何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

誰かの有能さの評価はその人の有能さを具体的に説明する以外には評価する事はできない

 

東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

野党の対案や方針に同意できてもできなくても、その話と与党や都知事の無能さの評価とは直接関係ない。他人の失点は誰かの得点ではないし、他者の失敗も自分の成功にはならない。そこを勘違いしてはいけないと思うよ

 このコメントですが、以下のコメントを読んで付けました。

東京都 新型コロナ 5386人感染確認 過去2番目 前週比1186人増 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

与党・都知事が無能という言説が多いけど、対案や野党の主張には同意しかねる。ロックダウン:やり方次第だろうど他国では成功していない、中国式?検査:意味わかんない。五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?

 

僕は別な記事でも書きましたが、与党に対してのコロナ対策の評価で言えば、安倍政権時代は実績は伴わなかったものの、何かをしなければならないという考えは伝わってきており、少なくとも菅政権とは違い、総合的な評価でみれば非常に低いものの、それは実施面のマイナスや、結果的に得られたもので評価すれば低いというものであったと考えており、この部分は恐らく比較的与党に対して甘い評価をしている(私的には非常に現実的に行っているつもりだが)。

 

一方で、小池都知事に関して言えば、評価すべきポイントは皆無で、むしろ評価自体は明らかにマイナスです。

なんせ色々情報を集めますが、東京都として評価すべきポイント、というか、東京都として具体的に成したい事がさっぱり何もなく、評価する事もなく、ただただ時間を浪費しているだけである為です。

 

私は誰が誰を評価してもよいし、それはプラスでもマイナスでもよいと思います。

 

が、いつも言いますが、与党の失点は野党の得点にはならないし、誰かの失敗も誰かの成功にはならないという事は明らかです。

 

ですから、仮に誰かが有能である、無能であると評する時、それはなぜそう評するのかという事を主張しない限りは何の意味もありません。

 

個人間で誰かの主張に同意できない、反論するというのは有ってもよいと思いますし、実際コメント等でもそういったやり取りはあるし、あってよいと思いますが、Xに賛同できないからYの批判は間違い、という主張は流石に主張にすらなっていません。

 

少なくともXの主張に同意できない部分について説明できない(例えば理解もできない程意見の隔たりが大きい事もあるので)としても、Yの批判が間違いだというのであれば、何が間違いであるかを主張・説明しなければ筋が通りません。

 

例えば「五輪中止:効果が妄想、地方での猛威は?」という部分ですが、私は開催に対して絶対反対であったわけではありません。

過去のコメントを読んでいただいてもわかるように、私は五輪と普通の大会、少なくとも世界大会程度の規模であっても、選手にとっては全く異なるものであると考えていたし、それだけ行うのか、行わないのかという決断は大きな問題であったとの認識です。

その上で、やるのであれば徹底した管理と絶対的な透明性、開催した事を批判されないような、徹底した管理体制と情報公開を行う事で、ぐうの音もでないような大会運営を行った上で実施すべきだと考えていました。

が、実際に行われたものを見れば、惨憺たる状況であったことはいうまでもありません。

 

ルール違反についても特段の罰則はなく、実際それを盲点として突いてくるように選手が自分の競技が終わり次第町に繰り出すという事が多数報告されました。

さらに言えば、デルタ株の持ち込み事例のうち、少なくとも一つは五輪関係者により持ち込まれたものであったことを、五輪終了まで公開しないという意図的な隠ぺいまで行っていました。

 

こういった行為について評価するというなら、確実に落第点であり、こんなどうしようもない管理であればやるべきではなかったと思います。

 

その上で、私はパラリンピックは開催すべきとの意思を持っています。

これは、健常者の大会だけを行い、それ以外の大会を行わないというのは明らかに異常であり、少なくとも五輪は一切日常的な医療体制への影響を及ぼさないという主張なのでれば、開催しないという選択はないからです。

 

一方で、それと同時に、小池知事に対しても、菅総理、政権与党に対してもやるからには糞のような言い訳はいいから、もっとまじめにやれとしか言いようがありません。

 

少なくとも与党の方針や出されている対案に同意できない、だから与党や都知事を批判する意見は間違っているとは言えません。

 

なお、五輪の開催についてさらに言及すれば、地方への影響は確実にあったと私は思います。

少なくとも五輪を開催するとした時点で、あらゆる物事に対して「世界の人が日本に来ることができる」という誤解を与え、さらに「五輪が開催できるのだから」という隙を与えた事は事実だと思います。

 

実際、あらゆる状況で、人々は「なんで五輪は開催して〇〇はやってはいけないのか」この発言が至るところで見えていること自体が分断を生じさせている上に、議論を複雑かさせている証拠と言えます。

 

もし五輪が中止されていれば、何かの是非を議論する時に「五輪ですら中止だったのだから」という事も出来ました。

しかし開催した今となっては「五輪が開催できてなぜ他ができないのか」という問いに答えねばなりません。

 

本日(18日)、F1の日本グランプリの開催中止が発表されました。

非常に残念な事ですが、それが決定であれば止むをえません。

 

ただ、海外のコメントを読んでも非常に恥ずかしくなります。

例えば、なぜ日本は世界各国からあれだけの人間を招き、そして2週間以上も日本各地で開催したオリンピックは実施したのに、たった4日間、1つのレース会場で行うこのイベントは開催できないのか?という指摘もありました。

また中には、日本からすれば五輪は金になるから行ったが、F1は金にならないからやらないそういう判断だよ、というものもありました。

他にも、F1は既に多数の国を転戦し、管理が行えている実績がある競技であり、オリンピックのバブル方式よりも安全であるのだが?という指摘もあります。

実際、F1はこの1年半の開催の間、数回しか感染者の報告を発生させておらず、クラスターの発生の報告もありません。

その上、以前にも記事にしたように、一部の国では政府とも協力して関係者を含め率先してワクチン接種の機会を設けたりするような活動も実施するなど、コロナ過のイベントとしては恐らく世界最大の成功事例の一つだといえますが、それですら日本政府は否定したわけです。

 

なお、一部の方が移動云々の話をしていましたが、F1の輸送については幾つかの便を優先的に利用しており、それは名古屋セントレア空港から鈴鹿へ直行する物流ルートで行われ、五輪よりも間の移動については明確なものです。

モノ以外でいっても、例えば海外の事例で言えば、空港直結が可能な国では指定ホテルと空港以外への外出禁止の徹底、直行ルートの確保、関係者以外のホテルへの立ち入りの禁止(指定ホテル以外の利用の禁止)をはじめとして、少なくとも五輪のグダグダな宿泊施設管理よりもより厳格で管理された運営が、既に世界各国で実施されている実績があります。

 

私からすれば、実績のあるF1を行わないのであれば、少なくとも実績のない五輪は実施できるとは思えないし、実際五輪で行った運営のレベルは、少なくともF1のそれと比較しても明らかに程度の低いものでしたから、F1を否定するのであれば、なぜ五輪が実施できたのかというのは具体的な回答が欲しい所ですね。

 

仮に五輪開催時は今ほどひどくなかったというのであれば、パラリンピックはどうするのかという問題に結局直結しますから、少なくとも今の時点で10月開催のF1を断念するように政府が迫るのであれば、今まさに危機的状況、小池都知事の言い方であれば「災害級」の状況なのであれば、10月のイベントの開催を否定する前に、今この局面で開催されるイベントについて行動するべきでは?と思うのはいたって普通だと思います。

 

五輪一つとっても、これだけ国民の関心や心の在り方を分断しているわけで、私はプラスがなかったとは言いませんが、マイナスも多大にあり、少なくとも開催したことが正しかったと胸を張って言える状況でもなければ、賛否両論が当然で、パラリンピックも否定する人がいる事自体には理解できます。

 

いずれにせよ、何かを評価するという事は、加点を与えるにしても、失点を与えるにしても、それは何に対して、という事が大事で、特に他人の評価を否定するのであれば、その否定の根拠を示すべきでしょう。

 

それがなく、ただ盲目的であったり反射的に批評してしまうというのは、流石に適切ではなないと私は思いますが。

 

 

仮に休校の選択肢が取られなかったとすれば、それは政府よりも国民の側のアップデートが必要という事

 

sekkai 💉fully vaccinated on Twitter: "五輪後新型コロナウイルス禍の収束点は既に決まっていて、お盆で日本中に広まったデルタ株が夏休み終了と共に対面授業で学校内クラスターを多発させ、ワクチンが間に合わなかった30-40歳代を中心に家庭内感染が多発し、各地落城するのでしょう… https://t.co/gnvJRWDXVn"

安倍政権下で休校させたときは「効果なんてない」「教育の機会を奪うな」「親の負担を考えろ」と批判や批難のオンパレードだったわけだが。何を選択しても批判されている状況下では誰しも選択を止める。国民側の課題

 この話。

 

別に政府が正しい事をしているとも思わないし、私も今の状況では、海外の状況も踏まえると例え一部の反発を招いても休校措置を取るべきだと考えている。

 

が、恐らくそう単純に選択はなされない。

理由はコメントの通りで、安倍政権~菅政権(といっても、菅政権で何をしたかはよくわからんが/失敗も含め…)において、いくつか実験的試みやチャレンジはあったと思う。

 

例えば、何度も書いているがアベノマスクの揶揄される取り組みも、私は取り組みの方向性は間違っていなかったと思う、が、実行力と実際の結果が伴わなかったという致命的な欠陥があった。

これも未だに政府批判のネタにする人がいる程、日本はチャレンジに対して否定的な環境となっている。

 

同様に安倍政権下での休校措置も同じで、例えば「デルタ株とは状況が異なる」というが、当時は今ほどの情報はなかったし、海外でも休校措置をとる国もあるし、地域で差がでていたところもあって、正解はなかった。

実際、当時は子供は感染しないのではなく、感染しても重症化しないという認識(なお、それ自体は今も同じで、デルタ株により感染力と重症化率が上がっただけ)で、感染の中心になってしまい、子から親、親から子等という経路により拡散してしまうのではないかという議論もあった。そして当時政府は兎に角やれることをやるという認識で強硬したわけだが、ご存じのとおり批判の嵐だった。

 

決定的な確証がないなら、より安全な方へという選択は、少なくとも私はあの状況下、初の緊急事態宣言が出されるほどの状況下では正しい判断だと思う。 

 

その他、高齢者が優先的にワクチンを接種した件についても同様で、若い世代を見ごろしとか、高齢者の票を買う為に優先したという謎理論で政府を批判している人も多い。

冷静に考えて、あの当時は高齢者の重症者数を押さえない事には、仮に死亡率を無視したとしても医療リソースの枯渇を避けられず、医療崩壊を起こす恐れが高かった。

その為、まずは重症者数やそもそも重症化率の高い高齢者に対して優先的にワクチンを接種する事で、医療リソースへの負担を軽減する事を目的としており、結果としてその後の高齢者の重症化数は劇的に下がった。

これは、結果として医療リソース全体への恩恵があったわけで、その恩恵として当然若い世代への恩恵、つまり医療リソースが確保される事による医療崩壊の回避(実際は延命に過ぎなかったが)という効果をもたらした。

こういった事実ですら無視され、高齢者優先の接種すらも批判の種となるのが今の日本だ。

 

こういったいろいろな選択に対して、それぞれ問題はあるだろうが、行った事を批判し続ければ、政府に限らず人は選択すること自体を辞めてしまう。

仮にリスクを取って選択しようが、しまいが、結局は批判されるのであれば、普通は選択しない方が賢い選択だといえよう。

 

わざわざリスクを取ってまで批判される意味は普通に考えてない。

 

これは対政府だけの議論ではなく、普通の仕事でも、家庭でも同じ事で、なぜその選択をしたのか、なぜその行動を行ったのか、大抵の事には理由がある。

その結果が理解しがたいものや、同意しがたいものであったとしても、そこには大抵は理由があるわけで、その選択の理由について理解をする事は必要となる。

 

結果に同意や肯定を示す必要はない。

結果とは仮に素晴らしい選択を行っても残念な事になるし、その要因は様々なものがあり、ある意味運ですら必要となる。

 

が、その選択の理由は結果とは関係がない。

そこに明確な目的があり、その目的が理解できるとき、選択自体を批判してはいけない。

 

選択した未来と、選択しなかった未来、必ずそこにはプラスもマイナスも存在する。

プラスだけが存在する選択肢なんて基本的にはなく、同様にマイナスだけが存在する選択肢もない。

 

 

私たちが何かの選択を否定し続けるという事は、政治に限らず相手に選択を躊躇させる状況を生み出すという事を理解すべき。

実社会でそういった事をした時、会社の中で誰かが何かの選択をしたとき「お前の選択のせいでこの結果だ!」等と言う発言をすれば当然ただのモラハラだし状況によってはただのパワハラでしかない。

 

相手が政府であれば何を言ってもいいと思うのは控えめにいって頭がおかしいし、それを見ている人がそういった行動を同じように肯定すると思うべきでもない。

 

新型コロナウィルスとの闘いは、基本的にはトライアンドエラーしかない。

誰も明確な正解などもっていないし、米国CDCですらひたすらいろいろな事例を発信しながら、色々な選択について常に状況に合わせて変化させている状況だ。

極論言えば、マスクの必要性ですら2020年4月から今までの間で必要な状況や有効性が何度も議論されるほど、まだまだ私たちはこの戦いの勝利条件が分からない。

 

私は小池知事対して厳しい発言をしている。

それは都として何もトライアンドエラーをしていないという点だ。

予算も多額に有しており、コントロールするにも比較的地方都市よりも行いやすい環境にある。

そういったメリットを全て投げ捨てて、ただ時間だけを浪費し、この1年以上の間なにも新しい取り組みをせず、チャレンジもせず、フリップ芸と露出だけを増やした。

 

結果、今の東京都には経験値もない。

 

私は失敗してもいいし、間違いもあってもいいと思う。

重要なのはそのチャレンジと経験で、そこから次に生かすべき。

それを行う国は徐々に平常運転に戻す事ができる。

何故ならばコロナとの共存する社会について自分達も理解できるから。

他人事ではないからだ。

 

マスクをする生活をしたいのか、それともしたくないのか、それも選択。

ワクチンを強要する社会とするのかどうか、それも選択。

ロックダウンを行うべきか、行うべきでないのか、それも選択。

 

何れも選択だが、何れに対しても明確な理由と選択の根拠を示し、その上でトライするしかない。

 

未知との闘いの経験なんて誰にもないわけで、正解は自分達で勝ち取るしかないわけだから。

 

そういった事で、仮に今回政府が休校の選択をしなかったとすれば、それは国民が政府の行動についてなんでも批判するという体質を持ってしまっているが故の結果だと私は思う。

 

私は振り返っても、あの時、安倍政権下での休校措置も全否定はできないし、反対派の人がいう学ぶ機会云々についても、緊急事態宣言同様に、私は短期間で徹底した対策を講じてきっちりと対応をした方が、経済的にも精神的にも負担は軽く、後に私たちは楽をできたと考えている。

 

これもコロナ過で現れる思考の在り方の一つだと私は思うが。

前提条件を正しく設定し共有しないとなぜ無意味な議論になるのか

 

「バレバレじゃん」総当たり攻撃時のパスワード最大解読時間を表で示してみた「桁数を増やすことに意味がある」 - Togetter

ブルートフォースアタックが成立する条件はそこまで容易ではないのでそうはならんやろというのが現実。但し対象サービスやプロダクトでそれを許容する状況下にあるのであれば当然そのとおりのリスクとなる。その程度

この話。

元の話題ではちゃんと前提条件が明示されて議論されているので、なぜこのような結果となるのかも読み手が理解できている(でききていない人も当然いるが…)。

一方で、まとめ主はただアクセス数を稼ぎたいだけなので肝心な部分、つまり前提条件を明示せずただ「短いパスワードは危険」というメッセージだけを強調している。

 

一見すると「どんな状況であろうが多くの文字種と文字数を使えばいいだけで、それに何の不満があるのか?」となりがちだ。

実際以下のようなコメントもついている。

 

なんとも言えないとか言ってる奴なんなんだ?桁数と文字種を増やすとこんなに変わりますよってのが分かればよくない? - akiraki のブックマーク / はてなブックマーク

そう単純な話でもないかと。文字種や文字数を増やすという事はそれの管理方法についても一考が必要で、そうなった場合、本来異なるパスワードを付ける事が必要な局面でも同一パスワードが使われるなど弊害がでるのよ

 

確かにそれはそうなんだけど、それだけにセキュリティはとどまらない。

 

まず、大前提としてローカル化での暗号やハッシュ解析の影響に対して、個人の努力はそれ程寄与しない。

というのも、極論言えばハッシュ化されたデータが攻撃者の手元にわたっている状況を想定する場合、例えばSALTの漏洩はあったのか、なかったのか、アルゴリズムの選択について情報を与えているのかどうか、パスワード情報は単体で漏洩しているのか、それともその他の個人情報と同時に漏洩しているのかという話により攻撃者は解析手法を変える。

 

具体的に言えば、現代の攻撃者はそもそも単純な総当たりにより解析は行わない。

既にダークウェブ上では解析済みの個人に紐づくハッシュデータ等が出回っており、同一パスワードを使いまわしているユーザがいる限り、特定サイトに対しての攻撃の難度は変化するわけで、そういった複合的な状況、つまり個人の努力以前にそういった複合的な状況な努力の結果の方が実は地味に解析/防御という点では影響を及ぼす。

 

これに対して唯一有効な手段としては、最低限複数サイトで同一パスワードを使わないという事のみで、それ以外には方法がない。

 

で、これがまたジレンマで、同一パスワードを複数サイトで使いまわさないという選択は、同時にそれらをどうやって管理するのか、という問題を生み出す。

これに対して、単純に「パスワード管理ツールを使えばいいじゃないか」という話があるが、当然それを選択しない人もいるし、そもそも法人アカウント等の場合、単純にそういったツールを必ずしも許可していない場合もあり、結局、パスワードの単純な複雑化は運用面の負担となり、結果として脆弱性を生み出すリスクともなりえる。

 

例えば、誤解により有害な情報となりえる話として以下の発言者の理解も同様だ。

 これも完全な誤解で、確かに銀行のATMで利用するパスワードである数字4桁は一瞬で解析されてしまう事となるが、私の元コメント通り、その条件が満たされる事は基本的には存在しない。

ATMでは数回の間違いにより口座に対する操作は一時的に凍結されるため、総当たり攻撃を実行する事はできないし、逆に攻撃を行っている事がわかる事となる。

そこに危険性はない。

一方で、単純にこれを「これは危険だ!よしより複雑なパスワードを求めるようにするべきだ!」とした場合、ATMの前で複雑なパスワードを入力する為の手段により、別なリスクが顕在化する事となる。

 

このように、正しい前提条件を共有しない問題提起は非常に危険で、状況によっては有害でしかない。

 

発信主はその前提条件を理解しているのだろうが、受け手がその全てを理解できているわけではない。

 

で、私がこの発言を問題とする一つとして、この発言主はセキュリティに関わる人間であるという事だ。

 

つまり、こういった発言によりセキュリティ上の別なリスクを誘発する事を理解している人間であり、それがわからないというのであれば、逆にもう少し学んでから発言すべきだと思う。

 

 

無知な人間が無知な故に誤った形で情報を発信してしまう事と、知識のある人間が自らの不手際で誤った形で情報を発信してしまう事は全く異なった次元であり、そもそもこの発言者は、第三者からそういった指摘があっても何らそれに対して適切な対応をしていない。

 

今後の対応次第では比較的悪質な行為の一つだと私は思うし、そういった行動をとるセキュリティ関係者や関係企業を私は信用しない。

 

<追記>

呑気に宣伝ぶら下げている暇があるなら、まずは前提条件や発信の意図について説明するのが先であって「バズったうぇーい」なんてことを言っている場合なのか?

私には彼の認識とその対応の順序が全く理解できない。

それでセキュリティ関連の実務に携わるとか、ちょっとそれ自体がリスクでしかないのだが。

話題にしていないわけではなく、それ以上に話題となるトピックがあっただけの事

 

なんではてなではアフガンが話題なってないの?

最近ははてブの使い方も認知されない程はてなユーザーは衰退したのだろうか。例えばPCであればブックマーク開いて上位のタブの総合にマウスを合わせると矢印でサブカテゴリを選べるのでそこから国際を選択して下さい

 

言いたいこととしては「はてなーは都合の良い話題しか議論しないのな(プ」的な雰囲気を醸し出しています。

 

そんなつもりはないのかもしれませんが、コメントの趣旨として意味がわかりません。

 

まず、はてブ自体で事の詳細が語られる事はないですし、記事としてで言えば各種メディアの記事にいくらでもある程度の詳報はでています。

 

海外メディアの和訳記事でも7月からいくらでも詳報は随時発信されていますし、それを受けたTwitterの発言や記事の作成も行われています。

 

話題になっていないのは、単純にそれ以上に大きな話題があるので、そもそもいつもであればある程度のポジションまでくるネタであっても埋もれてしまうという点と、自分が積極的に興味のある記事にブックマークをしてまわらないと誰も続かないという事です。

 

なお、タイミングで言えば、アフガニスタンの話題については12日の方が多くの注目を集めており、もし13日に話題を探したのであればちょっと遅いという雰囲気です。

 

元々は2つの都市が落とされたという時点でいったん話題は集まっていましたから、そのタイミングで国際トピックを見ていればそれなりのブックマークも集まっていました。

が、現状はコロナ関連、政府関連、菅総理関連、小池都知事関連、時事ネタとして入管関連のようなある程度注目が集まりやすいネタが多すぎて、単純には露出される規模のブックマークは集まりません。

 

はてなブックマークは特性としてゆっくりと話題があつまるトピックはそれほど重要視されていない為、その話題が扱われるそのタイミングで一定の人が言及してくれないとどんなに可燃性の高い話題であっても埋もれてしまいます。

 

はてなブックマークでわざわざ発掘してまで話題にするという人は少数派で、多くの方は目につかない話題にはコメントどころか、ブックマークすらする事はありません。

 

ですので、興味があるのであれば、積極的に自分でブックマークをしたり、関連するトピックを起こしたりするなどして露出を増やすしかないかと思います。

 

また、記事を起こす際は、自分の意見を最初にある程度書いたうえで、さらに疑問や質問を記載するとそういた視点で話題になりやすくなります。

 

「なんで話題になっていないのか」という問いかけは確かに疑問ではあるのですが、この場合は「はてなは国際問題に興味がないのか」という問いかけになってしまい、それこそアフガニスタン問題に詳しい人はコメントをする事はないでしょう。

 

本当にアフガニスタン問題について興味があるのであれば、そのトピックに関する自分の率直な疑問を列挙して、現時点の自分の理解を記述して「教えてください」と書けば、良いタイミングであれば詳しい方がコメントを付けたり、その方向に興味のある方がコメントを付ける等して話題にできるのではないかと思います。

 

8月11日に更新されるべき「新型コロナウイルス感染症患者の療養状況等及び入院患者受入病床数等に関する調査結果」が更新されていない

気になる。

 

なお、過去の公表は仮に連休明け、連休前であっても計画通り公表されていたとの認識で、おそらく1日以上の間予定から遅延しているというのは結構異常な事だと思うが。

 

まぁ、明らかに東京ルール分の差異が顕著になってきているので、どうしたものかと小池知事あたりと政府筋あたりが議論していそうだが。

 

<追記>

失礼。

13日公開ですね。

明日でれば予定通りと。

失礼しました。

LINEスタンプの売価200円と五輪のピクトグラムの約3300万円の契約の比較がまともにできないようでジャーナリストとして厳しいのでは

 

【原価厨】ジャーナリスト・白石草氏、東京五輪のピクトグラムのデザイン料を「一つのデザイン65万円は高い」と批判→「じゃあ自分でやってみろ」とツッコミ殺到。 - Togetter

「"使用権込み"でロゴデザインの見積もりを取ると、真っ当な相手なら100万円前後」とのコメントがあるがさすがにそれは極論かと。使用権が著作権の譲渡及びそれに付帯して商標権の行使を指すとしても条件による話し。

 この話しの流れの中で、以下のような発言を見つけました。

 控えめにいってちょっと何を言っているのかわからないのですが、言葉のとおりであればジャーナリストとして余りにも契約構造について不勉強なのではないかと思いますが。

 

そもそもですがビジネスモデルが両者は真逆であるという点に言及しなくてはなりません。

 

LINEスタンプは製造コストが安いわけではなく、薄利多売の構造のビジネスモデルとなっています。

つまり、制作コストと売価に関連性は基本的になく、コストをどれだけ掛けても売価は200円です。その為、制作コストを考える時は、どの程度の利用/購入が見込まれるのかという点を考え、制作コストとの整合性がとれるかという事を軸にビジネスとしては整理する事となります。

例えば、1万人に利用されれば売上は200万円となりますし、10万人に利用されれば売上は2000万円という事です。

なお、ここで本来であればそもそもスタンプの制作者が誰であるのかという議論もありますが、現時点での議論はそれ以前の話しなので今回は割愛します。

売価が200円/DLだとしても、その制作コストが200円なわけでは当然ありません。どの程度売上が見込めるのかという予想をした上で、どの程度の予算が掛けられるのかという事で制作発注コスト自体は売価とは関係なく設定されるわけですから、本来は費用対効果の側面でどの程度のダウンロード数が標準的であるのかといった指標を元に、制作コストと売価の関係や、その関係と五輪のピクトグラムの制作コストの妥当性についての整理となりますが、この話題ではそれ以前で躓いているので。

なお、さらに言及すれば、権利者が自らの組織としてデザインを制作する場合と、外部委託する場合でもコストや契約は異なりますから、そういった制作者と権利者の関係や、さらには販売者の関係まで考えるとこの両社を単純比較するというのはあまりうにも無意味である事がわかります。

が、繰り返しますが、この話ではそこまで辿り着いていないのでその部分は割愛します。

一方で五輪のピクトグラムは特段販売を意識したビジネスモデルではありません。商品としてはロゴそのものの利用や配布を想定としており、その価値そのものは売価のような形では現れないものです。その為、基本的にはLINEスタンプと比較する事自体が無意味ではあります。

しかし、総発注費が約3300円で、制作数が33個ですから、1つにつき概ね100万円のコストが掛かっているわけで、例えばそういった視点でメリットのある取引であるかという事は考える事はできます。

この手の契約、例えば企業ロゴなどもそうですが、そのデザインから派生して生まれる価値についての妥当性の判断となります。

例えばロゴであれば商品やサービスの認知度の向上に対して、視認しやすかったりや共感を得る事が出来るなどの効果を期待し、文字からでは与える事のできない情報を付加する事や文字よりもより判りやすい効果を期待するなどの効果も含め検討します。

また、ロゴに限らず、一般的には対価を必要とせず利用されますから、そういった点でどの程度の活用を想定するのかという点もコストという点では考えるべきポイントです。

例えば、ロゴ一つとってもコーポレートサイトや名刺、パンフレット、プレゼンテーション資料や配付資料、あらゆるものに社名と合わせて、場合によっては社名以上に利用されるケースは想定されます。

その為、例えば、配色のパターン(一般的にはベースカラーとモノトーン、その他逆パターン等の幾つかのケースでの配色の調整も含めて発注するので、仮に単価が100万であればそれらの調整作業もそのコストに含まれます)や、全体としての調整(文字と併記した場合の視認性やテーマカラーとのバランス、他の配色と混在した場合の影響などの調整等)等も必要ですから、そういった事の対応の一切が含まれる事となります。

それらの全ての工程をクリアし、まさに企業やサービスの顔として利用できるデザインを生みだすわけです。

利用される状況が多岐にわたるという事は、それだけ付加価値を多く生みだすわけですから、1つの制作物の価値はより高くなる事がわかります。

例えば、スタンプとは基本的には1つのメッセージに限定されます。

挨拶であれば挨拶としての利用ですから、そこに、仮に利用者が別な価値を見いだしたとしても、生みだした側の設定した価値は一つのものです。

一方で、こういったニュートラルな意味合いを持つデザインは商品やサービスを表すという意図とは別に、その商品やサービスがどういった局面で利用されるかという事も含め価値が評価される事となります。

極論言えば、LINEでそれらのピクトグラムが活用される事も想定できますし、放送事業者への配付、路面看板、国内・海外向けの多種多様なサービス事業者への無償提供等、LINEスタンプとは比較にならない程度の規模での活用が見込まれます。

そういった全ての活用の結果得られる効果が1つのピクトグラムから得られる対価と見直す事ができるわけですから、1つの競技のピクトグラムで100万円が極端に高いかと問われれば、それほど高いとは私には思えません。

 

こういった価値にについて言及すると、反対意見の一つとして「どのような価値のあるものでも制作工程自体に大きな違いはない」という反論がよくあります。

 

が、それも違います。

 

例えばLINEスタンプの商業的な目的で制作されているものの多くは、原案在りきのものが多く、LINEスタンプのために企画され制作されているものはほとんどありません。おそらくクリエイターズスタンプであれば個人の方が特定のキャラやデザイン案を持たずにゼロから生みだしているケースも見受けられますが、基本的に商業利用されたデザインの多くは、有名なキャラクターや俳優をベースにし、何かしらのコンセプトを組み合わせ、それをスタンプという形にしているものです。

一方で、今回のピクトグラムはそれとは異なります。

確かに過去に制作されたピクトグラムも存在しますが、むしろそれらと類似させる事は契約上マズイわけで、逆にそれらは類似性を感じさせない必要が生じる足枷となります。その上で、それぞれの個性を最大限に引き出しつつ、全体としては調和を感じさせる必要があるわけで、それを競技という原案はありますが、ゼロから生みだすわけですからなかなか大変です。

その上、この手の制作では1つの案でそのまま作成という事は稀で、1つのデザインに対して複数のデザイン案を出す事が一般的です。

となると、仮に1つのデザインに3つのデザイン案を出すとすればデザイン自体の費用は3分の1になるわけです。当然ある工程が3つの候補が必要というだけのことですから、デザインそれぞれが33万円かかるというわけではありませんが、デザイン案を出すという事は、その裏にそれぞれのデザインを生みだしているデザイナーがそれぞれの視点で競技を見て、アイデアを整理して、それを形にするという工程を行っているわけで、少なくとも数日から数週間の期間を必要としますので、数万円、数十万円は普通にコストが発生するものです。

仮に1つのデザイン案が10万円だとしても3つで30万円は案を出すだけで係るわけで、1つ100万円という中にはそういったコストも含まれるわけです。

さらに言えば、デザインの制作というのはどうしても調整や修正という作業がつきもので、例えばある案について一部だけ変更したらどうなるのか、とか、別なパターンももう1つだしてもらえないか、とか、中々デザイナー泣かせなリクエストも多く発生するものです。そういった様々な状況も含めてデザイン案の制作と選定という工程は進むわけですが、少なくともこの部分だけでも数十万円のコストが掛かりましたと言われても、そうですね、というのが至って普通の感覚ではあります。

このように、原案がある程度定まっており、何かしらのコンセプトを前提として制作を依頼される事と、原案があるとはいえそこから複数のデザインとの調和を取りつつ個性をそれぞれ出したアイデアを出して欲しいという、それこそゼロから生みだすデザインとではかかる時間もかけるコストも全く違ったものとなります。

さらに言えば、ピクトグラムのように単純化されたデザインというものは類似性が高くなる傾向もありますから、そういった点で、過去に制作されたものとの類似性の調査などのコストも掛かるわけで、LINEスタンプの制作とコスト面で比較するのは両者に対して失礼だと思います。

例えば、逆の考えで、LINEスタンプの発注の際に五輪のピクトグラムの制作と同じレベルでの対応を求めるのもおかしな話しですし、依頼される側も困惑するしかないでしょう。

つまりはものにはそれぞれに適した工程や体制というものがあり、その標準的なレンジから逸脱すれば、過剰・過小の何れも不適切と言うことです。

 

そういった事ビジネスにおいては基本中の基本です。

こういった事を全ての社会人が知っているべきとは私は思いません。

 

が、他人の取引について批判したり意見するのであれば、最低限その取引がどういった構造であるのか知っておくべき話しですし、知らないのであればまずは学んでから発言すべきだと思います。

 

少なくともジャーナリストであるのであれば、おそらくそういった事に詳しい方はいくらでもおられると思いますので、そういった知識をお持ちの方に聞いてみるだけでももう少しピントのあった批評になったのではないかと思います。

 

私も今回の五輪については明らかに費用対効果は見合っていないし、無駄遣いも多いとは思います。

が、批判や批評をするのであれば、する側もそこは冷静になるべきですし、何でも批判というのは流石に私は同意しかねます。

 

そんな感じです。

 

 

 

"救急医療の東京ルールの適用件数"を見るとかなり医療体制は崩壊している事が実感できる

日々発表される指標について、東京は明らかに異常なルールを適用している事から、重症者数を見てもその深刻さはあまり都民にも国民にも伝わりません。

ざっくり言えば、そもそも7月末の時点で国基準では東京都の重傷者数は4桁目前でしたから、既に今の時点では余裕で4桁を超えている事が想定され、つまり、雰囲気的には今の日本全体の重症者数は公表値の2倍程度が実数という事となります。

 

また、感染者数についても検査数が東京都は途中で頭打ちになる傾向にある事から、仮に陽性率が100%にでもならない限りは海外のような感染者数が報告される事はありません。

 

その結果、数値だけを見ると、まだ海外よりは…と勘違いしてしまいがちです。

 

ただ、そういったいろいろな指標の中でも冷静に見ると、あ、これ、ヤバい奴だ、とわかるものもあります。

 

例えば、東京都の指標で言えば「救急医療の東京ルールの適用件数」の推移はそのわかりやすい例の一つだと思います。

この「救急医療の東京ルールの適用件数」とは「救急隊による5医療機関への受入要請又は選定開始から20分以上経過しても搬送先が決定しない事案の件数」と説明があり、読んでわかるように、医療体制が逼迫又は崩壊すると如実に影響を受ける数値である事がわかります。

 

この値に推移は以下のような事になっています。

 推移は上記のグラフを見ていただければわかりますが、基本的には第5波が始まってから常に右肩上がりで悪化している事がわかります。

それでも先日の連休までは過去最悪の状況(1月12日の160件/日)を超える程にはなりませんでしたが、連休最終日の月曜日(8月9日)が180件/日、開けた火曜日(10日)が185件と急激に悪化し過去最悪の状況に至っています。

今後の推移にもよりますが、仮にこの値がさらに悪化し続けるという状況であれば、東京都も神奈川県同様に医療崩壊しており、コロナ云々に関わらず緊急性が高い搬送対応すらままならない状況が発生しているという事です。

もっとも、既に180件/日という過去最悪の数値で悪化している状況ですから、仮にこのまま横ばいであっても非常にまずい状況である事は明らかですが。

 

この数値について言えば、少なくとも東京都が虚偽の発表やルールの再変更をしない限りは誤魔化す事は出来ない数値であると考えます。

 

その為、今後の東京都のコロナを取り巻く環境の悪化についての判断はこの値の状況を見る事が一番わかりやすいのではないかと考えており、その他、重症者数については日々の公表値を参考にしつつ、実際には厚生労働省が定期的に発表している以下のリンクの数値をモニタする方が正しい状況を把握できます。

例えば、現時点で最新の報告は8月6日に公表された8月4日時点での国基準のモニタリング状況ですが、これによれば東京都の重症者数は827人であり、同日の東京都の発表が115人であったことから、実際の重症者数は東京都の報告値の約7.5倍の割合である事がわかります。

このことから、例えば8月11日の重症者数について東京都の報告では197人となっている事から、1450人前後が実際の東京都の重症者数である事が想定されます。

 

東京都というか、小池知事の方針として恐らく意図的に過小の数値を公表する方針にしているのでしょうが、結果として都民に対して東京都としてはそれほどでもないよ、という誤ったメッセージを強く発信している事は否めません。

 

控えめに言って、東京都だけで少なくとも4日時点で827人の重症者がいるという事は、全国で1605人が重症なわけですから、人口比で見ても異常な数値である事が分かります。

国基準で見れば、東京都は明らかにブッチギリで人口比で見た場合も悪化しており、日本の重症者の半数以上を東京都が抱えているという事が分かります。

当然ですが、東京都の人口は約1400万人ですから、日本の約1.2億人のうち約11%程度に過ぎないわけですが、その東京都が重症者のうち約51%を占めるという事がどれだけ異常な状態であるかという事はわかりやすいと思います。

こうやって基準をそろえてみれば、いかに東京の状況が最悪な状況であるかという事が非常に簡単に分かります。

 

何かを比較する時は、イコール条件で比較しなければならないというのは基本ですが、言い換えれば、何かを隠したいときはイコール条件にしない事で判断し辛くすることができるという事でもあり、今東京都や小池都知事はそれを悪用していると言えます。

 

なお、本来であれば検査数も人口比に応じて伸ばすべきですが、そこもあえて増強させない(できない可能性も否定できませんが、民間の活用で本来は検査だけであれば容易に増やすことは可能)事で、感染者数の告知自体も意図的に過小の数値を公表したいという腹積もりが見え隠れします。

 

政府もそうですが、東京都もこの状況をどうするのかというのは本当に疑問しかありません。

 

なお、定例報告では壊れたスピーカーのように攻める手段としてのワクチン接種率の向上的な発言を繰り返していますが、海外の実情を見ても、ワクチン自体は攻めではなく純粋に守りでしかなく、それ以外の対応に既に各国視線は移っているわけであって、いつまでワクチンのみに縋るつもりなのかこの点もよくわかりませんね。

 

いずれにせよ、上記で述べたように、東京都の数値をただ受け取るだけですと、実際にどういった状況であるのかというのが把握できない構造になっていますので、より状況を理解しやすい値を見つけ、その状況を注視し、その上で現実と向き合う必要があると私は思います。