むしろマスク配布を決断した事「自体」は非常に正しい判断だったが?
buvery on Twitter: "みんな、アベノマスクとバカにしていたけど、見映えなど度外視して、一番正しいことをしていたのは、安倍首相じゃないか。この厚労相の間抜けさを見よ。"
企画と実施までは良かったんだよ。明らかにあの時期マスク不足で明確に使い捨てから布マスクへの切替えを意識させたわけで。単純に実施するプロセスというか発注先が糞でそれが自らの選択であればそこが罪だっただけ
未だに馬鹿にされる例のマスク配布の件ですが、私はあれは企画としては非常に正しく、もしも遅滞する事なく、且つ、当初の計画通り迅速に配付されていれば世界的に稀に見る具体的で的確な対応であったと思います。
正直、過去の日本の実施している新型コロナウイルス関連の施策関連でこれに勝るものは無いと思いますし、野党含め、具体的でタイミング的にも的確な提案はあれが最後であったと今でも思います。
が、絶望的に実行段階の経過が悪すぎた。
恐らくは委託先の商社(怪しい小規模の発注先は言わずもがな)を含め、できるのか、それともできないのかという判断を緊急事態であるにも関わらず、平時のような適当な対応ですませた事が最大の敗因であったと思います。
商社なんてものは事実として在庫があるのかどうか、どの程度調達可能かどうか、どの程度で輸送出来るのかなど、正直ざっくりでしか把握していません。
彼ら自身は具体的な製造ラインや個々の製造拠点についてどのような状態であるかであったり、どの程度の現物在庫を抱えているのか等、極論言えばそれがおいしいビジネスであれば平気で嘘をつきますから。
これが平時であれば特に問題はありませんでした(そんな事はないが、ここまでの問題にはならなかった)。
精々、遅滞しており申し訳ありません、程度の謝罪や、一部の製品管理に不備があった程度の謝罪ですんだだろう。
が、当然事態は一刻を争い、そもそもマスク転売や輸入マスクの品質問題、さらには一部では詐欺行為が広がるなど、市民生活にも混乱が生じており、その中で緊急事態宣言を4月7日に発令するなど、市民生活には具体的な改善が見られず状況は徐々に深刻になりつつあるという漠然とした不安のみが広がっていました。
その上、前述のとおりマスクの流通は非常に滞っており、手元で在庫を持っていた人であっても高額で購入するか、又は運良く入手できるかどうかという状況で、一方で、その時点ではまだリモートワークが完全に定着しているという状況でもありません。
その為、出勤が必要な社会人はどうやって入手するのか、布マスクを買おうにもその時はまだ数は少なく、とても需要に供給が追いつくような状況ではありませんでした。
さらに深刻であったのが、医療機関については医療機関が必要とする高性能なマスクどころか、代用品やそれ程深刻でない環境で使う為の市販品の流用すら行う事が難しい等、市民生活を支えるライフラインにすら大きな影響を及ぼす事態でした。
このような中で、安倍政権としては国内でのマスク製造や増産について常にコミュニケーションを図り、増産された使い捨てマスクについては医療機関や教育機関、福祉施設などへの優先的に配付するなどギリギリのラインまで政府が踏み込む(一般的に日本国内では政府が物品調達や配付について介入するというのは、特定指定状況下でしか行われず、少なくともマスク等はそういった物品に指定されてはいなかったとの認識)ほどの措置を近年の政府としては珍しく具体的で且つ踏み込んだ施策であったと思う。
結果だけを見れば、結局のところマスクは期待される品質でなった事や、そもそも到着が明らかに遅く、届いた時には時期を逸していたという批判事態は正しい。
が、その事と、マスク配付という方針決定やそういった具体的な施策の検討と期待される効果を完全に無視した批判を正当化できるかというのは別問題だ。
少なくとも当時の日本の混乱した状況、初の緊急事態宣言が発令され市民生活にも大きな影を落とす中で、政府が具体的な施策を打ち出す事は非常に重要で、仮に検査数を拡大させたとしても、日常生活を正常化させるという事については抜本的な策は無く、未だワクチン以外の抜本的な施策が見込まれない状況であることを考えても、マスクを政府が配付するという方針を明言し、その上で、感染拡大に対してマスクを着用する事をお願いするという手段も含め提案するというのは近年の日本史においてもこれほど効果も含め検討された施策はなかったと思う。
こういった物事がでてきたとこ、企画と実施、この二つの段階をそれぞれ評価できないというのも日本人の悪い癖だと思う。
結果が伴わなければ全てがダメというゼロ百思考でしか考えない。
政府や政権を評価するときはそれで良いと思うが、施策事態の是非はそれとは同じではない。
その点は切り離して考えなければ、今の日本で何がダメなのかであったり、どのような点を改善すべきなのか等、そういった事を冷静に分析できないというのは致命的だと思う。
そういった冷静さを欠く、批判するためであればあえて冷静さを失う事もいとわないという国民性が、ある意味自民党が評価されずとも延々と与党をになうという状況を許容しているのだと思う。
何が良く、どこかダメだったのか、ではどうするべきだったのか等、個々に、段階毎に切り分けて評価する。そういった事ができないと「いや、株高だから経済って良い状態だよね」のような本当にそれは良い状態なのか?この数値が良いというのは本当はどういった意味を持つのか、そういった事をひとりひとりが冷静に、自分の頭の中でそれぞれ評価できる、そういった事ができないといつまでもこのような状況が続くのだろうと私は思うが。