何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

子供経由で感染する事は知っていても現実的に対応できない親も結構多そうという話

 

マイケル・ルイスの感染症に関する新作「最悪の予感」は東京でのコロナ感染者が4000人を超えた今、読んでおく必要があると考えます。 - 勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ

子供の安全は基本的に周囲の大人の理性によって成り立つ。一方で子供の親が全て理性的であるかというと当然そんな事もなく、感情的に判断してしまう(可哀そう等)親もいるが子供の関係上それを排除する事はできない

 

コメントを見ていると、子育て経験がある方は一様に子供はだいたい保育園や幼稚園、小学校のような集団の中で病気をもらってくるというのは珍しい事ではなく、例えばインフルエンザや風邪であっても、そういったところで子供が感染し、そのまま親ももらってしまうという経験は比較的珍しくないもので、それが一つのリスクである事はよく理解されている。

 

一方で、辛い事に、そういった親の全てが理性的に行動ができるかというとそんな事もない。

 

私のマンションは子育て世帯用のフロア/部屋があり、一定の子育て世帯が暮らしているわけだが、週末は結構酷い状況ではある。

 

元々コロナ前から週末になると周囲のお友達を読んでそれを迎えに来ている(共同玄関から部屋まで勝手に入れないので)方がエレベーターホールやエントランスにいたわけだが、これが最近はコロナ前と同じぐらい復活している。

 

エレベーターも週末の夕方ぐらいになると「待ってたよー」「〇〇ちゃんたちはもう来ているよー」という感じの親子が結構な団体でエレベータ待ちをしている。

 

夏休みでもあるし、子供もどこかに旅行に行けるわけでもないし、という事もわかるが、もはやちょっとした幼稚園や保育園のクラスではないかという雰囲気すら漂う。

 

恐らくそういったイベントというか集まりにすべての親が参加したいと思っているわけではない。が、子供が遊びたいという気持ちを持っている事は当然の事で、特に夏休みであれば余計にそういった状況でもあるわけで、誰かが火をつけてしまえばもう「ダメ」とは言えないだろう。

 

その上、子育ての期間は人づきあいが嫌いだとしても、なかなかすべてを排除していくというのは難しい。

幼稚園や保育園、小学校、中学校と義務教育的な期間だけでもなかなか関係性が完全に切れない期間もあり、そこも考えれば「お誘い」を無下に断る事も難しくなる。

 

結果として、理性的に考えて「今じゃないよね」と判断できる親であっても、結果として集団の中に感情的に判断(つまり子供可哀そうという事だけで行動する)する人がいれば、そのコミュニティは基本的に無秩序になってしまいがちなのが恐ろしい所。

 

今、東京都の感染状況を見ても家庭内での感染というものは決して少なくない。むしろ多い。

その上で、感染経路が特定できないものも多く、一部で聞き取りをしている内容を見聞きすると比較的外出を控えていても感染しているという事例は多い。

 

ただ、私が考えるに、恐らくすべての人が「控えている」の中で「これは特に問題はなかった」として処理しているケースは多いのだと思う。

私であればコンビニまで行ってくるようなケースは頻度が低いし短時間なわけで、特別言葉を発するわけでもない事から、これはセーフだよね、と考えている。

が、それでも感染する時は感染してしまうのがこの感染症の恐ろしい所だ。

 

大人同士というのは結構相手が理性的であるか、そうでないかは普段の生活の中であったり、むしろ今のような特殊な状況に於かれるとより顕著にその傾向がわかるわけで、そういった意味ではリスクは避けやすい。

例えばマスクをしていない人がいたとして、あえて近づかないという選択を取ったり、人出が多い事が予想される場所にはいかないという選択をしたり。

 

だが子供が絡むとそうもいかない事が多い。

大人の理論は子供には理解されないし、説得するとしてもなかなか難しい。その上長引くコロナ過というものもあり、現実的に辛い。

 

身近な人だから、不特定多数ではないから大丈夫、と思いがちだが、そもそもその人が「大丈夫」な保証なんて永遠にない。

これは私が感染していない保証がないという事も同じで、全員が明日感染していない事を断言する事はできないのと同じだ。

なので、身近であるかどうかというのは判断基準にはならないし、むしろクラスターが発生する要因の一つとしてそういった近親者や関係者経由というのは普通に多い。

 

身近であるが故にマスクを外してしまうし、ついつい話し込んでしまう。

他人であれば距離も取るだろうが、身近な人間に対して明らかに距離を取るのはなかなか勇気がいる。ましてや部屋の中でというのは難しい。

なので結局、身近であるかどうかというのは安全面で言えばむしろそういった点ではリスクが高い環境だといえる。

 

 

全てをやるべきではない、とは思わない。

恐らくそれは無理。

大人でも無理だし。

 

ただ、ちょっと我がマンションの雰囲気を見ていると、もうちょっと理性的になった方がいいのでは?と思わないかと言えばウソになる。

 

まぁ、だからと言ってその人達に何か言うつもりはないし、ブログで「私はこう思う」程度の記事を書く程度の事でしかないが、結果的にそれでみんな感染したとして、その時に人間関係ってどうなるんだろうか、と気にはなる。

 

恐らく親同士で何か言い合う事はないだろう。

どちらかというと夫婦であったり、親戚の中での意見という感じだろうか。

なぜ感染したの?という話にはなるだろうし、そうすると、まぁ、そういった集まりをしてそこでみんな感染したという話にはなるだろうし。

親の立場からすればいろいろあってそういう場所に参加したというだろうが、周囲からすれば今じゃないでしょ、それぐらいわかるでしょ、という意見は当然でると思う。

夫婦の間でも同じで、夫や妻または共働きという可能性もあるわけで、家庭内で感染が起きれば本人も出社停止になる。

出社停止になる事自体は、まぁ、病欠だしやむを得ないが、当然家計にも影響する可能性もあるし、場合のよっては仕事にも影響をする。

別に病欠だからといって世界が止まるわけではないので、工期であったり、納期であったりは変わらないのだから。

結果として夫婦間にも悪影響を及ぼす可能性はあるし、それを見る子供にも結果的に悪影響を及ぼす可能性は高そうだなと。

 

そういった事も含め、結構なリスクだよな、とは思う。

原発が発電コストを考える時に事故時の影響もコストに反映すべきだ(が、この意見は同様に太陽光発電の周囲への悪影響も加味しなければフェアではないが)という話と同じで、その感情的選択を行う時、貴方はその先のすべてのリスクを飲み込むだけの勇気を持つべきです、という助言はしたくはなる。

 

しないけど。

 

とはいえ、何度も書いたように、現実問題として理性的な親であっても、いろいろな柵の結果、感情的な親に付き合わざるを得ないというのが現実なので、まぁ、子育て大変だな、という話でしかありませんが。