それは「ネット民」だからなのか?
「叩いていい存在」を叩く行為と、ネット民の幼児性について - 道徳的動物日記
私は何かの事象を「ネット民」だからという理由付けには理解ができない。例えば「匿名であるから」であればそれはリアルとネット関係なく存在するし、事実そういった条件により行動が変わる人はいる。謎過ぎる括り。
「ネット民」然り「オタク」然り。
何かが起きたとき、それは「自分たちの属性ではない何か異質なもの」を表現したくなるというのは人間には当然のように防衛本能として備わっているのかもしれないが、それにしても、こういった「叩いていい存在」に対して攻撃的になる事が「ネット民」であったり、もっと広く言えば「インターネット」だからなどという表現にはさっぱり理解ができない。
確かに「ネットである」というのは条件の一つではあるが、それは「条件」に過ぎないので「満たすもの」であれば何でもいい。
例えば、こういった行為の条件はなにか整理すると、非常に単純で「一定の匿名性」と「自分がより大きな集団に属している事」ではないかと思う。
あえて含めない事として「正しいと信じる」という点は除外した、事によっては自身の行っている事が正しくないまたは不正な行為であると理解してもそういった行動をとる事はあるわけで。
結局「ネット」が行っている事は2つしかなく、一つは「物理的境界や距離的境界を無くす」という点、もう一つは「特定の意見を持つ集団を可視化しやすい」という事程度に過ぎない。
例えば、いじめというのはネットでなくとも日常茶飯事としていたるところで発生している。
もし私たちの生活が、誰にでもいつでも見ることができる状況であれば、それは「ネット」を用いなくとも「喫茶店」であったり「公園」であったり、「休憩室」であったり「居酒屋」であったりと様々なリアルな場でも批判などというのは起きるだろうし、同様に自身の持つ特定の意見を同じように持つだれかがどこにいるのかわかれば、恐らくはネット同様にそういった集団は「ネット程の規模でならないとしても」、同様に集まり、同様に行動を起こすだろうとは思う。
確かに「ネットだと匿名だと考えてしまう愚かしい人はいる」というのは事実で、これを全て実名制にすれば一定の影響はある。
が、まぁ、それは一時的な影響であったり限定的な影響であって、例えば、北海道の人間が沖縄の人間を批判したとして、日常的な恐怖におびえる事もなければ、そもそも大抵の人間は「自分の行為が法に触れるものであるかもしれいない」等という本来基本的な点に考えを至らせる事は限りなく少ない。
だからこそ組織内でのイジメや、ハラスメント等というものが「ネットでない日常社会の中でも当然のように溢れている」わけであって。
こういった「ネット民」や「インターネットだから」という環境を条件にしているうちは問題は解決しない。
根本的には人間の知識や理解、常識をアップデートしなければならないわけで、実名制にしたところで知識が欠落すれば当然理解する事もなく愚かな行動をとる事は言うまでもない。
「叩いていい存在」を叩く行為を予防したいのであれば、まず変えるべきは日常でありリアルな環境での人間の生き方や知識であって、それを考えずに「ネット」のようなただ条件を満たすだけの環境だけを問題視する事は本質から目を背けているだけの事だと思うが。