何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

それはプログラムの問題ではなく関係者全ての数学的基礎能力が欠けていただけ

 

勤労統計問題の原因は「COBOLプログラムのバグ」 – アゴラ

一応COBOLを書けるものとして言わせていただくと、あの言語については見通しはよい言語なので、実行環境依存であるという環境周りの話しを除けばそもそも言語としては非常に単純で特殊性はないのだが誰がこの情報を?

 

単純に数学的知識が乏しかっただけの話しが、なぜかプログラム言語の特殊性のような話しにすり替わっている。

 

まず、勘違いして欲しくないのは、COBOLという言語は、書いてみればわかるが非常に単純で、一定の言語仕様、それも比較的単純なものを覚えれば書く事について負担のかかるようなものではない。

唯一の制限は比較的環境周りの書き方がお作法と呼ばれるレベルのものが環境依存である為、そういった点については経験がなければそもそもわからないし、ネットで調べても情報が出てこないという難点はある。また、シンプルな言語である為、計算式を言語を用いて展開するという点について難点があり、他の言語のように数式ライブラリを使えば一発、というような単純さはないという問題もある。

(なお、採用しているバージョンによるが一応そういったライブラリもある)

 

高齢者しかわからないとかのたうち回っているようだが、今の40歳あたりの工業系高校出身者であれば、普通に情報処理検定をCASLEまたはCOBOLで受けていた人も多いだろうし、読むだけならおそらく実務経験が無くともできる。資源へのアクセスや環境周りの操作が理解できないという点を除けば。

 

よって、単純に何が問題であったかといえば、恐らくは数式を展開する、数式の結果を検算するという基礎的な数学的な知識と実務的な確認を怠ったというだけでの話しで、プログラム云々もCOBOL云々も関係ない。

おそらくものがEXCELで作られていても、PHPで作られていても、Rubyであっても同じで、ただ単純にそういった処理が必要な事を完全に理解できていなかった、であったり、ご本人も述べているようにアウトプットから考えるとそういった処理が抜けてるんじゃない?というような事に気付けるだけの基礎的な数学的知識が現場全員、つまりプログラムを書いた人間だけでなく、それの結果を受け取った人間も含め、第三者からの指摘がはいるまで誰もそういった事が起きている事に気配すら気付けていなかったというだけの話しです。

 

何か着るとプログラムがーとか、エンジニアがー、と言いますが、そもそもそういったデータの検算というのは、昔から一定の値を用いてのブラックボックステストをすることは普通で、その場合のサンプルデータはそもそもエンジニアが準備するわけでもないのですよ。

 

つまりは、ボックス化すべき中身と、インプットする想定とアウトプットされる結果についてどのような期待値であるかを想定できるような人間が現場にだれもいなかったというだけで、単純に関係者全員がそういった仕事に向いていないというだけのことかと思いますよ。

 

それ以上でも、それ以下でもない、ただそれだけのこと。

 

結局のところ自浄作用を働かせたのかどうかではないかと

 

株式会社gramとフランチャイズ契約している店舗の家族からのお願い「怒りの矛先を本店ではなく地方の向けに抑えてくれればと思います」様々な意見や疑問 - Togetter

言わんとする事はわかるが、ただなぁ、例えば不正を行った会社が倒産したとしてそこで働いている多くの従業員には関係がない話しではあるわけだが、ただ、それを自浄できなかったという事実からは逃れられないよなぁ

 

フランチャイズに本部に対して意見する力などない、という反論は聞こえてきそうだが、それは言い換えれば、本部が不正を行った上で築かれた土台に自分達も乗っていると宣言しているわけで、つまりはそれは本部と我々は一体なのですといっているようなものでしかないと思う。

 

実際、これほど不誠実な商売をしている会社だとはわからなかったという事は理解できるし、まぁ、別にそういった程度の下調べしかできなかったという事は、大凡他人の事だから言えるようなもので、仮に自分にも人生の中で一切の見落としがなかったかと問われればきっとそんな事はないだろうとは思う。

 

が、結局、冒頭に述べたように、フランチャイズに参加するというのは、ある意味いろいろな自分達でゼロから作るべき信頼とか、商品とか、いろいろなものを本部と共有するという事にサインし、その上で、そういったノウハウを共有されているわけです。

 

言い換えれば、仮にそのノウハウや競争力が不正なものの上に築かれたものであったならば、経緯はどうであれ、結局の所その不正の結果を本部と同様に享受していたという事実は変わらないというのは明らかです。

 

そこに至る経緯に感動をも覚えるストーリーがあったとしても、結果は変わらないので、そこを世論に訴えても意味はあまりないのでは?と思います。

 

このケースに限らず、結局のところ、組織が起こした不始末というのは、一番身近な関係者が率先してただして行くしかないし、逆にそういった行動を起こせばむしろその点の理解はされると思いますし、そういった行動を評価し、味方になってくれる人も現れると思います。

 

そこで「我々は知らなかった」「我々も被害者なんです」と、今までは本部から与えられるその不正の上に成り立っていたかもしれない利益を享受しておきながら、状況が変わったら「やむを得なかった」と自己弁護をするのはちょっと自己中心的過ぎるとは思う。

 

せめて、そういった事が正しくないと感じるのであれば、まずはそういった元に築かれた組織とは手を切るという事を明言すべきだし、そういった行動をとるべきだと思う。

 

それから「身を粉にして働いている」というが、被害にあった側の会社だって海外から日本という異国の地で闘う為にそれこそ言葉もわからないような場所で文字通り身を粉にしていたと考えれば、自分達だけが一方的な被害者という立場をとる事が適切でないという事はわかるのではないかと思う。

 

わからなかった時について議論しても仕方が無いとは思うが、今はわかったわけですよね。だったら今はどうすべきか?という事だと思う。

 

その今はわかっているのに、自分達の立場だけを述べて、自己保身だけを図るような雰囲気を出してしまうことはより状況を悪化させてしまうことだと思う。

 

気持ちが全くわからない訳でもないし、一定の理解も示すが、ただ、それと同じぐらい店舗経営者であるつまり経営者としての視点でご両親の立場を見ると、もう少ししっかりとした対応をすべきです、というのが僕の助言です。

 

避妊具は嗜好品なのか生活必需品なのかという問題を言いたかったのかと

 

とむ2003 on Twitter: "エロ本を売り続けたことで、セブンが女性の人権を軽視ねぇ。 だとしたら、ドラッグストアで堂々と生理用品を売っていることは男性軽視なのでは? アレ、大きくて派手で目のやり場に困るんですよね。 持ちつ持たれつ、という言葉が消え去ろうとしてる気がしました。"

何を言っているかは理解できないが言わんとする事の推測はできる。例えば避妊具を子供に見せる事は妥当なのか?という親の意見を聞いた場合NOと答えたとすると、それはコンビニから撤去すべき理由なのかという事かと

 

と、言いつくろっても、流石に大人が生理用品をその程度の理解でいるというのはちと問題だと思うので、目も当てられない現実でしかないのですが。

 

ただ、本人の意見やその後の弁明を見ていると、詰まるところ一定の尺度で物事が判断されることと言うのが、それは正しいのかという疑問を感じたという話しに受け取った。

 

つまり貴方が言いたいことをもう少し形にするならば、避妊具のコンビニでの販売は適切なのか、という話しだろうなと。

 

避妊具は必要な人にとっては必要だし、それが使われる状況を考えると無くてはならないものである。

一方で、必要のない人もいるのは事実で、さらに言えばそれは大人であったり、一定の条件を見たさなければ一般的には必要としない、提供しないものであるとも考えれます。

(もっとも、個人的には子供にこそより具体的に必要性の説明が必要だと思いますが)

 

その上で、大人であってもそれを必ずしも好意的であったり、当然のこととして受け入れる事が出来ない人もいるし、さらに言えば、それを異性に見せつけたり、意図的にそれを快く思わない人に作業させるなどの行為は、セクハラ・パワハラと受け止めることもできます。

 

もしかすると既にそういった感覚を持っていて被害者と感じている人もいるかもしれません。

 

さらに面倒なのが、子供に対して避妊具を見せるという事を是と捉えるか非と捉えるかも親であったり、立場であったりで異なる事は容易に想像できるわけで。

 

そう考えたとき、コンビニという場で避妊具を公に陳列し販売するという事は適切なのか、というような事をきっと言いたかったんだろうなと。

 

まぁ、そう捉えると、なかなかこれは難しい問題だとは思う。

 

が、生理用品は流石に例示としてズレすぎだし、小学生でも知識はあるわけで、そこは擁護のしようもないね。

それは多分知識量の違いで年齢は関係ないかと

 

50代の人が勘違いしている今の常識 - 鳥とめもないメモ帳

おそらくお会いした周辺が偏ってるのでは?そもそも昔から銀行員とは大半が将来性が不安定(そもそも一部の人間しか幹部社員、役員、関連会社の社長にはなれない)だったので、銀行員についてそもそも知らないのでは

 

これはおそらく年齢は関係ないですね。

 

そもそも銀行員というか、金融業自体が一部を除けばそもそも生存競争が相当厳しい業界で、新卒から中堅までに結構脱落するし、その後も最終的に定年退職まで働けるというのは、出世して席を勝ち取るか、または、出世できないけど何とかとどまれたか、または、出世レースでは負けたけど、何とか2次的なポストは確保出来たかの何れかでしかありません。

 

なので、そもそも終身雇用の代名詞のようなイメージは相当間違っていて、どちらかというと明確な弱肉強食の世界で、その世界から逃げるには強者の元に集って囲って貰うか、もはや辞める以外の選択肢しかありません。

 

で、このようなイメージというのは実は現代でも普通に勘違いされています。

 

例えば、大手は離職率が低いと勘違いしている人も多く、実態としては、離職数も半端ないが、それ以上にブランドで大量に採用している、というのが実態なんです。

 

その他、携帯販売員が云々も、普通に知っている人は知っているし、というか、その仕組み作ったの今の50台とか40台のおっさんだから・・・。

 

で、これも知らない人は今の若い人でもしらないのだけど、なぜそのような情報が少なくとも一定の割合で若い人の方が多少なりとも知識を持っているかというと、単純に現役でその仕事をしている人が周りにいたり、自分が調べた際に偶々知ったという程度の誤差でしかないです。

 

で、この割合は、自分の周りが例えば派遣業登録していて仕事を探している人の割合が高いと知っていて当然である一方で、逆に同じ年代でも、正社員雇用されてそういった派遣業で働いたことがなかったり、妻や家族にそういった環境で働いている人がいなければ年齢にかかわらず普通に知りません。

 

結局、インターネットが普及したところで、自分の生活に直接関わらない事は、余程の事がないと調べないですし、その切っ掛け自体が、残念な事に自身の生活に関わるか否かがもっとも大きな要因であるわけで、つまりは、自分の観測範囲によりそういった傾向が偏るというだけの事だとは思います。

 

なので、年齢というよりは、単純に環境の差だと私は思います。

 

ただ無知なのか、それとも何か意図があるのか・・・

 

シンガポール居住者が見た"ティラミスヒーロー商標騒動" - 今日もシンガポールまみれ

意味がわからん。そもそも国内販売と他国の販売事情が異なるなんて普通だしそこを比較する意味もない。iPhoneだって日本で半年待ちで香港で現物ゲットなんて当たり前だが?記事主の書き方にかなり悪意があるよようだが

 

非常に微妙な記事。

 

前提として、味の好みや、そもそもシンガポールでは知らないぞ?などという話しは、そうなのですか、としか言えませんが、その話しと(日本)国内通販の事情がモリモリよね、という話しは全く関係がない。

 

というか、そもそもこの手のビジネスに限らず、ある国ではそれ程でないものが、別な国ではなぜか流行というのは普通にあるし、結果として、聖地巡礼したら実は無名だった、なんてことも普通にある。

 

で、国内通販事情が理由はともあれ3ヶ月待ちなのは、結局のところ生産能力の事情だろうが、なぜか国内だけもりあがるという事情だろうが、3ヶ月まちなんでしょうね、としかいえないし、そこをあげつらう意図が不明。

 

 

で、面白マーケティングと商標のっとりは全く関係がない。

 

前段の類似商標の話しもそもそも同社の事例でないわけで、完全に印象操作でしかないし、前述のとおり、シンガポールでしらない人なんて普通にいるが?というのも、仮にそれが事実であったとしても、日本国内でのコピーとしてはどうなのよ?という話しはあっても、それが倫理感や法的な問題に至る物とは私は思わない。

 

個人的にこのコピー問題(つまり「○○で大人気!」)はどちらかというと日本人の流されやすい性格の問題で、本質を見ないという無個性社会が元凶であると思うんですよ。

 

雑誌やテレビで紹介されれば別に何がどうというわけではないけど「おいしそう」という漠然とした感想や「おいしい」という謎の上方修正される経験など、いわゆる「かわいい」という言葉に象徴される「同調圧力」が蔓延した結果だと思うし、それを利用しているのは普通に日本側のコンサルタントだと思うんですよ。

 

当然、シンガポールの人が善人であるとか、日本人が悪人であるとかそういう話しではなく、単純にその国の個性、風土、国民性に沿ったマーケティングをするときに、映画でもそうだし、そういった「流されやすさを利用したコピーを活用する」というのが日本のマーケッターが使う手法であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 

記事の全般の話しは同社の事情とはほとんど関係ないし、結論であったり「面白云々」も「私はそう感じた」でしかないのだが、総じて、無知故なのであればそれでいいが、意図的に書いているなら何か恨みでもあるのかと感じる程、ちょっといろいろミスリーディングを誘いすぎ。

 

現地の実情を伝えたいならそれに留めればいいし、また、個人的に味が好みでないならそれはそれでいいと思う。

 

そこに関係のない話しを混ぜて意図的に同社の話しと混同させるような書きっぷりにしたり、関係のない国内事情と話しを併記する事で本来無関係の需要の偏りを何かあるかのような意図的な表現としているところについてはなぜそうなったのか非常に興味がありますね。

声を上げるべきは誰かではなく、自分であるという事

 

見知らぬ金髪男性から「単なるモノ」として見られた私の絶望感(小野 美由紀) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

起きたことは女性である云々を別としても許容しかねる事であるのは事実。だが、同時に、男性であるという事や、外見的特徴、店員であるという条件のみで、暴力に対抗できると考えることも役割の押し付けではないかと

 

ここでいう自分とは、当然被害者の事ではありませんよ。

 

何かが起きたとき、それに対処しなければならなくなると、たいていの人は「誰が」という問いと向かい合う事となる。

 

ただ、この問いは、実際のところ無意味な問でしかない。

 

何事に対して、基本的には「自分がやるのか、やらないのか」という選択肢しかない。

 

自分がやらないとき、そこに様々な理由をつけたがるが、結局のところ、どんな事情があれ「やらない」と決めたのは自分であって、そのほかの条件や状況は、あくまでも自分の判断を補助したに過ぎない。

 

目の前で性別を問わず何かしら被害者がいると気づいたとき、だれが声を上げるべきかといえば、それは「自分」でしかない。

 

もしも自分が声を上げないという選択肢を選んだならば、同時に他人が声を上げないという選択肢を取った場合にもそれを否定してはならない。

 

一方で自分が声を上げるという選択肢を選んだとしても、それを他人に押し付けてもならない。

 

あくまでもすべての選択と決断は自分で行うしかないのだから。

 

何かが起きたとき、行動するか、しないかは、性別、役割などそういったものには基本的に影響されない。

 

例えば、警備員が近くにいたとして、何かがあれば彼らが対応すべきか、と問われれば、大抵の人はそうするべきだと思うだろう。

 

が、冷静に考えて、彼らは別に軍人でもなければ、必ずしもガタイが良いわけでもない。

大抵の警備員とは、サラリーマンでしかなく、我々が机に向かってパソコンを操作する代わりに、周囲に視線を配っている程度のもので、あとは危機管理マニュアルによりリスク回避の知識が我々よりも多い、その程度のものだ。

 

たったそれだけの違いをもって、危険と向かい合うべきだ、というのは流石に酷な話だし、例えば、我々の仕事であっても、死ぬかもしれない、という状況で会社のために、仕事のために死ぬのか、と問われれば、私はそんな選択はそもそも可能性にすらいれないだろう。

 

また、外見的に屈強そうに見える、というだけで必ずしもその人がそういった行為に適正があるとは限らない。

外見、身体的特徴とは、あくまでも一つの個性ではあるが、大抵の場合は遺伝の影響も大きく、確かにその特徴を生かすという選択肢もあるが、全ての人がその選択を行うわけでもないし、そもそも例え多少の覚えがあるような人であっても、大抵は酔っ払いであったり、例えば溺れる子供相手に、大人の男性などというものであってもあっさりと命を奪われてしまう。

 

つまり「誰か」が行動するという事を期待するというのは、そもそも無責任で、それが男性、女性、屈強そうであるとか、そういうことも余計な話でしかない。

 

結局は自分が動くのか、動かないのか、ただそれだけであって、そのことだけ考えればいいと私は思う。

 

海外の事例に触れている人もいたが、そういった場合に動くというのは、大抵は自己の権利に置き換えた場合、それを容認できるのか?という事を考えれば自ずと答えはでるというケースが大抵で、その置き換えができない人は理屈を捏ねたり、他人の責任は追及するが、結局は自分は動けないような人間となる。

 

まずは自分がどうするか、それだけを考えれば何も難しい事はないし、自分の行動はどのような選択であっても、自分が責任を取ればよいだけの話だ。

 

非常に単純な事だ。

 

理由は不要だが承認は必要

 

GWが10連休だからと後輩が会社の予定を確認せずに勝手に海外旅行を予約して挙句の果てには会社を辞めると言い出した - Togetter

勘違いが多いけど、有給休暇は業務上の理由があれば許可しない事はできる。理由が不要であることと承認のプロセスは別です。別に海外旅行行くのに会社の許諾はいらないが、会社が業務上の理由で指示する事も適法だぞ

 

結構勘違いが多いのね。

 

まず、有給取得に理由が不要であることは事実ですし、極論休みたいからという事でもまったく問題ありません。

 

 

一方で、有給取得は原則として事前申請と会社による承認が必要で、業務上の理由が明確であり、それが回避できない場合に限り会社側は有給取得日の変更を命じる事ができます。

 

但し、当然ですが「ダメだからダメ」のようなものは認められず、会社側の対応として止むを得ない場合に限りますが。

 

ですから、有給が事前申請されていたのであればそもそも会社はおそらくそこで許可しないか、またはそういった事情を説明の上、協議することとなるでようが、文面から察するに、有給申請すら行わないまま確定させているようにも思えますので、それは労働者側にも非があります。

 

また、そもそも国の定める休日となる日付のみで構成されている場合は、その会社の就業規則によります。

単純に土曜日、日曜日及び内閣府がさだめる休日を原則当社の休業日とするとしている場合、海外旅行の予定日がそれのみで構成されるのであれば、少なくとも会社側がその事を知った時点で、従業員に業務日の変更を指示する事について事前に通知が必要となります。

 

業務日の変更についてもこれは違法ではなく、適切なプロセスに基づいていれば違法でもありませんからね。

 

ただ、文面から察するにその点については会社側も現時点では何も確定させておらず、特段の通知もしていないようなので、その点は会社に非があるでしょう。

 

ただまぁ、少なくとも会社側が業務日の変更をするならば、それの応じられない合理的理由があれば、別に従業員が応じない事も可能ですから、本来は問題ともならない話しではあります。

 

話しがややこしくなるのは「休業日であっても情報を共有するのは社会人として当然」という極端な思い込みが原因であるわけで、何となくですが、単純に所属長という立場であれば少し管理能力不足なのではないかという点でしょうかね。

 

日本の会社は管理職という役職にいるわりに、知識が少ない人も多く、なんとなく所属長というものが大半を占める為に起きる事です。

 

発言主もよい勉強になったと思いますので、これを機に一度正しく関連知識を整理して、よりよい運営に努めればいいのではないかと思います。