ゲーマーのゲームプレイ中に品行方正を求めるほうがどうかしている・・・
いや、別に品行方正さは職業や年齢に限らず万人に求められてはいるだろうに。別にそれに従わないのは良いと思うが、それを社会が受け入れるわけではないかと。報酬の多寡や責任の多寡によって決まるものではないかと
何を言っているかさっぱりわからない。
そもそも品行方正さ、当然ある程度、という話ではあるが、それ自体が求められるのは別に報酬の多寡や責任の重さに関わらず、少なくとも万人に求められている。
で、この求めているのは社会という環境であって、その社会にこたえる為に、企業や組織というものは一定の品行方正さというものが保たれる基準を持ち、それを保つ努力をしている。
極論言えば、無職だろうが、学生だろうが、一定の品行方正さは持たなければ社会からは糾弾される。
ただ、無名であったり、公にならない場、つまりクローズドな場のみで発言している場合は、その社会の監視の目がたまたま行き届かないだけで、別にそれ以外が問われていないわけではない。
わかりやすいのは、過去にもあった、不適切行動をとった時、仲間内だけにシェアしたはずの動画が、仲間以外にも共有された結果炎上したというケースもある。
一部のものは、そもそも閲覧制限などしていなかったというものもあるが、一部のものは仲間内だけでシェアしていたものも炎上しており、それはつまり、その仲間の中には、その度を越えた行為が許容できない人間がいたか、単純に誰かに恨まれていた、又は仲間内の誰かはそのような行為が社会的に受け入れられると勘違いしてしまったのいずれかだろうとは思うが、結果だけみれば当然社会はそういった行動を受け入れる事はない。
稀に勘違いしている人がいるが、例えば報酬の多寡により社会的責任の重さが変わるという論調の人がいるがそれは間違い。
報酬の多寡により変わるのはあくまでも報酬に伴う仕事や役割に対する責任の重さであって、直接的な社会的責任の重さは変わらない。
ただ、間接的に、その仕事の重さや価値というものが増加する為に、同じ行為を行ったとしても、結果により影響を受ける度合いが高かったり、また、注目を浴びやすいだけの事であって、例えば会社の役員の不適切発言と、会社の従業員の不適切発言自体は社会的重さに違いはない。
ただ、会社として問われるべきは、役職者、監督者というポジションに対して適切な人選を行えなかったという責任が、追加で問われているだけの事であり、当人が社会に負うべき責任自体は変わらない。
もっとも、芸能人やスポーツ選手のような有名人という立場の人であったり、公的な立場にある人であったりについては、注目度が全く異なる事から、同じ行為であっても批判が集まりやすい事はある。
唯一例外を挙げれば、政治家のような立場については別だろうとは思う。
政治家についてのみ言えば、社会の枠組みそのものを作り出す、管理するという責任がある。
この枠組みを作る側の人間についていえば、前述した仕事や役割に対する責任の重さという部分が、社会に果たすべき責任と直結する事から、同じ発言や行動をしたとしても、それ以外の人と比較して問われる責任は重くなる事は想像できる。
もっとも、それが正しいかどうかという事は別としてだが。
(公平さに欠くのでは、と思わなくもない)
なので、ゲームとはとか勝負事とはというのは関係なく、勝負であってもボクシングであれば罵る必要はないし、相手をリスペクトするのが基本であり、侮蔑した場合は普通にペナルティがでる事も多い。
サッカー然り、他の競技然り、許されているのは競技としての争いであって、人格や人間性の否定や職業や経歴、特性のようなものに基づく差別のようなものは許容しているものはないよ。