何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

フェミニズムとは関係ないし、そもそも殺人に対して甘すぎる

茂澄遙人💊 on Twitter: "なんかすごいデータを発見。女性による殺人の量刑を、被害者との関係別にまとめたもの。 女性による子殺しの6割以上に執行猶予がつき、実刑を食らった場合でもすべて10年未満で、最頻は5年以下というもの。 元の論文はPDFで、URLは… https://t.co/yVVsuBCNQe"

こんなものはフェミニズムとは言わない。追い込まれていたからだとしても、対子供で言えば殺していい理由にはならんよ。少なくとも夫や両親を殺したという点では情状酌量の余地があるとしても、子供に対してはないよ

ブコメの意見としては、個々の事情によるものだという話だが、そもそも殺人行為について日本は甘すぎる。

事情があれば相手の命を奪って良いなどという話はそもそもないし、全体的に量刑が甘い。

 

甘い上に、そこにさらに事情を汲んでさらに減刑するとか、私からすれば異常な構図。

事情を汲んで減刑するからこそ、そもそもの罪の重さは十分なものとすべき。

 

人を殺すという事について、選択させない、選択を許さないという意思は社会として持つべきで、そこに選択の余地を残すべきではない。

 

残さない上で、あくまでも個々の状況による判断を行って、減刑をすべきであって、軽すぎること自体が異常。

 

その上、精神的に追いつめられたという状況であったとしても、選択肢は殺人以外にもあるわけで、その選択をしなかったという点はどのような事情があれ責められるべきで、それは当事者だけでなく、社会としても追うべき責め。

 

つまり、例えばシングルマザーが子育ての中で適切な支援(社会的な支援含む)を得られなかった、そういった情報にも適切にアクセスできず、且つ、周囲も手を差し伸べる事ができなかった(しなかった)という場合、その罪が相当に重いという事は「かわいそうだった」という感情で流すのではなく、「そういった人に手を差し伸べられなかった社会や自分たちが、彼女を追いこんでしまった」と、そういった認識になるべきで、他人事のように「彼女もかわいそうだったのだから」と、殺人に対して「自分たちの無関心や無責任であった事」の罪の意識を軽減する為に、なくなった被害者、特に守るすべのない子供の命が絶たれたという事の罪をおろそかにすべきではない。

 

だからこそ社会や周囲は、なぜこんな事に、追い込むまで助ける事ができなかったのかと、こんな事を繰り返してはいけないと、より積極的になるわけで。

 

この話は、罪を犯した人間の問題というよりも、罪を犯すに至った、その環境を作り出している社会が、その罪から逃れるため、利己的な事由で被害者を蔑ろにしているだけであって、個人の事情、状況を慮ったから、などというのは結果論に過ぎない。

 

恥ずべきことだと思うよ。

 

日本の法曹界というか、法の在り方が歪んでいる一つの証左だと私は思う。