何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

そもそも好き、嫌いなどというのは偏見でしかない

 

「女を容姿と年齢で差別するな!」と主張した30代女性に投げかけられた、友人たちの反応とは(telling,) - Yahoo!ニュース

それは差別ではないと思うのだが。その価値観で例えば仕事の発注や依頼、査定など、本質的に個人の裁量を挟まない領域について性別や年齢、外見による判断を行うなら差別だが、好き、嫌いなどというのは個人の裁量。

 

後の本人のツィートを見ても、結局自己の意見の主張に過ぎなかったのだろう、という感想しかないのですが、ただ、こういった一方的な主張の正当化というのは、逆の意味で女性差別に繋がるので真剣に考えて欲しい。

 

そもそも、人が人を好きであるとか、嫌いであるというのは、大なり小なり個人の一方的な感情の問題が関係し、極論言えば、AさんにはAさんの価値観、BさんにはBさんの価値観があり、Aさんの価値観をBさんが否定する事も意味がなければ、逆に肯定することにも同様に何の意味も無い。

 

この肯定や否定というのは、ただの同調というもので、どちらかというと価値観を歪ませる要因にしかならず、こう言ったものが実は差別的な考えを広めたり、偏った価値観を醸成する土壌になりかねない。

 

例えば、女性が専業主婦になりたいから年収の高い男性を希望したとして、それは悪い事だろうか?

男性からみれば、自分の価値をATM程度にしか考えていないのかな?という感想を持つ人もいれば、僕は仕事に専念できる環境が欲しいので役割分担をしてくれるなら大歓迎という人もいるだろう。

これはどちらの意見が正しいわけではないし、どちらも本人の希望や好みであって、正しく、それ以上でもそれ以下でもない。

 

この女性の価値観や希望というものは、同じ女性でもそれが良いと思う人もいれば、それは女性の価値を貶めると考える人もいる。女性は家庭に入り支えるものではないと。ただ、逆に良いと思う人の中には、家庭を回すという役割は、外で働くという役割と同等で重要な仕事であり、外でお金を稼ぐ行為と、家庭を回す行為を二人で同時にやるよりも、双方が専念する方が合理的であったり、そもそもそれが自分に向いていると考える人もいるだろう。

これも、どの意見が正しいわけでもなく、それぞれその人の価値観により判断される事でしかない。

 

年齢についてはどうだろうか。

年下が好みの人もいるだろうし、年上が好みの人もいるだろう。いやいや、同じ世代でないと無理、と言う人も当然いるだろう。

どれが正しいのか?どれも正しいだろうし、何も間違っていない。

 

では、今度会社で新しく事務作業を行う社員を採用する事になったとして、その募集要項に「20代、女性、未婚の方」と書かれていたらどうだろうか。

 

うん、これは問題だ。

まず、年齢を限定しているが、この場合限定すべき理由がないので、これは良くない。

さらに言えば「未婚」という制限も理由がなさそうだ。これも良くない。

 

もっと問題があるのは「女性」と限定してる部分だ。

事務作業は女性だけが行うものではない。男性にも従事する権利はあるし、事務作業=女性などという価値観は完全に偏見だ。

 

偏見や差別とは、本質的でない事由により、性別や年齢、外見など様々な理由で価値観やそれに基づく判断を歪める事だ。

 

では、温泉施設で、女性更衣室の監視や清掃、お手伝い(例えば、お子様同伴の方であったり、からだの不自由な方であったり)を行う従業員を募集する場合はどうだろうか。

 

この時「女性に限る」とするのは差別だろうか?

これは止むを得ない。なぜなら作業する場所の特殊性を鑑みれば、男性を従事させる事は現実的ではないからだ。

 

ではここに「20代」と年齢を限定した場合はどうだろうか。

これは少し難しい側面がある。

一つは、お手伝いという関係上自身の健康状態や力作業に耐えられるだけの体力が必要とはなるのは事実だ。

だが、必ずしも40代よりも30代、30代よりも20代の方が体力や健康面が優れているわけではない。

なので、こういった場合は「力作業が必要となるため、一定のテストを行います」のような一文を付け加え、現実的に実務に耐えられるかの確認が必要になると同時に、想定される作業内容を募集要項にも具体的に記載し、応募者に誤解されないような配慮が必要だろう。

 

個人の価値観は、実は本来尊重されるべきだし、それは誰かに制限されるべきものでもない。そんな事を制限、統制しようとするなら、それこそ北朝鮮や中国のように、絶対的な正義、絶対的な価値観というものを国が決め、それに従う以外に道はなくなってしまう。

 

ただ、その価値観はあくまでも個人のものであって、自分の中を一歩出てしまえば、言い換えると我が儘であったり、極論いえば個人の偏見に過ぎない。

そう、個人の好き、嫌いなどというものは、大きな括りでいえば、ただの偏見であって、それ以上でもそれ以下でもない。

だが、その偏見があるからこそ、人は他人と違う人を好きになったり、多少の欠点を受け入れる事ができる。

もしもこの個人の価値観という名の偏見が一切なくなってしまえば、人は同じ人を同じ理由で同じように好きになるだけであって、全ての人が全て同等に愛されるわけではない。

 

年上が好き、年下が好き、無口な人が好き、よくしゃべる人が好き、笑う人が好き、感情豊かな人が好き、細身の人が好き、ふっくらした人が好き、筋肉質な人が好き、メガネをかけている人が好き、タバコを吸う人が好き、タバコを吸わない人が好き、子供好きが好き、子供は苦手なので子供を希望しない人が好き、インドア派の人が好き、アウトドア派の人が好き、旅好きな人が好き、車好きな人が好き、二輪好きな人が好き、犬好きが好き、猫好きが好き、動物が嫌いな人が好き、都会暮らしが好きな人が好き、島暮らしが好きな人が好き、田舎が好きな人が好き。

 

好きも嫌いも個人の自由で個人が持つ偏見でしかない。

 

だが、それは差別ではない。

一番尊重されるべき個人の主観であって、特に結婚や交際といった個人の価値観のぶつかり合いのような場所ではむしろ隠すべきではなく、しっかりとお互いが自分の好き、嫌いについて理解し合えなければならない。

 

男友達の「40代」「太め」であった女性が好みではなかった。

これはただの個人の価値観でしかない。

 

もし彼が、それを理由に採用や仕事の発注に制限や判断をしたならば、それは差別であるだろうが、そこは結婚や恋愛という場だ。

完全に個人的な場であり、むしろそれから先何年、何十年と時間を共に過ごす事を考えれば、自分の好みを述べるべきで、そこで個人の価値観を押し殺すべき理由など何もない。

 

まぁ、言い方はあったかもしれないが、彼の落ち度はその程度だし、そういった事を理解しているから、その場の他の友人も貴方の発言や意見を理解できないのだと思いますよ。

 

なお、もっと言えば、貴方の「年齢を判断基準にするな」や「外見を判断基準にするな」も、正しい事をいってるように思うでしょうが、それも同様にただの個人の価値観であり、大きな括りでいえばただの偏見に過ぎない事を忘れないでください。

 

この話はそれ以上でもそれ以下でもない、ただ、それだけの話しです。