何気ない記録

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中心部は海外依存だったという指摘について

なぜTRON OSが「非常に優れていたが外圧で潰された」とか「組み込みで世界標準OSだ」とかいう誇張された伝説をいまだに信じている人が大勢いるのですか? - Quora

というかそれ以上に日本人の多くが誤解しているが、昔は日本は特に海外のOSや制御手順に依存していなかったんだよ。アメリカの常識が世界の常識、ITはアメリカ主導のような勘違いをしている人がいるが、実際は違った

 このコメントに対して、以下のような指摘をいただきました。

>日本人の多くが誤解しているが、昔は日本は特に海外のOSや制御手順に依存していなかった
国産アーキテクチャPCと呼ばれているPC-98FM TOWNSMicrosoftのMS DOSを基本OSに採用、CPUや周辺IC(DMA・割り込み)もインテル製を積んでいて中心部は海外依存だったと思いますが。

 

そもそもですが「OSや制御手順に依存する」であったり「海外に依存する」とはどういった状態と認識しているかという疑問が浮かびます。

 

例えば「TCP/IP」と呼ばれるプロトコルセットを利用している場合、これは確かに「TCP/IP」と呼ばれるプロトコルセットに依存していることとなりますが、それは何か足枷になるものでしょうか?

 

TCP/IP」と呼ばれるプロトコルセット自体は、特段特別なものでもなく、これを用いる事で国内メーカーや特定企業が圧倒的に不利になる状況は少なくとも生まれません。

もっとも、厳密には規格競争というものは過去に存在していますから、一切の影響がなかたっとは言いませんが、少なくとも国内事業が国際的に競争力のある規格をこの領域で提案しており、結果的に敗北した為に従わざるを得なかったという歴史があるなら別ですが、私が知る限りその時点での日本はそもそもその領域で争う程の状況にはありませんでしたし、世界的にも「TCP/IP」の策定というのはある意味アメリカ自身によっても一つのイノベーションの到達点でもありました。

 

 

同様に例えばCPUとしてIntel社製のCPUが採用されたとして、確かにコードセットの関係から日本独自のOSをそのまま搭載する事は難しいですが、現実としてはその後のWindows環境の普及を含め、プラットフォーム自体は、よりビジネス環境として整備されチャンスが多数生まれていたのが事実です。

 

そもそも「依存する」という言葉は二つの意味合いがあると私は考えています。

 

一つは「消極的依存」です。

これは所謂多くの方が考える「依存関係」でAが存在しなければBは存在する事ができず、その為BはAの存在により生殺与奪の権を他人に握られるという状況です。

事例を挙げるとすると、昨今ではミニアプリというものが普及しつつありますが、あれがまさに良い例で、通常のアプリケーションを自前で開発すれば特段の成約はない(当然プラットフォーム上の規約に準拠する必要はありますが)ものの、一方でミニアプリの場合、そもそも入り口から出口までが全てミニアプリを搭載する先にアプリケーションに依存する事となり、極端な事を言えば、明日突然ミニアプリを搭載する先のアプリケーションがサービスを停止すると宣言した場合、ミニアプリ自体の提供を続ける事はできません。

こういった状況はまさに「消極的依存」とよべるもので、この選択は多くの場合で、あるメリットを享受するために、何かしらのデメリットを受け入れるという事となりマス。

 

もう一つは「積極的依存」です。

この考え方は特に日本では埋もれがちなのですが、単純に言ってしまえば「汎用化」と言い換えても良いかもしれません。

例えば通信制御を行う手続きとしては様々なプロトコルセットがありますが、多くの場合で現代ではTCP/IPプロトコルセットが活用されています。

当然ですが通信制御を行う手続きとしてTCP/IPプロトコルセットを採用するという事は、その制御手順に依存する事とはなりますが、そもそもTCP/IPプロトコルセット自体は限りなく汎用的なものであり、その採用によって大きな不利益が伴うものではありません。

 

さてここでもう一度本題の話しに戻りますが「中心部は海外依存だった」という指摘における「依存」とはどちらの意味合いでしょうか。

 

確かにCPUは海外製のものが使われていました。ですが、それによって何か具体的な影響があったのでしょうか。

CPUがIntel製品になった後となる前で言えば、少なくとも国内コンピュータ市場はより強靱で拡大したのが事実で、マイナスの側面はほぼ無かったとの認識です。

同様にWindowsの普及についてもですが、確かにこれも海外製のOSの採用ではありましたが、CPU同様にこの採用自体についてもパソコンと呼ばれる機器がより汎用性を高め、広く市場で受け入れられる活用される素地を作ったといってもよい状況であったとの認識です。

つまり、何れの「依存」も、少なくとも「依存」というよりも現実には「汎用化」であり、それは「積極的依存」というのが事実であったと考えられます。

 

そして「積極的依存」の採用とは、マイナスの行為ではなく、基本的にはプラスの行為であって、その目的は「一つの構成品としての採用」であるという事です。

 

例えば、コンピュータのチップというと多くの方はCPUの議論を行いますが、実際には多種多様なチップが存在しています。

それらのチップは、例えばパソコン一つとっても、出力制御だけでもUSBのような汎用デバイスから、グラフィクス関連のポート制御、サウンド制御やストレージ制御等、挙げる事ができない程の多種多様の制御を行うチップが存在します。

 

さて、これらのチップは全て海外製なのでしょうか。

 

当然ですが、そんな事はありません。

日本も一定のシェアを持つ分野もありますし、当然アメリカ以外の国がシェアを握る部分もあります。

パソコンであったり、サーバであったり、スマートフォンもそうですが、ある一つの部品を特定の国や企業が握っているから全てがそれに依存してしまっているという事はありません。

実際、日本が一定のシェアを持つ分野があったとしても、当然ですが、パソコンやサーバ、スマートフォンの主たるプレイヤーは日本以外の国なわけで、それらは結局のところ「部品の一つ」としてそれらを採用しているだけであって「依存している」わけではなく、それぞれの部品を上手く活用しているという事に過ぎません。

 

この考え方は昨今のサービスやプロダクトの開発でも同様です。

多くの言語は日本の母国語以外で書かれているわけですが、それによって日本が不利な立場にあるかと問われると、全く影響がないわけではありませんが、まぁ、それは些細な問題に過ぎません。

どちらかというと、日本の問題は日本人の固有の価値観や商慣習に依存したものの考え方としている為、そのやり方や考え方が単純に海外で通用しないというだけの事で、結果としてそのような土壌からは国際競争力のあるサービスもプロダクトも生まれないというだけの事です。

 

つまりコメントでも述べましたが「アメリカの常識が世界の常識、ITはアメリカ主導のような勘違い」というのは、単純に多くの領域で国際競争に負けた日本が「負けたのは○○だから」という言い訳に使っているだけの話しで、実際に負けた理由はもっと単純で、ただただ「価値のあるサービスやプロダクトを生み出せなかった」であったり、「古い価値観ややり方に依存して新しい商環境に対応できなかった」というだけの話しで、これはまさにガラケーからスマホに切り替わる中で、いつまでたっても日本のメーカーが昔ながらの無駄なバンドル製品や自社ソフト、サービスを多数搭載し、汎用性の低い機器を出し続けた結果、単純にコストパフォーマンスの高い海外製品に海外市場だけでなく国内市場でも勝てなくなったその状況そのものであるとも言えます。

 

例えば、あるメーカー製品は海外で人気のあるモデルすら意図的に日本では発売せず、結果として日本でも海外でも何れも人気が没落するなどどうしようもない戦略でした。

なお、これはスマートフォン以外も同様で、テレビのような機器でも日本向けモデルとグローバルモデルは意図的に別なものとしており、それは放送規格の問題ではなく、ただただ国内流通には意図的にグレードの低い機種の同等品を最上位機種として高く売っているというだけの事で、全く反省も失敗を生かす事もしていないのが今の日本の現実ですし、これは昔からの日本の伝統文化といえるほどのものであるともいえます。

 

結論としては、確かに部品として何かしらが海外製品を採用していたという事実はありますが、それは依存していたわけでもなければ、それが足枷になって日本のIT分野が後退したわけでもなく、同じように日本が優位性のある部品を活用してくれている領域もあるわけで「部品の一部の依存=プロダクトまたはサービス全てが依存」と捉えるのはあまりにも都合が良すぎるという事と、そもそもそれ自体が大きな足枷でもなければ何かしら日本が衰退するような原因になったわけでもないという事です。

 

むしろ上で述べたように「汎用化」が進んで日本にとっては大きなチャンスだったわけですが、それを全く生かす事ができなかったのは、ただただ日本の経営者であったり、当時の戦略を練った偉い方々が無能であったというだけの事で、それ以上でもそれ以下でもありません。

 

 

なお、こう説明されても「いやいや結局CPUは海外製だったわけでそれは依存だ!」というかもしれませんが、前述したように別にチップセットはCPUだけではないし、様々な機器にはそれぞれの主要チップが存在しており、それは今でも様々なメーカーがチップの生産と供給を行っています。

昔(少なくとも2000年以前)は、その多くに日本が関与している割合が高く、ある意味逆の話しで「日本のチップ供給に依存していた」とすら言える状況もありました。

つまり、ネットで議論するチップの議論などというのは全体のうち一部についての議論だけで、あたかもそれが世界の全てであるかのように言っているに過ぎません。

 

制御手順も同様です。

そもそも制御といっても通信制御だけでも多種多様なものがあります。

所謂ネットワーク通信一つとっても多くのものがあり、現代においてもTCP/IP等というのはその一つに過ぎません。

例えば、私たちが何かしらの支払をするときに銀行引落を行って貰う方法もあります。

この手順も制御手順です。

現代は大半の機器は電子制御で行われているわけですが、これらの機器の制御も何かしらの制御手順により行われています。

これらの手順は汎用的な制御手順の上に、アプリケーション層レベルで実現されるものもあれば、物理層データリンク層レベルから対応するものまで多種多様なものがあります。

当然ですが、昔から今に到るまでこれらが全て海外製の制御手順に制覇されている等という事はなく、それらはある程度汎用的なものに置き換えられる事はありますが、結局それは「汎用化」されただけであって、特段アメリカや諸外国の影響や依存によりそうなったわけでもありません。

 

私たちはネットワークだけを見ても、世界の本当に一部の分野、領域しか見れておらず、さらに言えば、表面上の「供給を受けていた」というだけで「依存していた」と捉えてしまうほど、卑屈になっているとも考えられます。

 

確かに狭義な意味では「何か一つでも依存関係にあればそれは依存である」と言えなくもありませんが、そんな狭義な定義に従ってしまえば、最終的には部品の原材料を供給する国以外は全て依存関係にあり、全てが競争に敗北する定めにあるとなってしまいますが、当然そんな事はありません。

 

そういった意味で、そもそも日本は別に全ての分野でアメリカや海外に依存していたわけでもなければ、今でも独自に取り組んでいる領域もありますし、それは場合によっては今でも世界的にシェアをそれなりに持っているものすらあります。

それでもなお、日本がこのような状況、つまりサービスにおいてもプロダクトにおいても内弁慶的な状況にあるのは、ただただ日本が愚かなだけであって、依存していたからとか、アメリカが主導権を持っていたからというわけでもありません。

 

以上が私が述べる事ができるいただいたコメント「中心部は海外依存だったという指摘」への回答となります。

 

というか、5000字とか、長過ぎですね、スミマセン。