何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

正直者が馬鹿を見ない為にもリスクが高い所から対策を講じるべきという話

 

【独自】「夜の街」関係者に集団接種 政府内で浮上(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース

いや、いいんじゃないの。そもそも支援金すら払わないのだからその程度の検討は必要かと。そもそも行動範囲が広い若者を後回しにする事自体は効率の観点から言えば実際は失策でしかない。一定の割合若者にも打つべき

 

この話しについて「結局正直ものが馬鹿を見るのか」とか「身勝手な奴が先に打つとかありえない」という意見があるが、感情的側面はわかるが現実的な話しで言えば、当然の事でもあるわけで。

 

例えば、全てを等しく対策を講じれば、全ての人に等しくリスクが分散し、効率良く効果が現れ、そして全員が幸せになれるのかと言えばそんな事は当然ない。

 

そもそも感染の拡大とは、どのような理由であれ、結局は行動に起因する事は事実であって、極論言えば、全ての人が一切の接触を断ち、あらゆる行動を制限できていれば確実に感染は抑えられる事は明らかではある。

が、当然、少なくとも日本において於いて言えば、行動について制限する法律はないし、緊急事態宣言下ですら、国民に対する制限は一切なく、精々行動の原因となる商業的側面に対する制限を加え、間接的に抑制するというのが現在の対策に過ぎない。

 

で、当然この緊急事態宣言下であろうがなかろうが、国民1人1人の行動は結局それを受け手どう行動するかという事に過ぎず、真面目に向き合う人は緊急事態宣言の有無にかかわらず最大限の努力をするし、その最大限の努力すら、人により定義は違う為、ある人の努力を別な人間が見れば「努力が足りない」と罵るかもしれないし、逆に「私はもっと努力が必要だ」と追い込んでしまうような事も起きるかもしれない。

 

何より今一番不幸なのは、努力したとしても個々人の結果で全国的な感染を抑える事ができているかと問われればそんな事はなく、当然そこには水際対策の問題であったり、ワクチン接種の進捗であったり、その他基本的な対策の欠如であったりと色々と課題はあるが、何れにせよ結局は「努力の度合いや有無にかかわらず宣言下となれば全ての人が概ね不幸になる」という事は明らかだと思う。

 

もっと踏み込むと、例えば緊急事態宣言下でアルコールの提供が禁止されたとしても、守る人は守るし、守らない人は守らない。

そもそも守らない人はどんな状況でも守らないし、守らないような人間は自己の管理もできない又は甘いわけで、所謂「お荷物」だと思われるわけだが、所謂社会とは大抵の局面でそういった「お荷物」と思われる人とどうやって向き合うかという事に過ぎない。

 

で、これを「お荷物」なのだから自己責任の結果に過ぎず罰するべきだ、とすれば皆が幸せになるのであればそれでよいが、当然そうならない事はこの1年で全ての国民が理解していると思う。

難度宣言が発出されても同じ事が繰り返されるだけで、エンタメに限らず悔しい思いをしている人が私に限らず沢山いると思う。

 

結局、どんな局面でもそういった「賢く立ち回れる人」と「結果的にお荷物となってしまう人」その二つに分かれてしまうわけで、この時どちらに投資する方が幸せになれるのか、という事を考える事が大切で、短絡的に感情に従ってしまってはいけない。

 

冷静に考えれば、リスクに向き合えない人間、つまり「結果的にお荷物となってしまう人」を「お荷物にしない状況」にできれば、当然全国的な感染傾向は改善するし、結果として緊急事態宣言が出る確率も出る頻度、期間も短縮される。

それはつまり「努力した人」にも恩恵がある話しで、単純に「結果的にお荷物となってしまう人」だけが理するわけではない。

 

これは会社組織でもそうだし、一般社会でも同様の事で、努力している人が報われるべき=努力している人が直接利益を得るという構図ではなく、結果として努力が報われる結果に導く事が大事で、それを間違うと、より一層「努力しても誰も報われない」事となる。

 

そしてそれは全員が等しく負担を負うのであれば良いですが、実際にはその状況では「努力している人間」つまり「正直者」の方が精神的も負担が大きく、結果としてその努力を辞める程度であればまだ良いのですが、より厳しいのはその努力や負担に耐えきれず精神的に追い込まれてしまったり、さらには場合によっては命の危機を迎えるような事もありえます。

 

「正直ものが馬鹿を見ない」というのは、そういった全ての状況を考え、努力した人が不幸にならない為の行動や結果を指すべきで、誰が理するべきかという話しをするのは完全な失策であり、結果として誰も救わない絶望的な選択になるという事は理解する必要があります。

 

当然、やれるべき事、やるべき事ができていないという現状に怒りを覚える事も、公平性について違和感を覚える事も間違ってはいません。

 

ただ、その感情と、実際に行動や施策という手続きという側面においては、より現実的で真の意味で「正直ものが馬鹿を見ない」事であり「努力が報われる」結果を努力した人に届ける事ができる、そういった選択ができる事が重要だと思います。

 

そういった意味で、私はリスクがある部分について適切に対策を講じるという事について言えば、死亡リスクの高い高齢者に対する接種が優先されている事と同様に、社会的なリスクの軽減や分散という観点、効率の向上という観点で一考すべき話しだと思います。