何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

それ自体が夫婦の選択なので、それを受け入れる事を"男の甲斐性"とかいうのは違うのでは

 

NHK夫婦別姓特集、たぶん夫婦別姓になっても不幸だぞ - 人生万事こじらせるべからず

"男の甲斐性"とかいうものに頼るのってそれ自体が矛盾では。縁を切るのは妻の為ではなく単純に夫婦と親子を夫が天秤にかけて夫婦を取るだけの事で逆にそれを選べないなら夫婦の縁を切るだけの事ではないかと思うが。

 

個人的には別姓容認というか、そもそも姓に拘りがないので、誰が何を選択しても好きにすればいいし、そもそも婚姻に関わらず、何かあれば生涯のうちに何回かは姓の変更も認めてもいいのでは?とすら思うわけで。

それに対して実現しない要因としてインフラの問題があるのは事実で、それは実態としては近代の家族制度というか、戸籍管理の根本的な仕組みの課題なので、私は夫婦別姓とは別の議論として戸籍や住民台帳の管理構造の見直しはすべきとすら思っています。

 

で、件の話。

 

妻が、または夫が別姓を受け入れられないという事情あったとして、それは曲論言えば、単純に結婚または結婚を継続する事由が満たされなかったというだけの話だと私は思うので、殊更それをとんでもない課題だとは思わない。

 

例えば、性の不一致もそうだし、味の好みの不一致、生活習慣の不一致、ありとあらゆる事が不一致という事が原因で離婚や結婚を見送る等という事は普通にある。

 

もっと踏み込めば、顔は好みだが、性格が嫌い、これですらそれと同等。

 

制度として夫婦別姓という選択肢が存在していないという問題は社会インフラとしての問題ではあるが、問題自体は世の中に山積しているので、どの問題と向き合うとしても結局それは夫婦という一つの生活を共にする集団を築くに値するかどうかという選択において、それを選ぶのか、選ばないのか、ただそれだけだと思う。

 

なぜか夫婦別姓の議論だけがとても特殊で腫れ物にさわるような議論をする風潮もあるが、別にそんなセンシティブな問題ではない。

 

繰り返すが、極論言えば、年収が希望に届かないとか、そういった類と基本的には同じで、条件を満たさないだけの事だと私は思う。

 

なので、私からすれば、夫が、または妻が、何らかの理由で別姓を希望する、またはいずれかの姓に変更する事を望まない、わかりやすく言えば、男性の姓にすることを希望しないという状態が発生した場合、端的に言えば男性が女性の姓に変更するだけの事だが、それを選ぶのか、選ばないのかは男性にとっての結婚の優先度でしかない。

 

それを選ぶ事で、親との関係を切らざるを得ないなら、どちらを取るかというだけの話だし、そこまでの決断をする結婚でないなら、選ばないだけの事かと。

 

こういった表現をすると、批判的な意見もでそうだが、結婚前でも結婚後でもその程度の選択はいくらでもある。

 

不一致というのは日常的な事で、それがどのような原因でも選択はせざるを得ない。

確かに社会インフラの不備や問題に振り回されるというのはあるし、それが原因であるというのは不条理に感じるが、仮にその一つの問題がクリアされたところで、別な問題、さらに別な問題とやってくる。

 

なので、結婚をするのか、しないのかという議論でいえば、別に夫婦別姓だから結婚できないというか、単純に相手の姓に変更するぐらいなら結婚という制度を使わない方がまし、というだけの選択で、それはそれで正しいし、それを誇る必要も卑下する必要もない。

 

そして、このような選択を迫られたときに「男の甲斐性」とかいう謎の価値観で対応をしなければならない事の方が異常な状態で、男は頼りがいがあるべき、なんていう事をいうレベルであれば、別姓なんて議論しなくていいと思う。

 

別姓が良いというのはその個人の問題だが、男は頼りがいがあるべき、とか、こういった状況で決断できるのが男である等というのは、明らかに前時代的な価値観なわけで。

 

受け入れることが甲斐性(極論言えば、別姓または妻の姓を望むが夫がそれを受け入れないので妻の方が止むを得ずそれを受け入れる事も含み)等という程度であれば、そもそも結婚生活なんてただの足枷にしかならないから、やめるべきだと私は思いますが。

その程度で結婚するような人は、恐らく晩御飯の味が私の好みではないとか、お茶が温いとか、あとなんだろうな、まぁ、どうでもいい事で離婚するだけだと思うけどね。