何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

認めたくない事になると途端に条件が著しく厳しくなるという事について

 

神奈川 相模原 小中学校を月末まで臨時休校 感染急拡大受け | 新型コロナウイルス | NHKニュース

<a href="/ponpon_qonqon/">id:ponpon_qonqon</a> 当時の状況は今とは違い圧倒的に情報も判断できる時間もなかった。戦後初となる緊急事態宣言の検討も開始されている状況下で、そもそも米国CDCですらまともな対策自体が不明な時点で最大限の措置を取った

休校措置については求める声もあれば、今回も一定の割合で否定的な意見もあります。

私はどちらが正しいとまでは断言できませんが、現状の状況、そして海外での実情も踏まえれば、休校措置を取る方が結果として安全な環境になるのではないかと考えます。

実際問題大人と違い、子供が中等症以上の状態となってしまった場合、恐らくは親にかかる負担は肉体的にも精神的にも休校時の比ではないでしょうし、万が一の場合は悔やんでも悔やみきれない事もあるでしょうから。

 

一方で、既に何度も論じているように、そもそも休校措置は政府が出す事はできず、政府としては仮にそれを行うべきと判断しても推奨する事を通達する事しかできません。

実際の実施判断は、仮に通達が行われたとしても各市町村の教育育委員会にて判断され実行されるものですから。

 

 で、その構造を理解すると、安倍政権下で休校措置について通達を出した事がどれだけ異例であるかがわかります。

 

この判断について当時は批判の嵐でした。

この評価は今回休校措置を感染拡大防止の為に必要とする状況下でもあまり変わっておらず、私からすると、一体どう思考の整理を付けているのか疑問はあります。

 

当時の状況に対しての批判は、1.安倍政権下の休校措置の時点と現時点の感染状況は全く異なる、2.安倍政権下は急な通達で現場を混乱させた、この2点が主だった批判でしょうか。

 

まず1についてですが、これは今だから言えることでしょう。

当時の状況を振り返れば、日に日に状況が悪化するなら、あらゆるリソースが足りず、マスクすら手に入らない状況に陥るなど、市民生活への明らかな混乱も見られ、どうやってそれを正常に戻すのかという事は重要な課題でした。

また、日に日に感染者数が拡大するなら医療リソースへの影響が現実的に厳しいものとなる等、目に見えて悪化する状況も含め、戦後初となる緊急事態宣言の発出に向けた議論も開始された頃でした。

この時、最も状況が悪化していたのが北海道で、実は最初に休校措置の対策を打ち出したのも北海道でした。この休校措置は2月25日に依頼がなされ、実施は週明けからの1週間というものでした。

この2日後、安倍首相は同様の措置を政府として全国に依頼する事を明らかにしています。この時の要請は3月2日からというものでした。

 

さて、以下のようなコメントがあります。

 

神奈川 相模原 小中学校を月末まで臨時休校 感染急拡大受け | 新型コロナウイルス | NHKニュース

決断を賞賛する。この状態でムリと言えるのえらい。まあ学校で預かるのであまり意味がないと言えばないが、それでも多少の緩和にはなる/<a href="/zapa/">id:zapa</a> 安倍の馬鹿は6日前になんか方針出さなかったよ!週末突然で不興買った

2021/08/19 19:48

確かにコメント通り安倍政権下での休校措置は4日前であり6日前ではなかった。

この2日はそれほどの大差だろうかと私は疑問に思う。

馬鹿扱いするほどの。

 

例えば10日前と、4日前では明らかに差がある事はわかる。

10日もあれば翌々週の勤務の調整も可能だろうし、心理的猶予もあるだろう。

で、6日だとどうだろうか、1日でも早い方がよい事は私はその通りだと思うが、6日前の決定を称賛し、4日前の決定を馬鹿と罵る程の差があるとは思えない。

私からすれば、どちらもその時点でのリスクを色々と判断し、ギリギリの状況の中で決断した事に変わりはなく、どちらも同じ判断なのだろうと思うし、そう評価する。

それは北海道知事の決断も同様だ。

北海道での休校措置は実質2日前での決定であり、安倍首相のそれよりもより混乱を来した。当時はまだ国内で休校措置を取るなどという判断がなされるとは誰も思っていなかっただろうし、恐らく北海道の方は余程他の地域よりも驚いただろうし、突然の事で混乱したと思う。

それでも私は今このデルタ株というものが蔓延する中で、その時その時に最大限の措置を取る事の大事さを考えれば、あの時の北海道知事の判断も正解であったかはわからないが、恐らくその判断に至るまでの間に、少しでも何か手を打たなければならないという考えによりそういった決断に至った事はわかるし、そういった行動、つまり休校措置を要請する手段も当然必要となるという事を知らしめ、その後リモート学習やそういった体制の強化が必要だというメッセージにもなった事を考えれば、大切な行動であったのだと今振り返って考える。

それと同様に安倍首相が当時そういった決断に至った事も、同様に評価すべき事だったと思う。

4日と6日、確かに2日の違いはあるが、私は一方の決断を評価し、一方の決断を馬鹿と罵る程の違いはないと思う。

明らかに「誰が決めたのか」「誰が発言しているのか」で評価の基準を変えていると思うが。

 

2についても同様。

例えば以下のようなコメントがある。

神奈川 相模原 小中学校を月末まで臨時休校 感染急拡大受け | 新型コロナウイルス | NHKニュース

初期の全国一斉休校とは何が違うってそりゃデルタ株の異常な感染力だろ

2021/08/19 22:16

 

今当時を振り返れば、正直当時の感染者数だったらなんてことはなかったな、とも思える。

が、今それを私たちが考える事ができるのは1年以上コロナ過を生き抜いてきて、悪化する状況を目にしているからであって、当時の私たちと今の私たちに違いはない。

前述のとおり、当時は北海道での爆発的な感染拡大に全国が不安に陥っていた時期だと思う。あの感染爆発が他の地域でもおきるのではないか、次は自分たちの地域がそうなるのではないか、その事に対して政府は自治体はなにを手をこまねいているのか、そんな意見が日々でていたのが当時であったと思う。

 

また、当時はどんどん物資の不足も問題になっていた。

マスクの入手は困難で、自分たちを守る術を準備すること自体が難しかった。消毒用アルコール類も当然不足しており、市民生活への影響だけでなく、医療従事者向けの物資ですら不足しだしていた時期であった。

 

私たちは五輪の開催について、安心安全と言われた所で、少なくとも開催するよりは開催しない方がより安全だろうと、多くの人が考えたと思う。

最大限の措置を取るのであれば、緊急事態宣言という状況下であれば、開催する事が適切なのか、開催しなければ開催した場合よりも市民生活への影響は軽微であろうし、医療リソースや予算をその分対策に回せるのではないか、そういった事も考えていたと思う。

 

私はその時その時で最大限の措置は異なるし、判断できる情報の量も違うと思う。

ただ「デルタ株だから」という発想にはあまり同意できない。

私からすると、当時デルタ株はなかったが、結局のところ子供の中等症以上の悪化が発生するリスクというのは、デルタ株だから顕著に高いわけではなく、単純に感染者数が増えれば、著しく低いリスクであっても一定数の症状を伴う患者が発生するという理解であって、であれば、デルタ株であるのかどうかではなく、単純に子供の感染者数を増やせばそれだけ子供の中等症以上の悪化が発生するリスクが高まり、それが数値としてでてくるというだけの事であって、デルタ株であるかどうかは関係ない。

 

と考えると、例えば0.1%割合だっとして、1万人の感染者を出せば10人の子供の中等症以上の症状を持つ可能性がでてくるし、それが100万人なら1,000人に膨らむ可能性があるという事で、子供の中等症以上の悪化が発生するリスクを抑えたいのであれば単純に子供が感染する可能性を減らすしかない。

 

デルタ株は確かに感染力は高いが、近距離化、密接な環境下であればデルタ株でなくとも感染するわけであって、それは今後新たに発生する種の株でも同様の事であろうと思うが。

 

当然、デルタ株だからこそ子から大人、大人から子、のような感染経路を通じて、さらに大人から大人、子供から子供という感染爆発にもつながるリスクは高いが、それは今私たちがデルタ株という存在と過去の存在を比較しているからそう考えるに過ぎない。

当時の私たちにはデルタ株などという未来のより感染しやすい性質を持つ株の事など関係はなく、単純にその時点の株ですら十分危険であると理解していたし、恐れていたわけで「デルタ株の感染が広がっている今とは違う」というのは結果論に過ぎない。

 

結果論を元に過去の政策の是非を議論する事は正しい。

が、結果論を元にその時点の判断を否定するのは間違っている。

別記事でも書いたが、その時点で入手できる情報と現時点で入手できる情報は全くことなるわけで、今自分たちが持ち得ている経験や知識を過去の存在しないものへ適用する事は明らかにアンフェアであり判断を歪めている。

 

せいぜい議論できることは、最大限の措置を取る事を国民が求めていたのであれば、休校措置を当時においても行った事は否定できない。が、結果としてそれが今結果を分析した場合、感染拡大の防止に寄与したかどうかは評価できない。その程度のことであろうと思う。

 

五輪もそうだが、政府や首長の決断は行動よりも大きな影響を及ぼす。

政治的決断とは常に市民感情への影響を与え、その結果は明確に経済にも影響を及ぼす。

休校措置をあの当時強硬して行ったという事は、私からすれば珍しく与党としては真っ当な意思、つまりコロナに対して明確に政府として行動をするという意思表示であったとは今考えれば思うし、今、デルタ株が広がる中、例えば東京都において小池知事の何もしないスタンスや菅総理の行動力と比較しても、正解であったとは言わないが、何か行動を示す、それこそ尾身会長がいう「明確なメッセージを届ける必要ある」、そういった事にもなったのだと思うが。

 

そういった事を考える時、つまり何かを評価しようとしたとき、単純に自分は与党が嫌いだから与党の決断はなんでも評価しないとしたり、野党の方針であれば何でも評価するとしたりするのは間違っていると私は思う。

 

評価基準を緩める必要はない。

が、6日前が評価できて、4日前は評価できないという謎の評価軸は理解できないし、そういった偏った評価を続けていればどんどん何もしない政府を助長するだけで、結局は今後政権交代が起きたとしても、別な政党支持者が今度は同様の方針で否定的な行動をとるだけの事で自体は悪化するだけだ。

 

そういった事をちゃんと国民が評価しない結果が、何もしない政府、何もしない都知事、そういった「やろうがやるまいが、どうせ批判されるのであればやらない」、そういった政治を生んでいるのだと私は思うが。

 

ワクチンの接種は強要する事も、接種状況を共有する事も原則として許容されていない

 

「今朝から職場が恐慌状態」職員から「実は2日前から咳が出て体の節々、喉が痛いのに出勤していた」と報告受けた方のツイート - Togetter

取った行動そのものは決して良い事ではないし周りの迷惑を考えるべきだった。が、その話と個人がワクチンを打たない判断をした事は関係なく、「間抜け」だと罵る事も接種を会社が指示する事も適切ではないと思うが。

 

関連ツィートを読む限り、どうも投稿主の会社はいろいろとヤバい気がする。

 

まず、接種について企業が推奨すること自体は特に問題はない。

その一方で、接種しなかった事によって個人に不利益が及ぶ行為を企業は行ってはならない。

この話の中に、個人の接種状況について企業が管理するほか、それを合理的な理由もなく従業員間に共有したり吹聴したりする事も原則許容されていない。

 

どのような状況下でその問題を起こした社員が一人だけワクチン接種をしていない事が特定され、且つ、それが周知の事実のように共有されているのかというのはまず疑問。

通常、管理職は、自身が管理する組織内でその手の話題が回っている場合、率先してワクチン接種は個人の判断にゆだねられる事で、且つ、接種状況については限りなく千シティブな個人情報である為、その情報について身軽に社内外で話題として取り扱わないようにと注意をする責任がある。

このような内容は、ワクチン接種についての取り扱いを各企業が決定(例えばワクチン接種日を特別休暇/公休扱いするなどの措置を検討)する際に議論すべき事で、その指針についても情報は開示されている。

 

個人の行動として、体調管理に関わる不備や、体調不良を感じた場合の行動方針の誤り、そして組織人としての行動指針の誤り等、様々な問題を起こしている事は事実だ。

一方で、それは新型コロナウイルスに関わらず、何れの場合であろうと同様で、例えばそれがインフルエンザであっても、ただの風邪であっても原則同じ話に過ぎない。

 

極論言えば、恐らくこの組織ではこれまで同様の対応が行われていたのではないかと思う。

 

例えば次のような投稿もある。

投稿の記述は年上にも関わらず非常識な相手に年下の自分が意見を申したのだ、という書き方にはなっているが、普通の職場であれば、投稿主の発言が仮に適切な内容であったとしても、組織の中で他の従業員を罵倒する事は双方処分の対象となる。

それが美談のように話せるという事は、単純にそういった事について社内で教育が行われていないという事ではないかと感じる。

同様の記述は以下でも見受けられる。

確かにその状況でそもそも業務を続けるという選択肢はないし、その発想自体が非常識である事は認めるが、その話と、その対象者を複数人で叫んで追い返す事が適切であるかは別だ。

組織である以上はどんなに面倒で、迷惑な行動をとられたとしても、そこは適切な対応が必要だし、そういった点ができていないと、私のように「いや、この対応をみるに、そもそもそういった判断をしてしまうような職場環境だったのではないの?」と思う人間も出てくる。

 

また、仮に本人が新型コロナウイルス感染のリスクが高いと判断された場合、普通の職場であればそのエリア(汚染が想定されるエリア)に対して、他の従業員を招集する事を禁止していると思うが。

つまり、もしも本当にその対象者が感染の疑いが高い場合、まずは濃厚接触者の判断を現場で行う必要があり、その関係者の移動先やシフト状況等から関係者の特定、その上で非接触者と接触者が関わらないように業務のスイッチを行う方法の判断とその指示を実施という流れになる。

 

汚染エリアや影響者の特定と隔離・分断はこの手の事業継続性に関わる指針の策定においての基本であり、少なくともその時点で代替人員の手配をして業務を継続とはならない。

仮にそれが継続せざるを得ない状況だとすれば、代替人員の手配は最後の手段であり、一旦は現場の人員で状況整理完了までは代行しつつ、その間に非接触人員や代替シフト、臨時の業務エリアの確保等の調整を行うのが最低限の対応となる。

 

少なくとも感染者を罵倒している暇はない。

 

私が関わる会社のビルでもそういった感染者の報告はあるが、当然だがどのフロアのどの企業の誰が感染したかも報告の共有は行わないし求めない。

一方で、そういった場合にビルと個々の企業間でどのような対応(エリアの封鎖の可否、消毒業者の手配の段取り、専有部・共有部の対応の分担等)とするかは事前に取り決めが行われており、その手順に従ってそれぞれが動くこととなる。

 

その中で、原則として汚染エリアを拡大しない事や、影響範囲を限定する為に、対象のエリアとなったフロアやフロアに関わる従業員については、感染が確認された場合、最小限での業務遂行とそれ以上の影響の拡大の防止が求められているし、それが各企業の責任だと私は思うが。

 

当然ツィートでは断片的な情報であったり、意図的に感情的な文面としている事も想定されるので、あの中身からすべてが理解できるわけではないが、にしても、なかなか雑な対応だと私は思うが。 

 

 

 

 

 

 

そもそも休校判断自体には政府は関係ない

 

夏休み明けの二学期には子どもが新型コロナに感染する前提で、学校にPlan Bを確認しておく(できればPTAも巻き込んで) - 斗比主閲子の姑日記

正しいアプローチだと思う。なお、一斉休校云々で言えば実際は文科省の判断によらず地域毎の実施については市町村配下の教育委員会と学校長の判断で実施可能なわけで、本来休校の実施については政府判断は不要です。

 

親のアプローチとしても、個々のプロセスの整理としても正しいかと。

 

そもそもこの話題、感情的に政府が政府がと唱える人が多いが、もともとの話しとして休校措置の決定件は本来市町村配下の教育委員会にある。

 

以前も述べたが私はたまたま私の父方の家系が教育業務にほぼ全員が関わる程の家系だったので、この手の話題にそれなりに詳しいのだが、この手の議論で本来政府が直接指示を下す事は、ほとんどない。

通達として指針であったり、判断基準のようなものを求められた上で通達する事はあるが、結局のところ、休校措置の必要性は地域毎の状況による事と、もともと日本は地方分権の関係から、県や市の首長又はその配下の直接管理の機関に権限が分散されている。その為、少なくとも国立大学のようなケースを除けば、通常の公立学校というものは市町村とその配下の教育委員会の判断により何時でも休校措置の実施が可能なわけで、逆に政府が一斉休校について実施の判断は行えない。

政府が行える事は、一斉休校の実施を求める事であって、それですら「休校措置を執っていただきたい」という、我々に対して「外出の自粛を求める」と実質同じ程度の依頼に過ぎない。

 

なお、今でこそ教育委員会文科省の通達文をちゃんと読んでいるが、昔は教育委員会とはある意味独立した独自の機関で、文科省の存在はそれ程影響力がなく、教育委員会のトップが事実上その地域の学校群を好きに仕切る事が可能な程度の権限があった。

 

これは昭和の中期頃まではその程度の体制があり、その後、昭和の後期頃からは流石に教育委員会のメンバーが学校をにお越しになっても整列するような事態はなくなったが、昭和初期の頃から中期の頃は、地域によってはそれ程教育委員会の権限は強かった。

 

そういった事もあるし、そもそも前述のとおり地域の個別の事情によって判断する必要もあるわけで、結局のところ休校措置を行うかどうかは、実は緊急事態宣言やコロナ云々関係なく、地域の独自の判断で実施が可能なわけでして、その地域で休校措置が必要なのであれば、最寄りの市町村及びその教育委員会に対して意見するのが適切な対応です。

 

兎に角勘違いしてはいけないのは、政府が個別の権限を持っている事は日本では稀で、大抵の事は市町村や県、そしてその配下に設置された個別の実行機関にのみ実施権限があるわけで、そこに直接相談窓口が準備されているわけですから、適正な窓口に対してアプローチするべきだし、批判や意見もそこに届けるべきという話しです。

誰かの有能さの評価はその人の有能さを具体的に説明する以外には評価する事はできない

 

東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

野党の対案や方針に同意できてもできなくても、その話と与党や都知事の無能さの評価とは直接関係ない。他人の失点は誰かの得点ではないし、他者の失敗も自分の成功にはならない。そこを勘違いしてはいけないと思うよ

 このコメントですが、以下のコメントを読んで付けました。

東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

与党・都知事が無能という言説が多いけど、対案や野党の主張には同意しかねる。ロックダウン:やり方次第だろうど他国では成功していない、中国式?検査:意味わかんない。五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?

 

僕は別な記事でも書きましたが、与党に対してのコロナ対策の評価で言えば、安倍政権時代は実績は伴わなかったものの、何かをしなければならないという考えは伝わってきており、少なくとも菅政権とは違い、総合的な評価でみれば非常に低いものの、それは実施面のマイナスや、結果的に得られたもので評価すれば低いというものであったと考えており、この部分は恐らく比較的与党に対して甘い評価をしている(私的には非常に現実的に行っているつもりだが)。

 

一方で、小池都知事に関して言えば、評価すべきポイントは皆無で、むしろ評価自体は明らかにマイナスです。

なんせ色々情報を集めますが、東京都として評価すべきポイント、というか、東京都として具体的に成したい事がさっぱり何もなく、評価する事もなく、ただただ時間を浪費しているだけである為です。

 

私は誰が誰を評価してもよいし、それはプラスでもマイナスでもよいと思います。

 

が、いつも言いますが、与党の失点は野党の得点にはならないし、誰かの失敗も誰かの成功にはならないという事は明らかです。

 

ですから、仮に誰かが有能である、無能であると評する時、それはなぜそう評するのかという事を主張しない限りは何の意味もありません。

 

個人間で誰かの主張に同意できない、反論するというのは有ってもよいと思いますし、実際コメント等でもそういったやり取りはあるし、あってよいと思いますが、Xに賛同できないからYの批判は間違い、という主張は流石に主張にすらなっていません。

 

少なくともXの主張に同意できない部分について説明できない(例えば理解もできない程意見の隔たりが大きい事もあるので)としても、Yの批判が間違いだというのであれば、何が間違いであるかを主張・説明しなければ筋が通りません。

 

例えば「五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?」という部分ですが、私は開催に対して絶対反対であったわけではありません。

過去のコメントを読んでいただいてもわかるように、私は五輪と普通の大会、少なくとも世界大会程度の規模であっても、選手にとっては全く異なるものであると考えていたし、それだけ行うのか、行わないのかという決断は大きな問題であったとの認識です。

その上で、やるのであれば徹底した管理と絶対的な透明性、開催した事を批判されないような、徹底した管理体制と情報公開を行う事で、ぐうの音もでないような大会運営を行った上で実施すべきだと考えていました。

が、実際に行われたものを見れば、惨憺たる状況であったことはいうまでもありません。

 

ルール違反についても特段の罰則はなく、実際それを盲点として突いてくるように選手が自分の競技が終わり次第町に繰り出すという事が多数報告されました。

さらに言えば、デルタ株の持ち込み事例のうち、少なくとも一つは五輪関係者により持ち込まれたものであったことを、五輪終了まで公開しないという意図的な隠ぺいまで行っていました。

 

こういった行為について評価するというなら、確実に落第点であり、こんなどうしようもない管理であればやるべきではなかったと思います。

 

その上で、私はパラリンピックは開催すべきとの意思を持っています。

これは、健常者の大会だけを行い、それ以外の大会を行わないというのは明らかに異常であり、少なくとも五輪は一切日常的な医療体制への影響を及ぼさないという主張なのでれば、開催しないという選択はないからです。

 

一方で、それと同時に、小池知事に対しても、菅総理、政権与党に対してもやるからには糞のような言い訳はいいから、もっとまじめにやれとしか言いようがありません。

 

少なくとも与党の方針や出されている対案に同意できない、だから与党や都知事を批判する意見は間違っているとは言えません。

 

なお、五輪の開催についてさらに言及すれば、地方への影響は確実にあったと私は思います。

少なくとも五輪を開催するとした時点で、あらゆる物事に対して「世界の人が日本に来ることができる」という誤解を与え、さらに「五輪が開催できるのだから」という隙を与えた事は事実だと思います。

 

実際、あらゆる状況で、人々は「なんで五輪は開催して〇〇はやってはいけないのか」この発言が至るところで見えていること自体が分断を生じさせている上に、議論を複雑かさせている証拠と言えます。

 

もし五輪が中止されていれば、何かの是非を議論する時に「五輪ですら中止だったのだから」という事も出来ました。

しかし開催した今となっては「五輪が開催できてなぜ他ができないのか」という問いに答えねばなりません。

 

本日(18日)、F1の日本グランプリの開催中止が発表されました。

非常に残念な事ですが、それが決定であれば止むをえません。

 

ただ、海外のコメントを読んでも非常に恥ずかしくなります。

例えば、なぜ日本は世界各国からあれだけの人間を招き、そして2週間以上も日本各地で開催したオリンピックは実施したのに、たった4日間、1つのレース会場で行うこのイベントは開催できないのか?という指摘もありました。

また中には、日本からすれば五輪は金になるから行ったが、F1は金にならないからやらないそういう判断だよ、というものもありました。

他にも、F1は既に多数の国を転戦し、管理が行えている実績がある競技であり、オリンピックのバブル方式よりも安全であるのだが?という指摘もあります。

実際、F1はこの1年半の開催の間、数回しか感染者の報告を発生させておらず、クラスターの発生の報告もありません。

その上、以前にも記事にしたように、一部の国では政府とも協力して関係者を含め率先してワクチン接種の機会を設けたりするような活動も実施するなど、コロナ過のイベントとしては恐らく世界最大の成功事例の一つだといえますが、それですら日本政府は否定したわけです。

 

なお、一部の方が移動云々の話をしていましたが、F1の輸送については幾つかの便を優先的に利用しており、それは名古屋セントレア空港から鈴鹿へ直行する物流ルートで行われ、五輪よりも間の移動については明確なものです。

モノ以外でいっても、例えば海外の事例で言えば、空港直結が可能な国では指定ホテルと空港以外への外出禁止の徹底、直行ルートの確保、関係者以外のホテルへの立ち入りの禁止(指定ホテル以外の利用の禁止)をはじめとして、少なくとも五輪のグダグダな宿泊施設管理よりもより厳格で管理された運営が、既に世界各国で実施されている実績があります。

 

私からすれば、実績のあるF1を行わないのであれば、少なくとも実績のない五輪は実施できるとは思えないし、実際五輪で行った運営のレベルは、少なくともF1のそれと比較しても明らかに程度の低いものでしたから、F1を否定するのであれば、なぜ五輪が実施できたのかというのは具体的な回答が欲しい所ですね。

 

仮に五輪開催時は今ほどひどくなかったというのであれば、パラリンピックはどうするのかという問題に結局直結しますから、少なくとも今の時点で10月開催のF1を断念するように政府が迫るのであれば、今まさに危機的状況、小池都知事の言い方であれば「災害級」の状況なのであれば、10月のイベントの開催を否定する前に、今この局面で開催されるイベントについて行動するべきでは?と思うのはいたって普通だと思います。

 

五輪一つとっても、これだけ国民の関心や心の在り方を分断しているわけで、私はプラスがなかったとは言いませんが、マイナスも多大にあり、少なくとも開催したことが正しかったと胸を張って言える状況でもなければ、賛否両論が当然で、パラリンピックも否定する人がいる事自体には理解できます。

 

いずれにせよ、何かを評価するという事は、加点を与えるにしても、失点を与えるにしても、それは何に対して、という事が大事で、特に他人の評価を否定するのであれば、その否定の根拠を示すべきでしょう。

 

それがなく、ただ盲目的であったり反射的に批評してしまうというのは、流石に適切ではなないと私は思いますが。

 

 

仮に休校の選択肢が取られなかったとすれば、それは政府よりも国民の側のアップデートが必要という事

 

sekkai 💉fully vaccinated on Twitter: "五輪後新型コロナウイルス禍の収束点は既に決まっていて、お盆で日本中に広まったデルタ株が夏休み終了と共に対面授業で学校内クラスターを多発させ、ワクチンが間に合わなかった30-40歳代を中心に家庭内感染が多発し、各地落城するのでしょう… https://t.co/gnvJRWDXVn"

安倍政権下で休校させたときは「効果なんてない」「教育の機会を奪うな」「親の負担を考えろ」と批判や批難のオンパレードだったわけだが。何を選択しても批判されている状況下では誰しも選択を止める。国民側の課題

 この話。

 

別に政府が正しい事をしているとも思わないし、私も今の状況では、海外の状況も踏まえると例え一部の反発を招いても休校措置を取るべきだと考えている。

 

が、恐らくそう単純に選択はなされない。

理由はコメントの通りで、安倍政権~菅政権(といっても、菅政権で何をしたかはよくわからんが/失敗も含め…)において、いくつか実験的試みやチャレンジはあったと思う。

 

例えば、何度も書いているがアベノマスクの揶揄される取り組みも、私は取り組みの方向性は間違っていなかったと思う、が、実行力と実際の結果が伴わなかったという致命的な欠陥があった。

これも未だに政府批判のネタにする人がいる程、日本はチャレンジに対して否定的な環境となっている。

 

同様に安倍政権下での休校措置も同じで、例えば「デルタ株とは状況が異なる」というが、当時は今ほどの情報はなかったし、海外でも休校措置をとる国もあるし、地域で差がでていたところもあって、正解はなかった。

実際、当時は子供は感染しないのではなく、感染しても重症化しないという認識(なお、それ自体は今も同じで、デルタ株により感染力と重症化率が上がっただけ)で、感染の中心になってしまい、子から親、親から子等という経路により拡散してしまうのではないかという議論もあった。そして当時政府は兎に角やれることをやるという認識で強硬したわけだが、ご存じのとおり批判の嵐だった。

 

決定的な確証がないなら、より安全な方へという選択は、少なくとも私はあの状況下、初の緊急事態宣言が出されるほどの状況下では正しい判断だと思う。 

 

その他、高齢者が優先的にワクチンを接種した件についても同様で、若い世代を見ごろしとか、高齢者の票を買う為に優先したという謎理論で政府を批判している人も多い。

冷静に考えて、あの当時は高齢者の重症者数を押さえない事には、仮に死亡率を無視したとしても医療リソースの枯渇を避けられず、医療崩壊を起こす恐れが高かった。

その為、まずは重症者数やそもそも重症化率の高い高齢者に対して優先的にワクチンを接種する事で、医療リソースへの負担を軽減する事を目的としており、結果としてその後の高齢者の重症化数は劇的に下がった。

これは、結果として医療リソース全体への恩恵があったわけで、その恩恵として当然若い世代への恩恵、つまり医療リソースが確保される事による医療崩壊の回避(実際は延命に過ぎなかったが)という効果をもたらした。

こういった事実ですら無視され、高齢者優先の接種すらも批判の種となるのが今の日本だ。

 

こういったいろいろな選択に対して、それぞれ問題はあるだろうが、行った事を批判し続ければ、政府に限らず人は選択すること自体を辞めてしまう。

仮にリスクを取って選択しようが、しまいが、結局は批判されるのであれば、普通は選択しない方が賢い選択だといえよう。

 

わざわざリスクを取ってまで批判される意味は普通に考えてない。

 

これは対政府だけの議論ではなく、普通の仕事でも、家庭でも同じ事で、なぜその選択をしたのか、なぜその行動を行ったのか、大抵の事には理由がある。

その結果が理解しがたいものや、同意しがたいものであったとしても、そこには大抵は理由があるわけで、その選択の理由について理解をする事は必要となる。

 

結果に同意や肯定を示す必要はない。

結果とは仮に素晴らしい選択を行っても残念な事になるし、その要因は様々なものがあり、ある意味運ですら必要となる。

 

が、その選択の理由は結果とは関係がない。

そこに明確な目的があり、その目的が理解できるとき、選択自体を批判してはいけない。

 

選択した未来と、選択しなかった未来、必ずそこにはプラスもマイナスも存在する。

プラスだけが存在する選択肢なんて基本的にはなく、同様にマイナスだけが存在する選択肢もない。

 

 

私たちが何かの選択を否定し続けるという事は、政治に限らず相手に選択を躊躇させる状況を生み出すという事を理解すべき。

実社会でそういった事をした時、会社の中で誰かが何かの選択をしたとき「お前の選択のせいでこの結果だ!」等と言う発言をすれば当然ただのモラハラだし状況によってはただのパワハラでしかない。

 

相手が政府であれば何を言ってもいいと思うのは控えめにいって頭がおかしいし、それを見ている人がそういった行動を同じように肯定すると思うべきでもない。

 

新型コロナウィルスとの闘いは、基本的にはトライアンドエラーしかない。

誰も明確な正解などもっていないし、米国CDCですらひたすらいろいろな事例を発信しながら、色々な選択について常に状況に合わせて変化させている状況だ。

極論言えば、マスクの必要性ですら2020年4月から今までの間で必要な状況や有効性が何度も議論されるほど、まだまだ私たちはこの戦いの勝利条件が分からない。

 

私は小池知事対して厳しい発言をしている。

それは都として何もトライアンドエラーをしていないという点だ。

予算も多額に有しており、コントロールするにも比較的地方都市よりも行いやすい環境にある。

そういったメリットを全て投げ捨てて、ただ時間だけを浪費し、この1年以上の間なにも新しい取り組みをせず、チャレンジもせず、フリップ芸と露出だけを増やした。

 

結果、今の東京都には経験値もない。

 

私は失敗してもいいし、間違いもあってもいいと思う。

重要なのはそのチャレンジと経験で、そこから次に生かすべき。

それを行う国は徐々に平常運転に戻す事ができる。

何故ならばコロナとの共存する社会について自分達も理解できるから。

他人事ではないからだ。

 

マスクをする生活をしたいのか、それともしたくないのか、それも選択。

ワクチンを強要する社会とするのかどうか、それも選択。

ロックダウンを行うべきか、行うべきでないのか、それも選択。

 

何れも選択だが、何れに対しても明確な理由と選択の根拠を示し、その上でトライするしかない。

 

未知との闘いの経験なんて誰にもないわけで、正解は自分達で勝ち取るしかないわけだから。

 

そういった事で、仮に今回政府が休校の選択をしなかったとすれば、それは国民が政府の行動についてなんでも批判するという体質を持ってしまっているが故の結果だと私は思う。

 

私は振り返っても、あの時、安倍政権下での休校措置も全否定はできないし、反対派の人がいう学ぶ機会云々についても、緊急事態宣言同様に、私は短期間で徹底した対策を講じてきっちりと対応をした方が、経済的にも精神的にも負担は軽く、後に私たちは楽をできたと考えている。

 

これもコロナ過で現れる思考の在り方の一つだと私は思うが。

前提条件を正しく設定し共有しないとなぜ無意味な議論になるのか

 

「バレバレじゃん」総当たり攻撃時のパスワード最大解読時間を表で示してみた「桁数を増やすことに意味がある」 - Togetter

ブルートフォースアタックが成立する条件はそこまで容易ではないのでそうはならんやろというのが現実。但し対象サービスやプロダクトでそれを許容する状況下にあるのであれば当然そのとおりのリスクとなる。その程度

この話。

元の話題ではちゃんと前提条件が明示されて議論されているので、なぜこのような結果となるのかも読み手が理解できている(でききていない人も当然いるが…)。

一方で、まとめ主はただアクセス数を稼ぎたいだけなので肝心な部分、つまり前提条件を明示せずただ「短いパスワードは危険」というメッセージだけを強調している。

 

一見すると「どんな状況であろうが多くの文字種と文字数を使えばいいだけで、それに何の不満があるのか?」となりがちだ。

実際以下のようなコメントもついている。

 

なんとも言えないとか言ってる奴なんなんだ?桁数と文字種を増やすとこんなに変わりますよってのが分かればよくない? - akiraki のブックマーク / はてなブックマーク

そう単純な話でもないかと。文字種や文字数を増やすという事はそれの管理方法についても一考が必要で、そうなった場合、本来異なるパスワードを付ける事が必要な局面でも同一パスワードが使われるなど弊害がでるのよ

 

確かにそれはそうなんだけど、それだけにセキュリティはとどまらない。

 

まず、大前提としてローカル化での暗号やハッシュ解析の影響に対して、個人の努力はそれ程寄与しない。

というのも、極論言えばハッシュ化されたデータが攻撃者の手元にわたっている状況を想定する場合、例えばSALTの漏洩はあったのか、なかったのか、アルゴリズムの選択について情報を与えているのかどうか、パスワード情報は単体で漏洩しているのか、それともその他の個人情報と同時に漏洩しているのかという話により攻撃者は解析手法を変える。

 

具体的に言えば、現代の攻撃者はそもそも単純な総当たりにより解析は行わない。

既にダークウェブ上では解析済みの個人に紐づくハッシュデータ等が出回っており、同一パスワードを使いまわしているユーザがいる限り、特定サイトに対しての攻撃の難度は変化するわけで、そういった複合的な状況、つまり個人の努力以前にそういった複合的な状況な努力の結果の方が実は地味に解析/防御という点では影響を及ぼす。

 

これに対して唯一有効な手段としては、最低限複数サイトで同一パスワードを使わないという事のみで、それ以外には方法がない。

 

で、これがまたジレンマで、同一パスワードを複数サイトで使いまわさないという選択は、同時にそれらをどうやって管理するのか、という問題を生み出す。

これに対して、単純に「パスワード管理ツールを使えばいいじゃないか」という話があるが、当然それを選択しない人もいるし、そもそも法人アカウント等の場合、単純にそういったツールを必ずしも許可していない場合もあり、結局、パスワードの単純な複雑化は運用面の負担となり、結果として脆弱性を生み出すリスクともなりえる。

 

例えば、誤解により有害な情報となりえる話として以下の発言者の理解も同様だ。

 これも完全な誤解で、確かに銀行のATMで利用するパスワードである数字4桁は一瞬で解析されてしまう事となるが、私の元コメント通り、その条件が満たされる事は基本的には存在しない。

ATMでは数回の間違いにより口座に対する操作は一時的に凍結されるため、総当たり攻撃を実行する事はできないし、逆に攻撃を行っている事がわかる事となる。

そこに危険性はない。

一方で、単純にこれを「これは危険だ!よしより複雑なパスワードを求めるようにするべきだ!」とした場合、ATMの前で複雑なパスワードを入力する為の手段により、別なリスクが顕在化する事となる。

 

このように、正しい前提条件を共有しない問題提起は非常に危険で、状況によっては有害でしかない。

 

発信主はその前提条件を理解しているのだろうが、受け手がその全てを理解できているわけではない。

 

で、私がこの発言を問題とする一つとして、この発言主はセキュリティに関わる人間であるという事だ。

 

つまり、こういった発言によりセキュリティ上の別なリスクを誘発する事を理解している人間であり、それがわからないというのであれば、逆にもう少し学んでから発言すべきだと思う。

 

 

無知な人間が無知な故に誤った形で情報を発信してしまう事と、知識のある人間が自らの不手際で誤った形で情報を発信してしまう事は全く異なった次元であり、そもそもこの発言者は、第三者からそういった指摘があっても何らそれに対して適切な対応をしていない。

 

今後の対応次第では比較的悪質な行為の一つだと私は思うし、そういった行動をとるセキュリティ関係者や関係企業を私は信用しない。

 

<追記>

呑気に宣伝ぶら下げている暇があるなら、まずは前提条件や発信の意図について説明するのが先であって「バズったうぇーい」なんてことを言っている場合なのか?

私には彼の認識とその対応の順序が全く理解できない。

それでセキュリティ関連の実務に携わるとか、ちょっとそれ自体がリスクでしかないのだが。

話題にしていないわけではなく、それ以上に話題となるトピックがあっただけの事

 

なんではてなではアフガンが話題なってないの?

最近ははてブの使い方も認知されない程はてなユーザーは衰退したのだろうか。例えばPCであればブックマーク開いて上位のタブの総合にマウスを合わせると矢印でサブカテゴリを選べるのでそこから国際を選択して下さい

 

言いたいこととしては「はてなーは都合の良い話題しか議論しないのな(プ」的な雰囲気を醸し出しています。

 

そんなつもりはないのかもしれませんが、コメントの趣旨として意味がわかりません。

 

まず、はてブ自体で事の詳細が語られる事はないですし、記事としてで言えば各種メディアの記事にいくらでもある程度の詳報はでています。

 

海外メディアの和訳記事でも7月からいくらでも詳報は随時発信されていますし、それを受けたTwitterの発言や記事の作成も行われています。

 

話題になっていないのは、単純にそれ以上に大きな話題があるので、そもそもいつもであればある程度のポジションまでくるネタであっても埋もれてしまうという点と、自分が積極的に興味のある記事にブックマークをしてまわらないと誰も続かないという事です。

 

なお、タイミングで言えば、アフガニスタンの話題については12日の方が多くの注目を集めており、もし13日に話題を探したのであればちょっと遅いという雰囲気です。

 

元々は2つの都市が落とされたという時点でいったん話題は集まっていましたから、そのタイミングで国際トピックを見ていればそれなりのブックマークも集まっていました。

が、現状はコロナ関連、政府関連、菅総理関連、小池都知事関連、時事ネタとして入管関連のようなある程度注目が集まりやすいネタが多すぎて、単純には露出される規模のブックマークは集まりません。

 

はてなブックマークは特性としてゆっくりと話題があつまるトピックはそれほど重要視されていない為、その話題が扱われるそのタイミングで一定の人が言及してくれないとどんなに可燃性の高い話題であっても埋もれてしまいます。

 

はてなブックマークでわざわざ発掘してまで話題にするという人は少数派で、多くの方は目につかない話題にはコメントどころか、ブックマークすらする事はありません。

 

ですので、興味があるのであれば、積極的に自分でブックマークをしたり、関連するトピックを起こしたりするなどして露出を増やすしかないかと思います。

 

また、記事を起こす際は、自分の意見を最初にある程度書いたうえで、さらに疑問や質問を記載するとそういた視点で話題になりやすくなります。

 

「なんで話題になっていないのか」という問いかけは確かに疑問ではあるのですが、この場合は「はてなは国際問題に興味がないのか」という問いかけになってしまい、それこそアフガニスタン問題に詳しい人はコメントをする事はないでしょう。

 

本当にアフガニスタン問題について興味があるのであれば、そのトピックに関する自分の率直な疑問を列挙して、現時点の自分の理解を記述して「教えてください」と書けば、良いタイミングであれば詳しい方がコメントを付けたり、その方向に興味のある方がコメントを付ける等して話題にできるのではないかと思います。