何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

ソフトバンクにも見られる後継者問題の難しさ

 

ソフトバンクの借金玉(有利子負債)、13兆8247億円まで膨らむ : 市況かぶ全力2階建

まぁ、ソフトバンクの課題は借金ではなく指導者稼ぎ頭ともに後継者がいないという問題よね。ヤフーは今期のEC展開が事実上最後の大規模なリビルドなので将来性は微妙で、且つ、最大利益のモバイルもそろそろ限界だし

 

まぁ、最終利益を見る限り貸し手としても貸さざるを得ない状況ではあるので、借金が膨らむのはそんなものかと。

 

一方で、目下の最大の問題は後継者問題であるのは投資家に限らず皆ここ数年心配している。

 

後継者問題には2つあって、一つは当然孫さんの後継者が育っていない事。

正直、ソフトバンクの業績の大半は孫さんの投資センスによるところが大きく、その源泉がなければ国内の糞大手と同じレベルでしかなかった。

ヤフー然り、モバイル然り。

だが、孫さんの後を継ぐべき人材はどうも育っているようには見えないし、先日の一件もあり、外部からの招聘もなかなか難しいと言わざるを得ない。

まだ数年はそれほど心配する必要もないが、元気な間に後継者にリレーしないと後継者の方も負担が大きすぎて辛みしかない。

 

もう一つは稼ぎ頭の問題。

これまでは明確にヤフーとモバイルの2本柱で引っ張っていて、どちらも時代の流れや打つべき手があり成長というものが実現できていた。

ただ、特にヤフーにおいては成長の要因は自社での内部投資(技術投資や開発により新たな収益を生みだす行為)による成長ではなく、ほぼ外部投資(既に存在するサービスやプロダクトを取得し自社の一部とする行為)によりもたらしたものか、リビルド(既に存在するサービスやプロダクトの再編により収益を増やす行為)によりもたらされたものであるため、会社自体が成長しているわけではない。

もっとも、リビルド自体は必要な事なので当然の行為なわけですが、これは本来同時に内部投資と両輪で行うべき事で、内部投資が上手くいっていない状況では限界がある。

正直ヤフーに関してはもうだいぶ前からちょっとした大企業病なのかな・・・と思われる節があり、早めに手を打たないとだめだろうなぁと感じていたのですが、数年見ている感じでは具体的な手は打てていないようです。

恐らくは生みだしている利益が大きすぎて簡単にはいかないというのはわかるのですが、にしてもちょっと楽観視しすぎかなと。

ヤフー単体で考えれば正直ぜんぜんどうでもいい話なんですが、ソフトバンクとして見ると陰りが見えると結構厳しい事になるのでそこも考えて動かないと死ねます。

 

モバイルについてはそもそも打てる戦略に限りがあるのであれなのですが、今後のスマホ需要の成り行きに任せるしかないという事は言えます。

現状は偶然にも景気が安定しており、総務省の活動による事業への影響などを見てもそれほど業績への影響はありませんが、景気が傾けば一気に崩れかねません。

そもそも通信事業の売上が右肩上がりを続ける事はないので、国内通信事業のみで考えれば成長は止まり一定の利益を上げる優良子会社でいてくれる以外にはありません。

が、ここも問題で、有利子負債が右肩上がりに増える会社なので、グループ全体では成長している事を常にアピールする必要があります。

そういった意味でも優良子会社というだけではだめで、高成長を続ける優良子会社でなければならないのですが、流石にそれも限界があります。

 

結局、孫さんの後継者がでてくれば現状の様な投資活動により稼ぎ頭を生みだし続けるという手法で問題はないのですが、それ自体が現状黄色信号なわけで、そうなると稼ぎ頭を内部的に増やすかまたは高成長を続けさせる必要があります。

もっとも、有利子負債を圧倒的に圧縮してしまう方法もあるのですが、返済額よりも借入額の方が多いのと、そもそもそういった方向に動くと市場が余計に警戒するのでそんな方向に舵をとる事も容易ではありません。

 

国内の起業家を見ても孫さん程のセンスの人はいないので、そもそも後継者なんて現れるのか?という問題があり、とりあえずもう後継者は現れないので、次の世代の稼ぎ方に今からシフトする方が傷口は浅くなるのではないかと思うのですが、孫さんの性格からいって自分が動ける間に院政のような動き方はしたくないと思うので、八方塞がりなんですよね・・・。

 

ソフトバンクに限らず、優秀な経営者からどうやってバトンを受け渡すのかという問題は結構国内では深刻な問題だと思います。

 

特にIT関連は時代と共に投資すべき領域の構成がめまぐるしく変わるのでそういった部分を面として捉えて動けるような人物でなければならず、これはもう個性というか天性の才能でしかないのでそういった人物を見つけ出す以外には方法がありません。

 

製造業でも後継者問題があるものの、個人的にはあれは環境の改善でなんとかなると思っており、それよりもIT系企業の経営者問題の方が問題なんだよなぁと思いつつ、まぁ、僕が生きている間にはまだまだそれほど深刻化はしないかな(次の世代はもしかするとバブル崩壊なみの不景気に見舞われるかも?)と無責任な感覚ではいるんですけどね。

 

そんな事を考えながら決算を眺めていましたよ、というお話でした。

それは読み手のレベルが下がってる事が原因

 

情報系ブログのいらん前置きとかイメージ画像の多用ってなんなの?→「ホント迷惑」「滅んで」という声多数。 - Togetter

意見は別にいいのだが、海外含めそれなりの情報ソースとなるサイトは普通なんだよ。結局情報の入手を困ったことの単語検索→ブログ程度の流れで処理している人が同族嫌悪に陥っているだけじゃねーの?としか思えんが

 

まったく理解できない。

 

まず、大抵の重要な情報は、一時ソースとしては公式や公式のメンテナンスに関わる方、その他そのテクノロジーに長く・深く関わっている方(利用者含め)など、ある程度この技術ならこの人、というものがある。

 

一方で、ニッチなものや先進的なものについてはほぼ情報がないが、これはそもそもソース読めでしかない。

それができないなら使うな。

 

情報系ブログには雑にわけると3つある。

 

1つは前述のいわゆる公式に近いレベルで広く情報を取り上げつつ、重要なポイントについては一時ソース(公式情報)へのリンクや現象面への言及を含んだ記事を作成されるサイト。

大抵はこれで事が足りる。

 

2つめは技術トラッカーというか、いわゆる自己の技術検証や調査をまとめている人、目的はまとめる事なので、1つめのサイトよりは詳しいものの、汎用性については限定的なものが多い、最近でいえばQiitaのようなサイトといえばわかりやすい。

 

3つめは前述のサイトの自己まとめサイト

自身で深く技術について理解しているわけではなく、どちらかというと2つめのサイトを薄めたようなもので、いわゆるニコニコ動画でいうところの「踊ってみた」のようなもの。

技術要素については目新しいものはないものの、2次的なまとめや検証である為、比較的わかりやすさはある。

 

情報として考えた場合、どれが優れているという事はない。

断じてない。

 

そもそも1次ソースを読んで理解できる人は、わざわざ自己まとめサイトのような情報を頼ることはないし、ソースで解決できる人はソースを読んでおわる。

つまり、読み手のレベルと呼んでいる先のサイトのレベルは同じという事。

 

貴方がもし意味不明な画像がふんだんにあるサイトにたどり着いているのであれば、それは貴方の情報検索レベルが乏しいか、またはそもそも貴方自身がそのレベルであるという事でしかないので、相手に怒りを覚える前に自分の技術を上げるべき。

当然、意味不明な画像がふんだんにあるサイトであっても有益なサイトは沢山あるだろう。結局は何れも読み手のレベルによるわけで、出して側が負うべき問題としては「間違った情報を出さない」という1点を除けばなにもない。

 

そもそも情報を出しているという事自体に僕は価値があると思うし、その情報の出し方についてダメだしするならお前がまとめて出せとしかいえない。

 

自分が読み手であるにも関わらず「少なくとも技術の世界で」出してが読み手の意見するなら、それは自分がまずは出してになるべきだろうと僕は思う。

 

自分でその面倒を背負えないのであれば傍観するか、またはもう少し感情のコントロールを覚えるべきで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

以上。

本質を理解していないので助言として

 

架空のサービスをリリースしたらTwitterを永久凍結された話|げんきくん|note

何を言っているかわからないんだけど、前提として日本人としてアカウントを登録していたならば、少なくとも規制されている大麻の酒肴を前提とした「発信」として普通にアウトなんだが・・・発信していないなら別だが

 

コメント通り、前提としてはアカウントを日本人という前提で登録している場合ですが、これは当たり前の事です。

 

で、原因は「架空のサービス」ではなく、大凡今回は法律に触れる恐れのある違法な行為について情報を「発信」している為です。

 

重要なのは「発信」しているという事です。

 

極論いえば、貴方が作ったサービスではなく、海外に実在する日本では規制対象となる違法なものを日本人が日本人向けに発信する場合も、通報などにより審査された後、凍結処理されます。

まぁ、内容にもよりますが、特に生命に関わるものや、麻薬や闇取引のような所謂「暴対法」の類いに抵触する内容については比較的厳しく処分されます。

 

このあたりは、特に昨今ヘイト問題や自殺問題などの影響で日本という国の利用者が特に意見を述べた結果もあると思われますが、海外よりも日本の方が厳しく処分される状況になっていると思われます。

 

まぁ、それは日本人利用者が望んだ結果なのでなんともいえませんが・・・。

 

正直、日本ではいわゆるブラックジョークの類いはTwitter社というよりも、日本人利用者がそれを受け入れられない、つまり、ジョークをジョークとして受け取れないというのは事実としてあります。

 

海外ですと、人の尊厳や宗教的な問題(もっとも、それすら彼らはゴシップとして扱う事を正当化していますが)、いわゆるノブレス・オブリージュ的な要素を含む話しを除けば大抵の事はジョークとして許容します。

 

それも相当偏った解釈と定義で。

 

ただ、日本という国は正直日本の教育制度の影響から画一化された思考しか受け入れられない状況が多々あるので(わかりやすいのが「ファッション」や「音楽」ですかね)、そういった思考から理解されないものは基本はじかれます。

そしてもう一つの問題である「中立の存在しない考え方」の影響もあり、基本シロかクロのような何れかの極論でしか判断、行動できないという点もあいまって、ジョークであるとわかっても「通報」という事に繋がります。

 

もっとも、今回でいえば法律に触れる内容であり少なくとも事実か否かというよりは、そもそも違法な行為を(厳密にいえば、大麻の酒肴がアウトではなく、所持がアウトなので、表現の時点での解釈は非常に難しいですが)発信すれば、それはまぁ、アウトかなというところですが。

 

文章からは情報を扱う事への自信が垣間見えますが、その世界で戦うという事であれば、そういった背景や変化も読めるようになるとよいかと思いますよ。

 

あと、これは余談ですが、今回のものはネタであってもそれなりにリスクのあるネタです。特定の勢力が自身の縄張りを犯していると考えれば、場合によっては危険な状況も発生しかねません。

なので、あまりそういった取り扱うのは、合法化されたとしても細心の注意をもってあたった方がよいです。

 

そんな感じですかね。

選択する余裕が生まれることと、選択する事は別だと思う

 

もうダメだ on Twitter: "1年前、ずっと憧れていた業界トップの大手に就職キメた先輩が「就活成功して引越して世界が広がったら新しい恋も友達も趣味もできた、そしたら未来の無い彼氏や不誠実な友達や閉鎖的な家族と自然と距離を置けるようになった、もう要らない」と幸せそうに話していたのを最近よく思い出す。分かる。"

んー、半分は理解できないなぁ。僕はそこそこの年収あるけども生活も大きく変えていないし、奥さんも別に高学歴の才女でもなんでもない。遊びも別に高尚な趣味でもない。お金の使い方や楽しみ方が単純に狭いのではと

 

 

半分は(状況として)理解できるが、残り半分はその人の生き方でしかないかなぁと。

 

僕は比較的早い段階で一度個人事業主になり、その後兼業サラリーマンのような状況に戻っているわけです。

当然起業家と比べれば全然稼ぎは少ないものの、(起業かと比べると)のんびり安定した生活、家族との時間とか、そういったいわゆる自由を得ていると考えています。

 

言及されている内容で共感できる部分は、自分の生活に余裕ができるという事の最大のメリットは「選択する事」ができるようになるという事です。

 

例えば、小学生は自分の生活について選択権がほぼほぼありません。

で、中学進学により人によっては学区の選択を行ったり、高校進学により学校外の活動に幅を広げる等、人は生活の変化に合わせて自分の生きる領域や生き方を変えていくことが可能です。

 

ただ、その自由というのは、その時の自分の余裕に依存するもので、学生であれば精々生活の基盤は親との同居によるものであれば、バイトを選ぶ程度の自由しかありません。

 

これが社会人になれば多少の変化が訪れます。

例えば(その人の価値観において)良い就職を果たした人は、その環境を得ることで精神的にも物理的にも満足感を得ます。

満足感というのは、基本的には余裕を生み出すもので、その余裕から選択をすべき場での決定に自由が生まれます。

 

学生時代の知人との関係についても、学生時代より疎遠になったとしても、個人の生活への影響は限定的であることが多く、それは新しい環境で得た関係(関係を持たないという選択肢も含め)により補完することができるためです。

 

結局、それを選ぶことができる、という事が余裕が生まれた人の権利であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

一方で、その選択を行うのか、というのは今度はその友人や知人など関係する人とのつながりによるものでしょう。

例えば、疎遠ではあったとしても、何かの時に「あいつとはまた会うだろうな」というものもあり、一方で、身近であっても「積極的にには会う必要もない」と思う人もいるわけですが、それはその人との関係によるもので、別にそれ自体は就職や自身が置かれたステージには依存しません。

 

ただ、人の縁というのは、自分の生き方に基本はよるものなので、切り捨てたい人ばかりであった、というのは、自分がそういった人と関係を持つという選択をしてきたという事であって、そういう人は、仮に新しい関係を築いたとしても、その後も同様の選択をするのだろうな、とは思います。

 

そもそもですが、金持ちってのは、思いのほか学生時代、そうですねだいたい高校生ぐらいであればその人の価値観に含めてきます。

高校、大学、学部、教授、専攻、最初の就職先、先輩、プロジェクト履歴、友人、知人、趣味、子供、子供の通った幼稚園、小学校等、本当にうんざりするほど人間関係について何かとネタを絡めてきます。

 

あの人は僕の大学の先輩であった、とか、OB会の関係者であるとか、もと〇〇商社だったとか、本当にそんなものばかりです。

 

資産家まで行けばそういった世界から多少離れるのですが、おおよそ企業勤め程度の金持ち、つまり役員であったり、職業投資家という程度の人は、正直関係を切り離すどころか、その関係を使って生きている人も少なくありません。

 

なので、結局のところ、それを清算することができるというのは、その程度のものでしかない、であったり、もっと言えば、清算しなければならない何かを抱えてしまっているという程度のことかなと。

 

当然、人によってはそういった柵が生まれながらにある場合もあり、それを切り捨てる事ができる自由を手に入れた、という状況もあるでしょうが、もしも普通の家庭で、普通に生きて、清算しなければならない何かを抱えていたとすれば、警戒すべきは自分の生き方であり、今のステージでも同じことをしない、つまり清算しなければならない何かを抱えないようにするよう、よくよく考えて生きるべきなのでは?と感じます。

 

投稿主の投稿内容を見ると社会人デビューの人ぽいので、逆にそういった事はよくよく理解できる大人になってほしいなと思う。

 

正直、本当の金持ちは大抵は金持ち以外を人だとは思ってなくて、彼らのコミュニティーに金を持たずに入る事は基本ムリです。

 

才能で入る事はできなくて、才能により金をを稼ぐことで、その金により参加する権利を買えるんだよね。

 

僕はこのことを知るのに5年ぐらいかかったわけなんだよ。

 

どんなに自分がそのコミュニティーに入る権利を有していると思ったところで、小金持ちは小金持ちのコミュニティーにしかいられないし、その小金持ちが多少稼いだとしても大金持ちからすると「がんばってるじゃん!」という言葉のみで、彼らのコミュニティーの扉が開かれることは絶対にありません。

 

ただ、これは実はすごくフェアな条件を提示されていて、お互いわけのわからないもので計らず、純粋に共通の物差しで計った結果でのみ評価しあっているという事なんだよね。

 

なので、そういったコミュニティーの周囲には才能なんてのはあふれているわけなんだよ。

 

ただ、その才能を生かすのは、自力で立ち上がるか、誰かに生かしてもらうかしかなくて、多くの人は後者であって、その時点でかなりふるい落とされている。

 

もし本当に自分が才能があり、何かをなせると思うのであれば、コミュニティーの感覚には流されず、自分がたどり着く場所をちゃんと見据えていないとダメ。

 

そうしないと、才能に対する評価なんてものは水物で、あっという間にゼロになる。

 

学生であればテストの結果や大会の結果、就活の結果とか、なんとなく評価軸がわかりやすいもので比べることができるわけなんだけど、社会人はそうはいかない。

 

今無名の会社に勤めている人が、気が付いたら業界でオンリーワンの技術をもっているなんてのはザラで、商社勤め、外資コンサル勤めで成功者だったと思った人が、普通のおっさんとしてサラリーマン続けていて、昔下に見ていた人に頭を下げる状況なんてのは普通にある。

 

特に外資コンサルとか商社勤めってのは、短期的には一瞬で違う世界まで到達できるので、その瞬間の成功は感じると思うんだけど、10年後にもその成功を維持している人は本当に一握りしかいないんだよ。

 

10年たってもまだそのステージにいるためには、目に見えない物差しを確かに感じ取って、環境に惑わされず、いつまでに、自分は何をすべきか、という事をしっかりと刻み、そして日々進んでいかないと、小金持ちどころか、充足した生活を送ることも難しくなるよ。

 

目先の利益を考えるなとは言わないし、楽しい事は十分楽しむべき、成功には喜ぶべきなんだけども、それが何処へ行くための通過点であるかという事をちゃんと見据えないと、その先の10年、20年、少なくとも65歳ぐらいまでは今の時代は現役でいなくちゃいけない人生になっています。

すくなくとも新社会人であればあと40年程度、僕もやっとその半分に到達する程度なので、その人生をどう設計し、どう過ごすのかという事、そしてその過ごし方というのは、実は自分がこれまでずっと積み上げてきたもので、他人の影響もあるだろうけど、自分の選択、制限はあれど、常に自分の選択によってなされているものだという事を理解していかないとダメなんじゃないかなと。

 

もし未来のない人を選択していた過去があり、それを清算することができていることを喜んでいるのだとしたら、なぜその選択をしたのか、その原因はなんであったのかを冷静に見つめることができるようになるというのが社会人として最低限芽を出すという事で、変化した環境に喜ぶというのは、実は中学デビューや高校デビューと変わらなくて、結果として得たものでありそれはそれは喜ぶべきことではあっても、あまり人生として振り返ると重要なターニングポイントではなかったという事になると思いますよと。

 

まぁ、そんな事は思いました。

代理人による通告程度は最低限必要だと思うのだが・・・

 

「被害女性に名乗り出ろとは」共産・小池氏が財務省批判:朝日新聞デジタル

これってさ被害者保護は大前提なんだけど、ただ、企業の場合はそもそも被害者が一応第三者としての内部機関へ通告しそこで審議されるのだけど、今回のケースはそれができないのでどうすっぺ?って事の話しでなくて?

 

いや、これ全批判というのは、むしろダメでしょ。

 

そもそも、セクハラの認定というのは凄く難しくて、被害者と加害者からの聞き取りはまず必要になります。

 

当然、冤罪というものもあるわけで、一応ステップとしては、一般的には被害者が内部の部署(または、弁護士などを通じて企業や組織の然るべき部署)への通告を行い、その後、被害者の証言を元に、周辺関係者や加害者への聞き取りを行います。

この時、被害者が誰であるかと言うことは現実的には非公開の場合もあれば、公開されている場合もあります。

というのも、そもそも、セクハラというのは凄く難しくて、同じAさんへBさんが発言した場合と、Cさんが発言した場合で、周囲の反応も本人の反応も異なり、両方セクハラとして扱われるケースもあれば、そもそも問題にならない場合もあります。

当然、問題にならないから良いわけではないのですが、結局、人と人の間のコミュニケーションなので、その当事者同士の関係性にもよるものです。

 

で、今回のケースで難しいのは、組織内ではないという事なんですよね。

組織内であれば、内部の然るべき部署が間にはいって対応すれば良いのですが、被害者が外部の場合は、原則、弁護士を通じて組織または個人とのやり取りを行うか、または、そもそも警察へ被害届けを提出するかの2択です。

 

後者の場合は粛々と手続きを進めれば問題ないのですが、今回の件は前者で、且つ、弁護士を通じて組織や個人に通告しているわけでもない(と認識しているのですが、正式な通知はあった?)ので、相手方としても認めるも認めないも、加害者が否定してしまうとなんともし難いところです。

 

いや、加害者を擁護しているわけではなくて、加害者を糾弾するにも「週刊誌にでてるけど?」だけだと流石に・・・。一応、週刊誌は本当の事もありますが、嘘もありますので、会社がただ週刊誌の記事のみで処分するとなると、それはそれで一歩間違えば権限の濫用になり違う問題が勃発します。

 

なので、正直処分するにも踏み込んだ対応が必要なんですが、週刊誌は当然ネタ元は開示しないわけで(開示されるとそれこそ大問題ですからね・・・)、そうなると被害者が然るべき窓口に名乗り出て頂くしかありません。

 

ただ、方法としては、本人が実名で最初からでる必要はなく、弁護士による代理人での対応でも問題はないと思われます。

ただし、手続きの進捗により、一定の情報の開示は必要になる(例えば、被害者と加害者の関係を断定する必要があるケースであったりすると、第三者にも証言を求める場合もあるわけですが、そうなると完全に秘匿というのは難しい・・・)わけなので、その場合の対応も、弁護士と協議しながらすすめる方がよいでしょう。

 

ちょっと感情的に反応している人もいるようですが、民事的手段での対応となると、被害者からの適切な手段での通知が必要なので、そこは止むを得ず、それが無理な場合は刑事手続きしかないかなぁと。

 

ただ、大凡刑事的続きの方が敷居が高いので、少なくとも今回のケースは民事的手続きの方がよいのかなぁと思います。

 

ちなみに、刑事的手続きでは政府の対応の数倍糞な対応をされますから・・・それも含め民事的手続きで済むならそこで被害を回復する方がよいかと・・・。本当に腐ってるんですけどね。

 

手続きとして、流石に現状のままでは進めようもない(逆に週刊誌の記事のみで処分とかされても、ちと困りますが・・・。それって事実上、噂がでたら、それが正当な解雇事由にあたると政府がお墨付きを与える事になるので、民間での首切りの手段に悪用されますよね・・・)ので、まずは窓口への代理人による通告から開始するというのは妥当なのでは?と思います。

 

安部憎しだと、ちょっと冷静な判断ができない人も多いので、ここは社会通念上、というか、現実的な手続きを考えていかないと、絵に描いた餅でおわってしまって、誰も救われないという事になりますので。

昔が"よかった"わけではないけども

 

ばればれの匿名でネットをやることの意味 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

結局のところ、いわゆるネットにかぎらず"世知辛い"という事の原因はこのあたりなんだろうね。昔は無秩序の中で、それぞれのローカルルールであったり、個々人の中のポリシーがあって成立していたわけだけど時代だね

2018/04/08 22:57

 

そうねー。

 

あらかじめ断っておけば、昔の方が正しいとかよかったなんてことはない。

確実に昔の方があたりもきついし、ローカルルールなんてのはたいていの場合特定の人を優遇していたし、何よりコミュニティはとても閉鎖的だった。

 

ただ、当時の僕たちには自由があった。

閉鎖的なコミュニティーはとても自由でコミュニティ同士はそれほどつながりもなく、稀にコミュニティ同士の対立があったとしても、それですら、辺境の紛争に過ぎず、ネットへの影響はほぼ皆無だった。

 

近年は多くの人にやさしいネットにはなった。

少なくとも正しさはそれほどないが、ただ、数の多さや一見すると正しいと思われることについて意見は偏りやすく、結果として本質的な議論はなされないものの、ただ、それ自体は、少なくともそれなりの人数のユーザーを不満にさせない程度の満足度は維持している。

 

結局、ネットの今の価値は、昔とは違う。

 

昔は、ネットの価値はネットでしか計れず、リアルの価値なんてものは意味はなかった。

例えば、私もある分野で師匠のような人がいたが、彼は大学を留年している人であったわけで、おそらくはリアルではかなりの問題のある(いわゆるニートに近く、そもそも親のスネカジリでもあった)人ではあったし、そういった事について師匠自身も言及することはあったが、正直、我々からするとそれはどうでもよい情報であった。

コミュニティの中で重要なのは、コミュニティ毎にあるテーマについて知見や情報をどの程度もっているのかという事が重要であって、それ以外の事についてはこちらもあちらも興味はなかった。

 

初期のネットゲームもそういった文化をある程度色濃く受け継いでいた。

いわゆる重課金プレイヤーや廃人というのは、大学生かまたは士業や個人事業主のような人が多く、弁護士のような人もいた。

だが、弁護士のような人がいたとしてもその人が尊重されるかといえばそんなこともなく、あくまでもプレイヤーとしての価値のみで序列は決まるわけで、これもリアルとネットはそれぞれ独立したものではあった。

 

この関係が崩れたのはいわゆるSNSが普及し始めたときであったと思う。

 

コミュニティやゲームというものは、多い場合でも数百人というつながりが限界で、孫程度であればつながりはまだまだある程度の独立・自治が可能な範囲ではある。

とはいえ、自治とはいっても、前述のとおり公平なものではなく、そのローカルな環境で定めた勝手ルールではあるが、それに理解が示せないのであれば他のコミュニティへ移るしかないし、移ればいいだけでもあった。

 

だが、SNSの成長によりそれは崩れる。

特に、日本でいえばmixi、海外でいえばFacebookといったリアルを前提としたコミュニティの形成により、ネットはリアルの一部になった。

 

僕はこの瞬間がネットver1.0の死期であったと思う。

 

はっきり言えば、今のネットというのは、未成熟な現代人には難しすぎる。

勘違いしてほしくないのは、未成熟な現代人というのは、私も含め現代人のすべてであり、今のところ適切に対応できている人などいないと思う。

 

それは仕方ない。

そもそも今のネットは、前述のとおりリアルな一部となりさがったわけで、現代人はそのリアルですら人間関係を万全にすることなどできない。

できると思っている人は、少なくとも何人かの犠牲の上に成り立っていること程度は理解すべきだろう。

その現代人が、リアルな関係を、ネットというリアルよりも手段が限定されている環境下で万全にこなせるわけなどない。

 

面白いのは、昨今のネット有名人の手法というのは、いわゆる昔のネットコミュニティの遊び方に近いものがあるということだ。

つまり、世の中のルールとは別の、彼らのコミュニティのルールを振りかざすことが可能という事。

なのでしばしば彼らのコミュニティが行っていることを、外の人間が見ると意味がわからないし、そのコミュニティに入っていくのは、基本そのコミュニティのローカルルールに理解を示せるものだけなわけで、結果、信者という構図が崩れることはない。

 

ただ、当時のネットと異なるのは、そのコミュニティの目的が何であるかという事はあるが、そこは本質ではないので、今回は触れない。

 

まぁ、心の隙間をうまく埋めてはいるな、とは思うが。

 

結局、ネットと人の関係はそれほど進展してない。

本来ネットを人が生かすべきであったものが、ネットに人が縛られる状況に陥っている。

 

リアルで縛られ、ネットで縛られ、何が楽しいのかわからないけれど。

 

ただ、僕は、本来組織人=その組織の責任を負うべきというのは違うとは思う。

例えば僕は、当時の貸金業という業種は、間違いなく糞であったと思う。その一方で、実際のところその業界に身を置いていた。

その時僕はすべての貸金業の問題を背負うべきと問われれば違うと思うし、僕の発言がすべての理解の基に行われているのか?と問われれば、それは確実にない。

そして、全てのことを理解できないなら発言するなと言われればもうそんなところに価値などないと思うし、そんな環境になればそもそもだれも発言などできないわけで。

 

せいぜい必要なのは、間違っていたら「間違っていた、ごめんね」と、素直にいうことであり、それを生かす事。そして、それを指摘する側もそれ以上を求めない事だ。

 

「誤れば済むことだと思ってるんですか?」みたいな話はある。

実際、誤っても許されないことはある。が、その場合、例えば職を辞したとして解決するのか?という話もある。

実際問題、頭のすげ替えなんてものはなんの役にも立たないし、ネットやめろなんていうのは、ただの感情論でしかない。

 

ここがネットの悪いところで、昔のローカルルールの名残でもある。

 

現代人にネットという道具は少し早すぎた。

おそらく、人間にとってネットという道具を使いこなせるようになるために必要な事は、技術革新ではなく、我々の成長いがいにはないのだが、少なくともそのことと向き合わない現代人がネットを使いこなす日は来ないだろう。

 

なんて、いってみる。

コメントを承認制にしました

SPAMがウザいので承認制にしました。

基本SPAM以外は全部承認します。

多少投稿から承認までタイムラグがでるのはご容赦くださいませ。

 

しかし、はてなSPAM管理機能は貧弱過ぎる・・・。

これ法人向けに販売している製品もあるはずなんだが、この程度の機能で売れるのか?

 

もう少し頑張って欲しいなぁ。

 

<追記>

 

対応中のコメントでてた。

が、文章を読む限り、SPAMへの対策は何も実装してませんでした。

検討しているのでちょっとまってね、だ、と・・・。

 

よくそのレベルで法人向けサービスの提供とかGoサイン出したな・・・。

 

違う意味でどのレベルの対策を講じるかある意味今のはてなの技術レベルを図るよい素材になりそうですね。