何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

昨今のネットの状況を濃縮したようなコメントだったのでつい

else 句に「// 何もしない」コメントを書く意味について

短絡的に批判的な意見が散見されるが、記事主はちゃんと末尾に「具体的な説明を記述するべきよね」とコメントしているわけで。その上、冒頭で考え方の一つとしてという前提を置いており、批判の意図がさっぱり不明。

 

最近ネットがだるくなり、仕事もいろいろと公私共に忙しくなったので、SNS含め一切何もリアクションしていなかった。

毎年どこかで私はSNS断ち的な事をして、自分が客観的に情報と向き合える自我を持っているかということを確認するのですが、今年はそれよりもより踏み込んで、最近のネットの「とりあえず自己中心的な理解から」というスタンスに嫌気がさして、このまま放置でもよいかな(放置というか、別に触るという意欲自体がなかった)と考えていた。

 

そんな時にこの記事のコメント欄をみて、いや、もう昨今のネットのダメなところを濃縮したような状況で、どうしようもないなと思った。

 

式と文の違いがあるのは言うまでもなく、コメントにあるように、元発言がどちらの言語での状況を捉えたかということもわからないので、その点では特に何が正しいという話はないと思う。

 

が、その点は記事主は冒頭から言及していて、思考の整理(遊び)の一つとして、こういった考え方、整理もあるよね、という話題として全体を構築している。

こういった思考の整理は少なくとも言語を操るエンジニアにはとても大切なことで、昔のはてな界隈であれば、こんな愚かなコメント欄にはならなかったと私は思う。

あったとしても、せいぜい異なる視点での整理の対案が記事として執筆されたり、より踏み込んだ具体的な例示を基にした解釈が提案されたりするのが昔のはてな界隈で、それが、思考整理に関する記事すら「それはお前の考え方だろ?」という批判的なコメントが多いという何とも末期の状況というのは本当に悲しい限りだ。

 

その上「そんな事ならもっと具体的な事を書くべきでは?」といった趣旨のコメントもあるが、いや、追記でそのこともちゃんと言及しており、そういった意図(記事で言及したような意図を持った記述)であるならば、その意図を第三者にも理解できるよう、意図について記述すべきだよね、ともちゃんと追記している。

 

コードへの評価というものは、正直、その状況により異なる。

どんなに美しいコードであっても、極論言えば、それが価値を生み出していない状況であればプロダクト/サービスを生み出すという観点では無価値である一方で、そのコードの断片を取り出した場合に限ればそうとは限らない。

 

つまり、この式による表現について断片的に取り出す行為や、それを評価するという行為は、結局のところ、何かしらの前提条件を付加して、その状況下で一つのシミュレーションをする、という程度の話でしかない。

 

そういった意味で、一つの思考パズルの類としてこの式の在り方の解釈を行うという事は、自身がコードであったり、さらにはプロダクト/サービスを生み出す、いや、第三者のコードやそれらの集合体と接する際に、どのように正しく向き合うかという点で大いに役立つ。

 

自分が理解できないものであれば「無駄だよね」と切り捨てるのか、「無駄であるかもしれないし、もしかするとほかの解釈もあるのかもしれない」と考えるのか。

 

もしも開発時間が十分にあり、予算も人員も十分に充足され、知識も経験も過不足ない状況下、そういった万全の状況で、全関係者がそれらの条件を満たす環境下であればそのような思考は不要だろう。

が、現実はそんな状況はまれであり、経験も知識も全く異なり、その上で、さらに予算も人員も欠けている、そんな状況が少なくない。

 

そういったとき、分業をする中で、当然ルールに沿って記述するわけだが、それでも万全はない。

 

制約を増やすという事は、一定の状況まではコストと反比例するわけであり、特に知識や経験が不足する人員がメンバーにいる場合その影響は大きい。

 

つまり、現実社会でこのような式とであうという事は、そういった自己の理解の外にある何かとかかわるという事であり、それとどのように向き合うかという手順でもあると私は思う。

 

ネットの今のありようはまさにこのコメント欄と同じだと思う。

思考整理の記事、思考パズルの解法の一例(一例であるにすぎないという定義は重要)であるという前提であれば、そもそも否定する意味はない。

一例である時点で、記事主は別解について受け入れる余地があるわけであり、その時点で議論は本来対立しない。

が、コメントを見るに対立する意見がでるというのは、単純にコメントする側が最初から全体を俯瞰できておらず、状況を把握できないまま、ただ感情でコメントしているに過ぎないという事でしかない。

 

まったくもってつまらない。

 

僕はこの一例を全肯定するわけではない。

が、この一例を全否定する知識や経験を持ち合わせていない。

 

全否定する人がどの程度の知識や経験をもとにしているのかというのは分かりかねるが、余程の自身と経験なのだろうから、是非その知識や経験を披露してみてはいかがだろうか。

 

もっとも、私も記事主もそういったものが披露されたとしても、特段そこに対立することはなく「そういった整理もあるのですね」で終わるだろうが。