何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

世の中的には高齢者向け福祉と子育て支援は両天秤ですよ

首相 消費増税見送れば社会保障予算減も NHKニュース

社会保障負担の削減はやるべき。景気後退に入った国の社会保障が充実していくはずが無いし、人口が現象する国には海外も魅力を感じない訳で、その現実を政府と国民がちゃんと共有すべき。増税の話は国際世論も絡む

 

よんだ。

 

まぁ、そりゃそういう話は言い出すだろうなという話。

別にびっくりする話でもないし、120%想定すべき話よね。

 

一方で、予算削減時のしわ寄せが子育て支援関連の予算に影響するという話に噛み付いている人はいますね、死に行く老人なんぞ放っとけと。

 

まぁ、はてな界隈ではそうでしょうが、世の中的には子育て支援も高齢者福祉もはっきりいって同じぐらい価値があると判断されているし、高齢化社会の中で、仮に民主主義的に世論をまとめたするならば、確実に高齢者福祉が優先されるわけで。

 

別に、子育て支援を軽んじろという話ではなく、子育て支援を推進すべきと発する事と、高齢者福祉がそれと比較して劣る話だと比較する話は別ですよという事です。

 

将来を担う子供を社会で育てるべきというのは当然その通りですが、一方で、高齢者からみれば、今この瞬間、あと10年、20年が人生の中での最後の時かもしれないわけで、その人に、「お前、現役世代じゃないからもうじゃまなんだけど」と、正面きって言い放つのは、少なくとも“常識的”ではないし、それこそ、誰だって子供時代もあれば高齢者時代もくる訳で、泣き叫ぶ子供は仕方が無いというのと同じように、現役世代よりもコストがかかる高齢者の存在もまた、ある程度は仕方ないと理解すべき。

 

青色ダイオードの話がいろいろでていますが、スマホに限らず、今現役世代が使っている大抵の技術であったり、その基礎となる研究というものは、若い人であれば40代、上は70、80代の人たちが作ったものの上になりたっているわけで、当然、その人たちの研究や発明は、それ以前の世代のものの上に成り立っている訳で。

 

いや、俺はもう社会に迷惑かけずに死ぬからね、だから俺には高齢者を責める権利はあると思ってい人は、そんな権利は無い事を理解すべき。

唯一あるのは、自分自身が社会にどの程度負担をかけるかという事を自分で選択する自由はあっても、他人の生存に対してとやかくいう権利なんてないから。

 

まぁ、年金問題にしても確かに問題はあるわけですが、だから老人死ねっていうのは極論だし、個人でご自由にどうぞとしかいえないし。

 

子育て支援は多いに進めるべきだが、同時に高齢者福祉にもある一定の理解をちゃんと示せないと、当然、共存なんてできないし、いつもいいますが、人口分布であったり、いわゆる常識というものの重心であったりはどんどんうつりかわっているわけで、社会の中で孤立するような事になりかねないと思いますが。

 

自分よりも年上の世代ができない・やれないというような事に対して“死ねよ”なんていうのは、女子高生が20代の女性に向かって、オバさんとか、女子中学生が女子高生に向かって、オバさんといっているぐらいアホな事だと思いますよ。

 

まぁ、はてなの中で偏った意見をぶんぶんぶん投げるのはいいと思いますが、実社会で本気で“糞ジジイ死ねよ”なんていったら、確実にキチガイでしかないし、通報ものである事をちゃんと理解していてほしいなと思います。

 

<追記>

 

あ、あべちゃんに向かって、お前、子育て支援と高齢者福祉を天秤にかけてんのか?とか、子育て支援と高齢者福祉だと、お前は高齢者福祉が優先されるとおもってんのか?というのはいいんじゃないですかね。

そもそも、優先する・しないといっているのは政府なわけで、そこに選択基準を明確にせよというのは筋が通っている訳で。

 

例えば、人口分布に応じて予算ちゃんと配分すればたりるんじゃねーかとかそういう話はありかと。