何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

ちゃんとしなさいの『ちゃんと』が理解できないのは十分やばいし、「私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」ってのは正直社会的には面倒なだけ

 

【ナウシカの「大丈夫だよ(ほらね、怖くない。ね?怯えていただけなんだよね。)」理論】憎しみで憎しみを消し去ることはできない。それができるのは『ナウシカの大丈夫だよ(以下略

そもそも大前提としてそんなに人間は他人から罵倒なんかされないと思うんだが。それは相手にも良心とか常識、忍耐というものがあるので。にも関わらず頻繁に、百歩譲って他人よりも多く罵倒されるのは確かに欠陥人間

2015/05/03 01:41

 

今日は久々に2か月待ちのお店にいってうまいものを食った。

なので余計にへたくそな文章が輪をかけてへたくそなんだと思うけど、それは仕方ない。

 

さて、まぁいつも薄っぺらい、宗教じみた話を掲載しているんですが、それは別にいいとしてもちょっと度を超えている部分については個人的に意見を述べてみる。

 

まず、よくいるんだけど親や社会がいう「ちゃんと」という言葉に反感持つ人。

いや、別に反感を持つことはいいんだけど、それは「ちゃんと」の意味を理解し、その意味に対して反感を持つことであって、「ちゃんとってなんだよ」って話ではない。

大抵のアウトローは、定義について疑義を持っており、指摘に対しては別にどうでもいいと思っている。

私も実際そうだったし、ある時は明確に反論をしていたし。

 

その事と「ちゃんと」なんてのは定義が人により違うからね、なんていうのは本当にアホだと思う。

 

ここでいうちゃんとは既に相手に定義があり、その定義はおおむねその相手と社会の間で少なからず共通認識が図られている。それが正しいことか否かは別として、その事については、残念ながら同意しないとしても、その意味が理解できないというのは正直小学生でも結構やばい。大抵このレベルの話は中二病を発症するあたりで理解し、それが思春期の思考とも合わさりながら人は大人になる。

 

反抗期ってのは、社会の現実と自分の現実、そしてそこに寄り添う自分の理想との呵責によって起きるものなので、だからこそ親はそれをちゃんと受け止める義務がある。なぜなら子供は反抗期だからこそ、自分の行動の意味を理解しているから(まれに理解していない子もいるが)。

 

よって、本気で「ちゃんと」の意味が理解できていないというのは、それこそ『ちゃんと』世の中っていうクソみたいなものを考えるようにした方がいい。

 

その上で、従うか、従わないかとかそういうのは別な話だろ。

 

で、「私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」ってのは完全に自己中で無責任なんでやるなら日本以外、できれば地球以外でやってください。

 

この言葉に一番腹が立つのは、お前、それ世の中の全員が同じような行動をとって、社会が成立しなくなったとき、お前は責任を取らないだろ?って事。

 

「私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」ってのは、言い換えれば「俺は俺の好きにする。お前らは社会をちゃんと俺の自由の為に守れよ?」って話で、身勝手すぎて、よくそこまで他人を犠牲にできるな、っておもうわ。

 

別に社会の為に自分を犠牲にする必要などない。

ただ、社会に属すか属さないかにかかわらず、生きている限り人間は常に自分以外の何かと関係を持ち続ける事になるわけで、そのとき「私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」という事を考えては終わってしまう。

そうではなく、「自分は自分にできることをやろう」とすべきであって、無責任になるべきではない。

 

やれない事をやる必要なんてないし、やったところでできるはずもない。

そんな事で悩むぐらいなら、小さいことでも、他人には理解されないことでも自分がやれることをやればいい。

それが社会の中で生きることであり、自分の為でもあり、同時に他人の為でもあるわけで。

 

「私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」なんてのは、普通は考えない。

 

自分が社会にうまく適合できないことを悩むのは無意味なんだけど、それは無責任になるということを受け入れろという結論にすべきではない。

 

犯罪者が「世の中が自分を受け入れなかった」というのと同じだろ、それは。

 

ちがうだろ。

世の中なんて定義は大きすぎて、そもそも場所も時間も時により全然違う。

極論言えば、今、そこで受け入れられないなら、別などこかで生きてもいいし、それでもだめなら、できるだけ社会から離れてもいい。

 

ただ、犯罪者に多い「世の中が自分を受け入れなかった」ってのは、結局は社会に自分の居場所がほしいからそういった行動をとっているというのもあるので、それだったら、自分を少しづつでも変えてでも社会に入るしかない。

 

大抵は社会なんてどうでもいい、とか、他人なんてどうでもいいとかいいながらも、結局は社会とか人との関係を求めてしまい、結果、その矛盾を自分で制御できなくなる。

 

多くの人は、そういった苦しい現実だったり、社会や組織との少しづつのギャップだったりをなんとか自分の中で消化しながら生きていて、それが今の社会を形作っている。

 

そう、気づかないだろうけど、そういう当たり前の毎日の行動かこの世の中を構成しているわけなんだよ。

 

その努力と比較しても私みたいな人間がひとりくらいいてもいいだろう」ってのは無責任だし、他の人間、はっきり言えば、世の中とうまく付き合う事に必死になっているような弱者を犠牲にする考え方であって、どう曲解しても理解できないし賛同なんてできない。

 

強くなんてなる必要はないが、他人を犠牲にするような選択肢をまず最初にもってくるのは、お酒がはいった私の頭で考えても「クレイジー」だし、「あぁ、これは弱者を食い物にする奴だわ」として思えない。

 

ほんとやばいわ。