何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

数週間の表記の是非

 

新型コロナ感染症を5類扱いにすると?→治療費が3割負担に→国民皆保険制度破綻の覚悟が必要かも - Togetter

あと数週間云々の議論で言えば、完全とは言わないまでも希望者で特段のトラブルを抱えていない自治体については確かに1回目の接種についてのみ希望者は打ち終わりそうではある。但し、2回目まで見据えると年内は必要

 

悩ましい。

発言主としては10月末あたりで希望者は打ち終えるわけだから10週間程度ではないかという意図ではあると思う。

私自身、参照先を読んだ上で、まぁ、それはそうね、という理解の程度。

 

ただ、それに対するコメントで、それは3ヶ月だという指摘はごもっとも。

 

まぁ、確かに数週間との記載で実際には10週間といのはちと長すぎだし、それなら3ヶ月と書くべきでなはないのかというのは真っ当な指摘。

 

ただ、私自身、時間的な感覚として「ヶ月」表記は曖昧さを強調する場合で、「週間」表記はある程度目算が立っている場合に使っている事を自覚している。

 

特に工程管理のような仕事に関わると、1ヶ月と4週間は必ずしもイコールではないわけで。

 

冷静に読めば、もう少しわかりやすく書きましょうという話しではあるが、パラレルワールド云々で言えば、ただ単純に相互理解不足であったり、情報量の差異(一方は接種状況についてある程度理解している一方で、反対には打ちたくても打てないという不満を抱えている層を中心に議論を展開している)によってもでているのではないかと思うが。

 

まぁ、どちらもコメントが元記事とぜんぜん関係ないわけですが、はてなブコメ評価ロジックとは、本当に役にたたない謎ロジックだと思った次第です。

自己中心的な解釈と主張で社会的な活動を論じるとただのマイナスにしかならない

 

始条 明 on Twitter: "女性主役のライダーや戦隊が「売れないから」ダメだと言うなら じゃあそれを売れるようにするのが製作側の仕事では?と思うんですよね 女が主人公なんてライダーじゃない、認めない!なんて 次の世代の子供たちに言ってほしくないじゃないですか"

例えば男性向け化粧品なんてものがメジャーになったのはここ数年で、それは単純に需要がなかったから。企業である以上、あえて売れないものを売るよりも、売れるものが存在するならそちらを優先するのは普通の事では

 

この話については、そもそも女性が主役として活躍したり、恋愛もの以外で女性自身がより様々な価値観を示すという事への取り組みという意味では、アニメ界隈や漫画界隈は、少なくともドラマや映画よりも非常に積極的だと思う。

 

冷静に考えて、女性視聴者向けのドラマで近年恋愛ものや恋愛リアリティものの占める割を少しは考えて発言しているのだろうか。

 

アニメの世界で言えば、そもそもその世界をどう描くかというコンセプトと誰にそれを届けるのかという方針の2軸はあらかじめ決まっている。

例えば、極々単純な話で言えば、アニメを見るとのは男児と女児でどちらが多いのか、または派生商品への影響、グッズ、ゲーム、映画等などそういった事まで含めてどういった戦略で進めるべきなのかという判断がある。

 

なお、ライダーあたりで言えば、そもそも近年は男児云々は半分の割合であり、ある程度その親の世代からも影響を受けていると思う。

昔はより男性好みの戦う男的な主役が多かったが、最近ではイケメンや優男が実は戦うのよね、という不自然なギャップを狙った配役も多く、恐らくそのあたりは男児云々には関係なく(男児は変身機構や変身後の方が興味があったり、場合によっては敵に興味を持ったりするので)、単純に大人の女性視聴者層の取り込みを意識しているのだろうとは思うが。

 

例えば以下の発言。

 仮面ライダーの話とプリキュアの話において、プリキュアに男性を主役として登場させるのはコンセプトとしておかしいと主張しているわけだが、それを言ってしまえば、仮面ライダーにだってコンセプトや戦略はあるわけで。

結局、相手の主張は咎めたい/否定したいが、でも自分の主張は否定されたくないと言っているだけに過ぎない。

 

コンセプトや背景があるわけだから、というならどんな作品にだってある。

それこそ、元の主張を生かすならば、別に男性向けと思われている作品でそういった事が行われなかったとしても、女性向けの作品ではより積極的にそういった取り組みを行う事としてどんどんそういった手法を取り入れればいい。

実際、プリキュアでは既に男の子としてのプリキュアは登場しており、その時は賛否両論あったし、私はそれはそうだろうと思う。

 

作品を作る側の思いと、作品を受け取る側の思いは必ずしも一致しないし、それは当然で、ある程度バイアスがかかった意見もあれば、ただただ単純に、違和感として受け取った人もいるだろう。当然、面白い取り組みとして楽しめた人もいれば、何も気にせずただただ当然の事として受け入れた人もいると思う。

 

昔からアニメはとか漫画はというかなりバイアスのかかった意見を見かけるのだが、結果としてそれらは人気になったからターゲットにされているに過ぎない。

で、人気になる過程には、そのコンセプトや戦略が絡んでおり、女児に人気の出る作品を作る事も、男児に人気の出る作品を作る事も、どちらもそう単純ではない。

で、アニメや漫画全体を見れば、ドラマや映画よりも圧倒的に女性主役や女性によりアグレッシブな役割を担わせている作品も多数あるわけで、私からすれば、女性の役割について議論したいなら、まずは、恋愛偏向の実写向け作品で議論すべきではないかと思うが。

 

結局、女児がどんな作品を視聴したところで、小学生、中学生と年齢を重ねるにつれ、どんどん女性の好むものは恋愛系の作品ですよね、という強いメッセージを社会が発信していたり、そういった事を当たり前の世の中としている限りは、女性はそういった作品を好む集団として合意形成が図られてしまうわけで。

 

逆を言えば、アニメや漫画は読み手、つまりファンがきっちりつけば、どんな作品だって売れる可能性を秘めている。

ドラマや映画と異なり、出版に漕ぎつけるまでで言えば、圧倒的にバイアスは掛かりづらく、ドラマや映画のような改変前提のような傾向もない。

 

売れた作品や売れているシリーズを変えろというのは商業的にも異常は注文で、それが本当に必要な事であれば、それをより広い世代で求め、そういった主張をしている作品に焦点を当てる、そういった取り組みでそういった作品を市場に送り出すべきだと思うが。

売れた作品をよくよく見れば、ファンは画一的な視点では作品を負っていない事は比較的明らかだと思う。

推しのキャラも違うし、好きなシリーズ/シーズンも違う、エピソード事の解釈も違うし、時には対立すらするわけで。

そういった様々な解釈や価値観とそれぞれ向き合った上で、結果として一つの人気を勝ち取ったわけで、それを「社会的意義の為に土台からコンセプトを変えるのは当然の事だ」というのは、流石に異常な要求だと私は思う。

 

男性向け・女性向け、それこそ恋愛ドラマや恋愛リアリティ番組ですら、それを求める視聴者がいるわけで、そこを周囲が破壊する事、その理由を「社会的意義」としてこぶしを振りかざすというのは、私は女性ですら受け入れないと思いますが。

 

 

2021シーズンのF1チャンピオンシップは事実上終了した可能性が高い

前回のイギリスGPでのハミルトンの行為に対してかなりの反発を受けている状況下でのハンガリーGPという事で、色々な意味で注目が集まりました。

 

下馬評ではレッドブル優勢との見方もありましたが、実際には終始メルセデスの優勢のまま終了しました。

 

最終的にはハンガリーGP終了時点でドライバーズチャンピオンシップについてはフェルスタッペンとハミルトンのポイント差は8ポイントでハミルトンがリードし、コンストラクターズチャンピオンシップについてもポイント差12ポイントでメルセデスがリードしサマーブレイクに入る事となりました。

 

私は昨日のレースで万が一レッドブル・ホンダが勝利できない場合、恐らくは今年のチャンピオンシップは事実上終了だろうと考えており、その点も含め非常に注視したGPでした。

 

結果は大荒れで、イギリスGPに引き続きメルセデス陣営により発生したインシデントによりレッドブル・ホンダ対メルセデスのレースは決着するというなんとも後味の悪いものになりました。

 

まず、ポイント差だけを見ればまだ後半戦で十分勝負ができるものではありますし、そもそもハンガリーGPは元々メルセデス向きのコースでもありましたから、レースの結果自体で大きな影響を及ぼすものではありません。

 

ただ、この2戦において、結果的にレッドブル・ホンダ陣営が受けたダメージは事実上今年のチャンピオンシップを諦めるレベルの影響であり、恐らくレッドブル・ホンダの上層部もそれは理解していると思われます。

 

私が現時点でチャンピオンシップが事実上終了したと考えている理由は以下のとおりです。

 

まず、フェルスタッペンのエンジンが実質1基少ない状況でハミルトンと戦う事は近代F1においては現実的に不可能という事です。

 

今回のハンガリーGPでは直線部分でもメルセデスが若干ゲインを果たしたとの話もでてきており、それはエンジンによるものであろうと噂がでています。

これは私もそう考えており、その理由がエンジンの基数差が生じた結果によるものだと考えています。

 

F1マシンに搭載されるエンジンは基本的には最高出力で走り続ける事はありません。

且つ、昨年からパルクフェルメ状態となったマシンにおいてエンジンセッティングの変更も禁止された為、フリー走行用のモードと予選及びレース時のモードのざっくり2つに分けられる事になります。このうち、当然ですが一番出力が高い状態が予選時のモードでそのモードに対してレギュレーション上で許可されている範囲の変更により多少の出力制御を行ったものがレース時のモードとなります。

予選時についても実際には100%の出力を出しているかといえばそんなことはなく、コース特性(例えば全開率が高い/エンジンの寄与率が高い所では出力を上げ、低い所では下げる等)に合わせてセッティングを変更しています。

今回のトラックは全開率がシーズ中でも非常に低く、このトラックよりも今年全開率が低いトラックはモナコのみというレベルの低さで、このトラックでは当然無駄に出力を上げて挑む必要はない事が分かります。

しかし、そのトラックにおいてもメルセデスがエンジンによりゲインを得ているという事は、つまりはエンジン出力をより上げて今後はレースを進める事ができるという事を意味し、それは一過性のものではないという事です。

昔であれば改良版のエンジンの投入やレース中のセッティング変更により状況を見ながらの調整も可能でしたが、今は実質シーズン中にエンジンとしてできる事は設定のチューニング以外にはありません。

その為、エンジン同士の優劣について言えば、最高出力とどの程度その出力を出してもシーズンに影響がでないか(出力が高すぎるとエンジンライフが削られ想定するレース数をこなせなくなりペナルティを受ける可能性が高まる)という2点で決まる事になります。

その点で、使えるエンジンの基数が少ないという事は、常にエンジン出力の面でハンデを負いながら戦うという事であり、且つ、ペナルティも先に受ける可能性が高いという事になり、戦略上でも明確に不利になります。

その上、フェルスタッペンの2基目のエンジンはイギリスGPでハミルトンの行為により発生したインシデントにより新品のエンジンが破損(予選後に正式に発表済み)したため、7レース近いライフを失いました。

その為、残りの11戦をエンジン出力を下げてライフを伸ばして戦うか、又はどこかでペナルティを2回(通常出力で対応しても約7戦がライフタイムであり、通常でもあと1回のエンジン交換が必要となり最低限1度はペナルティが事実上確定済み)受け、それでもエンジン出力を上げるかという選択になります。

 

仮に、2回のペナルティを受けた場合、ハミルトンが1位、フェルスタッペンが3位(ボッタスが割り込んでいる前提)だったとすると、この2レースだけで14ポイントの差がつきます。そして現時点でのポイント差が8点あるため、実質今後は22ポイントの差を11レースでどう取り返すかという事になります。

 

1レースで直接対決によりポイントが動くのは6ポイントから8ポイントです。

通常余程の差がない限り1位が25ポイント、2位又は3位がFLポイントを含み19ポイント又は16ポイントを獲得するという事になります。

 

フェルスタッペンが今後11レースのうち、1位をその半分の5レースでとり、2位を4回、3位を2回(ペナルティにより)の合計11レースで終えたと仮定します。

この時フェルスタッペンが獲得したポイントは233ポイント、一方でフェルスタッペンが1位ではなかった時にハミルトンが1位であったと仮定するとハミルトンの獲得ポイントは245ポイントとなります。

事前のポイント差も含め、最終的にハミルトンが20ポイントリードし決着する事となります。

 

いや、もっとフェルスタッペンなら勝てるはずだと考え、1位を7レースでとり、2位を2回、3位を2回(ペナルティにより)の合計11レースで終えたと仮定します。この場合は、フェルスタッペンが245ポイントを獲得し、事前のポイント差を含めても4ポイントリードした形で終え、フェルスタッペンがチャンピオンという事になります。

 

が、現時点でのマシン性能の差やトラック特性を考えてもそこまで圧勝できる事はないでしょう。

実際には前述のとおり、エンジン出力はメルセデスの方が上げてきているわけで、そのハンデをさらに考慮にいれれば、良くて対等なパフォーマンス、普通に考えれば不利な状態での戦いとなります。

 

さらに厳しいのがセカンドドライバーの差です。

現時点で両チームのセカンドドライバーは明らかな差があります。

ボッタスが予選を含めハミルトンとそれほどそん色ない結果を出す事に対して、ペレスは予選では他のチームに食われる事が多いのが現実です。

決勝においても他チームを圧倒しているかといえばそんな事もなく、頑張っている事は認めますが、それが勝負に寄与できている程の結果であるかと問われればここ数戦は厳しい評価をせざるを得ないでしょう。

ハンガリーGPに関して言えば、メルセデス陣営をきっかけとしたインシデントに巻き込まれリタイアしたとはいえ、仮にフェルスタッペンのようにトラックにとどまったとしてもポイントを獲得する事は難しかったと思われます。

寧ろレッドブル・ホンダ陣営としては、最後の最後にガスリーがFLをハミルトンから何とか奪いかえしたというファインプレーによりさらにポイントを稼がれる事を防いだという次元で、チーム力として対等であるとはいえません。

 

この状況は戦略の面で大きなハンデとなります。

単純にインラップやアウトラップ時に1台が前に留まるだけで事実上のレースコントロールが可能となります。

その為、仮にそのレースでフェルスタッペンが1位であったとしても、ハミルトンとしてはフェルスタッペンがタイヤ交換をするまで待ち、そのタイヤ交換に反応してハミルトンだけタイヤ交換を行う。そしてその間、ボッタスがフェルスタッペンの前で少しでも秒数を稼ぐことができれば、レースはインラップ/アウトラップのタイム差で簡単に覆せます。

つまり、フェルスタッペンが勝利できる条件は1位であったとしても、2位に対して大差をつけるか、先にメルセデスがピットインしてくれた場合、又はペレスが2位にいる場合の何れかが基本となります。

しかし過去のレースを振り返っても、そういった構図になる事は稀であり、事実上、1位はフェルスタッペンかハミルトン、3位はボッタス又はノリスという構図であり、ペレスは良くて4位、悪い時はなんとかトップ10内でのレースという感じです。

前述したフェルスタッペンが逆転するには、エンジンのハンデだけでなく、このセカンドドライバーの差も含めはねのける必要があります。

 

さらにポイント獲得の流れも悪かった。

今年から風洞の利用時間はランキングにより制限されており、昨年時点のランキングと今年の序盤のランキングの結果を受けて、利用可能な風洞の時間について調整が行われている。

メルセデスは昨年の1位から序盤戦ではレッドブルに後れをとったことから2位での進行となった一方で、レッドブルは昨年の2位から今年は序盤戦に1位のポジションを獲得していた。

結果としてたまたまその時点でリードしていたレッドブルは2.5%の時間の追加削減を受けた一方で、メルセデスは2.5%の追加時間を受け取った事となり、両者は5%の差を風洞実験の時間でもハンデを受けた/与えた事となった。

 

今年は各チーム風洞実験の利用に関しては時間が不足しているのが現状で、2022年から新たにグランドエフェクトをメインストリームとしたマシンへの切り替えと、2021年のチャンピオンシップへの投資の両方に時間を振り分ける必要がある。

少なくともレッドブル陣営は序盤でも積極的な空力アップデートを行っていた為、かなりの時間を既に2021年モデルに投資している事が想定される。

その上で2.5%の時間を追加で削減されているわけであり、これがマシン開発に影響しないわけがない。

逆にメルセデスは想定外に2.5%のボーナスを受け取った事となるため、少なくとも予定外の追加開発を行う余力が生まれたともいえる。

そしてそれは、今年のチャンピオンシップに使うか、それとも来年の開発に回すか自由に選べる事となり、概ね後半戦の序盤数戦は様子を見る事が可能な状態だ。

 

それだけではない、さらにアクシデントによる修理代の影響も大きい。

序盤戦こそボッタスのアクシデントにより全損に近い状態で1億円近い修理費をねん出した事で修理費のランキングでもトップを走ったメルセデスだが、今時点で見れば明らかにレッドブル・ホンダの方が修理費用は高くついている事は言うまでもない。

イギリスGPではほぼフェルスタッペンのマシンが全損させられ、ハンガリーGPではフェルスタッペンもかなりのダメージ(リアカウルにも穴があく程の破損で、バージボードやフロアもかなり大きな破損が確認済み)を受け、恐らくペレスのマシンもギアボックスや駆動系に関わる何かに大きなダメージを負ったと思われ、レースを中断している。

恐らくこの2戦の間の修理費用だけで3億円以上のコスト(エンジンコストも含めればさらに高額)が発生している事が想定され、上位チームが受けている予算削減への対応という意味でも厳しい状況となった。

 

まだ上げれば細かいポイントは多数あるが、少なくともイギリスGPハンガリーGPで起きたメルセデスにより発生したインシデントというのは、故意であるか否かに関わらず、2021シーズンのチャンピオンシップを破壊した事は恐らく間違いないと思われる。

 

レースではよくハミルトンが「厳しい戦いを何とか戦い抜いて得た勝利だ」という感じのコメント(謎)を発しているが、明らかに厳しい状況なのはレッドブル・ホンダ陣営であり、フェルスタッペンの方である事は明確だ。

もっとも、それでも偉大なチャンピオンとそのチャンピオンを支えるチームは「レッドブル・ホンダが優位であり、我々はチャレンジャーだ」と、ナルシズム全開で向かってくるのだろうが、海外ファンの雰囲気を見ても、既に冷め始めているファンがかなり出てきているのが実情だ。

 

願わくば私の推測が外れ、最後の最後まで決着がもつれる程の熱いシーズンになってほしいが、前半戦を終了した時点で、私なりの総括をした限りでは、かなり厳しい状況であると思う。

 

フェアプレイやクリーンなレースは、口だけではなく、行動で示してほしいものだと切に願うのだが…。

 

子供経由で感染する事は知っていても現実的に対応できない親も結構多そうという話

 

マイケル・ルイスの感染症に関する新作「最悪の予感」は東京でのコロナ感染者が4000人を超えた今、読んでおく必要があると考えます。 - 勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ

子供の安全は基本的に周囲の大人の理性によって成り立つ。一方で子供の親が全て理性的であるかというと当然そんな事もなく、感情的に判断してしまう(可哀そう等)親もいるが子供の関係上それを排除する事はできない

 

コメントを見ていると、子育て経験がある方は一様に子供はだいたい保育園や幼稚園、小学校のような集団の中で病気をもらってくるというのは珍しい事ではなく、例えばインフルエンザや風邪であっても、そういったところで子供が感染し、そのまま親ももらってしまうという経験は比較的珍しくないもので、それが一つのリスクである事はよく理解されている。

 

一方で、辛い事に、そういった親の全てが理性的に行動ができるかというとそんな事もない。

 

私のマンションは子育て世帯用のフロア/部屋があり、一定の子育て世帯が暮らしているわけだが、週末は結構酷い状況ではある。

 

元々コロナ前から週末になると周囲のお友達を読んでそれを迎えに来ている(共同玄関から部屋まで勝手に入れないので)方がエレベーターホールやエントランスにいたわけだが、これが最近はコロナ前と同じぐらい復活している。

 

エレベーターも週末の夕方ぐらいになると「待ってたよー」「〇〇ちゃんたちはもう来ているよー」という感じの親子が結構な団体でエレベータ待ちをしている。

 

夏休みでもあるし、子供もどこかに旅行に行けるわけでもないし、という事もわかるが、もはやちょっとした幼稚園や保育園のクラスではないかという雰囲気すら漂う。

 

恐らくそういったイベントというか集まりにすべての親が参加したいと思っているわけではない。が、子供が遊びたいという気持ちを持っている事は当然の事で、特に夏休みであれば余計にそういった状況でもあるわけで、誰かが火をつけてしまえばもう「ダメ」とは言えないだろう。

 

その上、子育ての期間は人づきあいが嫌いだとしても、なかなかすべてを排除していくというのは難しい。

幼稚園や保育園、小学校、中学校と義務教育的な期間だけでもなかなか関係性が完全に切れない期間もあり、そこも考えれば「お誘い」を無下に断る事も難しくなる。

 

結果として、理性的に考えて「今じゃないよね」と判断できる親であっても、結果として集団の中に感情的に判断(つまり子供可哀そうという事だけで行動する)する人がいれば、そのコミュニティは基本的に無秩序になってしまいがちなのが恐ろしい所。

 

今、東京都の感染状況を見ても家庭内での感染というものは決して少なくない。むしろ多い。

その上で、感染経路が特定できないものも多く、一部で聞き取りをしている内容を見聞きすると比較的外出を控えていても感染しているという事例は多い。

 

ただ、私が考えるに、恐らくすべての人が「控えている」の中で「これは特に問題はなかった」として処理しているケースは多いのだと思う。

私であればコンビニまで行ってくるようなケースは頻度が低いし短時間なわけで、特別言葉を発するわけでもない事から、これはセーフだよね、と考えている。

が、それでも感染する時は感染してしまうのがこの感染症の恐ろしい所だ。

 

大人同士というのは結構相手が理性的であるか、そうでないかは普段の生活の中であったり、むしろ今のような特殊な状況に於かれるとより顕著にその傾向がわかるわけで、そういった意味ではリスクは避けやすい。

例えばマスクをしていない人がいたとして、あえて近づかないという選択を取ったり、人出が多い事が予想される場所にはいかないという選択をしたり。

 

だが子供が絡むとそうもいかない事が多い。

大人の理論は子供には理解されないし、説得するとしてもなかなか難しい。その上長引くコロナ過というものもあり、現実的に辛い。

 

身近な人だから、不特定多数ではないから大丈夫、と思いがちだが、そもそもその人が「大丈夫」な保証なんて永遠にない。

これは私が感染していない保証がないという事も同じで、全員が明日感染していない事を断言する事はできないのと同じだ。

なので、身近であるかどうかというのは判断基準にはならないし、むしろクラスターが発生する要因の一つとしてそういった近親者や関係者経由というのは普通に多い。

 

身近であるが故にマスクを外してしまうし、ついつい話し込んでしまう。

他人であれば距離も取るだろうが、身近な人間に対して明らかに距離を取るのはなかなか勇気がいる。ましてや部屋の中でというのは難しい。

なので結局、身近であるかどうかというのは安全面で言えばむしろそういった点ではリスクが高い環境だといえる。

 

 

全てをやるべきではない、とは思わない。

恐らくそれは無理。

大人でも無理だし。

 

ただ、ちょっと我がマンションの雰囲気を見ていると、もうちょっと理性的になった方がいいのでは?と思わないかと言えばウソになる。

 

まぁ、だからと言ってその人達に何か言うつもりはないし、ブログで「私はこう思う」程度の記事を書く程度の事でしかないが、結果的にそれでみんな感染したとして、その時に人間関係ってどうなるんだろうか、と気にはなる。

 

恐らく親同士で何か言い合う事はないだろう。

どちらかというと夫婦であったり、親戚の中での意見という感じだろうか。

なぜ感染したの?という話にはなるだろうし、そうすると、まぁ、そういった集まりをしてそこでみんな感染したという話にはなるだろうし。

親の立場からすればいろいろあってそういう場所に参加したというだろうが、周囲からすれば今じゃないでしょ、それぐらいわかるでしょ、という意見は当然でると思う。

夫婦の間でも同じで、夫や妻または共働きという可能性もあるわけで、家庭内で感染が起きれば本人も出社停止になる。

出社停止になる事自体は、まぁ、病欠だしやむを得ないが、当然家計にも影響する可能性もあるし、場合のよっては仕事にも影響をする。

別に病欠だからといって世界が止まるわけではないので、工期であったり、納期であったりは変わらないのだから。

結果として夫婦間にも悪影響を及ぼす可能性はあるし、それを見る子供にも結果的に悪影響を及ぼす可能性は高そうだなと。

 

そういった事も含め、結構なリスクだよな、とは思う。

原発が発電コストを考える時に事故時の影響もコストに反映すべきだ(が、この意見は同様に太陽光発電の周囲への悪影響も加味しなければフェアではないが)という話と同じで、その感情的選択を行う時、貴方はその先のすべてのリスクを飲み込むだけの勇気を持つべきです、という助言はしたくはなる。

 

しないけど。

 

とはいえ、何度も書いたように、現実問題として理性的な親であっても、いろいろな柵の結果、感情的な親に付き合わざるを得ないというのが現実なので、まぁ、子育て大変だな、という話でしかありませんが。

 

転売の問題は経済や経営に関する論理的思考の基礎だと思うが・・・

 

池田信夫 on Twitter: "転売屋がまとめて買えば、それは最終的に消費者に売れるんだから同じこと。プラモやってるガキは、この程度の初歩的な論理もわからないのか? https://t.co/z46szbl27w"

この程度のロジックで間違うというのもお気の毒。定価の倍で転売される場合、購入者が実数の半分でも転売屋は元が取れる。つまり需給のバランスが壊れ信頼を損なう。且つ、それが市場形成を行う場合市場も破壊される

この手の話題は色々な見方、考え方があるので、どれが正しいとは一概には言えないが、池田氏の意見は明らかに間違っている。

 

まず、この発言の趣旨は、例えばPlayStation5あたりで考えると判りやすい。

まず、ソニーの本体の視点で見れば、例えば毎週1,000台出荷可能として、それが仮に50,000円で販売されているとする。

この時、これを全て転売屋が売価である50,000円で買えば、当然PlayStation5の販売に関するソニー自体の売上に影響はない。 

一方で、転売屋は当然ながらそれを1.5倍や2倍、場合によっては3倍といった利益を上乗せして転売を行う事となる。

 

同氏の意見はココマデの視点で止まっており、当然だが、市場はそれに限定されない。

 

次に考えるべきは本来の消費者の行動となる。

仮にPlayStation5の需要が毎週1,000台の出荷を十分に消化できるだけの需要があったとする。

この時、PlayStation5が仮に継続的に出荷と販売が続けられていれば、同製品に関する市場規模は常に拡大を続ける事となる。

これはソフトウェアや周辺機器の売り上げの増加にも寄与し、さらにソフトウェアの開発計画にも影響を及ぼす事となる。

さらに言えば、同社はPlayStation4からPlayStation5へのメインストリームの切替えも視野に入れているわけで、そのサポートアンドサービスに関するコストや投資についても影響を受ける事は言うまでも無い。

 

さて、ここで重要なのは、この話しに転売屋がどう影響するかという事。

前述のとおり、転売屋は価格を1.5倍から2倍、3倍という価格として転売を行う事となる。この時この差額はソニーの売上とはならない。

 

その一方で、消費者は転売屋が出品した商品を全て購入するわけではない。

ここで重要なのは、転売屋はそもそも全ての商品を消化する事を前提にしておらず、極論言えば、ある程度売れ残る事も想定して売価を設定している。

実際には、仮に売れ残ったとしても、中古市場に流す等する事で実際には購入価格又はそれに近い対価の回収を行う為、値下げする必要はない。

 

その結果、何がおきているかは明白で、本来の投資効果が得られない事となる。

毎週1,000台の供給により、同製品の市場は継続的に拡大する事が期待されたが、実際にはそれ以下の台数でしか市場には出回らない。

結果として同製品を対象にする企業の増加は加速せず、その結果として同製品の人気にも影響をきたす。

その影響は製品開発や追加開発に関する投資にも影響を及ぼし、それは継続的に負の影響を及ぼす事となる。

 

前述のとおり、次世代機への切替えが進まない以上、旧型機の維持を行う必要があり、投資計画やコスト管理にも影響をきたす。

 

それだけではない。

本来50,000円を投資し、残りの資金でソフトや周辺機器を購入する事を考えていた商品者は、本体の購入に100,000円掛けた場合、当然その分の資金が目減りする事で、その他の購入を諦める事となる。

結果として期待される波及効果が得られなくなり、これは明確に販売元への打撃となる。

 

で、ここでよくある反論が「それはPlayStationのような製品だからであって、パンフレットや単純なグッズなどでは影響はない」という話しがある。

 

が、それも同様の話しであって、例外はない。

 

そんな事はおそらく経済学を学校という教育の場で学んでいる学生でも判っている。

 

どのような価格帯の製品であっても、直接的な影響と間接的な影響の二つが必ずある。

パンフレットが買えないという事は何にも影響しないと思われがちだが、これも同様で、映画ファンという括りの市場でみれば、同ファンが同市場で消費できる予算は限られている。

パンフレットが転売されるという事は、その市場で消費される金銭は同じであっても、その余波が別な作品の視聴を取り止めたり、パンフレットと合わせてDVDやBlu-rayの購入を考えていた消費者の消費行動を取り止める切っ掛けとなるなど、負の影響は連鎖する。

 

ダメな人の経済の視点として、全ての市場で消費されたお金を合算すれば、その総額は変わらないという考え方だ。

 

ダメな理由を説明する必要は無いほど無意味な理論で、そもそも投資に見合う効果がなければ企業は継続的な投資や開発を行わない。

それ以前に投資に見合う効果がなければ企業は成長する事ができなくなり、その企業が関与する市場は停滞する。

 

転売自体により消費される金銭の総額に影響は及ぼさないが、それは、全ての消費者のお財布のサイズが変わらないからであって、その消費されたお金が誰の懐に入るのかというのは全く違う。

 

そして、その財布とは、投資した人間に効果を及ぼさない限り意味をなさない。

 

例えば、転売屋が儲ければ、その転売屋はその儲けをどこかで消費するわけだから、全体でみれば動いたお金の総量は同じ、というのは間違っている。

 

A社が開発・投資した市場からA社が期待する効果を回収できない限り、A社の投資は失敗したと見做されるし、同様にその市場で直接消費される金銭が適切に循環しない限りは市場は停滞又は縮小する。

 

PlayStation5を転売した結果儲けたお金でワインをがぶ飲みされても、ゲーム業界は拡大しないし消費者がより投資する動機にはならない、そしてそんな状況に企業は追加投資をしたいとは思わない。

 

これは高校生でも判る基礎的な話し。

 

当然、切り口を買えれば別な整理もできるが、基本的に転売によって市場が維持される事は限定的な条件が無い限りはありえない。

 

以上。

 

月数十万稼げるとは思わんが、それでもちょっと偏り過ぎの意見かと

「未経験からフリーランスWebデザイナーで月数十万円」とかアホも休み休み言いましょうね。 - 笑顔を創りたいWebディレクターの日常

うーん。PSDデータを発注主に渡すかどうかは契約によるのでなんともいえないけど。例えばバリエーション含む場合はそもそもその対応ができるデータ納品でその分のコストと手間を双方で削減する事も普通にあるのだが。

うーん。主題である「未経験者がスクールに通っただけで月数十万円も稼げるようになるわけがない」という点に関しては、まぁ、そうね、と思う。

 

一方で、記載されているいろいろな実務経験による話しについて言えば、それは事情や状況によるのでご自身の経験だけで否定をするのはちょっと暴論ではとも思う。

 

というか、PSDデータ一つとってもそんな単純な話しではないかと。

 

例えば色々な設定、つまり秘伝のタレが大量に詰まっているとしても、実際に提供するデータとしてはある程度整理したものを提供する事で、例えば配色の変更やリサイズのみに対応できる程度のデータとして提供できるわけで、その段階でそれが企業秘密と言える程の秘伝のタレと思われるものだとは私は思わない。

 

私の経験で言えば、単純にPSDデータを提供するかどうかは契約によるものだし、そもそも発注時点でそのあたりは明確にするものなので、仮に秘伝のタレが含まれていようが含まれていなかろうが、契約条提供する旨に準ずるものであれば提供して頂くし、それが無ければ提供していただかないし。

私が取引しているデザイナーの方やデザイン事務所では提供しないというケースはほぼ無かったし、最初にある程度の配色の調整をしてあるので、むしろそれ以上の配色はそっちでやってくれると嬉しいな的なやり取りで相手もデータ提供前提で話しを進める事の方が多かった。

 

デザインといっても色々ありますが、例えば名刺のようなものでもPSD形式やAI形式での納品(当然アウトライン化済み)を印刷所から依頼されるケースが当然で、少なくとも画像のみで提供されても困るケースはある。

これは名刺やチラシのようなデータだけでなくWebでも同様で、結局それが必要なのかどうかは契約や状況によるのでなんとも言えない。

つまり、ロゴのようなデータ一つとっても、単純に成果物の画像のみで、とかそういう単純な話しではないかと。

 

「クライアントにPSDを提供してはいけない」と言う意味がわかる会社は単価が高いというのが事実かどうかはわからないが、私のところでの発注は、最近は概ね1サイト250万から400万ぐらいが中心で、LPのような単発ものだと100万を下回る事もあるけど、これが安いのであれば私の付き合っているところがお安いだけなのかもしれない。

一応相手先の実績も確認して、それなりの案件でのデザインから制作まで対応されている方や企業なので、それが安いのであれば、おそらく相手は余程私たちとの取引について優遇してくれているのだろうから、それはそれでありがたいが、その方々との取引でもそのような状況なので「それが当然」と言われるとちょっとそうなのかなと私は思うが。

 

いやいや、アウトライン化したものや、ある程度整理したものはPSDとは言わないとか、そういう話しじゃないだろ、と言われると、それこそそれって話しの前提条件によるので何でもありな話しでフェアな意見とは言えないとしか。

 

見積りの仕方は色々あると思いますが、例えばデザイン内のあるパーツの配色変更だけでのいち作業で数千円とかとる会社は私は見たことがないです。

基本的にはベースのページ単価(デザイン費用ではなく、ページ制作作業の単価)に対して多少の割増程度の作業で部分に対するバリエーションはある程度見込んで貰う事が多いし、逆に例えばバナーのような明確に一つの制作物として見積もるようなものであれば、その見積り条件の中でどのようなバリエーションを見込むのか、どのように変化できる事を期待するのかという点を事前に相談した上で、予め作成していただくバリエーションや追加する場合の対応(自社側で納品物をベースにその後は追加するのか、それとも追加発注で対応するのか等)は取り決める話しで、結構小さい対応が散発的に起きる事が想定されるケースでは、相手方から見積りとっても「無償でいいですよ、画像差し替えているだけですから」という話しもあったりする事も多いので、結構そういったケースも含め単純な差替えはこちらでやる事が多い認識です。

当然、関係性や相手の方・会社の取引の仕方にもよりますが、私の経験上ではそれなりに仕事を持たれているデザイナーの方は、あまりにも小さな単発の作業をたまにもらうような仕事は多少報酬を貰うとしてもメリットも少ないので、そっちで行って貰ってもよいですよ、というスタンスになっているのかなと感じています。

意訳すると、その程度の仕事を単発でなげんなよ・・・こっちは今制作作業が佳境なんだから、その程度は自分でどうにかしろよ・・・という感じかなと。そんな言い方された事はないですが、雰囲気的にはそんな感じ。まぁ、キャンペーンのタイミングとか季節的な対応とか皆にた時期に発注しますしね・・・。

というか、そもそもの発注についてすら他社で仕事を請け負っている時は制作が間に合わないので請け負って頂けませんから、そもそも売れっ子なのかもしれませんが。

 

パーツ専門で作られるような方であればそうでもないのかもしれませんが、ページのデザインから制作まで請け負われる方だと、私たちが相談や発注する場合でも、他社の依頼と並行出来ないケースも多く、そういった意味でも、リプレイスのような保守やページ単位のデザイン修正・変更という発注であればですが、単体素材の色の差替えや単純な配色変更について相談しても、だいたいそんな感じです。

 

私のところでは内部でデザイン専門のスタッフがいないので、単純作業も行って頂きたいとは思っているのですが・・・。

 

それから発注に関する条件を書き連ねれば1万行でも収まらないというのも流石に言い過ぎかと。

 

確かに個人や企業毎に発注や請負に関する条件は様々なで細かい表現の違いまでを1つの条件であるというのであればそれはそうでしょうが、概ね一つの事を指し示す内容について表す条件であればある程度大別化できるかと。

 

実際私も色々な会社と取引しましたが、見積り条件や制作条件について「スミマセン、これどういった意味ですかね」みたいな状況や、極端に他と事情の異なる条項が記載されているようなケースは過去に見たことはありません。

 

というか、そもそも制作に限らず契約・発注とは双方の取り決めによって行われる事で、その取り決めも契約書形式で縛るものもあれば、簡易的に見積り書や発注書の条件により縛るもの等方法は多数有りますし、その中身もツールや形式、バージョンまで指定するものもあれば、そこまで指定していないケースもあったり、工程の単位の指定や基準作業時間の指定があったりなかったり、作業期間や納品方法による取り決めの有無等、それぞれ多少の独自色はありますが、ある程度は予想できる範囲のもので、それらについても結局は相手と調整しつつ詰めるものであると思います。

極端なところだと、作業期間と納品日、納品形式、権利の帰属この取り決めで良いですか?みたいなざっくりしたものも普通にいただきますからね。

となると、結局のところ実務であっても、実際に相手と対峙して相手の事情や条件を伺うまでは何を取り決めるべきはか判りませんし、伺って初めて「さて、どうしたものか」となるのではないかと。

 

つまり企業内の研修やOJT、その後の実務を通じた経験においても結局は同じで、唯一組織に属する場合で違うのは、その条件が組織や集団として雛形となるものがあるのか、それがないのかの違いではないかと。

で、仮にそういった雛形があったとしても、必ずしも自社の条件で取り決めができるわけでもありませんから、結局のところ相手と会話しながらこれ飲めますか、飲めませんかとする事にかわりはなく、それって結局、その人やその組織がどうするかという話しであって、例えばある新人デザイナーが調整が不足した見積りを出したとしても、その人がそれで請け負うのであればそれでいいと私は思いますし、それで仕事が回るならそれでよいのだと思います。

実際私が取引している方々もそんな仰々しい見積り書をだされた事は1度もないですし、場合によっては今の段階では見積もれないので概算だけだして後は予算枠見ながら進めませんか?みたいなご相談をいただく事もあります。そういった場合は、流石にこちらも何もないのはこまるので、最低限の条件だけ取り決めた見積りと発注を行いますが、そういった事も、状況や事情について双方がどう考えるか、どうしたいかという事を話し合って決めるだけの事で、それを行うのに必要な知識はそれ程膨大なものだとは私は思いません。

精々、経験を積む中で、これは明確にしなければならないと思うものが幾つかでてきたり、取引先によってはこの部分は明示的にしなければならないというものがでてきたりする程度で、それが数百行にわたる細かい取り決めがなければ成立しないという程の事もないと思います。

例えば無限リテイクを発動する相手にはリテイクの上限や条件を明示的にしたり。

逆に私だったら、細か過ぎる条件が1,000行とか2,000行とか書かれた見積りをいただいたら、その全てを守る自信がないのでおそらくどれほど素晴らしい相手先であっても、当社の方がそういった方と取引するには値しないレベルの会社としてお詫びして取引を見送る事になるかなと。

 

記事主の方の会社では数百行や1,000行や2,000行といった条項を記述する事は当然なのかもしれませんが、私の界隈だと契約書でもそこまでの規模のもので行う事は稀ですし、基本秘密保持以外は相手方雛形があれば相手方の希望する内容を当社のリーガルでチェックするのが基本の進め方ですが、そういったやり方でも契約書や見積書、見積り条件を頑張って足し込んでもそこまでの大規模なお取引条件を取り決めて行うというのは私が学生時代にアルバイトで個人で請け負っていた頃の仕事から、個人事業主としての仕事、企業に属する中での仕事とふりかえっても、余程の大規模な案件(例えば新しい会社を作ってそのサービスの開発とその後の運営に関する取り決め等)でない限りは、制作に関する発注でその規模の取り決めをした事はないです。

 

ちなみに、その時はそもそも案件自体がレベニューシェア型で進める前提だったので、制作関連の初期費用の負担からその後の運用負担の按分までが事細かに取り決める必要があり、その関係で作業工程の考え方やその作業を行う組織の維持に関する取り決め、稼働に関する条件等も含まれたのでかなり大規模になっただけで、制作そのもののの中身や作業自体に関する取り決めは一般的なものだったと記憶。

出資比率や追加出資の話しまで絡み、その試算についての話しも諸々有るので細かく取り決めたので、このケースの方が恐らくは異例の話しかと。

 

当然私の経験が一般的であるとは思いませんし、私の経験自体も例外的なものなのかもしれませんが、それを差し引いてもちょっとこの部分は過度に着色されている気がします。

 

あと、一人では無理、という話しもありますが、私が最初に独立して個人事業主になったのは、最初の会社に入社(研修という名目で入社式前に上京してお客様先に”違法派遣”されていた)する前に退職し、独立しましたから、ほぼ何も経験がないまま独立したといっても良いと思います。

私は社内での研修等がある立派な会社には入りませんでしたから、最初の仕事は明らかに私のものではない嘘の経歴書に基づいた契約によるもので、そこでも一人でお客様先で仕事をしていました。2つめの仕事は気づくと自分の部下的な人が3人いるという謎の状況でしたが、当然だれも知らないし、むしろお互いお前だれだよ的な状況でした。

その程度の事しか経験が無くとも、私は1年もたたない間に独立して個人事業主となり、その後数年間はそれで無事食べていきました。

契約書の書き方も知りませんし、秘密保持契約のようなものの存在すら認識もなく(そそも当時は珍しかった気がする)、業務に対する適正な単価もあくまでも自分がたまたま検収をいただいたものに関する情報を持っている程度で、それ以上の深い経験や知識があったわけでもありませんが、普通に個人事業主として独立し生きていく事ができました。

当然当時はネットもここまで普及していませんし、ネット経由で仕事を頂く環境もありませんでしたが、それでも無事仕事にありつくことができました。

最終的には縁や運もあってそれこそ数十億円という規模の仕事の責任者もやらせていただけたり、受注した仕事がデカすぎて、個人事業主では直接契約ができない相手との契約を行う為に間に通した会社の社長が「プレッシャーに耐えられない」という謎の理由での契約解除という経験をする程度の成功は収めたのだと思いますが、そういった経験に到るまで、特段だれかに教わって身につけたものがあったわけでもありません。

結局、できる人は見よう見まねでもできるし、なんなら何となくできちゃう人もいるわけです。

昔に比べれば今はネット上で仕事に応募できたり、コンペにも参加出来るなど単価は下がっているとは思いますが、独立するにも起業するにもやる気があればなんとでもなるのではないかとは思います。

 

私はデザイナーではありませんが、これはおそらく全ての仕事で基本的に同じだと思いますよ。

 

できる人もいればできない人もいる。

 

無理かどうかは結局自分が決める事で、無理と言いたくなければ頑張るしかないし、そこを一人では耐えられない、乗り越えられないのであれば、まずは組織に属して経験を積ませて貰う。ただそれだけの事かと思います。

 

まぁ、デザイナーを欺して仕事を安く請け負わせる発注主はごまんといますか、そういった意味ではいろいろな知識や経験がある方が明らかに良いですが、それも結局、経験して学べばよいと自分で割り切れれば、痛い目にあって次は同じ失敗をしなければ良いのだと思います。

 

私も最初に行った学生時代のプログラムの仕事は個人事業主の方から全額の報酬は頂けず、今だったら確実に訴えただろうなと思うレベルの扱いでしたが、それがよい経験になって、兎に角法律は学ばないとダメだと学び、今の自分の礎ができたのだと思えますからね。

 

長くなりましたが、結局、それを否定する経験も、肯定する経験も、ぜんぶそれぞれの事情や状況によるので、まぁ、未経験者が皆月に数十万も稼げるわけがないとは思いますが、とは言え、それは結局、市場に出回る仕事の絶対数が単純にそれを求める人よりも明らかにすくない(求める側のスキルレベルまで考慮すれば)為、結果として期待するだけの報酬を得る事は難しいだろうね、という部分の説明のみで良いのではないかと思いますが。

 

主観が過ぎると助言や意見というよりは、年長者や経験者が自分の武勇伝を元にしていびっているように見えてしまうので、そこはちょっと配慮した方がよいのかなと思いますが。

若年層で既に2回目の接種が完了されている方も普通におられます

モデルナ2回目接種の副反応の記録 · GitHub

受けた人はおそらく批判しない。私もまだ1回目だけどそれでも大変だったし、妻は2回目を接種済みだけど、やっぱり大変だった。接種を受ける事と、受けた事で大変だったと感じる事は当然同居するわけでそれが当たり前

 この記事のコメントで以下の様な感想がついていました。

28歳でオリンピック開催前に2回接種済みなのは羨ましい。医療関係者なの? - shinichikudoh のブックマーク / はてなブックマーク

東京都に限定しても多くの区で6月末時点で接種券の配布は完了しており、7月上旬から接種受付が開始されています。職域接種であったり、一部の区で行われている若年層からの接種というケースも有るので一般の方かと。

単純な疑問だと思われますが、比較的都心部では珍しくはありますが、それなりの数で若年層の接種完了済み(2回目まで)の一般の方が普通におられます。

 

都内で言えば、遅い地域でも接種券は既にほぼ全ての区で完了しており、概ね6月末から7月上旬には接種予約が開始出来る状況でした。

また、一部の区に限ると、高齢者の次の優先順位として若年層を優先した区もありましたので、そういった区ではそれよりも早く接種が開始されていたようです。

なお、これは東京の一部の区だけではなく、他の地域でも一部で見られる事で、東京に限定された事ではないようです。

 

その他、職域接種により早めに接種を完了した人もおられるかと思います。

私の妻は医療関係者ではありませんが、30代で私よりも若いですが、既に2回目の接種が完了済みです。

職域接種については現状では大都市圏や大企業に限り地方も含み対応が行われている状況との理解ですので、一般的ではありませんが、それでも年齢制限等はなく(なお、職域接種の場合は、接種券も後からの提出で良いので対象者でさえ有れば接種可能)接種可能ですからおそらく開始直後に1回目を受けた方であれば既に完了されている事も普通だと思います。

 

私は職域接種の枠ではなく、自治体の一般の枠で接種中ですが、既に1回目は接種済みで、2回目がまもなくというところです。

私の場合は、間で妻の2回目があったりした事や、健康診断(人間ドック)があったりした為、その事も考慮してタイミングを少しずらしたので2回目の接種が完了していませんが、おそらくそういった調整を必要としなければ、私も既に2回目の接種が完了している状況ですので、多くの区で40代の方であれば早ければ既に2回目まで完了しているような方もおられるかと思います。

 

そういった状況ですので、本日時点で2回目が完了している若年層の方がいる事は既に珍しくはありますが、特段医療関係者やその家族に限った事ではなく、比較的早めに枠が取れたか、又はそういった優先順位を選定している地域に住んでいた、職域接種で早めに受けた等の方であって特別な方ではないと思います。

 

まだまだ年齢に関わらず接種希望者の全てが希望通りに接種できていない状況では有りますが、着実に接種は進んでいますし、徐々に1回目の枠も追加されている状況であることは確認済み(もうワクチンがなく受けられない等虚偽の内容で不安を煽る書込も有りますが、実際にはちゃんと追加されていますので自治体の告知ページを定期的に確認して下さい/当然毎日追加されているわけではないのでその点も含め冷静な対応が必要です) ですから、冷静に情報を集めていただければと思います。

 

なお、接種後は1回目も2回目も副反応がでた場合はそれなりに大変ですから、準備は怠らないようにした方がよいです。

特に独身の方は、誰かと連絡を取り合うようにして、例えばリアクションがないときは助けを呼んでもらえるようにするなども必要かもしれません。

 

そういった点も事前に十分な情報を集めていただければと思います。