東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース
野党の対案や方針に同意できてもできなくても、その話と与党や都知事の無能さの評価とは直接関係ない。他人の失点は誰かの得点ではないし、他者の失敗も自分の成功にはならない。そこを勘違いしてはいけないと思うよ
このコメントですが、以下のコメントを読んで付けました。
東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース
与党・都知事が無能という言説が多いけど、対案や野党の主張には同意しかねる。ロックダウン:やり方次第だろうど他国では成功していない、中国式?検査:意味わかんない。五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?
僕は別な記事でも書きましたが、与党に対してのコロナ対策の評価で言えば、安倍政権時代は実績は伴わなかったものの、何かをしなければならないという考えは伝わってきており、少なくとも菅政権とは違い、総合的な評価でみれば非常に低いものの、それは実施面のマイナスや、結果的に得られたもので評価すれば低いというものであったと考えており、この部分は恐らく比較的与党に対して甘い評価をしている(私的には非常に現実的に行っているつもりだが)。
一方で、小池都知事に関して言えば、評価すべきポイントは皆無で、むしろ評価自体は明らかにマイナスです。
なんせ色々情報を集めますが、東京都として評価すべきポイント、というか、東京都として具体的に成したい事がさっぱり何もなく、評価する事もなく、ただただ時間を浪費しているだけである為です。
私は誰が誰を評価してもよいし、それはプラスでもマイナスでもよいと思います。
が、いつも言いますが、与党の失点は野党の得点にはならないし、誰かの失敗も誰かの成功にはならないという事は明らかです。
ですから、仮に誰かが有能である、無能であると評する時、それはなぜそう評するのかという事を主張しない限りは何の意味もありません。
個人間で誰かの主張に同意できない、反論するというのは有ってもよいと思いますし、実際コメント等でもそういったやり取りはあるし、あってよいと思いますが、Xに賛同できないからYの批判は間違い、という主張は流石に主張にすらなっていません。
少なくともXの主張に同意できない部分について説明できない(例えば理解もできない程意見の隔たりが大きい事もあるので)としても、Yの批判が間違いだというのであれば、何が間違いであるかを主張・説明しなければ筋が通りません。
例えば「五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?」という部分ですが、私は開催に対して絶対反対であったわけではありません。
過去のコメントを読んでいただいてもわかるように、私は五輪と普通の大会、少なくとも世界大会程度の規模であっても、選手にとっては全く異なるものであると考えていたし、それだけ行うのか、行わないのかという決断は大きな問題であったとの認識です。
その上で、やるのであれば徹底した管理と絶対的な透明性、開催した事を批判されないような、徹底した管理体制と情報公開を行う事で、ぐうの音もでないような大会運営を行った上で実施すべきだと考えていました。
が、実際に行われたものを見れば、惨憺たる状況であったことはいうまでもありません。
ルール違反についても特段の罰則はなく、実際それを盲点として突いてくるように選手が自分の競技が終わり次第町に繰り出すという事が多数報告されました。
さらに言えば、デルタ株の持ち込み事例のうち、少なくとも一つは五輪関係者により持ち込まれたものであったことを、五輪終了まで公開しないという意図的な隠ぺいまで行っていました。
こういった行為について評価するというなら、確実に落第点であり、こんなどうしようもない管理であればやるべきではなかったと思います。
その上で、私はパラリンピックは開催すべきとの意思を持っています。
これは、健常者の大会だけを行い、それ以外の大会を行わないというのは明らかに異常であり、少なくとも五輪は一切日常的な医療体制への影響を及ぼさないという主張なのでれば、開催しないという選択はないからです。
一方で、それと同時に、小池知事に対しても、菅総理、政権与党に対してもやるからには糞のような言い訳はいいから、もっとまじめにやれとしか言いようがありません。
少なくとも与党の方針や出されている対案に同意できない、だから与党や都知事を批判する意見は間違っているとは言えません。
なお、五輪の開催についてさらに言及すれば、地方への影響は確実にあったと私は思います。
少なくとも五輪を開催するとした時点で、あらゆる物事に対して「世界の人が日本に来ることができる」という誤解を与え、さらに「五輪が開催できるのだから」という隙を与えた事は事実だと思います。
実際、あらゆる状況で、人々は「なんで五輪は開催して〇〇はやってはいけないのか」この発言が至るところで見えていること自体が分断を生じさせている上に、議論を複雑かさせている証拠と言えます。
もし五輪が中止されていれば、何かの是非を議論する時に「五輪ですら中止だったのだから」という事も出来ました。
しかし開催した今となっては「五輪が開催できてなぜ他ができないのか」という問いに答えねばなりません。
本日(18日)、F1の日本グランプリの開催中止が発表されました。
非常に残念な事ですが、それが決定であれば止むをえません。
ただ、海外のコメントを読んでも非常に恥ずかしくなります。
例えば、なぜ日本は世界各国からあれだけの人間を招き、そして2週間以上も日本各地で開催したオリンピックは実施したのに、たった4日間、1つのレース会場で行うこのイベントは開催できないのか?という指摘もありました。
また中には、日本からすれば五輪は金になるから行ったが、F1は金にならないからやらないそういう判断だよ、というものもありました。
他にも、F1は既に多数の国を転戦し、管理が行えている実績がある競技であり、オリンピックのバブル方式よりも安全であるのだが?という指摘もあります。
実際、F1はこの1年半の開催の間、数回しか感染者の報告を発生させておらず、クラスターの発生の報告もありません。
その上、以前にも記事にしたように、一部の国では政府とも協力して関係者を含め率先してワクチン接種の機会を設けたりするような活動も実施するなど、コロナ過のイベントとしては恐らく世界最大の成功事例の一つだといえますが、それですら日本政府は否定したわけです。
なお、一部の方が移動云々の話をしていましたが、F1の輸送については幾つかの便を優先的に利用しており、それは名古屋セントレア空港から鈴鹿へ直行する物流ルートで行われ、五輪よりも間の移動については明確なものです。
モノ以外でいっても、例えば海外の事例で言えば、空港直結が可能な国では指定ホテルと空港以外への外出禁止の徹底、直行ルートの確保、関係者以外のホテルへの立ち入りの禁止(指定ホテル以外の利用の禁止)をはじめとして、少なくとも五輪のグダグダな宿泊施設管理よりもより厳格で管理された運営が、既に世界各国で実施されている実績があります。
私からすれば、実績のあるF1を行わないのであれば、少なくとも実績のない五輪は実施できるとは思えないし、実際五輪で行った運営のレベルは、少なくともF1のそれと比較しても明らかに程度の低いものでしたから、F1を否定するのであれば、なぜ五輪が実施できたのかというのは具体的な回答が欲しい所ですね。
仮に五輪開催時は今ほどひどくなかったというのであれば、パラリンピックはどうするのかという問題に結局直結しますから、少なくとも今の時点で10月開催のF1を断念するように政府が迫るのであれば、今まさに危機的状況、小池都知事の言い方であれば「災害級」の状況なのであれば、10月のイベントの開催を否定する前に、今この局面で開催されるイベントについて行動するべきでは?と思うのはいたって普通だと思います。
五輪一つとっても、これだけ国民の関心や心の在り方を分断しているわけで、私はプラスがなかったとは言いませんが、マイナスも多大にあり、少なくとも開催したことが正しかったと胸を張って言える状況でもなければ、賛否両論が当然で、パラリンピックも否定する人がいる事自体には理解できます。
いずれにせよ、何かを評価するという事は、加点を与えるにしても、失点を与えるにしても、それは何に対して、という事が大事で、特に他人の評価を否定するのであれば、その否定の根拠を示すべきでしょう。
それがなく、ただ盲目的であったり反射的に批評してしまうというのは、流石に適切ではなないと私は思いますが。