一方的な正義感で社会は個人を追い詰めてはならない
ベーカリーショップ「アンデルセン」で起こった民族差別について告発します - 焦げた後に湿った生活
<a href="/Nobkz/">id:Nobkz</a> 倫理観や正義感も大事だが、一方でいち個人のバイトに対して社会的問題の負担を負わせるのは正当ではないかと。だからこそこういった情報をネットで拾った人間が正しい情報と正しい判断で行動するべきなのでは
理解に苦しむ。
確かにひとりひとりが正しい判断を行えれば、よりよい社会にはなるだろう。
が、現実社会はそう単純ではない。
個人には個性も環境の違いもある。
他人との争いが苦手な人もいれば、それ以前に、自分の意見を主張する事自体が苦手な人もいる。
その他、そもそも地方によってはバイトの条件も千差万別で、別な場所で働けばいいと軽々しく言うが、それが良い条件の環境であれば、何かを犠牲にしても働くという選択肢を取る事は前面的に否定できるものではない。
そもそも、何か社会に悪影響を及ぼす可能性のある行動をとっている会社であれば、全否定すべきだ、働くべきではない、とするならば、おそらく日本の半数以上の企業は何かしら問題や課題を抱えている。
今回はたまたま人種差別というキーワードであったが、人によっては人権問題だけでなく、環境問題、国際関係、もっとローカルな問題等、様々な視点で問題だと捉え、そういったものへの対応について企業毎に評価を下す。
そしてそれは、貴方が務めている会社も問題を抱えた企業だと判断され、そこで働く貴方も問題のある企業に加担している人間だと批難される恐れもある。
中には「自分は個人事業主だから」とか「自分がオーナーだから」とか言い出す人間もいるかもしれないが、それでも他人事ではない。
例えば、そういった判断・評価をされた企業と取引を一切しない、関与していないと宣言できる会社等あり得ない(相手の会社、経営陣、関係者、さらにその取引先を含め、一切の情報を全て知り尽くす事などあり得ない)わけで、連鎖的に加担していると判断される恐れすら有るわけで。
こういった課題に対しては、どのような行動が取れるか、それは人それぞれで、大胆なアクションを取れる人間もいれば、そうでない人間もいる。
そして、そうでない人間が、その局面である決断ができなかったとしても、それはその人の全てを表しているわけではないし、その人は、また違う局面では異なる判断、行動を採るかもしれないし、そうでなくても、そういった活動の支持者となる事も想定される。
フェミニズム運動に対する苦言や、野党支持者の行動について苦言を呈する際にも同じ事を言うが、その局面、その一瞬をゼロ百で評価するのは、そういった活動の支援にはならない。
繰り返すが、全ての人が、全ての状況かで、常に正しい在り方を実現できるわけではない。
それを責めるという事は、ただ単純に貴方の正しさを他人に押しつけているだけであり、それは正しい行為ではない。
正しさの表し方、正しさを表す為の行動は人それぞれであり、選択、判断、決断もその人に委ねるべきで、他人が押しつけるものではない。
当然間違った判断や行動が行われている時には「それは間違っている」と指摘すべきだが、その指摘は「私が思う正しい行動、判断ができない人間は間違っている」であってはならない。
そもそも個人が抱える負担、個人が戦う負担を軽減できるのが、インターネットやSNSを通じた行動であって、折角こういった情報がネット上にでてくるだけで、そういった企業や集団に対して問題を指摘できる世の中になっているのに、具体的な行動を起こせない人間は「悪」と決めつける行動を採ってしまえば「批判されるぐらいなら、自分は関わらない」という事になりかねず、より状況は悪化するわけで、むしろ貴方の行動や発言は状況をマイナスの方向に進めるおそれすらある事を理解して欲しい。
行動の在り方はいろいろある。
そういった事を、見た、聞いた、経験した、そういった情報を伝えるだけでも有効だし、それを受け止めた人間もまた、自分ができる範囲で行動を起こせばいい。
当然、そういった情報と向き合った時、その内容が正しいのか、事実を全て表しているのか等、個々人での判断も大事で、ただただ鵜呑みにしてはならない。
評価されるのは具体的な行動だけではないし、そういった人だけで社会は構成されてはいない事を理解する必要があるし、そういった人を如何にして味方につけて、より多くの人を正しいと考える方向、同じ視点をもってもらえるようにするかという事が、社会を変える、差別を無くす、そういった事への正しいアプローチだと私は思うが。
貴方が行動できるなら、あなたは行動すればいい。
行動できない人を責める事は貴方の仕事ではないし、そんな暇があるのであれば、貴方はもっと行動するべきではないのかと私は思うが。
そういった寛容さ、個人の在り方を尊重できる社会になる事が、差別やイジメ、強制、そういった人権問題がなくなる社会の第一歩なのではないかと。