何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

何時の間に若者と年長者は対立する構図になったのだろうか

 

確かに若者は政治に無関心であることが多い。

一般的にはその結果政治家や政策は若者にはマイナスに感じる施策や方針が多いのだという論調は多い。まぁ、そう感じることもあるね、確かに。

 

でも、年長者は若者をそんなに敵視しているのだろうか?

もっと踏み込めば、年長者は若者のお金を奪い、自分の生活を潤すことを目的としているのだろうか?

 

例えば、年金の財源が枯渇する恐れがある問題だが、これは年長者が使い込みを行った結果生じた問題ではない。

 

具体的にいうと、まず、省庁や関係機関が発行している白書やデータを見ると、平成25年の年金支給額は約52兆円となる、一方で、保険料徴収額については約34兆円で、ここだけを見ると単純に約マイナス18兆円となっている事がわかる。ただし、これに対して国庫負担金が加算され、平成25年予算でいえば、約12兆円が見込まれるため、実質のマイナスは6兆円となる。

よく、ニュース等で年金破綻と叫ばれるが、現状の年金運用資産は厚生年金及び国民年金資産のみに現地すると約120兆円あり、このままのペースで行くと、20年後には破綻することとなる。

実際には、運用益があったり、支給年齢の引き上げ等様々な影響で正直予想することは難しい状況だといえる。

 

一方で、さらに踏み込んで保険料徴収額について考えてみると、いろいろと資料を読み漁ったところ、金額ベースでいうと約2兆円程度が年間の未納金額という事になるようだ。

仮に、納付率が100%であった場合を仮定しても、年間マイナス4兆円となるわけなので、これは破綻に一直線といえるだろう。

 

現状でいえば、現役世代1.8人程度で1人の高齢者を支えることとなっているのが現状で、今後もまだ増加すると思われる。

 

で、この原因をいろいろ考えると、結局、2つの問題が浮かび上がる。

 

まず一つ目は、出生率の低下。

今の年金受給世代が若者だった時代、つまり、50年代から70年代の出生率は4.1から2.1程度のものであった、1世帯あたり4人~2人程度の子供がいたこととなる。

まぁ、4.1という数値はベビーブームのものであるので、2前後と考えるのが無難だ。

 

で、そもそもの年金制度が成立したのは1960年頃で前述のとおりこのころは出生率も高く、1970年から始まる第二次ベビーブームに至るまで出生率だけみても右肩あがりの時期だった。

このころを生きた人や政治家にとって、世界でも新進的な社会福祉のシステムを導入することは、おそらくなんら恥じる事ではなかったと思う。

恐らく、その時代の人たちが我々の年齢、つまり若者と思われていたころには、その50年後には出生率が半分以下にまで低下し、人口がマイナスに転じることなど想像していないし、これほど世界経済が混迷することも想像できなかったと思う。

 

いずれにせよ、出生率の低下は大きな原因の一つである。

 

そして二つ目が、平均寿命の伸びだ。

 

今でこそ平均寿命は女性が約86歳、男性も約80歳と非常に長寿になっているが、今の高齢者が若者だったころの年長者たちの平均寿命は今よりも全然短かった。

平均年齢の推移については、「ガベージニュース」の「日本の平均寿命の推移をグラフ化してみる(2013年)(最新)」に非常にわかりやすくまとめてあるのでこちらを参考にして考える。

リンク先を見ていただければ一目瞭然なのだが、たとえば、1970年頃を見ると、女性でも約75歳程度で、男性は約69歳程度と非常に短い。

その後、約40年間をかけて、毎年順調に右肩あがりの推移をたどり、平均寿命が現在のようなレベルにまで伸びてきた。

 

もう賢い人であればわかると思う。

 

そもそも60歳で支給が開始される年金が10年~15年程度の支給と想定されていたものが、20年~25年と支給期間が倍になっているわけで、そんな状況を想像できるはずがない。

 

この二つの要因、(1)出生率の低下、(2)寿命の伸びの影響により、現状の年金制度は崩壊しつつある。

 

 

この点は非常に重要で、彼らが現役の世代であったころは、我々と同じように、その時代の状況や、それだけでなく将来の世代のことも考えて、おそらく年金制度を作った事が想像される。

しかし、世の中の流れがその想像の上を行ってしまっている状況で、それを、我々の親の世代(これから年金受給になる世代)も、我々の世代(つまり現役の世代)も解決するすべを持っていない。

 

そう、解決の為の明確な手段を持っていないのは、年長者だけではなく、我々も同じだ。

 

私は、年金制度そのものは悪であるとは考えない。

遺族年金もそうだし、健康保険制度もそうだし、非常にたくさんの人を救ってきた。もしこの制度がのこればこれからも救われる人は多いだろう。

 

問題なのはシステムを運用できない現状だと思う。

 

確かに、ミスマッチなシステムだから制度を大きく変える必要もある。ただ、たとえば、年金支給額を大幅に減らせというのは、言い換えると、現役世代の負担が増加するという事実を反転させているに過ぎない。

俺たちはもうむりだから、お前らが負担しろよ、というのは、正論ではない。暴論だ。

そう、現役世代が不満だと言っていることを、同じように相手に返そうとしているわけだ。全く正義はない。

 

そんな対立しあうような世の中が、人にやさしい世の中なのだろうか?

 

今年は年始から子供や子供を持つ親、家族についての議論がたびたび話題になった。

私は、子供だから、老人だから、必ずしも弱者であるとは思わない。

 

一方で、子供や老人の中に、間違いなく弱者に定義される人が多いのは事実だ。

 

それを切り捨てる事や追い込むことを我々現役世代がするようなことはあってはならないし、自分が60歳、70歳となり、もうなすすべもない状況になった瞬間に、自分の子供や孫の世代から「もう、お前たちは国の負担でしかない、あきらめてくれ」といわれるとすればおそらく生きていることができないほどの悲しみを感じるだろう。いや、そんなことは想像もしたくない。

 

長くなったが本題に戻る。

 

我々の世代は年長者、高齢者と対立しているのだろうか?

もっと言えばそんな構図を望んでいる人が多いのだろうか?

 

私はそんなことは考えていない。

 

確かに「お前らの世代が変化にうまく適用してくれればもっと楽だったんだぞ!」と思うことはある。だが、そんな事をいまさらいっても始まらない。

思うことは、自分の後の世代に自分が感じた事、感じている事を感じさせたくないし、もっと前を見て生きてほしいと考えている。

ただし、繰り返すが、その為に年長者や高齢者を切り捨てるようなことはすべきだとは少しも思わない。

 

そして、政策や方針は、我々若者の世代だけのものでもないし、当然、年長者や高齢者の言い分だけを聞く話でもない。

 

視点を変えてみてほしい。

 

いろいろな取り組みは本当に年長者や高齢者の為だけのものだろうか。

いまある制度は我々の後の生活を、我々の子供や孫の生活を支えることはないだろうか。

本当に廃止や停止、減少などマイナス方向だけしか対策はないのだろうか。

 

本当に若者と高齢者の望む未来は異なっているのだろうか。

 

若者代表というのは意義があるのだろうか。

 

本当にちゃんと考えてほしい。

 

 

選挙の戦略として若者の意見や考え方を吸い上げるという事と、対立するという事はイコールではない。

 

我々にしかできないことがあるとすれば、切り捨てることだけでなく、アイデアや技術を使って、視点を変えて、今までに気付くことのできなかった手法や政策により世の中を変化させることだと思う。

 

これは対立することではない。

 

救うべきは若者もそうだし、高齢者もそうであるべきで、どちらかではない。