何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

仮に休校の選択肢が取られなかったとすれば、それは政府よりも国民の側のアップデートが必要という事

 

sekkai 💉fully vaccinated on Twitter: "五輪後新型コロナウイルス禍の収束点は既に決まっていて、お盆で日本中に広まったデルタ株が夏休み終了と共に対面授業で学校内クラスターを多発させ、ワクチンが間に合わなかった30-40歳代を中心に家庭内感染が多発し、各地落城するのでしょう… https://t.co/gnvJRWDXVn"

安倍政権下で休校させたときは「効果なんてない」「教育の機会を奪うな」「親の負担を考えろ」と批判や批難のオンパレードだったわけだが。何を選択しても批判されている状況下では誰しも選択を止める。国民側の課題

 この話。

 

別に政府が正しい事をしているとも思わないし、私も今の状況では、海外の状況も踏まえると例え一部の反発を招いても休校措置を取るべきだと考えている。

 

が、恐らくそう単純に選択はなされない。

理由はコメントの通りで、安倍政権~菅政権(といっても、菅政権で何をしたかはよくわからんが/失敗も含め…)において、いくつか実験的試みやチャレンジはあったと思う。

 

例えば、何度も書いているがアベノマスクの揶揄される取り組みも、私は取り組みの方向性は間違っていなかったと思う、が、実行力と実際の結果が伴わなかったという致命的な欠陥があった。

これも未だに政府批判のネタにする人がいる程、日本はチャレンジに対して否定的な環境となっている。

 

同様に安倍政権下での休校措置も同じで、例えば「デルタ株とは状況が異なる」というが、当時は今ほどの情報はなかったし、海外でも休校措置をとる国もあるし、地域で差がでていたところもあって、正解はなかった。

実際、当時は子供は感染しないのではなく、感染しても重症化しないという認識(なお、それ自体は今も同じで、デルタ株により感染力と重症化率が上がっただけ)で、感染の中心になってしまい、子から親、親から子等という経路により拡散してしまうのではないかという議論もあった。そして当時政府は兎に角やれることをやるという認識で強硬したわけだが、ご存じのとおり批判の嵐だった。

 

決定的な確証がないなら、より安全な方へという選択は、少なくとも私はあの状況下、初の緊急事態宣言が出されるほどの状況下では正しい判断だと思う。 

 

その他、高齢者が優先的にワクチンを接種した件についても同様で、若い世代を見ごろしとか、高齢者の票を買う為に優先したという謎理論で政府を批判している人も多い。

冷静に考えて、あの当時は高齢者の重症者数を押さえない事には、仮に死亡率を無視したとしても医療リソースの枯渇を避けられず、医療崩壊を起こす恐れが高かった。

その為、まずは重症者数やそもそも重症化率の高い高齢者に対して優先的にワクチンを接種する事で、医療リソースへの負担を軽減する事を目的としており、結果としてその後の高齢者の重症化数は劇的に下がった。

これは、結果として医療リソース全体への恩恵があったわけで、その恩恵として当然若い世代への恩恵、つまり医療リソースが確保される事による医療崩壊の回避(実際は延命に過ぎなかったが)という効果をもたらした。

こういった事実ですら無視され、高齢者優先の接種すらも批判の種となるのが今の日本だ。

 

こういったいろいろな選択に対して、それぞれ問題はあるだろうが、行った事を批判し続ければ、政府に限らず人は選択すること自体を辞めてしまう。

仮にリスクを取って選択しようが、しまいが、結局は批判されるのであれば、普通は選択しない方が賢い選択だといえよう。

 

わざわざリスクを取ってまで批判される意味は普通に考えてない。

 

これは対政府だけの議論ではなく、普通の仕事でも、家庭でも同じ事で、なぜその選択をしたのか、なぜその行動を行ったのか、大抵の事には理由がある。

その結果が理解しがたいものや、同意しがたいものであったとしても、そこには大抵は理由があるわけで、その選択の理由について理解をする事は必要となる。

 

結果に同意や肯定を示す必要はない。

結果とは仮に素晴らしい選択を行っても残念な事になるし、その要因は様々なものがあり、ある意味運ですら必要となる。

 

が、その選択の理由は結果とは関係がない。

そこに明確な目的があり、その目的が理解できるとき、選択自体を批判してはいけない。

 

選択した未来と、選択しなかった未来、必ずそこにはプラスもマイナスも存在する。

プラスだけが存在する選択肢なんて基本的にはなく、同様にマイナスだけが存在する選択肢もない。

 

 

私たちが何かの選択を否定し続けるという事は、政治に限らず相手に選択を躊躇させる状況を生み出すという事を理解すべき。

実社会でそういった事をした時、会社の中で誰かが何かの選択をしたとき「お前の選択のせいでこの結果だ!」等と言う発言をすれば当然ただのモラハラだし状況によってはただのパワハラでしかない。

 

相手が政府であれば何を言ってもいいと思うのは控えめにいって頭がおかしいし、それを見ている人がそういった行動を同じように肯定すると思うべきでもない。

 

新型コロナウィルスとの闘いは、基本的にはトライアンドエラーしかない。

誰も明確な正解などもっていないし、米国CDCですらひたすらいろいろな事例を発信しながら、色々な選択について常に状況に合わせて変化させている状況だ。

極論言えば、マスクの必要性ですら2020年4月から今までの間で必要な状況や有効性が何度も議論されるほど、まだまだ私たちはこの戦いの勝利条件が分からない。

 

私は小池知事対して厳しい発言をしている。

それは都として何もトライアンドエラーをしていないという点だ。

予算も多額に有しており、コントロールするにも比較的地方都市よりも行いやすい環境にある。

そういったメリットを全て投げ捨てて、ただ時間だけを浪費し、この1年以上の間なにも新しい取り組みをせず、チャレンジもせず、フリップ芸と露出だけを増やした。

 

結果、今の東京都には経験値もない。

 

私は失敗してもいいし、間違いもあってもいいと思う。

重要なのはそのチャレンジと経験で、そこから次に生かすべき。

それを行う国は徐々に平常運転に戻す事ができる。

何故ならばコロナとの共存する社会について自分達も理解できるから。

他人事ではないからだ。

 

マスクをする生活をしたいのか、それともしたくないのか、それも選択。

ワクチンを強要する社会とするのかどうか、それも選択。

ロックダウンを行うべきか、行うべきでないのか、それも選択。

 

何れも選択だが、何れに対しても明確な理由と選択の根拠を示し、その上でトライするしかない。

 

未知との闘いの経験なんて誰にもないわけで、正解は自分達で勝ち取るしかないわけだから。

 

そういった事で、仮に今回政府が休校の選択をしなかったとすれば、それは国民が政府の行動についてなんでも批判するという体質を持ってしまっているが故の結果だと私は思う。

 

私は振り返っても、あの時、安倍政権下での休校措置も全否定はできないし、反対派の人がいう学ぶ機会云々についても、緊急事態宣言同様に、私は短期間で徹底した対策を講じてきっちりと対応をした方が、経済的にも精神的にも負担は軽く、後に私たちは楽をできたと考えている。

 

これもコロナ過で現れる思考の在り方の一つだと私は思うが。