何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

後藤さん、湯川さんの件について思う事

ブコメへの意見は一切のせません。

 

なぜなら僕と同じ意見の持ち主は余りいないだろうし。

 

僕が一番今朝気になった事は、湯川さんには大変申し訳ないが、後藤さんの子供の事だった。

 

今朝は朝から様々なメディアで後藤さんの件が時系列的なものから、過去の実績も含め様々な話が飛び交い、そこには、本当に彼の想いや考えに沿っているのだろうかと首をかしげたくなる物もあったように思う。

 

ただ、その一つ一つがどうであるかというのは、今の僕には実はどうでもいい。

 

僕は、僕が彼の子供の立場だったとき、自分の父親がなくなった事を、どのような形でも、毎日毎日メディアからいろいろな着色が着いた状態で聞かされるのは耐えられない。

 

僕はね。

 

彼の実績を賞賛する事も大切だし、それ以外にも、この事件を通じて僕らは何を学ぶべきなのかも非常に大切なのだと思う。

 

でも、そこには、彼が愛した家族が、子供がまだおり、その子供は、これから父を失ってもあるいていかないといけない。

 

彼が何を感じ、考えたかは僕らがひとりひとりが理解し、それを教訓に行動すればいいと思う。

 

ただ、今そこにある幼い命や、彼がこれまでに注いだ愛情と、これから注ぐべきだった愛情を如何にうめるのか、いや、うめる事なんて僕らにはできないのだけれども、だったら僕らは、これらか先、彼が残した物の為に、少しでもできる事をすべきじゃないのだろうか。

 

奥様を含め、子供達、当然、湯川さんの家族、そして知人、様々な人にとって、それぞれの関係、記憶の中での彼らがあるわけで、僕らが勝手な想いや感想でそれをメディアという切れ味の悪いナイフで斬りつけてはならない。

 

過去と向き合う事と同じだけ、これからの事について、考え、これからの事に必要な何かをちゃんと僕らは提供できる大人になる事こそが、今、必要なことなのではないだろうか。