DINKSの人々、煽り耐性なさすぎでは
と、反論された事に顔を真っ赤にさせた人が申しておるようです。なおリンク先を読めばわかるが、特段煽りに対する感情的な書込なわけでもなく、多少苛ついている感は否めないが観客としてはあの程度は平常運転の範疇
なんというか、いにしえのいんたーねっとではこの手の論調が一時期あったような気もするししない気もするし。
そもそもある意見に対して、別な視点で意見(まぁ、つまり反論)がでるのはあたり前で、その上、はてな界隈は元々ほかでは燃焼しない話題ですら燃焼させる程度には可燃性が高い事は言うまでも無い。
何かの意見があり、それに対して幾つかの反論があった程度の事は、はてな界隈に限らず至って普通の事で、それを煽り、煽られというのは非常に違和感を覚える。
というか、その程度で煽り耐性という話しになると、ほぼ全てのはてなのやり取りは煽り耐性がないからという事になるわけで、それはつまり、はてなの存在意義自体が崩壊する、というか、コンセプト自体が崩壊するのは。
議論を交わす、意見を交える事自体を煽り、煽られという表現をする等、自分の意見、見方が絶対的な善であるとするのであれば、おそらくははてな界隈は向いていないかと。
どうだろう、Facebookあたりでひっそりと意見を述べるのがギリギリでは。
まぁ、単草3連投したらキレられた、程度であれば、まぁ、落ち着きなさいよという話しもわからなくはないが、ある属性を否定する意見を投下しているわけで、そこでAとBの意見が対立するのは当然な事でしかないかと。
で、そもそも否定から入っているわけでしてそれに対する反論を煽り耐性なさ過ぎという批評をするのは、もはや「サンドバックになる以外の選択肢は与えない」という事を宣言しているわけでして、それ、何をしたいの、と。
肯定の意見に対して突然否定的な意見をぶつけてきた、とかであればわかるけども、流石に流れを考えても、その程度で煽り耐性云々は、流石に私ルールが過ぎるのでは。
いにしえのインターネットで、稀にそういった「ぼくのいけんがさいきょう」という人はいたけども、令和になって、(僕は)久々に見たなという感じ。
Twitterだとちょっとこの手のやり取りは成立しない(そもそも「not for me」がだいぶ普及していて、あえて喧嘩を吹っ掛けるのはそれこそColabo問題界隈の両者のような存在程度だと思う/それぐらいにはだいぶ多様性の尊重が徐々にではあるが進んでいると、個人的には思う/むしろ逆に過ぎるので、もう少し肯定も否定も受け入れるべきでは)ようになりつつあるので、ある意味、生きる化石的なありようかもしれない。
そういった「いにしえのいんたーねっと」の亡霊がでてくるのも、はてな界隈ならではなのかもしれない。