとる事も容易ではありません。

 

国内の起業家を見ても孫さん程のセンスの人はいないので、そもそも後継者なんて現れるのか?という問題があり、とりあえずもう後継者は現れないので、次の世代の稼ぎ方に今からシフトする方が傷口は浅くなるのではないかと思うのですが、孫さんの性格からいって自分が動ける間に院政のような動き方はしたくないと思うので、八方塞がりなんですよね・・・。

 

ソフトバンクに限らず、優秀な経営者からどうやってバトンを受け渡すのかという問題は結構国内では深刻な問題だと思います。

 

特にIT関連は時代と共に投資すべき領域の構成がめまぐるしく変わるのでそういった部分を面として捉えて動けるような人物でなければならず、これはもう個性というか天性の才能でしかないのでそういった人物を見つけ出す以外には方法がありません。

 

製造業でも後継者問題があるものの、個人的にはあれは環境の改善でなんとかなると思っており、それよりもIT系企業の経営者問題の方が問題なんだよなぁと思いつつ、まぁ、僕が生きている間にはまだまだそれほど深刻化はしないかな(次の世代はもしかするとバブル崩壊なみの不景気に見舞われるかも?)と無責任な感覚ではいるんですけどね。

 

そんな事を考えながら決算を眺めていましたよ、というお話でした。

それは読み手のレベルが下がってる事が原因

 

情報系ブログのいらん前置きとかイメージ画像の多用ってなんなの?→「ホント迷惑」「滅んで」という声多数。 - Togetter

意見は別にいいのだが、海外含めそれなりの情報ソースとなるサイトは普通なんだよ。結局情報の入手を困ったことの単語検索→ブログ程度の流れで処理している人が同族嫌悪に陥っているだけじゃねーの?としか思えんが

 

まったく理解できない。

 

まず、大抵の重要な情報は、一時ソースとしては公式や公式のメンテナンスに関わる方、その他そのテクノロジーに長く・深く関わっている方(利用者含め)など、ある程度この技術ならこの人、というものがある。

 

一方で、ニッチなものや先進的なものについてはほぼ情報がないが、これはそもそもソース読めでしかない。

それができないなら使うな。

 

情報系ブログには雑にわけると3つある。

 

1つは前述のいわゆる公式に近いレベルで広く情報を取り上げつつ、重要なポイントについては一時ソース(公式情報)へのリンクや現象面への言及を含んだ記事を作成されるサイト。

大抵はこれで事が足りる。

 

2つめは技術トラッカーというか、いわゆる自己の技術検証や調査をまとめている人、目的はまとめる事なので、1つめのサイトよりは詳しいものの、汎用性については限定的なものが多い、最近でいえばQiitaのようなサイトといえばわかりやすい。

 

3つめは前述のサイトの自己まとめサイト

自身で深く技術について理解しているわけではなく、どちらかというと2つめのサイトを薄めたようなもので、いわゆるニコニコ動画でいうところの「踊ってみた」のようなもの。

技術要素については目新しいものはないものの、2次的なまとめや検証である為、比較的わかりやすさはある。

 

情報として考えた場合、どれが優れているという事はない。

断じてない。

 

そもそも1次ソースを読んで理解できる人は、わざわざ自己まとめサイトのような情報を頼ることはないし、ソースで解決できる人はソースを読んでおわる。

つまり、読み手のレベルと呼んでいる先のサイトのレベルは同じという事。

 

貴方がもし意味不明な画像がふんだんにあるサイトにたどり着いているのであれば、それは貴方の情報検索レベルが乏しいか、またはそもそも貴方自身がそのレベルであるという事でしかないので、相手に怒りを覚える前に自分の技術を上げるべき。

当然、意味不明な画像がふんだんにあるサイトであっても有益なサイトは沢山あるだろう。結局は何れも読み手のレベルによるわけで、出して側が負うべき問題としては「間違った情報を出さない」という1点を除けばなにもない。

 

そもそも情報を出しているという事自体に僕は価値があると思うし、その情報の出し方についてダメだしするならお前がまとめて出せとしかいえない。

 

自分が読み手であるにも関わらず「少なくとも技術の世界で」出してが読み手の意見するなら、それは自分がまずは出してになるべきだろうと僕は思う。

 

自分でその面倒を背負えないのであれば傍観するか、またはもう少し感情のコントロールを覚えるべきで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

以上。

本質を理解していないので助言として

 

架空のサービスをリリースしたらTwitterを永久凍結された話|げんきくん|note

何を言っているかわからないんだけど、前提として日本人としてアカウントを登録していたならば、少なくとも規制されている大麻の酒肴を前提とした「発信」として普通にアウトなんだが・・・発信していないなら別だが

 

コメント通り、前提としてはアカウントを日本人という前提で登録している場合ですが、これは当たり前の事です。

 

で、原因は「架空のサービス」ではなく、大凡今回は法律に触れる恐れのある違法な行為について情報を「発信」している為です。

 

重要なのは「発信」しているという事です。

 

極論いえば、貴方が作ったサービスではなく、海外に実在する日本では規制対象となる違法なものを日本人が日本人向けに発信する場合も、通報などにより審査された後、凍結処理されます。

まぁ、内容にもよりますが、特に生命に関わるものや、麻薬や闇取引のような所謂「暴対法」の類いに抵触する内容については比較的厳しく処分されます。

 

このあたりは、特に昨今ヘイト問題や自殺問題などの影響で日本という国の利用者が特に意見を述べた結果もあると思われますが、海外よりも日本の方が厳しく処分される状況になっていると思われます。

 

まぁ、それは日本人利用者が望んだ結果なのでなんともいえませんが・・・。

 

正直、日本ではいわゆるブラックジョークの類いはTwitter社というよりも、日本人利用者がそれを受け入れられない、つまり、ジョークをジョークとして受け取れないというのは事実としてあります。

 

海外ですと、人の尊厳や宗教的な問題(もっとも、それすら彼らはゴシップとして扱う事を正当化していますが)、いわゆるノブレス・オブリージュ的な要素を含む話しを除けば大抵の事はジョークとして許容します。

 

それも相当偏った解釈と定義で。

 

ただ、日本という国は正直日本の教育制度の影響から画一化された思考しか受け入れられない状況が多々あるので(わかりやすいのが「ファッション」や「音楽」ですかね)、そういった思考から理解されないものは基本はじかれます。

そしてもう一つの問題である「中立の存在しない考え方」の影響もあり、基本シロかクロのような何れかの極論でしか判断、行動できないという点もあいまって、ジョークであるとわかっても「通報」という事に繋がります。

 

もっとも、今回でいえば法律に触れる内容であり少なくとも事実か否かというよりは、そもそも違法な行為を(厳密にいえば、大麻の酒肴がアウトではなく、所持がアウトなので、表現の時点での解釈は非常に難しいですが)発信すれば、それはまぁ、アウトかなというところですが。

 

文章からは情報を扱う事への自信が垣間見えますが、その世界で戦うという事であれば、そういった背景や変化も読めるようになるとよいかと思いますよ。

 

あと、これは余談ですが、今回のものはネタであってもそれなりにリスクのあるネタです。特定の勢力が自身の縄張りを犯していると考えれば、場合によっては危険な状況も発生しかねません。

なので、あまりそういった取り扱うのは、合法化されたとしても細心の注意をもってあたった方がよいです。

 

そんな感じですかね。

選択する余裕が生まれることと、選択する事は別だと思う

 

もうダメだ on Twitter: "1年前、ずっと憧れていた業界トップの大手に就職キメた先輩が「就活成功して引越して世界が広がったら新しい恋も友達も趣味もできた、そしたら未来の無い彼氏や不誠実な友達や閉鎖的な家族と自然と距離を置けるようになった、もう要らない」と幸せそうに話していたのを最近よく思い出す。分かる。"

んー、半分は理解できないなぁ。僕はそこそこの年収あるけども生活も大きく変えていないし、奥さんも別に高学歴の才女でもなんでもない。遊びも別に高尚な趣味でもない。お金の使い方や楽しみ方が単純に狭いのではと

 

 

半分は(状況として)理解できるが、残り半分はその人の生き方でしかないかなぁと。

 

僕は比較的早い段階で一度個人事業主になり、その後兼業サラリーマンのような状況に戻っているわけです。

当然起業家と比べれば全然稼ぎは少ないものの、(起業かと比べると)のんびり安定した生活、家族との時間とか、そういったいわゆる自由を得ていると考えています。

 

言及されている内容で共感できる部分は、自分の生活に余裕ができるという事の最大のメリットは「選択する事」ができるようになるという事です。

 

例えば、小学生は自分の生活について選択権がほぼほぼありません。

で、中学進学により人によっては学区の選択を行ったり、高校進学により学校外の活動に幅を広げる等、人は生活の変化に合わせて自分の生きる領域や生き方を変えていくことが可能です。

 

ただ、その自由というのは、その時の自分の余裕に依存するもので、学生であれば精々生活の基盤は親との同居によるものであれば、バイトを選ぶ程度の自由しかありません。

 

これが社会人になれば多少の変化が訪れます。

例えば(その人の価値観において)良い就職を果たした人は、その環境を得ることで精神的にも物理的にも満足感を得ます。

満足感というのは、基本的には余裕を生み出すもので、その余裕から選択をすべき場での決定に自由が生まれます。

 

学生時代の知人との関係についても、学生時代より疎遠になったとしても、個人の生活への影響は限定的であることが多く、それは新しい環境で得た関係(関係を持たないという選択肢も含め)により補完することができるためです。

 

結局、それを選ぶことができる、という事が余裕が生まれた人の権利であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

一方で、その選択を行うのか、というのは今度はその友人や知人など関係する人とのつながりによるものでしょう。

例えば、疎遠ではあったとしても、何かの時に「あいつとはまた会うだろうな」というものもあり、一方で、身近であっても「積極的にには会う必要もない」と思う人もいるわけですが、それはその人との関係によるもので、別にそれ自体は就職や自身が置かれたステージには依存しません。

 

ただ、人の縁というのは、自分の生き方に基本はよるものなので、切り捨てたい人ばかりであった、というのは、自分がそういった人と関係を持つという選択をしてきたという事であって、そういう人は、仮に新しい関係を築いたとしても、その後も同様の選択をするのだろうな、とは思います。

 

そもそもですが、金持ちってのは、思いのほか学生時代、そうですねだいたい高校生ぐらいであればその人の価値観に含めてきます。

高校、大学、学部、教授、専攻、最初の就職先、先輩、プロジェクト履歴、友人、知人、趣味、子供、子供の通った幼稚園、小学校等、本当にうんざりするほど人間関係について何かとネタを絡めてきます。

 

あの人は僕の大学の先輩であった、とか、OB会の関係者であるとか、もと〇〇商社だったとか、本当にそんなものばかりです。

 

資産家まで行けばそういった世界から多少離れるのですが、おおよそ企業勤め程度の金持ち、つまり役員であったり、職業投資家という程度の人は、正直関係を切り離すどころか、その関係を使って生きている人も少なくありません。

 

なので、結局のところ、それを清算することができるというのは、その程度のものでしかない、であったり、もっと言えば、清算しなければならない何かを抱えてしまっているという程度のことかなと。

 

当然、人によってはそういった柵が生まれながらにある場合もあり、それを切り捨てる事ができる自由を手に入れた、という状況もあるでしょうが、もしも普通の家庭で、普通に生きて、清算しなければならない何かを抱えていたとすれば、警戒すべきは自分の生き方であり、今のステージでも同じことをしない、つまり清算しなければならない何かを抱えないようにするよう、よくよく考えて生きるべきなのでは?と感じます。

 

投稿主の投稿内容を見ると社会人デビューの人ぽいので、逆にそういった事はよくよく理解できる大人になってほしいなと思う。

 

正直、本当の金持ちは大抵は金持ち以外を人だとは思ってなくて、彼らのコミュニティーに金を持たずに入る事は基本ムリです。

 

才能で入る事はできなくて、才能により金をを稼ぐことで、その金により参加する権利を買えるんだよね。

 

僕はこのことを知るのに5年ぐらいかかったわけなんだよ。

 

どんなに自分がそのコミュニティーに入る権利を有していると思ったところで、小金持ちは小金持ちのコミュニティーにしかいられないし、その小金持ちが多少稼いだとしても大金持ちからすると「がんばってるじゃん!」という言葉のみで、彼らのコミュニティーの扉が開かれることは絶対にありません。

 

ただ、これは実はすごくフェアな条件を提示されていて、お互いわけのわからないもので計らず、純粋に共通の物差しで計った結果でのみ評価しあっているという事なんだよね。

 

なので、そういったコミュニティーの周囲には才能なんてのはあふれているわけなんだよ。

 

ただ、その才能を生かすのは、自力で立ち上がるか、誰かに生かしてもらうかしかなくて、多くの人は後者であって、その時点でかなりふるい落とされている。

 

もし本当に自分が才能があり、何かをなせると思うのであれば、コミュニティーの感覚には流されず、自分がたどり着く場所をちゃんと見据えていないとダメ。

 

そうしないと、才能に対する評価なんてものは水物で、あっという間にゼロになる。

 

学生であればテストの結果や大会の結果、就活の結果とか、なんとなく評価軸がわかりやすいもので比べることができるわけなんだけど、社会人はそうはいかない。

 

今無名の会社に勤めている人が、気が付いたら業界でオンリーワンの技術をもっているなんてのはザラで、商社勤め、外資コンサル勤めで成功者だったと思った人が、普通のおっさんとしてサラリーマン続けていて、昔下に見ていた人に頭を下げる状況なんてのは普通にある。

 

特に外資コンサルとか商社勤めってのは、短期的には一瞬で違う世界まで到達できるので、その瞬間の成功は感じると思うんだけど、10年後にもその成功を維持している人は本当に一握りしかいないんだよ。

 

10年たってもまだそのステージにいるためには、目に見えない物差しを確かに感じ取って、環境に惑わされず、いつまでに、自分は何をすべきか、という事をしっかりと刻み、そして日々進んでいかないと、小金持ちどころか、充足した生活を送ることも難しくなるよ。

 

目先の利益を考えるなとは言わないし、楽しい事は十分楽しむべき、成功には喜ぶべきなんだけども、それが何処へ行くための通過点であるかという事をちゃんと見据えないと、その先の10年、20年、少なくとも65歳ぐらいまでは今の時代は現役でいなくちゃいけない人生になっています。

すくなくとも新社会人であればあと40年程度、僕もやっとその半分に到達する程度なので、その人生をどう設計し、どう過ごすのかという事、そしてその過ごし方というのは、実は自分がこれまでずっと積み上げてきたもので、他人の影響もあるだろうけど、自分の選択、制限はあれど、常に自分の選択によってなされているものだという事を理解していかないとダメなんじゃないかなと。

 

もし未来のない人を選択していた過去があり、それを清算することができていることを喜んでいるのだとしたら、なぜその選択をしたのか、その原因はなんであったのかを冷静に見つめることができるようになるというのが社会人として最低限芽を出すという事で、変化した環境に喜ぶというのは、実は中学デビューや高校デビューと変わらなくて、結果として得たものでありそれはそれは喜ぶべきことではあっても、あまり人生として振り返ると重要なターニングポイントではなかったという事になると思いますよと。

 

まぁ、そんな事は思いました。