何気ない記録

なんとなく自分の意見を書き記すときにつかいます。つまり不定期更新です。

LINEスタンプの売価200円と五輪のピクトグラムの約3300万円の契約の比較がまともにできないようでジャーナリストとして厳しいのでは

 

【原価厨】ジャーナリスト・白石草氏、東京五輪のピクトグラムのデザイン料を「一つのデザイン65万円は高い」と批判→「じゃあ自分でやってみろ」とツッコミ殺到。 - Togetter

「"使用権込み"でロゴデザインの見積もりを取ると、真っ当な相手なら100万円前後」とのコメントがあるがさすがにそれは極論かと。使用権が著作権の譲渡及びそれに付帯して商標権の行使を指すとしても条件による話し。

 この話しの流れの中で、以下のような発言を見つけました。

 控えめにいってちょっと何を言っているのかわからないのですが、言葉のとおりであればジャーナリストとして余りにも契約構造について不勉強なのではないかと思いますが。

 

そもそもですがビジネスモデルが両者は真逆であるという点に言及しなくてはなりません。

 

LINEスタンプは製造コストが安いわけではなく、薄利多売の構造のビジネスモデルとなっています。

つまり、制作コストと売価に関連性は基本的になく、コストをどれだけ掛けても売価は200円です。その為、制作コストを考える時は、どの程度の利用/購入が見込まれるのかという点を考え、制作コストとの整合性がとれるかという事を軸にビジネスとしては整理する事となります。

例えば、1万人に利用されれば売上は200万円となりますし、10万人に利用されれば売上は2000万円という事です。

なお、ここで本来であればそもそもスタンプの制作者が誰であるのかという議論もありますが、現時点での議論はそれ以前の話しなので今回は割愛します。

売価が200円/DLだとしても、その制作コストが200円なわけでは当然ありません。どの程度売上が見込めるのかという予想をした上で、どの程度の予算が掛けられるのかという事で制作発注コスト自体は売価とは関係なく設定されるわけですから、本来は費用対効果の側面でどの程度のダウンロード数が標準的であるのかといった指標を元に、制作コストと売価の関係や、その関係と五輪のピクトグラムの制作コストの妥当性についての整理となりますが、この話題ではそれ以前で躓いているので。

なお、さらに言及すれば、権利者が自らの組織としてデザインを制作する場合と、外部委託する場合でもコストや契約は異なりますから、そういった制作者と権利者の関係や、さらには販売者の関係まで考えるとこの両社を単純比較するというのはあまりうにも無意味である事がわかります。

が、繰り返しますが、この話ではそこまで辿り着いていないのでその部分は割愛します。

一方で五輪のピクトグラムは特段販売を意識したビジネスモデルではありません。商品としてはロゴそのものの利用や配布を想定としており、その価値そのものは売価のような形では現れないものです。その為、基本的にはLINEスタンプと比較する事自体が無意味ではあります。

しかし、総発注費が約3300円で、制作数が33個ですから、1つにつき概ね100万円のコストが掛かっているわけで、例えばそういった視点でメリットのある取引であるかという事は考える事はできます。

この手の契約、例えば企業ロゴなどもそうですが、そのデザインから派生して生まれる価値についての妥当性の判断となります。

例えばロゴであれば商品やサービスの認知度の向上に対して、視認しやすかったりや共感を得る事が出来るなどの効果を期待し、文字からでは与える事のできない情報を付加する事や文字よりもより判りやすい効果を期待するなどの効果も含め検討します。

また、ロゴに限らず、一般的には対価を必要とせず利用されますから、そういった点でどの程度の活用を想定するのかという点もコストという点では考えるべきポイントです。

例えば、ロゴ一つとってもコーポレートサイトや名刺、パンフレット、プレゼンテーション資料や配付資料、あらゆるものに社名と合わせて、場合によっては社名以上に利用されるケースは想定されます。

その為、例えば、配色のパターン(一般的にはベースカラーとモノトーン、その他逆パターン等の幾つかのケースでの配色の調整も含めて発注するので、仮に単価が100万であればそれらの調整作業もそのコストに含まれます)や、全体としての調整(文字と併記した場合の視認性やテーマカラーとのバランス、他の配色と混在した場合の影響などの調整等)等も必要ですから、そういった事の対応の一切が含まれる事となります。

それらの全ての工程をクリアし、まさに企業やサービスの顔として利用できるデザインを生みだすわけです。

利用される状況が多岐にわたるという事は、それだけ付加価値を多く生みだすわけですから、1つの制作物の価値はより高くなる事がわかります。

例えば、スタンプとは基本的には1つのメッセージに限定されます。

挨拶であれば挨拶としての利用ですから、そこに、仮に利用者が別な価値を見いだしたとしても、生みだした側の設定した価値は一つのものです。

一方で、こういったニュートラルな意味合いを持つデザインは商品やサービスを表すという意図とは別に、その商品やサービスがどういった局面で利用されるかという事も含め価値が評価される事となります。

極論言えば、LINEでそれらのピクトグラムが活用される事も想定できますし、放送事業者への配付、路面看板、国内・海外向けの多種多様なサービス事業者への無償提供等、LINEスタンプとは比較にならない程度の規模での活用が見込まれます。

そういった全ての活用の結果得られる効果が1つのピクトグラムから得られる対価と見直す事ができるわけですから、1つの競技のピクトグラムで100万円が極端に高いかと問われれば、それほど高いとは私には思えません。

 

こういった価値にについて言及すると、反対意見の一つとして「どのような価値のあるものでも制作工程自体に大きな違いはない」という反論がよくあります。

 

が、それも違います。

 

例えばLINEスタンプの商業的な目的で制作されているものの多くは、原案在りきのものが多く、LINEスタンプのために企画され制作されているものはほとんどありません。おそらくクリエイターズスタンプであれば個人の方が特定のキャラやデザイン案を持たずにゼロから生みだしているケースも見受けられますが、基本的に商業利用されたデザインの多くは、有名なキャラクターや俳優をベースにし、何かしらのコンセプトを組み合わせ、それをスタンプという形にしているものです。

一方で、今回のピクトグラムはそれとは異なります。

確かに過去に制作されたピクトグラムも存在しますが、むしろそれらと類似させる事は契約上マズイわけで、逆にそれらは類似性を感じさせない必要が生じる足枷となります。その上で、それぞれの個性を最大限に引き出しつつ、全体としては調和を感じさせる必要があるわけで、それを競技という原案はありますが、ゼロから生みだすわけですからなかなか大変です。

その上、この手の制作では1つの案でそのまま作成という事は稀で、1つのデザインに対して複数のデザイン案を出す事が一般的です。

となると、仮に1つのデザインに3つのデザイン案を出すとすればデザイン自体の費用は3分の1になるわけです。当然ある工程が3つの候補が必要というだけのことですから、デザインそれぞれが33万円かかるというわけではありませんが、デザイン案を出すという事は、その裏にそれぞれのデザインを生みだしているデザイナーがそれぞれの視点で競技を見て、アイデアを整理して、それを形にするという工程を行っているわけで、少なくとも数日から数週間の期間を必要としますので、数万円、数十万円は普通にコストが発生するものです。

仮に1つのデザイン案が10万円だとしても3つで30万円は案を出すだけで係るわけで、1つ100万円という中にはそういったコストも含まれるわけです。

さらに言えば、デザインの制作というのはどうしても調整や修正という作業がつきもので、例えばある案について一部だけ変更したらどうなるのか、とか、別なパターンももう1つだしてもらえないか、とか、中々デザイナー泣かせなリクエストも多く発生するものです。そういった様々な状況も含めてデザイン案の制作と選定という工程は進むわけですが、少なくともこの部分だけでも数十万円のコストが掛かりましたと言われても、そうですね、というのが至って普通の感覚ではあります。

このように、原案がある程度定まっており、何かしらのコンセプトを前提として制作を依頼される事と、原案があるとはいえそこから複数のデザインとの調和を取りつつ個性をそれぞれ出したアイデアを出して欲しいという、それこそゼロから生みだすデザインとではかかる時間もかけるコストも全く違ったものとなります。

さらに言えば、ピクトグラムのように単純化されたデザインというものは類似性が高くなる傾向もありますから、そういった点で、過去に制作されたものとの類似性の調査などのコストも掛かるわけで、LINEスタンプの制作とコスト面で比較するのは両者に対して失礼だと思います。

例えば、逆の考えで、LINEスタンプの発注の際に五輪のピクトグラムの制作と同じレベルでの対応を求めるのもおかしな話しですし、依頼される側も困惑するしかないでしょう。

つまりはものにはそれぞれに適した工程や体制というものがあり、その標準的なレンジから逸脱すれば、過剰・過小の何れも不適切と言うことです。

 

そういった事ビジネスにおいては基本中の基本です。

こういった事を全ての社会人が知っているべきとは私は思いません。

 

が、他人の取引について批判したり意見するのであれば、最低限その取引がどういった構造であるのか知っておくべき話しですし、知らないのであればまずは学んでから発言すべきだと思います。

 

少なくともジャーナリストであるのであれば、おそらくそういった事に詳しい方はいくらでもおられると思いますので、そういった知識をお持ちの方に聞いてみるだけでももう少しピントのあった批評になったのではないかと思います。

 

私も今回の五輪については明らかに費用対効果は見合っていないし、無駄遣いも多いとは思います。

が、批判や批評をするのであれば、する側もそこは冷静になるべきですし、何でも批判というのは流石に私は同意しかねます。

 

そんな感じです。